黒の時代

 何時も通り、帰りを待っていた。友人達との時間を過ごし、帰ってくるあの人を。
 玄関の方から、「ただいま」と微かに聞こえた。何時ものように、外套を受け取り出迎えるため、その方に赴く。
「お帰りなさい」
「まだ起きていたの?」
 笑いながら私の手を取って、口付けた。それから外套を受け取り、寝室へ。お酒と煙草の匂いに混ざる、彼の匂い。大好きな匂い。
「そうだ、今日ね、写真を撮ったのだよ」
「写真?何でまた」
 太宰さんが見せてくれたのは、坂口さんと織田作と写る太宰さんの写真。各々が、思い思いに写る。纏まりが有るようで、無い、けれど何かで繋がっている三人。何時だか撮った私と太宰さんの写真の隣に飾ることにした。
「階級、役職を越えての友人、羨ましい」
「そう?」
 興味無さげに返されたから、この話は終わり。
「何か飲む?」
「冷たいの」
 作りおきしておいた麦茶に、氷をたっぷり入れて持っていく。受け取ると、一気に飲み干した。空に成った硝子杯を受け取る。
「お風呂は?」
「入る。君とね」
 せがんでくる様子が可愛くて、つい許してしまってから、御所望の時は何時も一緒。
 太宰さんに抱き締められながら湯船に浸かる。浴室は薄暗く、灯るのは蝋燭の灯。灯りを点ける事を嫌がるのは、身体の傷を見られたくないから、そうだと勝手に解釈してる。御本人は私の髪を触ったりしながら、ぼんやりと何かを考えている。
「ねえ、卯羅、前にも訊いたね。君は何時まで私と居てくれる?」
「そうね……太宰さんが『要らない』って云うまで」
 そうか、と呟いて、胸下に回る腕に力が入った。
「柄にも無いこと云って佳い?何か、近々、私の中の何かが崩れ落ちる気がしてね」
「太宰さん」
 此れ以上は引きずり込まれてしまう。深い深い闇の底。其れを清めでもするかのように、身を泡で包む。されるがままの幹部様。濡れた身体を拭こうとすると、抱き締められる。
「どうしたの今日は」
「こうしていたい日が有っても佳いだろう」
 其のまま寝台へ共に向かった。

 翌日、組織の武器保管庫の一つが襲撃されたと連絡を受けた。現場には広津さんが居ると云う。
「なら、その前に一仕事していこう。やり方は君に任せる」
 昨日、取引現場を襲撃してきた浮浪者の集団。そのうち一人を捕縛して、地下に繋ぎ止めてある。
「吐かせるなら母様に頼めば早いのに」
「姐さんには口出しさせない」
 二人で其処へ向かった。
「却説……」
 既に部下が小突き回している最中だった。
「手緩くては吐きそうにないね」
 二人して溜め息。導いた答えは同じようだった。上司の溜め息が聞こえたのか、部下たちが振り向いた。そして捕虜への道が作られる。其の道を二人で歩く。
 昨夜の襲撃の目的、指揮官の素性、組織その物、訊きたいことは山ほど。両腕、両足は拘束されている。逃げ出すことはない。空間を操る異能者でも無い限り。見たところ、浮浪者の格好をしているけれど、纏う物が違った。服とか、ではなく、もっと不可視な部分。此の場に居る全員──捕虜を含めて──が殺すという行為に馴れている。手始めに、両の前腕を砕く。武器を握れなくするため。
「何故、此の銃を抜かなかったの?此の鎖なら出来たはず」
 黙り。言葉が通じない?異国の出身か。決して得意な訳ではない。でも聞き出すにはそうするしかないのだから。喋り慣れない、異国の言葉へと切り替えた。其れを見届けてから、太宰さんは「任せる」と一言。
「結果は連絡する」
