《貴女の過去を知っています。つきましては、下記の日時に、指定の場所へお越し下さい》
怪文書とも取れる手紙が届いた。封筒には私の名前が書いてある。送り主の名前は無し。
「出任せだろう?放っておきなよ」
「でも……」
マフィアの頃の話だとしたら、その場で消せば善い。もし、それよりも前の事なら……。
「治さん、相手は始末するから──」
「駄目だ」
「何で?」
「今更知ったところでどうするんだい?もう、何が有ったとしても、取り戻せないのだよ?」
「だとしても!」
「卯羅!!」
珍しく声を荒げる治さん。身体が硬直した。
「今回ばかりは、許せない」
私の手から手紙を取り上げると、細かい紙片に割いて、棄てた。
天気の善い朝だ。心地が善い。
あの日以来、何となく治さんは機嫌が悪かった。感情を引き摺るなんて滅多に無いのに。私が買い物に行こうとすると必ず付いてくる、なんて可愛い方で、最中は何時も以上に咬まれ、吸い付かれ、身体中に徴を遺される。
そんな中、二人での仕事を仰せつかった。
「……成る程ね」
「解ったの?」
「いや、手の内は解った。相手の狙いは君だよ」
鼻先に彼の指が置かれる。「私?」狙いが解らない。
「だったらこうしようじゃないか」
彼から今回の指示を出される。でもそれは、彼にしては随分と遠回りをするものだった。
「ここ、此方の方が楽じゃない?」
「いいや、だとしても此方で行く」
「そんなに心配?」
「何が」
この間のが引っ掛かってるのかしら。私は、もう善いや、と忘れてしまったのに。
「先行しないようにね、善い子だから」
「しないもん」
とは云いつつ。思い出すと気になってくる。だけど十年近く太宰の指揮で生きてきた私に、彼を裏切る事なんて出来ない。裏切ったらどうなるか、目の前で見てきたから。
「却説、取りかかろうか」
治さんが割り出した敵の生息域はこの辺の筈。
『敵の狙いは多分、君だよ』治さんの言葉が頭から離れない。何故私なのだろう。私なんて何の価値も無いのに。
辺りは軽犯罪者から重犯罪者まで、あらゆる種類の悪者が顔を揃えていた。
「ポートマフィアの遣いってのはあんたか?」
銃の安全装置を外す音と共に声が掛かる。両手を胸元で挙げ、敵意が無いことを示す。
「私みたいな下級構成員で悪いけど」
「あんたは上玉だって聞いてるが?」
「上玉?」
私の前歴を知っているのか、それとも出任せか。視線が私をなぞるように動いた。
「残念だけど」
腰の銃嚢から短銃を抜いた。
「それ以上粗相をするようなら、粗末なそれをぶち抜く」
解った、とでも云うように肩を竦められる。その男が手招きし、私は付いて行く。
「何の情報が欲しい?」
「探偵社の、だ。この街では、マフィアよりも探偵社を警戒するべきだ。何度も奴等と渡り合ったあんたらなら、何かしら知っているだろ?」
「成る程ね。見返りは?」
「あんたの過去だよ」
心臓が大きく跳ねた。異能を取り戻した時の感触に似ていた。
「私の過去?」
「太宰!尾崎はどうした!」
「卯羅?卯羅なら私との仕事で調査安行中だけど?」
国木田くんが勢い善く一枚の写真を、私の机に叩き付ける。
「あいつはマフィアに寝返ったのか?若しくは初めからマフィアの間者として──」
国木田くんの声が遠くなった。
写るのは。マフィア時分の格好を忠実に再現した彼女だった。五年以上目に焼き付けた姿だ。間違える筈がない。
「あいつは組織を裏切ったのか?」
やけにその声が鮮明に聞こえた。
「だ、太宰さん……」
敦くんの声で我に返る。国木田くんの顔が近い。右手に彼の襟衣の釦が食い込んでいた。
「卯羅は……卯羅は私の指示で潜入している。解ってくれ」
「……そうか」
少しばかり頭を抱えた。
彼女が初めて命令を無視した。
外套を掴み、彼女が“これ以上の事”に巻き込まれるのを阻止するため、外へ出た。
こいつは横濱を知らない。なら此方が有利だ。
「探偵社はこの街の英雄だなんて云われてるけど、真っ赤な嘘。元はと云えば、ポートマフィアから枝分かれした末端企業」
男の表情を見ながら話を進める。今のところ平気そうだ。
「マフィアのような巨大組織にあの零細組織が対抗し得ると思わないでしょ?そう、社員の中にマフィアの人間が居るから」
「それで?」
「そこから先の話は無いよ。お仕舞いだよ」
新しい声が割り込む。
「だ──」
此処で名前を呼ぶのは禁物だろう。
「その男を絞めて帰るよ」
「俺を殺すとお前は報酬を受け取れなくなるが?」
報酬、私の過去。この男は異能力者か?
