「太宰さん!」
執務室に戻ると、怪我もそのまま、仕事を始める。無理矢理、寝椅子に押し倒す。馬乗りになる。
「我慢できないの?帰るまで待ってよ」
頭の包帯を慎重に取った。創部面を剥がすときは流石に痛いと漏らした。髪をかき上げ、傷を露出させる。生理食塩水で洗い流してから消毒。痛い痛いと喚く。掠めただけで本当に善かった。もし貫通でもしていたら、あんな解説すら許されなかった。肉芽が出ることを祈りながら、保湿剤をたっぷり散布し、防水のフィルムがついたガアゼを貼る。湿潤療法で様子を看る。
「何さ、柄にもなく泣いて」
面白いものを見たように笑われた。
「こんな怪我、何時もしているじゃない。もっと酷い怪我だって」
云い返したかった。でも言葉は見つからない。
「悪かったよ」
手が頬に伸びてきた。
「お願い……」
ん?と太宰さんは微笑む。
「私の前から居なくならないで」
もう涙は止まらなかった。子供みたいに泣いてしまう。
傷が塞がるのに合わせて、ミミックの情報が手元に集まってきた。
「睨んだ通りだね」
集めた情報を纏めた報告書を捲りながら溜め息。首領に報告し、対ミミックの前線指揮を仰せつかった。
「軽く罠でも張ろう。まだ情報が要る。カジノが佳いなあ。彼処の金庫、空にしておいて。暗証番号を奴等に知らせ、襲わせる。其処に催眠瓦斯の雨」
笑いながら計画を練る。太宰さんの頭の中には捕らえた後までの道筋が出来上がっている。
「捕らえた後はこうだ。まず奥歯の毒薬を外す。一番厄介だからね」
心的外傷のように思い出す「カチッ」という音。
「拷問は他構成員にさせる。芥川くんも前線ばかりでなくそういった仕事もさせなければ……本当は君から手解きしてもらいたいところだが、この報告書の方が先だ。今日中に此れを首領に。捕虜から聞き出した情報も加える。私は織田作に話をしに行く」
捕らえたら私経由で太宰さんに連絡が行く手筈になった。部下に連絡を入れ、鼠取りの支度をする。
「手緩くても佳いから、太宰さんが着くまで生かしておいて」
「畏まりました、けれど貴女の異能なら──」
「私は治癒異能者じゃない」
同じ組織だから、同じ派閥だからといって、互いの異能をきっちりと把握している訳ではない。特に上司は私が使う事を避ける。
「治癒異能者だったら、今頃此処には居ないよ。私はね、その反対だよ」
治癒異能者だったら、どれだけ善かったか。それこそ拷問が専門に成っていただろうし、龍頭抗争の時に不死部隊でも作ろうと首領は考えただろう。
「芥川くん」
少し離れた所に居た、痩身に黒外套の少年に声を掛けた。
「先走っちゃ駄目だからね。焦らないで、云われた事だけ」
「承知している。僕は僕のやり方で太宰さんに貴女よりも使えると証明してみせる」
励め若人よ。その意味を込めて頭を撫でた。ふん、と顔を逸らされた。
「何かあったら呼んで。執務室に居るから」
戻って先ずは太宰さんの執務机を片す。乱雑に置かれた今回の事件の資料。他の業務は事実上の凍結。普段は器用に草鞋の枚数を増やしていく太宰さん。それをしない点で、何れだけミミックを警戒しているかを感じる。
矢張一番知りたいのは頭目の異能力。それが解らなくては、此方も手を出しにくい。けれど、ミミックという組織の全容が顔を出しつつあった。欧州の異能犯罪組織。先の大戦の敗残兵。だからあの狙撃主は二人組だったし、武器庫襲撃の手際の善さも理解できる。英国の古い異能組織『時計塔の従騎士』に追われて日本へ。一つ気になるのは、何故極東の日本なのか。確かに横浜は先の大戦後、法律の隙間を掻い潜って、犯罪組織が国内外から乱立する『魔都』と化した。ポートマフィアも例に漏れない。手引きをしたのは誰か。ミミックの狙いは、ポートマフィアで間違いない。他の海外系組織と手を組まない辺り、自部隊に対する自信が窺える。あともう一つ。此の時期に消息を絶った坂口さん。武器庫の暗証番号は、坂口さんに振られたものだった。太宰さんは明言しなかったけれど、坂口安吾は“ほぼ黒”と確定した。
「尾崎です──了解。太宰さんに伝える」
部下からミミックがカジノを襲撃したと連絡があった。
『私だよ』
「太宰さん、猫さんはお食事の時間」
『了解した』
ふと私の机に置いた鏡を見た。
「老けた……」
この数日でかなり歳を取った。顔が。仮眠しかしていない所為だろう。寝てて佳いよと太宰さんは云うけども、彼がこなす仕事に凡人は追い付けない。
地下牢へ向かう。低く唸るような重低音が聞こえた。またか、と頭を抱えた。私もぶん殴られるで済めば佳いけれど。
「卯羅」
地下室の入り口で合流した。あのカレーを食べたのか、少し汗をかいていた。
「あぁ……太宰さん」
「乗り気しない顔だね」
「色んな事が起こりすぎて」
「その顔は寝てないね」
頬から顎にかけて撫でられた。涙を拭いでもするように。はぐらかす為に笑っておいた。二人で最奥の特別牢へ向かう。
「──説明が欲しいな」
開口一番。鮮血が床を染め、逃げられないと判ったら、色が黒ずむ。構成員の一人が経緯を説明する。罠の話、捕らえた兵士が目覚めた事、襲いかかってきた事。
「其れを僕が処断した」
芥川くんが進み出た。
「何か問題でも?」
