とくい

澁澤とドストエフスキーが退出したドラコニア。私と治さん二人。異能結晶体が不気味に光る。
「鼠をどう思う?」
「私と似たような匂いがする」
「だろうね。私と似た男と居る女だからね」
「治さんと魔人が?」
私にはそうも思えない。確かに昔の彼ならそうだったかもしれない。けれど、今は。
「約束してくれ。互いに何があろうと、異能を使っては駄目だよ。特にドストエフスキー、彼奴には知られたくない」
腰と頭を自分に押さえ付けるように抱き締められる。私も長外套の下、内衣の背に手を回した。頭に彼の重みを感じる。
「六年前と同じ匂い」
「六年前と同じ暖かさ」
「……本当は此処で求め合いたいぐらいだよ」
扉の向こうから足音がする。名残惜しいけれど、回していた手を離した。その瞬間、僅かに彼の身体が震え、頭を強く押さえ付けられた。
「大丈夫、居るから」
うん、うん、と曖昧に頷かれる。
「計画通りですね」
私たちの身体が、完全に離れたのを見計らったかのような間で、ドストエフスキーと鼠が入ってきた。鼠の王様は蒐集室の鍵を閉める。施錠音が不気味に響く。私はまた治さんの陰に隠れた。
「嗚呼、計画通りだ」
鼠は結晶体を眺めて回る。よくこの空間で無邪気に居られる。1つの結晶体を突ついて遊んでる。
「全く、苦労したよ。奴に疑われずに潜り込むのは」
魔人も結晶体を品定めでもするように悠然と歩く。まるで鼠が目的の結晶へ導くかのように。
「ところで、君が私と組んだ本当の理由はなんだい?」
治さんがドストエフスキーに問うた。問われた本人は、鼠が遊んでいた異能の前で立ち止まり、宝石を眺める。その様子がどうにも恐ろしくて、鼓動が速くなる。斜め前に立つ、白い外套の袖の端を掴んだ。
「あるべき世界を求めただけのことです。ただ」
魔人の手に結晶が収まる。
「余興は多い方が好いでしょう?」
「道化は誰か、ということか」
道化、私に向けられた訳ではない。誰が真の道化かなんて解るわけが無い。
「君と組むことは不本意だが、澁澤を道化にするには仕方がなかった。何しろ奴は、政府すら手玉に取った男だ」
目を伏せた治さん。次の言葉を待つようだった。
「彼は太宰くんの案内があろうと無かろうと、最初からこの横濱で霧を起こすつもりでしたからね」
一度だけ、手をぎゅっと握ってくれた。それが離れるとドストエフスキーの方へと歩いて行く。横からの視線に気付き、眼だけを動かすと、鼠が蒐集室の縁から私を見ていた。───何かがある。予感がした。そうでなければ、彼処まで簡単に殺気を漏らす人物を、魔人たる人物が連れてくる筈はない。
すれ違った白い男二人。部屋の中央、天まで伸びる台座の前で同時に振り振り返り、向き合う。そしてドストエフスキーが「どうぞ」と二つの結晶体を差し出した。
「一つは、見える範囲の異能力者を一ヶ所に集める結晶体。もう一つは、触れた異能力者同士の異能力を混合する結晶体。この二つで蒐集を凡て吸収すれば、エネルギィ源は断たれ、霧を維持できなくなります」
背筋が痺れる。思考が高速で回り、予測を弾き出す。白雪姫に林檎を差し出す継母に酷似した笑みを浮かべ、結晶を差し出す悪魔。
治さんの異能力を使えば、二つの結晶体は殻を破り、異能力として力を発揮する。異能で作られた霧も同じ。だから治さんが私に触れている間は、私の異能力は分離をしなかった。
「さあ、先ずは貴方の無効能力で、結晶化という殻を無効化し、異能力をあるべき姿に戻してください」
林檎を、毒の蜜を啜れと、悪魔は囁く。
駄目だと制止するには遠くて。声を上げるにも、鼠が上司の計画を遂行するために、私を監視している。
「敦くん達が無事だと善いが……」
治さんの指が触れると、光が溢れだし、手元で二つの異能が混ざり合う。暴風が蒐集室を満たす。天井に程近い位置で停止した林檎のような光は、次々と壁に収められた欠片を吸収し始める。林檎は結晶体を取り込めば取り込む程に、光を強くする。その禍々しい光に眼が眩む。光の向こうに、毅然と自分の使命を見つめる太宰治が見える。
「これに触れて消せば──」
風の轟音が耳をつんざく。次に聞こえたのは、低く、くぐもった呻き声だった。
「────治さん!!」
そこからは殆ど記憶が無い。ただ、治さんの云い付けを破った事しか覚えていない。

