ミスルトウの実り

 例えばハニーデュークスで新作のお菓子を見つけた時の弾んだ声。結局は買うクセにそわそわと伸ばしたり引っ込めたりと落ち着かない手。そしてお前も気になるだろうと言わんばかりに見上げてくる蕩けた蜂蜜色の瞳。セバスチャン・サロウはかつてホグワーツを襲撃した小鬼を打ち負かした程の強かさを備えるオリヴィア・ホワイトという女の子の、そういったところが堪らなく恋しいと思っていた。
 しかし彼の目の前に立つ彼女の笑顔は忽ち崩れ、セバスチャンを一度キツく睨み付けたかと思えば、ふいと踵を返して正反対の方向へと走って行ってしまう。
 咄嗟に伸ばした手は空を斬り、セバスチャンは目を覚ました。そこにオリヴィアの姿は無い。ただ見慣れたスリザリン寮の自室があった。ルームメイトでありセバスチャンの親友であるオミニス・ゴーントが、後ろ髪を撫で付け整えている後ろ姿が見える。
 先程の光景が夢だった事に安堵したのか、セバスチャンの口からは思わず小さな溜め息が溢れた。ベッドから両脚を降ろし、柔らかな絨毯を踏む。顔を覆った手のひらには、夢見の悪さの所為かしっとりと汗が滲んでいた。
「寝坊だぞ、優等生」
「揶揄わないでくれよ……おはよう」
 オミニスが振り返る。彼が杖を一振りすれば、深緑のネクタイが蛇のように滑らかに動いてオミニスの首元に巻き付く。二人がまだホグワーツに来て一、二学年の頃はセバスチャンが彼の身支度を手伝っていたが、流石に六学年にもなれば手慣れたものだった。
 セバスチャンはさっさと顔を洗って自分も支度をしなければと思ったが、すぐに何かをする気分にもなれず、ただじっと足元を見つめている。彼はオリヴィアがあれほど怒りを顕にした表情を、共に小鬼の根城に乗り込んだ時でさえ目にしたことはなかった。しかし今現在の二人の関係性は夢の中とそう大差なく、彼は長く深い息を吐き出す。オリヴィアバスチャンはもう一ヶ月近くまともに言葉を交わしていない。
「セバスチャン、君がそんなに湿気ってると、俺はいつこの部屋にカビが生えてくるんじゃないかって心配でならないよ」
 オミニスがそんな冗談を口にしても、セバスチャンは顔を伏せたままだった。今オミニスの顔を見たら、あの灰青色の瞳に自分の心の情けない部分まで全て見透かされてしまうような気がして、さらに鬱々とした気分になるに違いないとセバスチャンは思った。そんな彼の気持ちを感じ取ったのか、オミニスは仕方ないとでも言うように首を横に振る。
「彼女がメリット云々で友だち付き合いできるような奴じゃないっていうのは、誰よりも君が一番よく分かってると思っていたんだが」
 黙りを決め込んだセバスチャンに構わずオミニスは言葉を重ねる。その僅かに苛立ちを含んだ声色は、セバスチャンに親友と自分の想い人との間に築かれた絆を感じさせた。
 返事というには不十分な呻き声がセバスチャンの口から溢れる。顔を覆っていた両手の先を横に滑らせ、こめかみを抑えて目を瞑る。僕が一番分かってるよ、と声に出して言えるほどの勇気が今の彼にはなかった。
 ───およそ一か月程前、セバスチャンはオリヴィアにふと「君にいったいどんなメリットがあってこれ以上自分と一緒にいようとするのか」と尋ねた。実際にはそんなものは最早存在しないだろうと彼は思っていたし、そもそもオリヴィアが自分の益不益で人間関係を構築するような人間ですら無いことも重々承知していた。それでもセバスチャンが尋ねたのは、彼女にはっきりと否定して欲しかったか、或いはもしメリットがあるならばそれに応えたいと思っていたからである。
 結果としてオリヴィアは「メリットだとか、そんなもの気にしたことなかった」と力強い声で答えた。陽だまりのような温度を携えた真っ直ぐとした眼差しが、萎びた彼の心を幾らか癒し、同時に酷く落胆させた。その所為か、セバスチャンはその感じた力強さが彼女がなんとか振り絞った精一杯だとは気付く事ができなかった。彼女はセバスチャンの言葉を拒絶と捉えていた。
