私の異変に気付いたのは与謝野先生だった。流石医者だ伊達じゃない。そしてそれは与謝野先生から社長に伝わり、私は暫く休みを貰うことになった。そしてその休みが今日明けた。久しぶりの出社で緊張していたが、一緒に職場へ向かう治さんが一番緊張していた。
「何で貴方が緊張しているんですかね」
「だって何言われるか判らないじゃない?」
私の休職中の彼は、国木田さんが寝込むほど馬鹿真面目だったらしい。勿論普段との比だけれど。
「私はただ品行方正な夫を目指しただけなのに国木田くんたら酷いんだよ?」
「普段の行いのせいでしょ……」
私が社のドアノブに手を掛けると、治さんがそれを制止した。
「私が開けるよ」
治さんが社の戸を開く。
「やあ!皆さんおはよう!清々しい朝だねぇ」
毎日この調子だったのか……心配される訳だ。
「おはようございます……」
「おや卯羅、もういいのかい?」
「与謝野先生ご面倒をお掛けしました」
「善いんだよ。医者として当然さ。どれ見せてごらん?」
与謝野先生には休職中にも散々お世話になった。先生と私は来客用ソファに腰を掛けた。
「可愛いねぇ。本当に太宰のかい?」
「先生酷いなぁ。彼女が浮気するわけないでしょ?」
彼の一言で国木田さんは合点がいったようだ。椅子から落ちた。
「太宰貴様……」
「とうとう一子の父になってしまった〜」
「何処まで適当な男なのだお前は!」
国木田さんが掴みかかる。いつも通りだ。
「国木田さん私が切り出したことだから気にしないでください」
「は?」
第一はやっぱり治さんとの子供が欲しかった。それに子供が居れば、生きてくれると信じて。既に治さんは息子を猫可愛がりしているから、結果として良かったのだと思う。
「彼女にせがまれてね。幸い異能は遺伝してない様だし。実際こうして実子が出来ると落ち着くものだねぇ」
谷崎くんとナオミちゃんが、調書を扱いながらチラチラ此方を見てる。
「なんだい?大丈夫だよ、太宰の子供なんだ、覗いたぐらいじゃ死なないよ」
「その評価もどうなんですか先生」
二人が、手を休めて私の手元を覗き込む。
「本当に太宰さんのお子さんなんですか……」
「谷崎くんまでそれ言う?」
「だってこんなに無垢そうな目してるんですもん……」
「治さんだってそういう時あるじゃない?」
「えっ……」
信じられないという顔をされる。確かになかなか見せないけど。あれでいて、ごく稀に澄んだ眼をするから狡いんだよ。
「卯羅さんの赤ちゃん……」
「抱っこする?」
そう訊くとナオミちゃんは顔を横に振った。でも小さく「ほっぺ触りたいです」と呟いた。
「柔らかい…お餅みたいですわ」
あの破天荒な夫との子供を暖かく迎えてくれる此処の居心地も嬉しい。
「素敵な奥さんが子を抱いている、嗚呼なんて幸せな風景なんだ」
国木田さんから解放された治さんが呟く。子供が出来たと分かったときの彼の顔は、一生忘れないだろう。それと小声で呟いた旧い友への言葉。
『やっと1つ理由を見つけたよ、織田作』
治さんは私たちに笑顔で近づいてくる。そして私の腕から息子を抱き上げる。
「見てくれよ国木田くん。この可愛らしい……私の子だと信じられるかい?」
国木田さんも治さんの腕を覗き込む。あの国木田さんの顔が少し緩んだ。
「信じられんな。9割彼奴のお陰だろうな」
「酷いなぁ。私の遺伝子も半分は入っているのだけど」
治さんが私との子を抱いている、この事実だけで涙が出るほどに嬉しい。昔では考えられなかった程に穏やかな光景。
「あれ?卯羅泣いているの?」
「太宰さんが泣かせた……」
言葉がすぐに出なくて首を横に振った。
人の経歴が色の染みのようなものなら、私たち夫婦のは拭いきれない黒だ。表向きは純白だけれど、捲れば抗えない程に黒い。でも二人で授かったこの子は、白い小さな染みだ。此処から先は染まらなくて善いと、二人が自信を持てるように。