Largo


開かずの扉





エナンは突如襲われたその感覚に意識が飛びそうになる。“中”にいるヒダカの一部が“持っていかれる”と思った。

ビリッと脳に直接流れ込んでくる映像。

ヒダカが扉を開けた時の記憶だった。

ズキリッ、と激しい頭痛がする。

扉を開けたのはエナンではない。ヒダカだ。半分以上の彼の血が入っている自分はとても中途半端で曖昧な存在。錬金術に必要な膨大な知識はあっても、あくまで扉の中に入ったのはヒダカであり、エナンではない。

そう、エナンに手合わせ錬成は出来ない。

だからなのか今、エナンの一部と化しているヒダカの部分が黒い帯状の手によって引っ張られている。
 

苦しいッ
 

痛いッ


イタイッ!


イタイッ!!


イタイッー!!!


パリッと体の一部が剥がされる感覚。異常な痛みが体を襲う。魂までもが一緒になって持っていかれそうだった。

「アッ…がっ…!」


ヒッ


   パラ





     ル…!!




「ガーネット!!」



エドワード・エルリックはあっという間に飲み込まれてしまったが、エナンの足元には未だ大きな一つ目があり、無数の黒い帯がエナンの体に纏わりついていた。

「ガーネットっ!」

バタッ!と倒れてしまった彼女に近づく。息をしていなかった。肩に手を置き、体を揺さぶろうとする。しかし触れた瞬間バチッ!と電流のようなものが走り手が弾かれる。

そして彼女の邪魔をするなというように4人の兵士が一斉にスカーへ攻撃を仕掛けてくる。

攻撃を避けながらスカーは考える。
触れた瞬間。直感的に感じたのは彼女が何かによって分解されかかっているということ。

ならば、とスカーは左手を握る。

敵の攻撃を凌ぎつつ、再度エナンに近づくことを試みる。

一瞬でいい。一瞬触れられればそれでいい。

塊になって攻撃を仕掛けてくる兵士達の地面を右手で分解し、足元を崩す。バランスを崩した時に見えた隙間。見えた突破口にスカーは一直線に走る。

気絶しているエナンの肩に今度は左手で触れる。

彼女の体の“再構築”を試みた。

バチっ!!と大きな音と共に彼女は盛大に息を吹き返す。一つ目と黒い帯は消え、体からは蒸気のような煙が出ており、咳き込む彼女はとても苦しそうだった。





「はぁっ!…はぁっ!…」

「ガーネット、大丈夫か」

薄らぼんやりの視界。

体が鉛のように重い、とエナンは思った。上手く起き上がることが出来ない。

「ど、…あ…」

口さえも動かすことが出来なかった。気づいたスカーが上手く体を起こせないエナンの為に片膝をついて、耳を寄せてくれる。

「いっ、たい…な、にが」

「無理に喋るな」

彼の声がくぐもって聴こえる。

思い出せるのはスカーが自分の名を呼ぶ声を最後にブツンッ!とまるでブレーカーが落ちたようにエナンの目の前が真っ暗になった。そしてそれ以降の記憶が全くない。

だが意識を取り戻し、ぼやける視界の中で最初に目にしたものはエナンを守るようにしてスカーが前に立っていたということ。

霞む視界からでも兵士に囲まれ、剣先を向けられているのがわかる。この状況を察するにどうやら敵の攻撃を防ぎながらエナンを守ってくれたようだった。

彼の左肩に赤いのが見える。血が滲んでいた。負傷したようだった。

「スカー…わ、たしの、せいで…」

「貴様のせいではない。それよりもまずい状況になった」

くらくらと脳が揺さぶられているような感覚。周りの音も聞き取りにくい。まるで水の中にいるようだった。

辛うじて聴こえたスカーの言葉に視線を巡らせる。しかし未だ視界はぼやけ、ピントが上手く合わせられない。目を細めているエナンに気づいたスカーが彼女の瞳を見る。

「瞳孔が開いたままだな」