 オリヴィアの光の結晶の様に輝く瞳から大粒の涙が流れ出す。想像以上に彼女の事を傷付けてしまったことに彼が気付いた時には既に遅く、上手く取り繕う言葉も見つけられないまま彼女は目の前から立ち去ってしまった。
「────いい加減素直に謝った方が良い。彼女が許してくれるかどうかは分からないが、だからといってこのままで良いとは君も思っていないだろう?」
 あと寝癖はきちんと直した方がいい、と一言付け加えるとオミニスはセバスチャンを一人残して部屋を出て行った。
「……それくらい分かってるさ」
 一人取り残された室内は、驚くほど静かだった。
 
 
 
 自分と一緒にいるのには何かメリットがあるのかとオリヴィアに尋ねた時のセバスチャンの声は、静かで淡々としていたが何処か棘を孕んでいた。普段は彼の意志の強さを表している太眉もぐっと真ん中に寄せられて険しく、けれど瞳にはうっすらと膜が張っていて、己が傷付いているような悲痛さを湛えていた。まるで手負いの犬のようだ、とその時のオリヴィアは思った。
 恐らくセバスチャン自身が今まで人付き合いをする際に多少なりともそういう事を考えてきたのだろう。だから他者も同じでは無いかと疑ってしまう。特に古代魔法の存在を知ってからは、闇の魔術と同じようにそれも利用できるかもしれないと少なからず考えていただろうし、実際セバスチャンはオリヴィアにもそういった相談をしていた。しかしそれを抜きにしても、当時好奇の目で見られる事も少なくなかったオリヴィアに対してセバスチャン十分親切であったし、もし自分に彼の力になれる事があればと、彼女も手を貸すことを渋ったりする気は更々なかった。
 ランロクの襲撃を受けた際に魔法理論のエリエザー・フィグ教授が命を落としてしまった事を耳にしたセバスチャンは、彼を恩師として慕っていたオリヴィアに直接慰めの言葉を掛け、暫くして彼女が先生のお墓に花を手向けたいと言った時には自ら進んで付き添った。自身も双子の妹が行方知れずになって精神的に参っているにも関わらずだ。二人の間にあるのは何も利害関係だけではなく、セバスチャンの一番の親友であるオミニスほどとは言えなくても十分良好な友人関係が築けているとオリヴィアは実感していた。
 だからこそ彼の言葉はオリヴィアにとって寝耳に水であり、お前は信頼するに値しないと言われているようで彼女の心を深く抉った。なんとか否定の言葉を述べるのが精一杯で、言った側から目頭がじわりと熱くなり、仕舞いには涙がぼろぼろと溢れてしまった。セバスチャンは到底そんなつもりでは無かったなど、オリヴィアには分からない。彼のじとりと湿り気を帯びたカフェノワール色の双眸は驚きで大きく見開かれ、そしてなんと声を掛ければ良いのかも分からず、そのまま力無く下に沈んでいった。彼女はそれをただ気まずさから目を逸らされたのだとしか思わなかった。そうとなればそれ以上自分の泣き顔を彼の目前に晒し続ける事も堪らなく、下唇をぐっと噛むと、オリヴィアはそのまま彼の前から立ち去る事を選んだのだった。
「────許さなくていいと思う」
 オリヴィアの向かいに座るポピーは、昼食のチキンウィングをひとかじりするとそうばっさりと言い捨てた。
「……そうだよね、やっぱり彼の言ったことは許せないし」
「そうそう! だいたいオリヴィアは自分の益不益で人付き合い出来るほど器用じゃないのに…そういうところ気にするのって、ほんとスリザリンの男の子って感じだね」
 彼女の手にするチキンウィングが、浮遊呪文を唱える時の杖か或いはオーケストラの指揮棒のようにくるくると踊って回る。少し調子のあがった声にぎょっとして慌ててオリヴィアは周りを見回したが、朝から振り続ける雨の音と、他の生徒たちも各々のお喋りや目の前の食事に夢中のようで、誰一人として彼女たちを見ている者はいなかった。
「ううん…でも、流石に泣いちゃったのは申し訳なくて……」
「ふうん?」
 もぐもぐと口を動かしながら、ポピーはオリヴィアの言葉に不思議そうに首を傾げた。彼女の肩口で切り揃えられた艶やかな髪も一緒に揺れる。
