「能力名『道化の華』–––「饗応夫人』!」
嗚呼、もう、また面倒なことになった。ゴーゴリに付け入れられた鼠さん。今度こそ本当に壊されたかも。「露西亜の男って、治さんよりも重いのね」
目の前に立つ男に降り注いだ筈の葩は、全て道化の外套に吸われていった。
「やあお花ちゃん!鼠ちゃんはもう駄目かもしれないね。ムルソーへ行くのだろう?だったら私が手伝ってあげるよ!何てったって、私は欧州の人間だからね、語学とか役に立つと思うよ!」
「謹んでお断りしますわ、ニコライ・ゴーゴリ」
この子でなくてはならない。
この子と行かなくては成らない。
治さんが中也さんと組んだように。
敦くんが芥川くんと組んでいるように。
「ねえ、お花ちゃん。君は何故、鼠ちゃんのように、彼らを疑わないんだい?」
「だって私、彼に永遠の愛を誓われているもの」私だって不安だ。こんな指輪一つで、貴方の物になりました、だなんて。けれど、一番の証明物は、この手で葬り去った。
「君も自由が欲しくないのかい?」
「残念だけど、治さんがくださった物以外、要らない」
「強情だなぁ。うん、君は後菓子にした方が善さそうだね。彼の目の前で、ぼろぼろに壊してあげよう」
それだけ云って消えた道化。
彼を見ていると、私ってさして道化でも無い気がするわね。
却説、と気を失っている同行者を眺める。「起きて」
痛みで起きるかしら。蔦で頬を軽く叩いてみる。
「っ……」
「よく眠れたかしら」
起きたかと思ったら、首飾りを引き千切って、投げ捨てようとした。その手を掴み、睨み付ける。
「貴女、その行為がドストエフスキーを踏み躙っていると思わないの?」
「は、何……何なの?!なんであんたは、っ、そうやって!あんただってマフィアに拾われなかったら、太宰治とは関係ないでしょ!」
泣きながら何云っているの。「残念だけど、私はどうであっても、マフィアに拾われるから。そして太宰治の女になるの。一番の、唯一の女」
解んない、わかんない、またそればかり始めて。「それに、マフィアに成らなかったら、貴女の代わりになっているかもね」
怒ったのか、本能的にか。狼が私の腕に喰らい付く。「ねえ、貴女、本当にどうしたいの?」
本心ではどうなの?心の底ではドストエフスキーを信じているんでしょ?愛して、愛されて、部下として、女として、彼と関係してきたんじゃないのかしら。
「だって気持ち悪いじゃない!!こんな、誰でも善い訳じゃないって、思って、でも私はそうじゃなくて……」
狐につままれるってこういう事かしら。漸く解った。
私、この子とは違う。
未だ噛み付く狼の頭を撫でながら、次の言葉を考える。目の前で泣きながら、同じ事を繰り返しながら、それにさえ嫌気が差している子に。
彼女は、愛を知らないから、愛を認知できない。この上なく注がれている筈の愛情に気付かず、それを欲することを我儘だ何だと拒絶してしまう。
「あのね、鼠さん。女は愛無しには生きていけないの。愛って、欲だけじゃないの。この狼さんを可愛いと思うのも愛情。花を愛でるのも同じかしらね。好いた男に情を掛けて欲しくなるのは当たり前よ。でもね、それを独占出来るのは、一人しか居ない。それこそ、彼に選ばれた証拠じゃないかしら」
「そんな事云われたって解んない!!」
また振り出しに戻った。諦めるしか無いのかしらね。
「その首飾、棄てたら私は貴女を此処で見棄てる。自分の恩人も信じられない人は来ないで。矢張、母様の云った通りだった。私と鼠さんは違う。だって私、今の今まで治さんを疑ったこと無いもの」
私は太宰治に愛されている。
彼に肉体を強要してから、今まで疑ったことの無かった事実。星空の逢引も、廃棄コンテナでの交わりも、全て。
さあ、そろそろ離してくれるかしら。狼の口角を撫でると、素直に離してくれた。傷は夫人の力を借りれば何とかなるでしょう。
こんな子に構っている時間は無いのに。どうしてか見捨てられない。何故かしらね。
「ドストエフスキーに直接確かめなさい。『私を選んで善かったのか』って」
それしかないわよ。ぶん殴ってちゃんと云うまで問い詰めなきゃ。あの人達は何も教えてくれない。「私だって、治さんから『生きていてほしい』って云われたの、私が拒食になりかけて、起き上がるのがやっとに成ってからよ。喪う可能性を見出だしてからじゃないと、何も云わないのよ。彼ったら、全て伝わってると思ってるの。そんな訳無いのにね」
きっと彼らも普通に愛されて生きてこなかった。十五歳以前のことは、全く話してくれないけれど、察するに、彼も孤児。けれど欲しいと云えば、注いでくれる愛情が嬉しくて。不器用ながらたっぷりとくれる愛。
「不安ならそれで善いじゃないの。その方が慈しんでくれるかもしれないわよ」
世界なんて焼け滅んでしまえばいい。彼と私を引き裂いた世界なんか要らない。
そう思えば、楽なのに。