あぁ、それで上手くピントが合わせられないのか、とぼやける視界に納得する。薄暗い部屋でよかった。明るい部屋だったら多分眩しくて使い物にならなかっただろう。

なんの会話をしているのかまではわからないが、白衣の男とマスタングが何やら言い争いをしているようだった。しかしこの目では唇の動きまでは読み取れない。

スカーに状況を問うとマスタングは炎を出せないよう二人がかりで兵士に両手、両腕を拘束されており、ホークアイも背後を取られた状態で捕まっているという。

説明してくれているスカーの声が徐々に聞こえ始める。目も少しずつだがピントが合わさってきた。

周りの音もはっきりとわかるようになる。白衣の男と、マスタングの会話がここで漸く聴こえるようになった。

「断る‼人体錬成はせん‼扉も開けん‼」

じん、たい…れんせい…?

まって、

「言ったよね、時間が無いって」

まって、

なんのはなしを、

しているの?


クリアになっていく視界。


次にエナンが目にしたものは…


「中尉!!!」


彼女の首から血が噴き出る。
背後にいた兵士に首を斬られた瞬間だった。


エナンは、顔を歪める。


「さぁ、扉を開けてみようか…」


マスタング君、と金歯を見せるように男は笑ったーーー…




ドサリ、とホークアイの体は倒れる。辛うじて傷口を手で押さえてはいるが血は止まる気配がない。

「中尉しっかりしろ!!私の声が聞こえるか⁉」

返事を!!中尉!!

マスタングの声が響き渡る。

エナンは目を開き、顔を歪め、愕然としていた。

先程のことでエナンが扉を開けていないことがバレてしまった。つまり人柱候補から完全に外され、より扉を開ける条件に近いマスタングに標的が移ってしまったということ。

「決めてくれたかね、マスタング君」

「貴様あぁぁぁぁ!」

兵士の一人がホークアイの襟元を掴みズルズルと体を引きずる。そして錬成陣が描かれた陣の上へと連れて行く。

「中尉返事をするんだ!!」

「さぁ、さっさと人体錬成をやってみようか!誰を錬成する?家族?友達?恋人?この女が死んだら錬成するかね?それでもいいよ」

このままではまずい、とエナンは下唇を強く噛む。


くそ!


くそ!


くそっ!!


何のためにここにいるんだ!!
 

何のためにここに来たんだ!!


どうする!


どうする!?


かんがえろ!


かんがえろ!!!


下手に動けばホークアイは確実に殺される。それだけは阻止しなければならない。


なにか、


なにか手は!



「死なないわ…」



ホークアイの言葉にエナンは悲しそうに眉を寄せる。血が流れ、青白い顔の彼女。マスタングをよく知る彼女だからこそ話せる状況ではないのに、敢えて口を動かし、惑わされぬよう、ホークアイ自身を見るよう、マスタングに向けて自分の言葉に集中させようとする。

「私はね…命令で死ねない事になってるのよ」

「そんなので死なない身体が手に入るなら人間苦労しないよ。どうする?マスタング君」

不意にエナンは複数の気配を感じとる。上に、誰かいる。こちらの動向を窺っているような動きだった。つまりそれは敵ではない、ということ。兵士たちが出てきた大きな管のようなその穴は上に伝って伸びている。出てくるとしたらあそこだ。ホークアイがいるのもそのちょうど真下。

だとしたら…

「君の大事な女が死にかけている。放っておけばすぐ失血死。だが…」

男はポケットから小さな小瓶を懐から取り出す。そこには赤い液体が入っていた。

「私は錬金術の使える医者でなんと賢者の石まで持っている。さぁ、君のとるべき選択は?」

エナンはちょん、と敵に気づかれないようスカーの裾を軽く引っ張る。スカーは目だけを動かしエナンを見た。エナンもまた顔はホークアイ達に向けたまま、傷でだらりと下がったスカーの左掌に指先で“UP”と小さく文字を書く。