「成程ね……いや?問題など何もないよ。不撓不屈の恐るべき兵士から仲間を守った訳だ。君の異能力でなければ、そのような強敵を一撃のもとに倒すことは出来なかったろう。お陰で捕らえた兵士は全員、死亡だ」
手をヒラヒラさせる。表情は変わらないが、かなり怒っている。
「これで手懸かりは無くなった。一人でも生き残っていれば、敵の本拠地、目的、次の標的、指揮官の名前と素性、指揮官の異能力。貴重な情報が聞き出せたろうに」
「情報など──連中ごとき僕が纏めて四つ裂きに──」
鈍い音がして芥川くんの体が跳ねた。殴った本人は、頭を打ち付けふらついている部下を眺めながら、手を擦った。
「芥川くん、君は私が言い訳を求めているように聞こえたのだろう。誤解させて悪かったね」
血を吐きながら噎せる芥川くん。まだ目眩がするのか、立ち上がる様子はない。
「銃貸して」
彼の部下の躾。私も加担せざるを得ない。銃を手渡すと、五発のうち二発を抜いて、三発残した。
「私の友人に、孤児を個人的に養っている男がいてね。貧民街で君を拾ったのが織田作だったら、きっと見捨てず、辛抱強く導いただろう。それが正しさだ。けれど私はその正しさから嫌われた男だ。そういう男はね、使えない部下をこうするんだ」
いつかはやると思ったが、今やらなくとも。薬莢が澄んだ音をたてた。少しして、先程聞いた重低音。
「へぇ、やればできるじゃあないか」
芥川くんの異能が銃弾を止めた。理論上は可能、とよく云っていた空間断絶。
「何度も教えただろう。哀れな捕虜を切り裂くだけが、君の力の凡てじゃあない。そうやって防御にも使えるって」
「今まで成功したことは無かった……」
「けれど、成功したじゃあないか。目出度いねぇ」
嬉しそうに。芥川くんには、それへ反論する気力も残っていない。
「次しくじったら、二回殴って五発撃つ。佳いな?」
地の底から聞こえてくるような声。冷徹。誰も次の言葉を紡げない。
「出来の悪い部下への教育は此処までにして、死体を調べてみよう」
太宰さんの指示通りに、密着手袋をして、遺体の前に屈む。
「あの、死体の何をお調べしましょう」
「全部だよ!アジトの痕跡を見つけ出すんだ。靴底、ポケットの屑、服の付着物、全てが手掛かりだ」
呆れて云う太宰さんに、怒られてたまるかと、部下も次々に着手する。
「全く、うちの部下は揃いも揃って、敵を嬲り殺すだけがマフィアだと思っている。この分だと、織田作一人で解決してしまいそうだ」
「織田作之助……その男なら私も知っています。マフィアでいて、人を殺す度胸の無い男、とても太宰さんと釣り合うような男には思えませんが……」
ご機嫌を窺いながら云うにしては、随分な物言い。云い放った部下を詰まらなそうに眺めて、口を開いた。
「君の間違いは二つ。先ずは、釣り合う、釣り合わないに度胸は関係ない。もう一つは警告だ。織田作を侮らない方が佳い。もし彼が心の底から怒ったのなら、此処に居る全員が銃を抜く間も無く殺されるよ」
織田作の異能力『天衣無縫』は戦闘時に威力を発揮する。例えそれが奇襲戦であっても。それに、彼はマフィアに加入する前は、暗殺を請け負っていたと云う。詳しい話は聞いていないけれど、太宰さんの話からすると相当の腕を持っている。
「芥川くん、君なんて百年経っても織田作には勝てないよ」
嘲るように云う太宰さんに、芥川くんが噛みつく。それをさらりと受け流して、死体に向き直り、また手を動かし始める。
「早く片付けないと異能特務課が出張ってきて面倒なことになる」
太宰さんの隣で死体を漁りながら、あることに気付いた。兵士の靴底がどれも泥で汚れている。西洋風に赤煉瓦が敷かれていたり、舗装整備が進んでいる横濱。泥の付くような場所は限られる。太宰さんも同じく靴底の付着物に着目していた。
「葉っぱ?」
「かなり特徴的だと思わないかい?」
葉の表、裏、を確かめる。
「此れで絞れるかもしれないね」
その言葉の通りに成った。区画整理が成されてる市街地を除外。辿り着いたのは、廃墟となって久しい、気象観測所だった。すぐに太宰さんが織田作に連絡を入れる。其処に坂口さんが居るかもしれないと。
「もう休もう。君も連日で疲れたろ」
正直、体力は限界に近かった。けれど、此の状況で、いつ召集が掛かるかも解らない。部屋の隅に簡易式寝台を組み立てた。完全に頭が回っていない。何を思ったのか、私はその場で脱衣した。そして、予備の下着と襟衣を出し、着替える。
「……卯羅」
襟衣の前衣を閉じようとしたら、手を引かれた。外套が揺れる。太宰さんの腕に収まる。何も云わなかった。暫くそのまま。ただ、彼の鼓動を聞く。だんだん眠くなってきて、彼の胴に腕を回す。
「ん……っだざ……」
胸に頭を擦り付ける。好きなの。いつからか、なんて解らない。けれもど、好きなの。
「おやすみ。さあ、ゆっくりお休み」
寝台へ促される。横になると、寝台の縁に腰掛ける。暫く見詰め合った。それから、手を握ってくれ、頬に口付けてくれた。
「大丈夫……太宰、さん……私は、いるから……」
睡魔に意識を奪われながら伝えた。返事は聞こえなかった。微かに動いた口を、読み取る事が出来なかった。其れから太宰さんの携帯が鳴り、指示を与えているのを見て、記憶は途切れた。