「────治さん!!」
卯羅は、自分の主人に突き刺さる果物刀を見止め、それを持つ人物を確認した。
澁澤龍彦──六年前、自分の眼前より、太宰治を消し去った人物に相違無かった。
卯羅の周囲で、特異点とは別の風が吹き荒れる。二重回しを翻し、薄紅の光が、両の手の内に輝き出す。澁澤目掛けて地を蹴る。
「云ったでしょう?余興は多い方が好いと」
魔人の愉しそうな声が飛び込む。標的を主犯に変更し、異能を叩き込もうと、腰に帯していた短刀を抜く。抜刀しながらドストエフスキーとの距離を縮める。すると身体が横に飛んだ。脇腹に刃が輝いて見えた。腹部、口角から血が漏れる。距離を取りながら、持ち主を探す。
鼠。
「お前の相手は私だ」とでも云うように、卯羅を目掛けて駆けてくる。
卯羅が振り返った瞬間、指が鼠の前腕を捉えた。瞬間、鼠の前腕に裂傷が走る。大輪の竜胆が、花弁を散らした。興奮しているのか、痛みに喘ぐ様子は無い。浅かったのか。出血量からしてそれは無い。二振りの短刀が競り合う。
「あんたが憎い……!」
剥き出しの憎悪が圧してくる。競り勝ったのは憎しみだった。太宰と同じように地へ横たわる卯羅の横に鼠が立つ。それから逃れる様に、主人へ最期まで寄り添う為に、感覚が無くなりつつある身体を引き摺る。
「───気持ち好い、じゃないか……」
身体が硬直した。
最期の微笑みが濃紺の眼に焼き付く。
それでも寄り添おうと、ただ目標へと。
それも、もう出来なかった。
背後から鼠が、哀れな雌犬の腹部に短刀を突き立てた。三回、十回、十四回……数は無数に増えていく。何が有るわけではない。ただ、鼠の卯羅に対する憎悪がそうさせた。似た立場でありながら自分が成り得ない姿、絶対に得ないもの、欲したもの。憎い。憎い。それに重ねて、あいつは頭目を傷付けた。それ相応の罰が必要だ。
「何もかも持っていて!それ以上何が欲しいの!」
何度刺しても絶命した太宰の隣へ行こうとする。何が突き動かす?自分が手に入れられない答えなのか?
「……太宰の、太宰治の愛だけだよ」
そう云って、もう一言。内耳の奥で鼓動を感じている鼠には聞こえなかった。
未だ絶命しきらない卯羅の身体を囲むように、一面に薄紅の華が咲き乱れる。蔦が鼠の脚を支柱とする。
「下がりなさい!」
上司の刺すような声に反射的に身体を動かす。
さっきまで脚を置いていた位置に多肉植物が咲く。
隣では、太宰の身体から青白い光が漏れ出る。
「治さん……漸く……」もう声は出なかった。「貴方に、永久の、桔梗の花を……」唇がそう動いた。こぽり、憎い名前を呼ぶ、更に憎い相手の口から血塊が溢れる。
血溜まりへ短刀が落下した。鼠は、定まらない視界で、二つの結晶体を眺める。透明に程近い青から毒の様な深紅へと変貌する結晶。それに驚愕する共犯者。絶命した夫婦を裂く様に二人の間を歩いて、敗者に詰め寄る勝者。
「それが、死です。何か思い出しませんか?」
自身が望んだ記憶の向こうへ旅立つ澁澤。呼応するように、ドストエフスキーがたずさえる頭骨の化けが剥がれる。それを見ながら鼠は、無意識的に落ちた短刀を手に取り、もう物言わぬ嫁の左背部を目掛ける。
「もう、お止しなさい」
寸手の処で手が止まる。
「そんな事をしても、貴女が欲するものは得られませんよ」
「じゃあどうすればいいの?何で?私は何故!どうして!」
「その答えは花だけが知っていますよ。コノフィツムの花言葉をご存知ですか?知らないのなら、自分で調べなさい」
興奮を鎮める為に深く呼吸する部下を宥めながら、転がる二つの死体を注視する。あろうことか、結晶体だけでなく、死体そのものが浮かび上がる。惹かれ、惹かれ合う。例え既に命亡くとも、寄り添おうとする。
「君は欲張りだなあ、太宰くん。死して尚、この街の終焉を見届けようとするのかい?」
賞賛でもするような口振り。鼠は反対に下唇を噛んだ。腕の止血もしなくては、頭では判っていた。けれど今は、羨望するも、自分が絶対に成ることの出来ない人物の最期を、眺めていたかった。





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