「おや?大人しくなったね。死んでしまったかな?」

「…!!!」

男の挑発。マスタングの表情はさらに険しくなる。彼女は出血をなるべく抑える為には呼吸を浅くし、極力動かないよう、ジッとしているしか術がなかった。

「……大佐…」

震える唇で彼を呼ぶ。

「人体錬成なんてする必要ありません」

しかしその声には、はっきりと真の通ったものが感じられた。

「するでしょ?マスタング君」

ホークアイは真っ直ぐにマスタングを見つめる。その何かを訴えかけている目はスッと上を向いた。ホークアイも気付いている。マスタングもその目の動きを見て感じ取ったようだった。

「……わかった」

「おお!やってくれるかね!」

「わかったよ中尉。人体錬成はしない」

男はマスタングのその応えにあんぐりと口を開ける。

「見捨てるのか?冷たいね君」

「この大総統候補達を捨て駒のようにあつかう貴様に言われたくないな」

「親に捨てられそのままでは死んでいたであろう者達に食事を与えた。一流の教育を与えた。そして存在意義を与えた。この者らは私に感謝しているだろうよ」

「そんなだから貴様は足元をすくわれるのだ」

「なにを」

突如男の体は消える。

すると賢者の石が入った小瓶が一人の兵士の頭の上にコーン、と当たった。どうやら上から落ちてきたようだった。そのままコロコロと地面に転がるそれを見て兵士は顔を天井へ向ける。

「ぎっ…なあああああ⁉」

白衣の男が叫ぶ。

「感謝しているかって?」

エナンの位置からは見えないが、ホークアイには一部始終見えていた。

そこには人間とガマガエルとの合成獣、ジェルソが粘着力のある唾液で男の首を締め上げていた。

「まぁこういう時はこんな便利な身体にしてくれてありがとよ…と作り主に感謝するけどな」

てめぇらみたいなタイプは正直ぶっ殺したいね、とジェルソは言う。

「いっ…今この場で錬金術の使える医者は私だけだ!!私を殺せばこの女は助からんぞ!!わかっているのか!!」

「セリフが三流以下だぜ。お医者サマよう」

新たな手勢がさらに二人、今度は穴を伝って降りてくる。

小さな少女、メイ・チャンとイノシシとヤマアラシの合成獣、ザンパノ。彼の背中にはその名の通り針が生えている。

メイは八卦の描かれた布が付いた鏢を放ち、マスタングを取り押さえてる兵士を攻撃する。

ザンパノは背中にある針を放ちエナン達を囲っている兵士を狙う。彼らの陣形が崩れたところでスカーとエナンは同時に二手に別れるように動き出す。敵を分散させ、それぞれ倒しに掛かる。

マスタングも隙をつき拘束している二人の兵士を倒し、賢者の石が入った小瓶を真っ先に掴もうとする。

しかし手の届く寸でのところで兵士が足を使って小瓶を蹴飛ばす。カンッと足に当たったそれは吹っ飛ばされ、また地を転がっていってしまう。

早く中尉の元へ!!

焦れば焦るほど、目先に囚われ上手くいかない。当然敵もそんなマスタングを狙う。

さらにもう一人、新たな味方が上から降りてくる。濃いもみあげにムキムキとした肉体を持つ強面な男、類人猿型合成獣のダリウス。マスタングに立ちはだかる邪魔な兵士を蹴飛ばし、マスタングは遠くに転がってしまった賢者の石ではなく、一目散にホークアイの元へ駆け寄ったーー…




エナンは敵を倒し終えたところで急いでホークアイの傷の手当てに向かいに走る。しかしスカーに肩を掴まれ阻止される。

「安心しろ。メイが治療出来る」

既に走ってマスタング達の元へ駆け寄っている少女を顎で指し彼はそう告げる。

彼女はメイ、というのか。服装からしてシン国の者だろう。あのスカーがここまで信頼を寄せた言い方をするとは。以前の彼からは考えられず、エナンは意外そうに目を瞬かせた。

彼女とは初対面だが、スカーの態度を見て、彼の雰囲気が変わったのは彼女のお陰なのだろう…と、エナンは直感的に思った。


「それよりも、来たぞ」


スカーは険しい表情で前を見据える。


「…っ…」


エナンは息を飲む。


転がった小瓶を、現れた男がゆっくりと拾い上げる。


「ブラッドレイ…」


彼が、ここにいるということは…


門を守っているブリッグズ兵士はーー…?