 とは云ったものの。異国の異能犯罪者というなら、此の手の事には馴れているだろう。鞭打ち程度じゃ生温い。平手打ちにも劣るだろう。だとしたら、私には残りの手段しかない。異能。右膝を踏み抜いた。絶叫。此のまま摩耗させよう。
「なかなか骨があると思うの。せめて此れだけ教えて、何の寄合?」
 国内、海外問わず、多くの犯罪組織を相手にして来た。けれど、どの組織にも彼らは当てはまらない。
「答えて」
 左大腿を踏みにじりながら、頚を絞めた。
 焦りすぎた──捕虜の口が或る言葉を声もなく呟いた後、カチッと嫌な音がした。嵌め込み式の小型爆弾だとしたら。最期の言葉を反芻しながら、手を離す。咽喉が僅かに動き、何かを飲み干した。痙攣の後、事切れた。
 mimic、ミミック。捕虜は確かに呟いた。模倣、擬態、類似、どちらかというと、人を嘲笑うような言葉。部下に死体の処理をさせ、太宰さんに連絡を入れる。
「太宰さん」
『やあ卯羅。善い報告かな?』
 流石に息が詰まった。
「失敗しました」
『失敗? 此れは珍しい。何かしら情報は掴めたのだろうね』
 何時もの平坦な声。元から期待していなかったのだろう。ミミックという組織の名前、奥歯に仕込んだ毒薬、海外からの流れ着きだという事。
『成程ね……首領への報告書を頼む。此方の検分が終わったら戻るよ』
 死体を片付ける部下に混ざった。腰の拳銃嚢に仕舞われた一丁。捕虜がどうしても引き抜かなかった其れに手を掛けた。旧そう。試しに構えてみた。引き金の感覚から、連射は出来なさそう。
「此の銃、解る?」
 一人ぐらい銃愛好家が居たって佳いだろうに。誰も答えなかった。広津さんなら知っているかな。
 戦利品の銃を布に包み、携えて執務室に向かう。あの場に太宰さんが居たら、私よりも多く聞き出せた筈。端末に向き合い、調書を作成する。唐突に昨夜、不意に太宰さんが呟いた事を思い出した。再度訊かれた「君は何時まで居てくれる?」という問い。あの時は流してしまったけれども。何と返せば正解なのか考えていた。すると携帯が唸った。
「はい、尾崎」
『卯羅、今から云う場所に向かってくれ。織田作が危ない。私も部下を連れて向かう』
「解った」
 背凭れに掛けていた黒外套を着、指定された場所へ向かった。狭い路地裏。銃声。織田作の背後から、狙撃主が発砲した。私は路肩にあった室外器を踏み台に、織田作の背後へ出た。相手は二人。先程、私が拷問し損ねた捕虜と、同じ格好をしていた。
「尾崎か」
「太宰さんが連絡くれたの」
 私も短刀を抜いて構えた。相手の間合いに入る。刃と銃身がぶつかり合う。敵の全容が解らないため、私も異能力を使えない。
「織田作! 屈め!」
 声。閃光。銃声。太宰さんが四人の部下と駆け付けた。敵はもう動かなかった。
「君は全く困った男だなぁ」
 織田作を助け起こす太宰さんを眺めながら、部下達に混ざって、なるべく二人の背景で居ることにした。織田作は、宿泊亭で狙撃された。その狙撃主を追って此処へ。太宰さんが、襤褸男の腰を見るように云った。矢張、例の旧式拳銃を提げていた。
「この拳銃は彼らにとって徽章の様なものだろう」
「この男達は何者なんだ」
「ミミック」
 顔をしかめながら「ミミック?」と織田作が復唱した。
「其処の彼女のお手柄でね」
 織田作の後ろに立つ私を目線で示した。それから続けた。
「まだ善くは判っていないが、どうやら欧州の犯罪組織らしい。判っている事は二つ。彼らが何故か日本に来たこと。それとポートマフィアと対立していること」
