雲泥

 変わらないものが欲しかった。僕の全てを捧げて貫き通せるようなものが。僕は幸運にもそれを生まれながらにして手にしていた筈なのに、いつの間にかするりと手のひらから零れ落ちてしまった。己の愚行が招いた結果だと頭では理解していても、その事実は重く、鼠色の鉛となって僕の腹の底に溜まっていく。妹が呪われたままというのも僕をまたさらに鬱々とした気分にさせた。けれどこれ以上何かしようとすれば、オミニスや彼女も今度こそ絶対に僕の事を許しはしないだろう。
 僕は彼女たちに見逃してもらった恩をきちんと返さなければならない。その為にはどうするべきか、どうあるべきか、そればかり考えている。
 

♢

 
「また此処に居たんだ」

 噂をすればなんとやら。地下聖堂の暗く湿った空気にはおよそ似つかわしくない、澄んだ声が響いた。読んでいた本から頭を上げると、何故かお菓子の箱を沢山その両腕に抱え込んだ転入生が入口の鉄格子の前に立っている。

「どうしたんだ、それ」

 到底一人で食べ切れる量ではないそれに、僕は一旦腹に沈む鉛を忘れて口角を上げる。

「えーと、みんなからのお礼?」

 彼女は眉を八の字にして少し困った様な笑みを浮かべる。折角綺麗に結われていたであろう髪も所々乱れ、ローブも埃だらけだ。今日も彼女はホグワーツ中を(或いはそれ以外の所で)駆け回ってみんなの頼み事を聞いていたようだ。まったく彼女らしいと微笑ましく思う一方で、ずしり、と身体がまた重くなっていくような心地がする。

「流石に多いから、一緒に食べてくれないかなと思って持ってきたんだ」

 彼女は当たり前の様に僕の隣にどさりとお菓子の山を置き、その更に隣に腰を下ろす。そしてお菓子の山から蛙チョコを二箱手に取ると「まずはこれ」と一つを僕に差し出した。

「途中でオミニスにも会ったから誘っておいたよ。後で来るってさ」

 彼女が開けた箱から蛙の形をしたチョコレートがぴょんと跳び出し、僕の右肩に留まる。「ごめんね」と此方に身を乗り出した彼女の声が耳を擽る。
 自然と距離が離れていくものだろうと思っていた。けれど彼女はこうして以前と変わらず僕の傍にいてくれている。僕が居なくたって彼女の周りには常に誰かが居るのに。それは彼女が頼み事をすれば何でも引き受けてくれるただの都合が良い相手だからではなく、その優しさをもって人々と接してきたからだろう。

「……なあ、僕の頼みも聞いてくれるか」

 今まで散々面倒事に巻き込んできた張本人がいったいどの口で、どの面下げて、と罵られてもおかしくない。けれど彼女は一瞬の迷いも見せずに「勿論だよ」と答えた。

「頼みってなあに?」

 捕らえたチョコを口に含ませ咀嚼しつつ、首を傾げ此方を見上げる双眸にこの胸の内に沈む鉛をぶつけてしまうのは躊躇われる。彼女の顔が少しでも歪む様を目にするのは恐ろしく、言葉に詰まってしまった。
 あまりにも純粋な彼女はいっそ愚かでさえある。それでも、彼女が改めて僕の事を信頼してくれていることがその真っ直ぐな瞳から伝わり、心がすっと軽くなっていく。
 具体的な何かがあるわけではなかった。ただ彼女がいったいどんな反応を見せるのかが気になっただけだ。

「いや、今は大丈夫なんだ。ありがとう」
「そっか、でも何かあったらいつでも言ってね」

 彼女の陽だまりのような暖かく柔らかな笑顔が向けられる。この笑顔こそ変わらないものであって欲しい。だから僕のこの気持ちに、君はまだどうか気付かないで。



お題元:あなたに書いて欲しい物語3
「変わらないものが欲しかった」で始まり、「手のひらから零れ落ちた」がどこかに入って、「どうか気付かないで」で終わる物語。








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