いや、正面から入ったという確証はまだない。目の前にいる敵に集中しろ、とエナンは頭を横に振り太刀の柄を握り直す。

「君なら目の前で大切な者が倒れたら迷い無く人体錬成に走ると思ったのだがね」

そうマスタングに話しかけるブラッドレイ。眼帯はしておらず、外した姿を見るのは初めてだった。

「少し前の私ならそうだったかもしれません。今の私には止めてくれる者や正しい道を示してくれる者がいます」

それを聞いたブラッドレイは小さく笑った。その笑いに嘲笑は含んでいなかった。

「いつまでも学ぶ事をしらん哀れな生き物かと思えば君達のように短期間で学び変化をする者もいる。全く人間というやつは…」

どこかで、負傷したのだろう。ブラッドレイの捲った袖口から腕を伝い、血がポタ…、と滴っていた。

「…思い通りにならなくて腹が立つ」

しかしその言葉に怒気は感じられず、どこか満足そうな表情を浮かべて彼はマスタングを、否ここに集う人間たちを見てそう口にした。

「っ!」

メイが突然何かに気づく。スカーが問うと彼女は真下にいる、と言った。

「…エナン・ガーネットよ」

真下にいる何か、に気を取られているとブラッドレイに名を呼ばれた。

「やはりお前自身は扉を開けておらんかったのだな」

やはり、ということは薄々気づかれていたということ。汗が頬を伝う。彼から出る緊迫した空気に圧倒されそうだった。

ドシャッ!

突然水音のような何かが落ちる音。

ボタボタッ!と白衣の男を拘束しているであろう天井から大量の血が滴り、深い傷を負ったジェルソと白衣の男が一緒になって落ちてきた。「ジェルソ!!」と深傷のジェルソをザンパノが急いでその場から引きずり上げ、逃げようとする。野生のカンが訴えているのだろう。ヤバイのが上から来ると。

ズズズッと何かが降りてこようとしている。

エナンは動けずにいた。

「致し方ないですね。やはりマスタングしかいないでしょう…」

もう一人の声が天井から聞こえる。

影と共に、
子供が、
セリムが、
プライドが、


ゆっくりと、


ゆっくりと、


穴を伝って降りてくる。


「やはり裏切りましたか、ガーネット」

「…っ…」

ズズッと影が這いずる音。薄ら笑いを浮かべプライドはエナンを見た。

しかし即座に動き出したブラッドレイに反応し、エナンは反射的に走り出す。

彼は死んだ兵士から剣を二本奪い、マスタングの元へ走る。

プライドが止めるよりも先にエナンは口を開く。

「大佐っ!!!」

気づいた彼は炎を繰り出し、応戦するが人並外れた動きでそれを避けたブラッドレイは地を蹴り、背後で爆発した爆炎を利用し、さらに加速。同時にエナンも地を蹴り、ブラッドレイの背後に周り太刀を振るう。

地に足が離れた今ならバランスは保てないはず‼

「っ!?」

一瞬の出来事だった。彼は不安定なその状態で体を捻り、体を横に一回転する動きに合わせて、振るったエナンの太刀を右手に持つ剣で受け止め、さらに左手に持つ剣でエナンの右肩を刺す。

「…ぐっ、!」

その体勢で攻撃してくるなんて…!

流れる体の動きに合わせて素早く剣を引き抜き、体は元の体勢へと戻り…

「た、大佐っ!!逃げてください!!」

マスタングの両掌に剣を突き立てたーー…



終わり
2020.6.18

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