誰のため
プライドは白衣の男を刺し、彼の体を半分取り込む。人体錬成に必要な錬金術の知識は得た、と言った。
ブラッドレイにより手を串刺しにされているマスタングは痛みに声を上げ、顔を歪める。
エナンは刺された肩を押さえ、マスタングに近づこうとする。しかし一歩でも足を動かそうものならプライドがいち早く反応し影で威嚇してくる。
グッ、とエナンは下唇を強く噛む。真理の扉を開けるということは通行量として恐らく彼の体の何処かしらは持っていかれてしまうということ。
なんとしてでも阻止する手立てはないか。
冷静に、
冷静に考えろ。
プライドが影を使って人体錬成の構築式を描いていく。それを眺めていてふと思う。
通常は術師にリバウンドがくる。しかし今回はプライドの中の賢者の石を使い強制的に開けるというイレギュラーな状況だ。プライドにも相当な負荷が掛かる筈。
発動する瞬間、自分もそこに飛び込むことで自分が通行量の代わりになることは可能だろうか。マスタングに降りかかるリバウンドが免れられないのであればその負担を少しでも減らすことが出来れば…。
エドワード・エルリックは消えたあとどこへ向かったのか。人柱として時が来るまで傍に置いておきたい筈だ。なら“あのお方”、“お父様”と呼ばれる人の元にいる可能性が高い。
この中でマスタングの力が一番厄介だ。あのエンヴィーが手も足も出なかったのだから。そのマスタングが五体満足のまま“お父様”の元へ向かえばそれだけで脅威の筈。起死回生の道に繋がるかもしれない。
エナンは顔を上げる。
じりっ、と体を起こし少しずつ走る体勢に入る。滴る血の音でさえ、神経を使い、ブラッドレイに刺された右肩を強く押さえる。
それをスカーは視界の隅で捉えていた。
「固定しました。退いてなさいラース」
影を使いマスタングが動けないよう彼の体を地面に縫い付け、それを確認したブラッドレイは彼の手の平に突き立てていた剣を引き抜き、錬成陣から離れる。
ブラッドレイがマスタングをちらりと見て口を開く。
「さて、君はどこを持って行かれるかな」
ーーどこを持って行かれてもいい。
「この手はあまり使いたくなかったのですが仕方ありません。もう時間がない」
プライドの言葉とともに術が発動する。強い錬成反応の光。
「大佐!!」
ダリウスとホークアイがマスタングに駆け寄ろうとする。しかしそれをメイが引き留める。
「だめでス!!巻きこまれまス!!」
同時にエナンは駆け出す。
ーーヒダカ、ごめんなさい
「むっ…」
メイの言葉を聞いたスカーがブラッドレイよりも先に動き出す。
ーー貴方にもらった体、なくなってしまうかも
ブラッドレイが漸くエナンに気づく。
ーー間に合えっ!
「邪魔はさせんぞエナン・ガーネット!」
ーー間に合えっ!!
エナンは足に力を入れる。
ズキリッ、と肩が痛む。その一瞬の、ほんの数秒の遅れがエナンの運命を左右する。
思い切り地を蹴り、光の中に飛び込んだ体は誰かに引っ張られる。
「ゔっ…!」
軍服の襟元を掴まれたせいで首が思い切り締まり鈍い声が出る。そのまま体は地面に叩きつけられ、誰かが覆い被さる。
バチィィッと鋭い音を立て、マスタングとプライドは光の渦に飲み込まれていった。
「ス、スカー…」
錬成反応が消えたのを確認した彼はエナンから体を退ける。しかし首根っこは未だ掴まれたままだ。
一方、ブラッドレイはスカーが止めに入ったのを視認した瞬間に走っていた足を止め、剣を下ろした。賢明な判断だ、と心内でスカーの行動を賛した。
「己を犠牲にしてあの炎の錬金術師は喜ぶのか」
スカーの言葉に目を見開く。エナンは彼の行動に酷く驚いていた。同時に失念していたことに気づく。
彼が誇り高きイシュヴァール人だということに。
太陽神イシュヴァラを神とし、自然を愛し、自然の恵みに感謝するよう幼少期から教えられ、同時にイシュヴァールの男は皆、女・子供を守るよう厳しく育てられる。
厳しい土地故の、厳しい教訓。
ぎゅっと未だ襟元を握りしめているその手は微かに震えており怒っているのだと理解する。
人の道を踏み外し、復讐に身を焼かれても、
体に染み付いたイシュヴァラの教えを守ろうとしている。
“ 己を犠牲にしてあの炎の錬金術師は喜ぶのか”
スカーの言葉にエナンは眉を下げる。
「…すみませんでした」
小さく、弱々しい声が出る。そんな謝罪の言葉でも彼には届いたのか手の震えは治まっていた。
「わかればいい。それよりも奴を見ろ」
お前もああなっていたかもしれんぞ、とスカーはマスタングがいた場所に目を向ける。エナンもその視線の先を見た。
「っ!!」
転がる奇妙な物体を見てエナンは口元を押さえる。
「大っ…!…佐じゃないよな」
ダリウスの言葉に、瞠目していた目を細め、よく確認する。奇妙な物体が掛けているメガネはあの白衣の男がしていたものだ。どうやらプライドに半分取り込まれた後は扉を開けさせる媒介とされたようだった。
人の人生を弄んだ彼の末路はリバウンドにより醜い肉の塊となり、最後は人の形を成していなかった。
「安心したまえ。今ごろマスタング大佐は父上の所だ。五体満足かどうかは保証せんがね」
ぽたっ、と血を垂らしながらブラッドレイは剣を構える。
「さて…私はごらんの通りの有様だ。」
両腕を広げ、構えるその姿。
腹部には深い傷を負っていた。
こんな強い漢に、一体誰があんな深い傷を負わせたのだろう。
「討ち取って名をあげるのは誰だ?合成獣か?よそ者か?マスタングの犬か?それとも…」
全員でかかってくるか?
