支配者

霧の支配者達は宮殿と化した廃墟を歩いていく。私は彼らの後ろに、何故か鼠と肩を並べながら歩く。昔は蝙蝠みたいだと思っていたけど、白は何かしら。歩くたびに揺れる外套が懐かしかった。
「ようこそ。ドラコニアルームへ」
砦の主に導かれて辿り着いた、不気味などに赤黒い結晶体が並ぶ部屋。壮観。総てが宝石だったら、どれぐらい素敵だろう。どの結晶体も輝き、部屋の主が近付くと、さんざめく様に輝きを増す。「これが総て異能の結晶体か。よくもまあこれだけ集めたものだ」
「善い趣味だ。悪魔が羨む蒐集品です」魔人は誰かを褒めるような言葉を口にした。真逆、あの女が?魔人が主人と同じ思考なら、そう捉えるしかない。
あの女は、私だ。
「ならさしずめ君は、悪魔に情報を売る死の鼠だ。此処の蒐集品の半分は君から買った情報を元に集めたからな。お陰で都市全体をを覆うほどの巨大な霧の領域を作り出せた。だが、どうやってあれほどの情報を集めたのだね?」
「鼠は街の何処にでもいるものですから」
「にゃあ」
お道化た視線を不快な顔で受け止める魔人。それを見て、悪戯に笑う。
「しかし、この棚に収まるべき唯一の異能が無くては意味がない」
「成程。それが君が横濱に来た理由か。検討は付いているのかい?」
「いいや。だが問題ない。横濱総ての異能を集めれば済む話だ」
「太宰君、止める気ですね?」
不意の指摘に悪びれる様子もなく「私がその気だったら、今頃君はとっくに地を這っているよ」と応戦する。
鼠の女が結晶体を突いて遊んでいる。私は夫人を呼んで、少しでも落ち着こうとした。
「それで、何故その唯一の異能を探しているんだい?」
「人間の世界は退屈だ。私にとって他人とは見知った機械の詰まった肉袋に過ぎない。だが、私にも理解できない人物がいた。それが私だ」
「君、友達いる?」
「友人など不要だ。私には他者の心が解るのだから。私は必ず私の行間、失われた空白の向こうへと辿り着いてみせる」
軽快な言葉のやり取りに、街の命運が掛っている。
私はいつも彼の力には成れない。非力だ。善くやった、と彼が褒めてくれる度に、否定したくなる。私は何も出来ていない。ただ、彼の指示通りに動くだけ。敦くんも、国木田さんも云う。「太宰の思考が読めるのか」と。そうではない。彼だったらこうする、彼ならこれを望むと、予測を立てているだけ。
「卯羅?今日の卯羅、おかしいよ」ドラコニアルームの扉の前で二人きり。時間が経つにつれ、怪物達の中に居る事実を押し付けられる。少しでも重苦しさから逃れようと、頭巾を取り払い、頭を振って思考と髪を整えた。
「治さん……私……」
言葉は続かなかった。彼は少し考えて、でもそれは云いはぐらかす時の間合いで。「卯羅に居て欲しいから」
矢張、答えは教えてくれなかった。
「こそこそと行動されると、有らぬ疑いを呼びますよ」
またあの二人。私は扉を向きながら、頭巾を被りなおした。
「フョードル、澁澤は?」
「貴方を監視するのは、ぼくの役目というわけです」
「まいったね」
先程と異なり、静かに結晶体が眠る部屋。魔人は空間の中間へと立ち、鼠の差し出した結晶体に触れた。
「何をした!?」背へ庇われた。長外套と腕で牽制される。
「異能の結晶体を使って、出入口を封印しました。これで誰も此処から出れられませんし、誰も此処へは入れません」
「はあ、ならこれで、漸く一息つける」その場に座り込み、大きく肩で呼吸する。
「お疲れ様です」
「全く疲れたよ。奴に気付かれずに此処まで潜り込むのは」わざとらしい伸び。本当に猫ちゃんね。「お陰で一番助けを借りたくない人間の助けまで借りてしまった」
「まあ、ぼくが監視役だったからこそ、澁澤も貴方の自由行動を、ここまで許したのでしょうから」
「だがこれで総て計画通りだ」
魔人に近付く治さん。私はその場で立ち止まったまま。鼠もはただ黙しながら、先程と同じように結晶体を見て回る。
「龍を止める、それが太宰君の目的でしたね」
「ああ。ドラコニアルームが目覚めてしまえば、この横濱は御仕舞だ」
鼠の手に収まる二つの結晶体。それを受け取り、魔人も共謀者へ歩み寄る。
「これをどうぞ。一つは見える範囲の異能力者を、一ヵ所に集める異能の結晶体。もう一つは異能を混合する結晶体。さあ、貴方のキャンセル能力で結晶という殻を消し去り、異能をあるべき姿に戻してください」
「敦くん達が無事だと善いが」集められた異能。それに手を伸ばす太宰の姿は、林檎を求める白雪姫。「此れに触れて消せば総てが終わる」
私は彼の指先を注視した。少しでも触れれば、この茶番は終わる。「矢張、君も退屈な人間だったな、太宰君」
硬直し、震える指先。白い衣装が赤みを帯びていく。少しばかりの苛立ちと、虚しさを纏った白麒麟が、彼の背後に立っていた。
動けなかった。
ただ、目を見開き、目の前で起きている事実を眺めているだけ。
「この部屋には……誰も、入れないはず」
「偽物です」砕け散る結晶の向こうで嘲笑う魔人の言葉に鳥肌が立った。
「成程……ここで裏切りか」
崩れ落ちそうになる彼の手が、私の頬を掠めた。その手を追いかけるように駆け寄った。
刺し傷だけなら、なんとかなるかもしれない。広がる鮮血の円を少しでも抑えようと、創部を圧迫する。だが止まる気配はない。喘鳴の混ざった呼吸が耳に入ってくる。
「作戦の終了まで、刺される事は無いと読んでいたのだろう?流石の慧眼だよ。読み間違いはただ一つ、作戦の終了が、今この瞬間だという事だけだ」
「彼の狙いは始めから君、一人です。唯一無二の異能、それはこの世で一番特殊な異能力、異能無効化です」
悪魔が近付く。澄んだ銀のナイフは、刃が変色していた。血だけではない。あの色は──
「果物ナイフなんかじゃあ、ただ痛いだけかと思ったが……毒か」
「致死性の神経毒だ。人生最期の数秒を楽しみ給え」
「何てことするんだい、気持ち好い……じゃ、ないか……」
最期に微笑みを湛えて。
「治さ……っ、ぅ゛……う……」
背中に重く重く圧し掛かる悪意。引き抜かれた感覚が、冷たい。
狙いは私か彼かは解らない。でも、これ以上、太宰を傷付けられたら、私──彼に覆いかぶさるようにして、次の刃を受け止める。
漸く、一緒に成れたね。
まだ暖かい彼の背に、抱き付くよう、身を倒した。





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