「能力名『道化の華』」
吐きそうな鈍痛と、流れ出る粘性の血。痛みか、悔しいのか、解らないけど、涙は止まらない。
区切りを付けるため。前を向くため。仕方がない。風呂場を汚した事は申し訳ないけど、私がしたことに比べたら、些細なこと。
「何してんの……?」顔を覗かせた鼠さんが、私の足元を見て、ギョッとした。
「もう大丈夫。足手まといにはならないわ」
「アンタ……!」首に掴みかかられ、浴室の壁に頭を打った。「……っで、なんでそんな事すんだよ!」
「こうするしか無いでしょ?貴女が怒る謂れは無いわ」
欲しかったわよ。この腕に抱きたかった。でも、それを望んでいる場合ではない。これ以上大きくなったら、それこそ躊躇してしまう。
「太宰治が、どうして、アンタに……っ、だから、私はっ……」
「貴女に太宰治が理解できて?」
彼女は混乱していた。私の首を握る指に力が入る。妊娠しているという状況も、それを堕ろしたという事実も、どちらも気に入らない。そうでしょうね、貴女は愛されなかったから。
「鼠さん、私が堕ろしたくて殺ったと思ってる?」
「邪魔だからするんでしょ?邪魔だから、私だって……っ、私なんか、そん、な、事も……っ」
「子供を愛さない母親が、居るわけ無いでしょ?!」
治さんは云ってくれた。私があるのは、知りもしない産みの親が十ヶ月は愛してくれたから。慈しんでくれたから。「そろそろお分かりなさい、自分の頚を絞めてるのは貴女自身よ」
「知った、口きくな……っ」
「じゃあ何で貴女の母親は、貴女を産んだの?」その期間ぐらいは愛されてたはず。「ドストエフスキーは何故貴女を愛したの?道具としてでは無いでしょう?女として貴女を愛してるんじゃないの?」
その首飾りはそうでしょうに。傍にいると、魔人が示したんでしょう。
「私はこれから、ゴーゴリとシグマを追ってムルソーに向かう。貴女は好きにしなさい」
未だに掴みかかる手を無理矢理払い退け、身支度を整える。
「安吾さん」
『はい』
「私は残りの五衰を追います」
『……分かりました』
もう、きっと連絡は取らない。会えないかもしれない。さようなら、私を好いてくれた人。
「『饗応夫人』」
猟犬に立ち向かうにはこれしかない。身体がどうなろうと、太宰さえ助け出せれば、私の使命は終わり。
「……ねえ」部屋を出ようとしたら、短刀を握りしめた鼠さんが、震えながら声をかけてきた。「私も行く」
そうでなくちゃ。
思わず笑んでしまった。
「鼠さん、宜しくね」
手を差し出して、仲直り、いいえ、もう見捨てないと約束。