手負いとは思えぬ気迫。ボロボロな姿でもとても勝てる気がしない、とダリウスはこの緊迫感にゴク、と喉を鳴らす。
「真下…」
突如ジェルソが思い出したようにポツリと呟く。
「…あの穴の下…」
「何?」
スカーはジェルソの言葉に振り返る。
「メイが“この真下にいる”って言ったとたんメガネのじじいがうろたえだした」
やっと襟元を離して貰えたエナンはコホッと喉元を摩りながらジェルソの言葉に耳を傾ける。どうやら白衣の男を拘束していた時のことを話しているようだった。
「“あのお方の邪魔はさせん”ってよ。どうやらこの下には行ってほしくないみたいだぜ」
ほう…とスカーは目を細める。つまりは白衣の男を拘束していた、あの天井の穴の下。そこにはジェルソの血がたっぷりと付着していた。
「あれが中心で、この下にいる、か」
ゴキンッ!とスカーは右手の指の関節を鳴らす。そして殴り付けるように右手を地面に振り下ろした。
ドンッ‼と閃光が走る。その錬成反応と共に地面には大きな穴が空く。
その穴は下へ、下へ、さらに下へと続いていく。
煙が立ち込め、ブラッドレイの視界を奪っている間に、ザンパノはジェルソを、ダリウスはホークアイを担ぎ、闘いに巻き込まれないようなるべく下の階へと避難する。ある程度の地下まで来たが、そこで足は止まってしまう。それ以上は行けなかった。理由は黒い煙のような膜がその下を覆っていたから。
まるで真理の扉の中にいるような嫌な感覚がそれにはあった。
メイは臆さず剥きでた鉄骨や管を伝って“お父様”がいるであろうその黒い膜の中へ飛び込んだ。肩を止血し終えエナンもメイに続こうと鉄骨に足を掛けた瞬間、ダリウスに呼び止められる。
「お前さんはスカーの所へ行ってくれ」
その言葉にエナンは目を開く。
「ですが…」
確かにエナンもスカーが気がかりであった。自分を守ったせいで負った傷もある。だが、エナンを地下へ放り投げたのは他でもないスカーだった。
「実は新たな国土錬成陣を発動させるにはスカーの力がないと出来ない」
その言葉にエナンは降りようとしていた体をダリウスの方へ向ける。
「これが失敗すると恐らくみんな死ぬ」
「どういうことですか?」
「専門的な詳しい話はわからねぇが、あの“お父様”が妙な術を使うとあんたら錬金術師はみんな錬金術が使えなくなるんだろ?」
その言葉に、エナンは目を開く。確かエドワードがそんなことを漏らしていたとマスタングから聞いたことがある。自分はあまり錬金術を使わなかったから気づいていなかったが、確かに街の錬金術師から一時術が全く発動しなかったと市から連絡を受けたこともあった。
「理由はどうやら国中の地下に張り巡らせた賢者の石が関係してるらしい。それを錬丹術で上書きした新たな国土錬成陣でなんの制限も無く錬金術を使えるようにするって…」
なるほど…。この国が建国から可笑しいのはそもそもそこからだったということか。錬金術も含めて考えなければならなかった。
この国の錬金術は地殻エネルギーを使って術を発動させる。建国からすでに賢者の石が張り巡らされていたならば我々が今まで使っていた錬金術は地殻エネルギーと術者の間にさらにもう一つ、賢者の石が加わっていたことになる。
地下にある賢者の石を取り除くことは不可能。石が術の妨げになっているのであれば、その力を中和する錬金術を全土に行き渡らせ、地殻エネルギーを存分に使えるようにする、といったところだろうか。
「私からもお願いします」
「……中尉」
ダリウスに支えられているホークアイまでもが真剣な顔でエナンにお願いする。それはエナンにとって意外な言葉だった。てっきりマスタングのことを頼まれると思ったからだ。
「大佐の安否も確かに心配ですが、大佐なら自分よりもこの国の一番を考える筈ですから」
戦いの場から離脱などしたくなかったであろうホークアイの重みある言葉にエナンはようやく首を縦に、頷いた。