「善く聞くんだ。君にそれは必要無い」
「今まで何度その言葉に騙されてきた?」
「いい加減にして!」
二人の男の言葉に挟まれ、私は叫んだ。
「何のつもりなの?貴方に私の興味すら操れると思って?私が知りたいのだから、貴方は頷いて!許してよ!自分の事を知りたい、その興味が何かの罪に問われるとでも?!」
あからさまに動揺した。
焦点が定まらないのか、信じられないのか、私を見て、そのまま動かない。言葉を発そうにも、声が出ないらしい。
「あんたの過去は此れだよ」
小さな箱が展開される。私独りが入れるような大きさ。それに触れると身体が吸い込まれた。
ある家の前に居た。いや、家しかなかった。
ぽつんと目の前に建つ家の、呼び鈴を押す。表札の名前は「池部」
返答は無いようだ。泥棒まがいだなと思いつつ、玄関へ。
「こんにちは……?」
声を掛けるが、返事は無い。
居間になら誰か居るだろうと、向かった。違い棚に写真が置いてある。私と瓜二つ。
「誰か居るの?」
森先生ぐらいの年の男女が居間の入り口に居た。
「雫……?」
女性が泣きそうな声で、潤んだ目で私に駆け寄る。「お帰りなさい、お帰りなさい」何度も云われる。
「森先生は、貴女が死んだと云って……」
あの時の電話の人なのだろうか。それとも、治さんが以前調査した異能力者探しの依頼人だろうか。
「雫は知らない……私は、卯羅、だよ?」
何か、私だと証明する物は無いだろうか。そうだ、あれがある。
「ねえ、これなら解る?」
両手で掬うように、金盞花を咲かせる。
「昔よりも、綺麗に咲かせられるようになったんだよ」
喜ぶだろうと思って、その手を差し出した。触らなければ害は無い。
けど、二人は覗き込もうともせず、距離を取った。
「お前は……矢張お前は……」
男性が私の手首を掴んだ。血流が止まりそうな力。痛い。
「森先生から死んだと云われた時、やっと安心できたんだ!なのにお前がまだ探すと云うから!」
「貴女が勝手にしたんでしょう?私は、暫くしたら迎えに行こうと思ったのに!何であれ雫は私たちの子だった、そうでしょう?」
「こんな化物を子供だと云うお前も化物なのか?」
嗚呼、そうなんだ。違うんだ。この人達も、矢張、違う。色眼鏡で私を見るんだ。
これは私が欲しかった物じゃない
「さようなら、知らない人」
異能力を使って男の手を吹き飛ばそうとした。その時、全ての景色が消えた。
「卯羅……」
男を殴り終え、異能力を解く。地に座り込む彼女の雰囲気で察する。
「卯羅、解るかい?」
ハッと私を見る。潤んだ瞳、頭を撫でてやろうと手を伸ばすと、払い除けて走り出した。
何を見たのか想像に容易い。
彼女は過去の起こした因果と対面し、混乱している。あの時と同じだ。
龍頭が終わって暫くした日。森さんと実父の電話を漏れ聞いた彼女。血相を変えて戻ってきた彼女に、森さんから渡された身辺調査書を手渡した。その場で、彼女の物であることを否定し、事なきを得た。君には必要ない、必要ないから忘れたんだと、云い続けた。
過去だなんて関係無い。今の我々と過去の我々は本質的に無関係だ。その善い例が芥川くんだろうし、敦くんや、鏡花ちゃん達だ。私達もその先陣として此処まで歩んできた。だが卯羅はそれを善しとしなかった。記憶が無いからだ。中也の突然始まる記憶とは異なる。彼の場合、蘭堂さんがその答えだった。卯羅にはその答えすら用意されていない。何故なら、自分が、彼女自身がその答えだから。
足は自然と、森さんが昔開いていた診療所に向かった。私達が初めて出会った場所。古びて柵が折れた寝台に彼女が寝転がっていた。
「君は?」
「……此処の患者さん」
初めて交わした会話につい口元が緩む。
「だが、生憎此処は既に廃業したらしい。なんでも、院長が相当な幼女趣味で、入院していた女の子を拐かしたとかでね」
笑ってはくれなかった。代わりに、泣くのを我慢しているような、喉の奥で噛み締めた声がする。
「……悪かった」
「治さんは悪くないもん!私が悪いの!治さんは、こうなるのが解ってたから、私、を、過去から遠ざけたの、なのに、私、何も、考えてない、で……」
「解っていたのに教えなかった私にも非がある」
敦くんに必要であって、卯羅に必要ないと判断した、過去の理解。無論、過去の呪縛から解く必要性も加味される。卯羅には必要無かった。尾崎紅葉の娘、という事実が全てで間違い無かった。それ以前の事は必要無い。何度思い返しても無味で、何の利点も無い。
「卯羅、聞き流してくれて善い。過去なんてね、どうでも善いものなんだよ。例えば君がもし、異能力者じゃない、そういう時期もあったかもしれない。けれど、君は異能力者だ。その時点の君には戻れない。でも、過去には楽しい物もある。心の支えになるような。こんな偉そうに云うけど、私は未だに、あの時の事を思い出すんだよ」
手に残る親友の重み。「君は尾崎紅葉の娘。それが始まりだよ」
呼吸を整えるように深呼吸。それから小さい声で私に尋ねた。
「……まだ好き?」
「いつまでも好き」
背中に彼女の重みを感じる。好きなだけ泣けば善い。彼女の心の処理が追い付かないだろうから。恐る恐る、窺うように訊いた心理を察して、愛しさが増す。こんな事で卯羅を嫌わないし、捨てたりはしない。
彼女の献身的な愛を、私は知っている。それは確かに、母親の元で育まれたもの。母親からの贈り物。