蜜柑、酒、炬燵、蕎麦。
凡ての準備は整った。
「年越しだなんてただの概念だよ」
そんな事云っていた貴方と、何回目の年越しだろうか。手酌で飲むこと三時間。私も強い方だけど、彼のペースに合わせてたら肝臓が一瞬で崩壊する気がする。
「治さん、初詣はどうする?」
「うーん炬燵が私を離してくれれば行く」
全くこの人は、と思うけれど。
そんな彼と炬燵の間に入りながら、蜜柑を剥く。剥いて、食べて、剥いて、食べて、剥いて、治さんにあげて、剥いて。炬燵机の上には酒瓶と蜜柑の皮が散乱する。
「離す気ある?」
「私は無い」
「ねえ、お蕎麦の汁作りたい」
「出来てるでしょ?」
「あとちょっと、味整えて終わり」
「卯羅の作るのは美味しいからそれで善いよ」
熟年か?と云われても仕方ない気がしてきた。テレビはただ流しているだけ。別に見てもいない。座椅子のような状態の治さんに寄りかかる。時計を見れば、あと30分で年が明ける。
「今年も早かったねぇ」
「本当に目まぐるしかった。今も昔も、治さんが渦中なんだもの」
『太宰治が居るところが、事の中心だ』そう云った、彼の友人が居た。それは絶対に覆らない事だと、何度も何度も思い知る。
「……来年は、共に居る時間を増やそう。何だって佳い。喫茶処へ行くでも、家でこうするでも。二人だけの時間を増やそう」
後ろから抱かれ、首元に顔が擦り寄る。ふと見えた眼に光は無かった。寂しいのかしら。本音に近い時の眼。私の肩を抱く手に、手を重ねた。大きな手。男の人の手。この手で何れだけのものを掴み損ねて来たのだろう。私なんか、きっと、ほんの一部しか知らない。
「来年の目標は、治さんと素敵な喫茶処探し」
「熟年みたいじゃないか」
笑ってくれた。いつもの治さんに戻ってくれた。十二時の鐘がテレビから聞こえる。魔法が解けたみたい。
「どうやら今年の目標になったようだね」
「ちゃんと挨拶したいから、ね?」
二人で炬燵から出る。余程出たくないのか、動きが緩慢になる。正座をした主人は、ピンと背筋が伸びて、どこか育ちの良さを感じた。
「今年もどうぞ、宜しくお願いします」
「こちらこそ。甲斐性の無い旦那で申し訳ないが、どうか、見放さないでおくれ」
着いた三つ指の先まで美しい。年明け早々、善いものを見れた。
「さあ!蕎麦を肴に、熱を一杯!」
見とれていたら、仕切り直しとばかりに酒のご注文。良妻よろしく頷いて仕度をする。治さんは半纏を羽織り始める。
「育ちの良さを苦にした放蕩息子……」
「何か云った?」
お蕎麦と徳利を持って行き、私も炬燵に戻る。
「空が明るく成るまでなんて呑まないでね?」
「こんな時しか出来ないじゃないか」
「治さんと寝れないの、嫌」
私の言葉にふふふ、と不敵に笑う。
「新年早々のお誘いかい?」
「違う!そうじゃなくて、添い寝してて欲しい」
「何故?」
「ずっとそうして寝てきたから、そうじゃないと安眠出来ないの。傍に居て?」
嗚呼全くと漏らしながら、承諾してくれた。
炬燵に横になり、最後に聞こえた言葉は、小さな祈り。
「今年も君と、善い一年が過ごせますように」