「わかりました」
その言葉にダリウスとホークアイの二人はホッとした顔つきになる。
「でもどうするよ。大分下に来ちまっただろ?」
その言葉にエナンは問題ありません、と二人に背を向ける。
「仮にも“風鬼”の錬金術師ですから、そこは風を錬成して上に行きます」
剥き出しになっている鉄骨の先端まで歩みを進める。太刀の剣先を地面に突き立て、柄を上にして垂直に立てる。先端の口のほうに取り付けられている金具、縁頭の表面には錬成陣が描かれていた。
「風の勢いで足場が崩れるかもしれません。少し離れていてください」
パリッ、と錬成反応の光。次にはバリバリと稲妻のような閃光が走り、次第にそれは渦巻き状に変化していく。
エナンの周りに風が集まりだした。
「熱っ!」
突然の熱風にダリウスは声を上げる。次にはドンッ!と下から強い強い風が巻き起こり、エナンの体は一瞬にして消えた。ホークアイを抱えたままダリウスは見上げる。エナンはすでに豆粒くらいの大きさになっていたーー…
「今、誰かに豆粒って言われた気がする」
エナンが積乱雲を人工的に作り出しそれに伴う強い上昇気流で上階に向かっているその頃エドワードがぽつりとそんなことを言った。
「兄さん、この状況でアホなこと言ってる暇ないよ。闘いに集中して」
目の前には宿敵ホムンクルス、セリムを前に我が兄、エドワードは何かを受信したようだった。アルフォンスにアホと言われ、口を尖らせながらもセリムの攻撃を避ける。
「にしても急に気温が上がったような…」
エドワードのその小さな呟きは誰にも届くことはなかった。
外では、日中なのにみるみる空が暗くなってきていた。
すでに日食が始まっていたーー…
スカーとブラッドレイは死闘を繰り広げ、今は両者睨み合い、相手の出方を窺っていた。互いに一歩も動こうとしない。どちらかが動けばまた闘いは始まる。
「こうして死に直面するというのはいいものだな」
ブラッドレイが突然口を開く。
「純粋に“死ぬまで闘い抜いてやろう”という気持ちしか湧いてこん」
ポタ…とブラッドレイの腹部から血が滴り落ちる。
地位も、経歴も出自も人種も性別も名も何も要らない。何にも縛られず、誰のためでもなくただ闘う。それが心地良いとのだとーー…
「ああ…やっと辿りついた…」
清々しく、喜色溢れる顔で彼はそう、告げた。それを合図にブラッドレイは走り出す。
間合いに入ろうとするブラッドレイ。スカーは右手で足場を崩し、分解したコンクリートの破片をブラッドレイに撃ち込む。
小さな破片、しかし勢いのあるそれは機関銃と同程度の威力がある。しかし弾丸をも斬れるこの男にそれを剣で防ぐことなど造作もない。
互いに続く攻防戦。隙をついてスカーは脇腹目掛けて肘を入れる。
ベキベキ、ボキ
「ぬ…おう‼」
肋骨が折れる音。流石のブラッドレイも激痛に声を上げた。しかし怯んだのはほんの一瞬ですぐさま体勢を整えスカーに斬り込んだ。
「どうした!!それが貴様の本気か!!足りん!!全くもって足りんぞ!!私を壊してみせろ、名も無き人間よ!!」
気迫迫るブラッドレイ。床に垂れていた血に気づかず、足を滑らせるスカー。
体勢が崩れる。
その隙をブラッドレイが見逃すはずもなく間合いを詰め両肩から差し交わすように斬り込んだ。
「っ!!」
しかしブラッドレイの身体にも限界が来ていた。吐血しグラついたブラッドレイ。今度はその隙をスカーが突く。右手を突き出し、分解し剣を折る。
折れた刃が宙を舞う。
しかしブラッドレイの目はまだ諦めていなかった。ギッと目をギラつかせ、折れたその剥き出しの刃を左手で掴み上げる。
それを見たスカーは咄嗟に右手で首や顔を守る。ブラッドレイはそのまま左手を振り下ろしスカーの右腕に刃を突き立てた。
そのままスカーの体は後方に押し倒され、床に叩きつけられる。刃は腕を貫通し、鎖骨にまで達していた。