 まだ調査中だよ、と肩を竦めた。責められてるような気がして、何となく居心地が悪かった。
「安吾の部屋を狙撃しようとしていたことから何か判るかもね」
 織田作が抱えていた金庫を太宰さんに見せた。針金を器用に鍵とし、金庫を開ける。中から出てきた異物に二人は考えを巡らせていた。
「何故だ? 太宰、お前は此の銃は徽章だと云ったな? なら此れは一体どういうことだ」
 少し考えた後、太宰さんが口を開いた。
「此れだけではまだ何とも云えない。安吾が連中から奪ったのか。偽装証拠として誰かを陥れようとしているのか。此の銃は何かの符牒なのか」
 また少し黙って、「一つだけ判った事がある」と切り出した。
「安吾が昨日、取引の帰りだと云ったよね。あれは多分嘘だよ」
「何?」
 織田作が怪訝な顔をした。
「安吾の鞄を見ただろ? 上から煙草、携帯雨傘、カメラと戦利品の骨董時計。携帯雨傘は使われていて、拭き布に巻かれていた。そして、出張先の東京は雨だった」
 一見何の不都合もない。けれど、骨董品の上に濡れた雨傘というのはどうも腑に落ちない。
「安吾は自前の車で取引に向かった筈だけど──ではあの傘はいつ使われた?取引の前じゃあ無い。傘は時計の上に置かれていたからね。そして後でもない」
「何故だ?」
「あの傘の使われ方は二、三分使われた感じじゃあない。たっぷり三十分は雨に打たれていたはずだよ。それだけ雨の中に居たにしては、安吾の靴もズボンの裾も乾いていた」
 頭を過る「近々、私の中の何かが崩れ落ちる気がしてね」という言葉。質問の意味。漸く理解した。
「安吾はポートマフィアの諜報員だ。秘密の一つや二つぐらいあるだろう」
「ならば一言云えば佳い。『云えない』と」
 糸が解れ始めた。表情の無い太宰さん。戸惑いが隠せない織田作。
「なのにアリバイを用意してまで、密会を隠したかった理由は何だ?」
 織田作が答えを探した。私も探そうとした。それよりも早く見付かったのは、息絶えたはずの襲撃者が動いていた。よろよろと覚束無い足取りだが、確実に此方へ向かってきている。太宰さんは其れを見やると、珍しい動物を見るかのように近づいた。
「驚異的な精神力だね。実際、私は君たちを敬畏しているのだよ」
「太宰、よせ!」
 ミミックの残党が向けた銃口へ迷い無く歩いていく。織田作が手を伸ばしたが届かない。私なんて尚更。
「私の目の中の歓喜が君にも見えることを願うよ」
 脈がおかしくなる。過呼吸。名前すら呼べない。
「頼むよ。私を一緒に連れて行ってくれ。この酸化する世界から醒めさせてくれ」
 銃声二発。少し間があって、豪雨の様な銃声。狙撃主は纏った襤褸と同化し、血肉を晒していた。
「悪いね、吃驚させて。迫真の演技だったろ?」
 悪びれもなく云う。
「演技?」
 織田作は反対に顔をしかめた。
「狙撃銃の跡は左頬についていた。つまり彼は左利きだ。利き腕ではない右手の上、まともに立てない程ふらついた状態で、おまけにあの旧式拳銃だ。あれじゃあ銃口を額につけ無い限り当たらないよ。会話で時間を稼いで彼の腕が疲れれば、あとは織田作が何とかしてくれる」
 顔の右に巻いた包帯がみるみる血に染まる。じわりじわりと音が聞こえるようだった。駆け寄って怪我の程度を確認する。当たり前だけれど、割合抉れている。
「やめろ太宰。もういい」
 呆れたのかうんざりしていた。織田作は私たちに背を向けた。
「……織田作」
 その背中に投げ掛ける。
「安吾を頼む」
「……ああ」

前の話目次次の話