翌日、言葉通り太宰さんが迎えに来てくれた。母様にお礼を云って、本部楼閣へ足を進める。
「休めた?」
「お陰さまで」
「肌艶が戻ったもの。此方も大詰めだよ」
昨夜は、いつもの酒場で密会だったらしい。其処で坂口さんから色々聞き出したと。
「情報は裏付けられたよ。問題はどうやって奴等を完全に排除するかだ」
小さな洋食屋さん。織田作が贔屓にしているお店。其所に、その人が居た。
「織田作」
私が声を掛けるより先に、太宰さんが声を掛けた。
「太宰か。どうした」
「織田作。君が何を考えているか判るよ。だけど止めるんだ。そんな事をしても──」
「子供たちは戻ってこない?」
織田作が扶養している子供たちに、何かあったのだろうか。予測される答えは一つしかない。
「連中の居場所ならもう判っている。招待状が来たからな」
「織田作、聞くんだ。数時間前、首領が秘密の会合に出席したらしい。相手は異能特務課。このミミックの一件にはまだ何か裏がある。それが判るまでは──」
「何かなど無いよ。もう全て終わったんだ」
織田作は直ぐに太宰さんの言葉を否定した。声は、絶望、諦めに満ちていた。
「おかしな云い方を許して欲しい。何かに頼るんだ。この後に起こる、何かに頼るんだ。きっとそれはある筈なんだ」
沈黙。当事者で無い筈の私が泣きそうだった。誰にも用意されない救済の路。
「ねえ、織田作。私が何故ポートマフィアに入ったか知っているかい?私がマフィアに入ったのはね、其所に何かあると期待したからだよ。暴力や死、本能に欲望、そういう剥き出しの感情に近いところに居れば、何か生きる理由が見つかるかと思ったんだ」
最後はぽつりと。どこか自信無さげだった。気に入った玩具を無くしたと、親に報告する子供のような。
「俺は小説家に成りたかった。一人でも殺したらその資格が無くなると思ったんだ。だがそれも今日で終わりだ」
「織田作」
伸ばした太宰さんの手は空を掴んだ。
「織田作!」
絞り出した彼の叫びが、雷鳴に掻き消された。
「ねえ、太宰さん待って」
織田作と別れたあと、足早に目的地へ向かう。それを追いかけながら、状況を整理する。事態は最悪の展開を迎えつつある。
「卯羅」
急に歩を止めて、私を向いた。眼は静かに怒っていた。なのに慈しむように云った。
「散々無理をさせたね。もう、自由にしてやろう」
「そんなもの要らない」
どうして? と云う様に首を傾げる。「姐さんの所に戻るなりすれば善い。もう私から君にしてやれる事は無いよ」
「それでも、そうだとしても、太宰さんが居なかったら、私が生きる理由は無い」
虚を突かれた顔。それから口角だけで笑って、首領の部屋に向かう、硝子張りの昇降機に乗り込んだ。眼を瞑り、最適解を導こうとする。無機質な鐘が鳴り、最上階へ着いたことを告げる。「退け」と見張りの構成員を一瞥する。首領執務室の扉を乱雑に開け、殴り込みかという勢いで首領の前に進み出る。
「おや、太宰くんに卯羅ちゃん。丁度善い、北欧から飛び切りの紅茶が届いてね。今淹れさせよう、其所に掛け給たまえ」
「首領」
殆ど食って掛かる様に、太宰さんが言葉を投げた。それを合図に私は扉の向こう、廊下に退がった。
微かに漏れる声。交渉が失敗したら始末される。太宰さんとて容易ではない。慎重に言葉を選んでいる。付けたままにしていた無線から、敵の拠点に着いたと連絡が入る。
「そのまま、織田作之助の援護と敵の殲滅。達成されるまで退くな」
指示を伝え、顔を上げると、先程上司に気圧された構成員が、私に銃口を向けていた。
「太宰くん。君は此処に居なさい。それとも、彼のところへ向かう、合理的な理由があるのかな?」
