適正

「芥川先輩」
「何だ樋口」
首領から預かった伝言。その相手の、この組織での功績を調べていたら、もう一人の人物に行き着いた。先輩なら知っているだろう。そう思って声をかけた。
「尾崎幹部には娘さんがあるのですか?」
「嗚呼。中原さんの秘書だけではない。もう一人居た。」
「どのような方だったのでしょう……」
「常に太宰さんの隣に居座り続け、太宰さんの無二であった。お前も会った事があるはずだぞ?」
「え、そうなんですか?!」
先輩は、愚か者が、と云いたそうに顔を顰めた。「人虎と初めて相見えた時、太宰さんと共に居た、瑠璃髪の女性が居ただろう」
「ええ、羨ましいほどに胸の大きな」
「あれだ」
手際善く負傷した探偵社員に、処置を施す姿を思い出す。そしてあの人に銃を向けた私へ、何か得物を構えようとした姿も。
「太宰さんとは異なり、僕に慈悲を持ち接した。何故かは僕にも解らぬ」

僕が太宰さんより、この外套を下賜された時のことだった。
「芥川くんもこれでちゃんと太宰さんの部下だね」
尾崎さんは笑いながら隣を歩く僕に声をかけた。彼女の手には書類の山。僕はその丁稚。各幹部に配って歩くという。
「失礼します」
ゆるり規則正しく扉を叩き、中へ入る。僕もそれに続く。
「母様、太宰さんから」
「おお、ご苦労。その童が太宰が引き入れたという小僧かえ?」
「そう。芥川くん」
僕は勧められるまま、一礼をした。
それから尾崎さんは二言、三言程言葉を交わし、手を振って部屋を後にした。
「あの方は、尾崎さんの」
「お母さん」
そう云って笑う。それから僕に目線を合わせるように屈む。
「此処はそういう人が沢山居るの。芥川くんみたいな子も沢山。でもね、いつかきっと、此処の人たちが、芥川くんの家族になる日は来るよ」
「僕はそんなもの……」
「必要ない?」
頷いた。貧民街の野良犬に過ぎなかった僕と銀。それに救いと偽った悪魔の手を差し伸べた太宰さん。そして僕と銀に「もう怖くないよ」と声を掛けて微笑んだ尾崎さん。
「何故、貴女は僕らにそこまで施そうとする?」
「何でだろうね」少し目が伏された。「太宰さんの部下だからかなぁ……なんて」
誤魔化す様に笑う姿に、太宰さんが重なった。この二人は根本が似ている。
「卯羅」
「太宰さん」
「書類配布に何時間割いているの?」
刺すような視線を気にせず、立ち上がり、ごめんなさいね、と笑う。
僕はこの人が癇癪を起こしたところを見たことがない。
「今度の仕事で彼も出す。使い物に成らなかったら……善いね?」
それだけ云うと、外套を翻して執務室へ戻っていった。
「太宰さんったら……あんな言い方しなくて善いのにね」
僕には太宰さんの云いようが正しいように思えた。価値のないものは生きている資格などない。役立たずに待つのは死のみ。尾崎さんもきっと強力な異能力の持ち主なのだ。故に太宰さんに気に入られ、秘書として君臨する。
確かに現場での尾崎さんは鬼気迫るものがあった。血塗れる事を厭わず、刃を振るう。異能力を使った姿を未だ一度も見たことは無かった。
ならば僕は異能力で太宰さんに評される他ない。
黒衣を操り、迫る敵を殺戮する。なんだ、組織に入る前と変わらぬ。命を繋ぐために目の前の命を消す。ならば僕の方が得手であろう。
「どう思う?」
「伸び代はある」
そう話す声が聞こえた。もっと見せねば。まだ出来ると。
無我夢中で獲物を追う僕の前に花が舞った。
「あんまり深追いしちゃ駄目。もう撤退」
「しかしまだ奴らは!」
「太宰さんの命令はこの場の引き上げ。それが最善と彼が判断した」
僕は渋々従った。
あの花は何だったのだろうか。
戻った僕に太宰さんが説法を寄越した。
「芥川くん。何も敵を全て殺せば善いという訳ではない。今回は相手方の頭は潰した。その下はある程度残しておかなければならない。何故なら、彼らがマフィア傘下に降る選択肢も必要だ。それでも刃向かう様であれば、その時に殲滅すれば善い。戦力が増える可能性を潰してならない」
この人の思考は、先見は、僕なぞには理解できない。それは今も変わらぬ。
「卯羅も御苦労」
「ううん。今回は芥川くんがしてくれたから」
太宰さんが笑いながら彼女に耳打ちした。すると、囁かれた方は、赤面しながら肩を小突いた。
僕が尾崎さんの異能を知ったのは、四年前の大規模抗争の数ヶ月前だった。そうだ、それまでの期間、僕は上司の女の異能力を知らなかった。
それも知ったのは最悪の機会であった。
僕が太宰さんの執務室を覗くと、何やら二人が話し込んでいた。尾崎さんの語気は強く、太宰さんは全く聞く耳を持たずという感じであった。
「ねえ、聞いてるの?」
「うん聞いてる。君の愛らしい声が奏でる音を聞き漏らす訳がない」
「あっそう?その割には反省の色が全く見受けられませんけれども?」
「毎度の事だろうに。いい加減に馴れなよ。それとも──」
人が倒れる音がし、布の裂ける音、女の抵抗する声。
「ほら、もっとちゃんと抗いなよ。こんな男、嫌なのだろう?」
「太宰、さ、ん……っ、離して、ぇ……」
その時だった。上司の影がくの字に折れるとの一緒に、花が飛び散った。
「太宰さん!」
僕は咄嗟に飛び出し、悪食を放った。女に喰らい付こうとしたそれは、直前で霧散した。
「いたたたた……流石に腹は痛いよ卯羅」
「異能が効かなくて善かったね」
僕の存在を感知せず、二人でのみ会話を進める。どうやら僕は狗も喰わぬ物に首を突っ込んだらしかった。
「ああでも、君の異能で死ねないのは残念だ」
「お生憎様。簡単には死なせませんから」
「そっかぁ、残念だなぁ。実に残念だ」
掌に咲く花を見詰める姿を見て確信した。
あの花は彼女のものだ。そしてその花は、触れた物に害をなす。
僕は何故勝てぬ。
何故あの女に勝てぬ。
そこからはお前も知っているだろう。
大規模な抗争の後、二人は姿を消した。

