首領

いつの間にか私は首領夫人になっていた。
この王座に貴方が座る日が来るなんて。そう思いながら、首領執務室の豪勢な椅子に腰掛ける、楼閣の新たな主の前に立つ。眩しい昼の光が部屋を充たし、一新された世界を照らす。
「やあ、愛しい人。今日という日を我々の記念日にすると云うのは?」
「それは私の名を貴方に捧げる日かしら」
「そう。私の名字を君が戴冠する日」
慣れない革の手袋の感触が頬に触れる。その手を取り、指先へ親愛を込めて口付けると、執務室の扉が乾いた音で来訪を知らせた。「来たわ。どうか首領として」
「嗚呼、解っているよ」
私が内側から門扉を開けると、中也さん、芥川くん、坂口さん、そして織田作と、馴染みの面々。新政権の顔ぶれ。
中也さんを頂点とし、皆が二列に整列するのを見、私は扉を努めて厳かに閉め、彼らの先頭へ並んだ。それから一斉に跪き、最大の敬意を目の前の男に示した。
「壮観だね。実に壮観だ」その後に続いた、楽にして、という言葉に立ち上がり、後ろで手を組み、次の言葉を待った。夜を支配する事となった男の言葉を。
「一つ佳い知らせがある。それに伴い、悪い知らせもある。どちらを先にする?」
「佳い方を先にしてくれ。悪い方はその後に議論が続きそうだ」
織田作が何時もの調子で答えた。それに坂口さんが小声で「首領ですよ!」と叱責するような声が聞こえた。
「今更畏まるのも可笑しいから、何時も通りで佳いよ」笑う新首領は、困ったように眉を下げつつも、嬉しさが声に表れていた。「佳い知らせというのはね、今日を以て、卯羅が首領夫人に成るということ。そして彼女が私を護る最後の関門と成る。中也と共にね」
「はァ?とうとう脳ミソ腐ったか?」
私の右の背後で中也さんが淡い殺意の視線と共に言葉を飛ばした。
「おや、中也。何か不満でも?」
「こんな泣き虫に手前の警護が務まるのか?大体、色恋だの勘定に入れて、私情で任ずるんじゃねェよ」
「じゃあ訊くが、卯羅の何が不安?」
「首領の第一夫人に成るなら、引っくるめて警護しねェとだろ」
「……嗚呼、そういう」
太宰さんが私に向かって手招きするので、近寄ると、隣に立って、と指示された。
「じゃあこういう訳だ。尾崎卯羅改め、太宰卯羅。彼女の言葉は私の言葉に等しい」
佳いね、と主人が念を押すと中也さんは帽子を取り「この身は組織の為に」と再度跪いた。
「なら、私が夕食は上層構成員と毎晩会食、と云えばそれが掟になるし、毎週木曜は首領と私の私的時間が保障されるとすれば、例え小競り合いが起きていようと中也さんや芥川くん達が保障してくれる、ということで佳いのかしら?」
「その通りだよ。だが一応、私には相談してくれ給え」
「ところで悪い報告と云うのは?」今度は坂口さんが話を急かした。
「嗚呼、そうだった。それはね、近いうちに首領交代をフロント企業の皆様方に知らしめる為、晩餐会を催さなくてはならないと云うことだ。腹の底を探り合いながら、毒味をするような心持ちでする食事だ。最低だよ」
「では僕が会場の設定をします。日程も首領の御予定を鑑みて、最速の内に」
「頼もしい限りだよ安吾。警備の体制に就いては、中也と織田作に任せるよ」
話は終わりだ。
そう云って首領は解散の合図を示した。
一礼の後、背を向けた彼らに向かって、一言。
「呼び方は以前と変わらずで佳い。特に、この部屋で私と君達以外が居ない時は」
その言葉に芥川くんは再度一礼し、中也さんは舌打ちしつつも口角で笑った。織田作と坂口さんは笑いながら「首領命令だ、仕方ない」「そうですね」と何時もと変わらなかった。
四人を見送った後、首領は私の左手を取り、執務机の引き出しから小箱を取り出し、中の銀輪を中指へ。
「卯羅、君も首領なんて呼ばなくて佳い。いいや、君こそ呼ばないでくれ。君はこれからも私の安息の地であってくれ」
「でも太宰さんは可笑しいわ」もう一つの輪は私が彼に。同じ手の、同じ位置。「治さん」
「それで好い」
御約束の誓いは口付けに。
もう陽が沈む。
マフィアの時間が始まる。





前の話目次次の話

Latency