 オリヴィアがセバスチャンとめっきり話さなくなってしまってからもう直ぐで一ヶ月。二人は幾つかの授業が被っている為、お互いにまったく姿を見掛けないという日は殆どない。しかし授業の席も遠ければ、簡単な挨拶を交わすことすらなかった。彼の一言に激怒して突き放したのは彼女からだったが、セバスチャンの方も自分の事を避けているように彼女は感じていた。それが罪悪感からか、はたまた関係を修復することすら諦めてしまったからなのかはオリヴィアには分からない。
 昨年の一件があってから、オリヴィアはオミニスと二人でアンの分もセバスチャンの事を見守っていこうと決めた。それにも関わらず自分だけが距離を置いているこの状況が申し訳なくて、いっそ何事も無かったかのように自分から話し掛けるべきかどうか悩んでいた。そうして浮かない表情の彼女を見兼ねた声を掛けたポピーに、オリヴィアは所々の詳細を伏せつつ打ち明けて今に至っている。
「ね、謝るのは向こうの方だよ。わざわざ自分からアクションを起こす必要なんてないんじゃないかなって私は思うけど」
「うん……」
 未だ表情を曇らせ続けている友人を見て、ポピーは眉根を少し下げ、仕方がないなという表情を浮かべる。
「まあでも待ってるだけっていうのも癪に障るだろうし、オリヴィアは仲直りしたいって思ってるんだよね? それなら改めてこっちから不満をぶつけるくらいしたって良いと思うよ」
 彼女はにんまりとした笑みを浮かべて言った。
 
 
 
「今日はここまでにしよう」
 刻限を告げる鐘の音が鳴り、呪文学のエイブラハム・ローネン教授はそう言って手を打った。
 外ではざあざあと激しい雨が降っていて、濡れた窓ガラスは風でがたがたと揺れている。そこから覗き見える空も一面分厚い雲に覆われていた。荒れた天気に、流石のホグワーツも何処も彼処も混んでいる。
 セバスチャンはその場でオミニスと授業内容を簡単にさらった後、教科書やノートを纏めて呪文学の教室を出た。するとすぐ目の前にある背の高い窓ガラスの前で、彼らよりひと足先にグリフィンドールのナツァイ・オナイと教室を出て行った筈のオリヴィアが一人佇んでいる。伏せがちだった瞼がゆるりと持ち上がり、蜂蜜色の瞳がセバスチャンを射抜く。意表を突かれたセバスチャンは瞬きも忘れ彼女を見つめた。オリヴィアはそんな彼に向かって何かを口にすると、反応を待たずにふいと踵を返す。そしていつも以上に学生達で溢れ返る広間の方へさっさと歩いて行ってしまう。どこか憂いを帯びた表情が、セバスチャンにあの日彼女が流した涙を想起させた。
「どうしたんだ? セバスチャン」
 教室の出入口で立ち止まったまま動かないセバスチャンに、後ろに控えていたオミニスが声を掛ける。その間もセバスチャンの視線は彼女を追っていた。癖毛を気にして六学年になってからは三つ編みが定番となった後ろ姿が、時折すれ違う生徒たちと挨拶を交わしながらひとり天文学塔に消える。
「オリヴィアが……行ってくる」
 その少し焦ったような声色に、オミニスはなんとなくの事情を察すると「上手くいくといいな」と言って目の前の親友の背中を軽く叩いた。セバスチャンは親友の励ましを受け。身体の内側がじわりと温かくなるのを感じる。そうしてオミニスと別れた後、セバスチャンは人波を掻き分け、彼女を見失ってしまわないよう急いで天文学塔の螺旋階段を登って行った。
 しかしセバスチャンが天文学塔の一番上まで行ってみても天文学の教室は空っぽで、こんな天気では天文台に上がる事も出来なかった。途中の踊り場で天井に浮かぶ星々を眺めるゴーストがいたくらいで、すれ違う生徒もいなかった。他に入れるような部屋も見当たらない。セバスチャンは階段途中の廊下で一人立ち尽くしている。
 馬鹿のバーナバスが四匹のトロールにバレエを教えようとしている大きなタペストリーが壁に掛けられている以外には、特に目につく物も何も無い。セバスチャンはタペストリーを捲って裏を覗いてみたり、どこか不自然な部分は無いかとじっと目を凝らしてみたが、何も分からなかった。
(寧ろ怪しいのはこっちか…?)