この組織の誰よりもマフィアたる男と、マフィアとして育った女。
そのふたりが何故組織を抜け、持ちうる最高の地位を捨て、零細企業に流れ着いたのか。
「お前はあの人には成れぬ」
「それは、私がマフィアに育てられなかったからですか?」
「あの人が、撤退命令を僕に告げる直前、太宰さんと何を会話していたか、解るか?」
「撤退命令を出したんですよね?」
鼻で嗤われた。「ただ名前を呼んだだけだ。『卯羅』とただ名を呼んだ、それだけだ」
流石にそれは無いだろう。事前に打ち合わせをしていた可能性もある。
「事務作業の合間もそうであった。太宰さんが名を呼べば、欲するものを渡す」
熟年夫婦か?そんな歳では無い筈だし、付き合いも浅い筈。
「首領に依ると太宰さんが加入した頃よりの付き合いだと云う」
「なら、首領は何故彼女を引き戻そうとしないのでしょう?」
「尾崎さんは、太宰さんの意向にしか沿わぬ。例え自分の母に勧誘されたとしてもな」
それほどの覚悟というのか。
あの時、彼女から向けられた視線は、侮蔑を伴っていた気がする。けれど、夫婦と成ったからには、少なからず私と同じ感情を、同じ環境下で持っていた筈だ。それすらも、仕事の延長上だと云うのだろうか。
「芥川先輩、あの人は、私を軟派した元幹部を殴ろうともしませんでした」
「だろうな」正妻の、妻の余裕なのだろうか。「殺されなかった事を噛み締めておけ」
そういうことか……もし仮に、人虎の元へ彼女一人で救援に来ていたら、私は……。
思わず喉を触った。生唾を飲む感覚が気持ち悪い。

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