執務机の引き出しの最奥にしまった調査書。私以外が見ることの無い書類。とはいえ、私も凡て記憶したから、読み返す事なんて滅多に無いのだけど。
「太宰さん!」
「やあ卯羅。血相を変えて、どうしたの?」
首領の処に、今期の決済書を届けさせに行った筈の部下が、その書類を手に持ったまま、戻ってきた。
「お使いは?」
「何隠してるの?」
万年筆の洋墨壷を引っくり返しそうな勢いで詰め寄ってくる。
「隠すって?」
いつものように素っ気なく返した。彼女の眼には混乱が色濃く出ている。
「取り敢えず落ち着きたまえよ。私が珍しく完成させた書類を、君は洋墨で彩る気?」
執務机から離れた所に置いた寝椅子に座らせる。その隣に私も腰掛ける。
「森先生が、私の“両親”と会ったと……」
「君の?」
自分の記憶と照らし合わせる。そういうことか。
「私の親は尾崎紅葉、でしょ?」
この顔は真実を知りながら、それを拒否する顔だ。私の胸元を掴み、顔を押し付け、私の肯定を待っている。
「その答えが欲しいわけだね?」
「知っているの?」
苦しそうな顔で、見上げてくる。
「君の手助けになるかは解らない。以前、森さんに渡された調査書が有ってね。どうも、構成員に関する調査書らしいのだけれど、誰のだか解らないのだよ」
見たいかい? と誘い水。それに誘われ「欲しい」と漏らす。
例の引き出しから、例の調査書を取り出す。引ったくると、夢中で捲る。何度も行ったり来たり。
彼女は一般家庭、中流階層に産まれた。父、母、娘の三人。
娘が八歳の時、先の大戦が終戦を迎えた。無論、彼女の父親も戦地へ赴いた。其処で彼は異能力を知った。人ならざる力。世界を変える力を持つそれは、圧倒的な力で制圧した。凡庸な人である彼に敵う筈がなかった。現ポートマフィア首領 森鴎外を知ったのもこの頃だった。衛生科長として、異能力者として、軍に所属していた。
森の功績もあってか、父は無事に帰還することとなる。そして彼は家族に、戦地で見た、強大な力の話をした。
「お伽噺の魔法使いみたいね」娘は気に入りの縫いぐるみ──両親が誕生日の贈呈品として贈った犬の縫いぐるみを抱き締めながら笑った。
花が咲き、花が枯れ、木葉が舞うように、時は過ぎる。
娘が初等教育を終えようかという頃だった。
独り学舎に併設された図書館にいた。日課のようなものだった。少しずつ本を読み進める。学びの後の楽しみだった。
そこまではいつもと変わらない、約束された自分だけの時間だった。剰りにも夢中になっていたため、周囲の気配に気付かなかった。状況を察したときには、視界には天井と覗き込む同窓の顔が幾つかあった。声を上げようとしたが、頚部に鋏を押し付けられる。
──このままだと殺される、昔父親から聞いた、あの力があれば。そう願った。馬乗りになって、鋏を振り下ろす腕を掴んだ。心臓が一回、力強く脈打つ。握った腕に薊が咲いた。脱力したのか、刃物がそのまま落ちてきた。幸運にも軌道が少し逸れていた。薊の棘に触れた彼らは、散々に去った。大きく息を吐いた。鼓動が速い。手からは薊が咲き続けていた。
目覚めた時は家の寝台に寝ていた。身体が怠い。熱があるのだろう。あの縫いぐるみを探した。あった。布団の中に引きずり込んで、泣いた。”おともだち”は静かに笑っていた。
両親は今後の事を話し合った。けれどそれは建設的な話し合いと云える代物では無かった。罵倒と怒声の応酬。出た答えは医者に診せるという苦し紛れのものだった。
名医と呼ばれる医者のもとを巡ったが、一向に原因は見えてこなかった。矢張あの忌むべき力が娘に宿ったのか。それを否定したいが為に、父親は昔の伝を頼ることにした。
森医師は快く原因精査を引き受けた。長期の入院に成るかもしれないと念を押した。ただひたすらに、お願いします、と頼み込んだ。
精査の結果、娘には異能力があることが判った。そして異能の特性とそれに伴う欠点も明確になった。それを克服すれば、森が嘗て眼にした異能と組み合わせることで、もう一段階上の武器になることは明らかだった。森の計画には不可欠、それ以上の思いがけない贈呈品だった。
それから二年程、異能力の訓練と称して入院生活を続けさせた。それが終わると、非異能力者には危険な力だと両親だけに説明し、マフィアへ加入させた。
読み終えたのか、気が済んだのか。書類を持ったまま、笑いだした。暫く笑っていたが、次には泣き出した。身のやり場が無いのか、私に抱き付いてきた。
「君じゃないかもしれないというのに、何故?」
「判らない、けど、どこかで『これは私だ』と認識していて……」
「忘れてしまえば善いじゃあないか」
そんなに辛いのなら忘れてしまえば善い。
「この調査書は君の事じゃあない。君は知らない、赤の他人の過去に共感して、影響され、取り乱している。そうだろう?」
「でも、これ……森先生が云ってたのと、殆んど一緒で……」
「凡ての言葉を肯定するもんじゃあないよ。森さんが君を動揺させるために放った嘘かもしれない。それに、仮に君の事だったとして、二年も子に会わない親が居るかい?」
必要が無いから忘れたのだよ、耳元で囁いた。
「これからも、この先も君は尾崎紅葉の娘だ。そして、私の部下で世話人。佳いね? その事実だけがあれば、君はこの世界で生きられるのだよ」
どうせ人は忘れる。両親だってもう君の事を忘れているだろうよ。君が居た事実を忘れて、君の代用品を産み出しているかもしれない。
「卯羅。私の質問に答えて。君の居場所は何処だい?」
「マフィア……太宰さんの、傍……」
「正解だよ。善い子には褒美をやらないとね」
いつものように、口付けてやった。それだけで泣くのを止め、私に笑顔を向けようとする。
こんなにいじらしい生き物を忌み、忘却し、代用品を用意して、のうのうと暮らす彼らを理解できなかった。