 セバスチャンが振り返ると絵画の一つも飾られていないまっさらな石壁が広がっている。双子の妹のアンがまだ元気にホグワーツに通っていた頃、セバスチャンは何度か一緒に目の前を通ったことがあったが、その時には何も見つけられなかった。しかし他に思い当たる様な手掛かりも無いので、壁の一部が凹んだり何か仕掛けが隠されてはいないかと、指先で辿りながら端から端へと行ったり来たり。
 すると突如、壁の丁度中央部分にするすると大きな扉が現れた。原因は未だ分からなくとも、己の読みが当たったとセバスチャンは口角を上げる。オリヴィアは十中八九この先にいるだろう。そう逸る気持ちを落ち着かせようと、彼は深く息を吸って吐いた。鍵は掛かっておらず、指先が軽く触れただけでまるでセバスチャンを誘うように扉がすうっと開く。
「セバスチャン、」
 控えめで、けれど穏やかな声に名前を呼ばれセバスチャンが顔を上げると、階段の側面に置かれた暖炉の前で、二、三人掛けのソファに腰を降ろすオリヴィアの姿を見つける。入った部屋は談話室と同じくらい広く、真上を向いて見上げなければならないほど高い天井には大きくて丸い窓枠が嵌め込まれ、朝から降り続く雨が賑やかな音色を奏でている。
「来てくれて良かった」
 このW必要の部屋Wと呼ばれる場所は既に使用者が居る場合、同じ目的の者しか入ることが出来ない。今の彼女の目的はWセバスチャンと二人っきりで話し、きちんと仲直りすることWだった。
 セバスチャンが自分の後を追い、必要の部屋で待つ自分の前に姿を現した事にオリヴィアは酷く安堵した。ソファの空いてい部分を手で優しく叩き、彼が隣に座るよう誘う。そうとは知らないセバスチャンは、けれど彼女の落ち着いた表情を目にして己も幾らか身体の緊張が解けていくのを感じた。
「凄いな…こんな部屋があるなんて知らなかった」
 セバスチャンは素直に感心してそう呟くと、拳ひとつ分ほど開けてオリヴィアの隣に座る。
「今までの遅れを取り戻すのに役立つだろうって、去年ウィーズリー先生に教えてもらったんだ。今は屋敷しもべのディークに手伝ってもらって密猟者から逃れてきた魔法生物たちをここで保護してる…本当はもっと早くセバスチャンに教えたかったけど、想像以上に魔法生物の数が多くて、環境を整えるだけでも凄い時間が掛かっちゃった」
 この部屋が"必要の部屋"や"あったりなかったり部屋"と呼ばれていることやその出現条件、そして保護している魔法生物達の事など沢山のことをオリヴィアはセバスチャンに話した。楽しそうに話す横顔を、彼は時々相槌を打ちながらじっと見つめて聞いている。
 そうしてどちらもがあの時の事に触れないまま幾らかの時間が過ぎると、突如目を見張るほどの眩い光が天井から降り注ぐ。あれほど分厚かった雲は今は跡形もない。
「一日中降るかと思ったけど、晴れたね」
 オリヴィアは天井を見上げている。彼女のオイルイエローの髪が陽の光を浴びて、きらきらと揺らめく。少しだけ眩しそうに細めている目元には小さな黒子が二つ並び、セバスチャンはそれがまるで昼間に見える星のようだと思った。そしてそこに薄らと涙の跡が残っている事にセバスチャンは気が付いた。
(僕が此処に来る前、彼女は一人で泣いていたのだろうか)
 このままではオリヴィアが今朝見た夢のようにどこかへ行ってしまうような気がして、彼は咄嗟に左手を伸ばすと、その膝の上に置かれていた彼女の右手首を掴んだ。オリヴィアの視線がセバスチャンの元に降りてくる。
「…ごめん、オリヴィア」
 今まであれほど喉に突っかかっていた謝罪の言葉が、すんなり彼の口から飛び出した。