「ぐおっ…」
キラッと視界の隅に捉えたのはブラッドレイが右手に持っているもう一つの剣。
一直線に顔面に振り下ろされ、咄嗟にスカーは左手を地面に触れた。
ドッ!と強い閃光。ブラッドレイは驚きに目を剥く。
突如地面が円錐状に変化しブラッドレイの右半身を攻撃する。転がるようにしてブラッドレイはスカーとの距離を取った。
傷を負った腕を手で押さえ、瞠目している右目がスカーを見る。
「完全にノーマーク…といった顔だな」
スカーは左手で、刺さっている右腕の刃を引き抜く。
「そうだろう。己れが“こんなもの”を使うなど…少し前まで己れ自身も想像していなかった」
破れたローブを脱ぎ捨て、露わになる左腕の入墨。
ブラッドレイの目はさらに大きく見開いた。
ぶるっと体が震える。急に気温が下がったように感じた。これが、武者震いなのだろうか。
「自分に何ができるかをずっと考えていた。そして“これ”に辿り着いた。我が兄の研究所から得た再構築の錬成陣だ」
ドンッ!と二人の間に突風が巻き起こる。
現れた青軍服
舞う金色の髪に
紅と蒼の瞳をもつその鬼は
「しゃがんで、スカー」
太刀を振り上げていた
宙に浮かんでいる体。
まるで空を飛んでいるかのようだった。
欲望や渇望を含んだ熱く燃えるような瞳と、悪意、憎しみ、怒りを含んだ冷たい深海のような瞳。
背負う太刀はまるで金棒。
ーーあぁ、そうだ
二つの感情を持つ双眸が、二匹の鬼を宿したその人間が、ブラッドレイを捉える。
ーー技術試験で初めて君を見たとき、私は君を鬼のようだと思ったのだ。
今と異なる黒い瞳。風が集い、中心に佇むその冷めた瞳はブラッドレイをただただ見つめた。彼には風を司る鬼が潜んでいるように見えたのだ。
宙を舞っていた体は重力に従い、徐々に落ちてくる。
「しゃがんで、スカー」
その声にスカーは体勢を低く、身を屈める。そして何もない空を彼女は太刀で大きく斬る。
「っ!?」
ビュォォッ!と凄まじい風の音。鎌鼬のような鋭い風が空気を切り裂き、ブラッドレイの体は一気に吹き飛ばされ壁に激突した。
吹き飛ばされたブラッドレイを視界に入れながら、ストン、とエナンは綺麗に着地する。そこには鋭い目つきでこちらを見ているスカーがいた。
「なぜ来た」
声色からだいぶ怒っているのがわかる。
「必要なかったですか?」
結構ボロボロに見えますけど、なんて戯けてと言えば彼はなんとも言えない顔をした。
「これからだった」
露わになっている左腕の入墨を見てエナンは納得したように頷く。
「その左手があったから私のことを再構築できたわけですね」
「下へ戻れ」
「もしかして一番の見せ所、横取りしてしまいました?」
「戻れと言っている!」
エナンは臆さず彼を真っ直ぐに見つめる。
「私が女でイシュヴァール人だからですね?」
ピクッとスカーの目尻が動き、エナンを見据える。しかしその瞳はエナンの右眼、紅い瞳を見ていた。
「同胞の仇、私も一緒に取らせてください」
その言葉にぐっ、と押し黙る。紅い双眸がエナンをジッと見つめる。エナンもまた紅と蒼の瞳でスカーを見つめた。左右に揺れている紅い瞳。それに応えるようにエナンはゆっくり頷いた。
手伝わせてください、と再度口に出せば彼は「……わかった」と呆れた溜息とともに頷いてくれた。
「まったく、北部出身の奴は手荒い輩が多くて骨が折れる」
ガラガラと壁に激突した際に落ちてきた瓦礫を押し除け埃まみれの体を払いながらブラッドレイは口を開く。その言葉に反応したのはエナンだった。
「……なに?」
「この腹の傷、だれが付けたと思うかね?」
ほくそ笑むブラッドレイにエナンは目を細めた。
終わり
2020.7.4
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