尤もだった。太宰治もそう結論付けた筈だ。もし、今、命を賭しているのが織田作之助でなかったら。
「彼が友達だからですよ」
その言葉を聞きながら、目の前の光景を眺めた。相変わらず銃口は私を向いている。そのうち、私の後ろの扉が開いた。
「卯羅」
促されて、昇降機に乗った。降りても、互いに無言だった。
慣れた街を駆け抜けた。敵の牙城に着くと、太宰さんは導かれるように駆けていった。私はその後に続くだけ。簡単だった。ミミック兵の死体が方向を示していた。
「織田作!」
樫木の扉を叩き割る勢いで開ける。もう凡てが終わった後だった。
「太宰か……」
倒れる友人へ駆け寄る。黒の外套が舞う。その外套を拾って少し離れた処に立つ。
「莫迦だよ織田作、君は大莫迦だ! あんな奴に付き合って死ぬなんて莫迦だよ」
死の縁に立つ友の身を起こし、その手に付いた血液を否定するように握り締める。
「太宰……云っておきたい事がある」
「駄目だ、止めてくれ!まだ助かるかも知れない、いや、きっと助かる、だからそんな風に──」
「聞け」
織田作が太宰さんの髪を握った。そこの織田作に初めて気付いたかのように身体を跳ねさせて、驚いていた。
「お前は云ったな。人間の本質に近い部分に居れば、生きる理由が見付かると」
「嗚呼、云った、云ったけれどそんな事今は」
殆ど悲鳴だった。喪失を厭わない男の悲鳴。
「見つからないよ。人を殺す側になろうと、人を救う側になろうと、お前の予測を超える者は現れない。お前の孤独を埋めるものはどこにもない。お前は永遠に闇をさ迷う」
私の心が晴れた気がした。私も太宰治の孤独は埋められない。やっと答えが出た。傍に居てくれるだけの存在。それでも善い。「傍に居て欲しい」と気を紛らわせる存在には成れる。
「織田作……私はどうすればいい?」
すがっていた。見えない答えを友に求める。
「人を救う側になれ。どちらも同じなら、佳い人間になれ。弱者を救い、孤児を守れ。正義も悪も、お前には大差ないだろう……その方が、幾分か素敵だ」
「何故判る?」
「判るさ。誰よりもよく判る。俺はお前の友達だからな」
「……判った。そうしよう」
新しい道。親友とも云うべき男が示した道。
「『人は自分を救済する為に生きている』か……その通り、だな……」
織田作の手が脱力した。
太宰さんはそのまま、動かなかった。微かに身体が震えた。
ただ、静寂だけが包んだ。
その夜、拠点にも、本部にも寄らず、自宅へ戻った。
「太宰さん……」
続く言葉は無かった。寝台に腰掛けて、頭を垂れて、微動だにしない恋人。同じく寝台に腰掛けた。それから、肩を抱いて、頭を胸へ抱いた。
「見てないから。誰も見ていないから」
今まで一度も聞いたことの無い嗚咽。この人の涙は、今日という日のために取っておいたのかしら。「子供のまま大きくなった大人」という織田作の言葉は正しかった。慰める言葉は求めていない。この喪失感は太宰さんだけのもの。世の理不尽さへの抗議。それだけ。
私は抗議を続ける青年の頭を撫で続ける。ふと枕元の写真立てを見る。其所には何時もの笑顔があった。
「卯羅……」
「なあに」
「君は居てくれるよね? 私とずっと居てくれるよね?」
「居るよ。ずっと一緒に居るよ。太宰さんが『要らない』って云うまで」
少し落ち着いたのか、呼吸を整えようと深呼吸をする。
「落ち着いた?」
「一つだけ聞いて欲しい」
剰りにも真剣な顔。腰に手が回り抱き締められる。私も彼を抱き寄せた。
「織田作の云う事を信じようと思う。だから私は──」
彼の出した答えに私は微笑み、頷いた。