「君が変わらず傍に居てくれて嬉しかった。でも、僕が君にしてあげられることはもう何も無いだろうって……自信がなかった」
 蜂蜜色の瞳がゆらりと瞬く。セバスチャンがオリヴィアにそういった本音を話すのは、叔父のソロモンに許されざる呪文を使ってしまったあの日以来だった。オリヴィアはそっか、と小さく頷くと、セバスチャンの左手を空いている方の手で握った。そして右手の拘束を解かせると、両手でセバスチャンの左手を包み込む。
「セバスチャンはもう十分私に沢山のことをしてくれたよ。フィグ先生のお墓参り、一緒に行ってくれて嬉しかった。それに十分頑張ってる……心配になるくらい」
 彼を襲った哀しみなどまるで無かったかのように、セバスチャンはホグワーツ生活を送っている。三人でサラザール・スリザリンの書斎に行った時や遺物を手に亡者達を操ろうとしていた時のような危うさもなく、授業態度も良好で、持ち前の社交性の高さもあり、一見誰が見てもW優等生Wだった。セバスチャンは妹の事を諦められた訳ではなかったが、二度と同じ過ちを起こさないように、そして何より失った友の信頼を取り戻そうと必死だった。
 オリヴィアが涙の跡が残る顔でくしゃりと笑うと、セバスチャンは己の胸の内から、温かくて優しいものが湧き上がってくるのを感じた。
「ありがとう、僕の傍に居てくれて」
 セバスチャンはオリヴィアの頬に残る跡を親指で優しく拭った。
 「あ……」
 ふとなにかに気がついた彼女の視線が横にずれる。セバスチャンが彼女の視線を追うように振り返ると、いつの間にか傍らに宿り木の枝が伸びていた。白くて丸い、小さな実を沢山実らせている。
(必要の部屋は使用者が望むものを用意してくれる。)
 果たしてこれを望んだのはどちらなのか。セバスチャンが目の前に視線を戻すと、オリヴィアもまた彼をじっと見つめていた。頬がほんのり朱く色付いている。
 セバスチャンは誘われるように顔を寄せ、彼女の垂れ落ちた前髪を耳に掛けてやった。何か花のような甘い香りがセバスチャンの鼻腔を擽る。薔薇や百合のように強く華やかなものとも違う仄かで優しい甘さ。
「嫌なら断ってくれ」
 それは全くの嘘ではなかったが、随分と優等生ぶった言葉だとセバスチャンは内心鼻で笑ってやりたくなった。
 やがて二人の鼻先が擦れ合いそうな程近付き、オリヴィアは静かに瞼を下ろす。
「……好きだ、君が」
 セバスチャンの言葉が、オリヴィアの耳元に確かな熱を持って優しく囁いた。閉じられている彼女の睫毛がふるりと震える。彼の左手がそっとオリヴィアの下顎をなぞると、彼女の薄く開いた唇から吐息が漏れ出る。セバスチャンはそれごと飲み込むようにして己の唇をそっと上から重ねた。それはただ触れるだけのものだったが、今の二人が気持ちを通わせるには十分だった。
 数秒、唇を重ね合うと、セバスチャンはその温かく柔らかな感触を名残惜しく思いながら身体を起こす。蜂蜜のように甘やかな双眸が再び現れ、目の前の青年の姿を捉えた。
「……私も、セバスチャンが好きだよ。義務感だけじゃない。好きだから、この先もずっと傍にいたいと思うの」
 オリヴィアの瞳が一際強く煌めく。セバスチャンのカフェノワール色の瞳もまた、オリヴィアの姿をしっかりと捉えている。
「僕のこれからを、オミニスとオリヴィア、君達に一番傍で見守っていて欲しい」
 そうして、二人の距離が再び近付いていった。








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