v0.02 : flavour





結果からいうと、ヒスイは兄のブランを凌駕していた。

適当な敵に目星をつけて通常攻撃を繰り出したブランを狙って、低レベルの<棘茨イタチ>が集まってきたのだ。
<リンク>した<棘茨イタチ>たちに彼らは負けるようなレベルではなかったが、通常攻撃をしてるうちに膨大な量の<棘茨イタチ>に囲まれては話が変わってくる。

が、その心配は必要なくなった。


「"灼熱と業火の神よ、血の契約に従い我が剣となれ……降りよ、<炎神アグニ>"」


一瞬にしてなぎ払われ、消し炭にされた<棘茨イタチ>たちの炎が消えると、金貨とアイテムがその場に散らばった。
ブランは何が起こったのかさえ、理解できなかった。

ようやく理解できたときには、ヒスイのMPは一割ほど減っていたが、けろりとしていた。
先ほどはあれだけ混乱していた彼女とは思えない、恐ろしいほどの冷静さで。

消えた<棘茨イタチ>の亡骸を見ていた。


「オーバーキルだったね、もう少しならMP消費を抑えられるかもしれない」

「ヒスイ、スキルを使ったのか?…使えるのか?」

「イメージでできるみたい。これで私は戦えるから、あとは兄さ…じゃなくって、ブランの特訓かな。私と違ってキャラの身長が本体より低いから馴染むのに時間がかかると思う」


唖然とした。彼女は自分が敵と対峙している間に自身のことだけではなくブランのことまで考えていた。
たった数十秒の間に。

ヒスイは普段は物ぐさで考えることが好きなほうではない。頭もそれほど良いとはいえないし、彼女自身もそれを理解している。
…のだが、彼女はいつだって、エルダーテイルの、その中でも戦闘中に持ってる力の120%を出すタイプなのだ。
それがこの状況下、つまりはエルダーテイルの世界で現実的に暮らすという非現実的な状況下であっても、なんの遜色もなくその力を発揮している。

彼女は根っからの戦闘狂だ。それ以外、考えられない。

「私、思うんだけど」ヒスイは何かを考えるように顎に手を当てた。


「回避型の<盗剣士>ができるかもしれない」

「へ?」


いきなり何を言い出すんだ、とは思ったが、散らばったアイテムを拾いながらとりあえず話を聞くために口を閉じた。
金貨は数枚散らばっている。獣の皮らしきもの、棘のついた蔓のようなもの。何に使えるかはわからないけれど、今はないよりはあったほうがいい。


「この世界は、リアルにするにはあまりにゲームなんだけど、ゲームにするにはあまりにリアルだと思うんだよね」

「それはいったい、どういう意味だ?」

「兄さん、さっきバックラーを持って<棘茨イタチ>に立ち向かったけれど、あれはあれで"痛み"があったんだよね?」

「ああ、それはもちろん」


当たり前だ、と言い掛けて口を閉じる。当たり前ではない人間もいる、そのことをブランはよく理解していた。
また少し考え込んで、彼女は続ける。


「普通、ゲームって痛みは感じないよね?」

「…まあ」

「だったらこれはリアルなんじゃない?初期ステータスが高いまま生まれてるだけで」


さっぱり彼女の言いたいことが理解できないブランは頭を掻いた。

初期ステータス、所謂持って生まれた素養のようなもので、つまりは才能と呼ばれるもの。
ただ既に言語を認識し知識を蓄えられることができているため、これも才能の一部として含まれるものと仮定して考える。

が、ここまでがわかっても彼女の言いたいことの全容はまだ理解できない。
つまりさ、と彼女がもう少し口を開いた。何気ない会話のつもりで話しているのかもしれないけれど、ブランにはそれが何か引っかかる。


「普通の人生と一緒。わからないことは学べるし、できないことはできるよう努力を重ねればできるかもしれない。
 もちろんその人間の限界というのはあるんだろうけれど…私は兄さんにできないことなんてないと思ってるから、"回避型<盗剣士>"も可能だと考えてるんだよ。だって、あまりにリアルだよこれ」


私のカラダだって、リアルのままだし。
その続けられた言葉こそが彼女の痛みの叫びだとブランはやっと納得がいった。
つまり彼女の障害がそのままであるから、ここはリアルらしいと彼女は思っている。

彼女らしい発想ではある。彼女にとってここは、おそらく"現実"だ。
何も変わらない、ちょっと敵が増えて、ちょっと面倒くさくなっただけ。

はあ、とひとつため息を吐く。
つまるところ、彼女はこう言っているのだ。「その剣と盾を忘れて、回避することに重きを置くべきだ。その訓練をしろ」と。

言っていることの大半は理解したが、意味はいまだによくわからない。
<盗剣士>はダメージディーラーだ。臨時でタンクができていたのは盾を装備できるからで、ダメージディーラーとしては二刀を構えたほうがよい。
……そうか、つまり。


「ダメージディーラーでありながら回避タンクをしろ…ってヒスイは言いたいのか?」

「そう、合理的でしょ?」


にっこりと笑みを作る鬼教官が、ここまで無茶振りをかましてくるとは思わなかった。
知識も運動神経も、ほとんどのことは彼女に勝るブランであったが、このゲームだけは違う。彼女はこの世界の天才だ。
……いや、現実世界でも彼女は"あれ"だけは自分より勝っていたか。

とにもかくにも逆らったらどうなるかわからないため、大人しく剣と盾を仕舞う。代わりの二刀は出さない。


「始末は私がするから、とりあえず低レベル相手に戦ってみよう」


気乗りのしない彼の表情にもかまわずヒスイは歩き出す。
そんな彼女を放っておけるわけもないので、慌ててブランもついていくのだった。





しかし日が暮れるまでの特訓で、わかったことがある。
暫く慣れない体で<棘茨イタチ>と戦っているうちに、まず、段々と体が慣れ始める。次に、攻撃が予測できるようになる。

そうして動いているうちにはとりあえずなんとか避けられる、状態までにはなった。
これが元々の素養…つまりはレベルも関係しているのだとは理解できたが、そうであってもなくとも、彼女のこの提案は良い策であったとブランは確信していた。

またもうひとつ、わかったことがある。それは排泄が必要ということだ。

時折排泄が必要になったのはブランもヒスイも同じだった。つまり彼女のいったようにここは限りなく"現実"に近しい世界である。
もちろん排泄もあるということは食欲もあるということだ。

夕日が差し込むアキバの街に戻り、とりあえずなんでもいいから食事を、とレタスやトマト、肉に魚とヒスイが買いこんでいく。


「ヒスイ、出来合いのものは買わないのか?」

「あの"水ココア"をブランも飲んだでしょ?出来合いのものを買うのが不安なの」


とはいえ流石に街中で火を起こすのは躊躇われたため、また少し街から離れる。が、今回はそれほど離れない位置で火を起こした。


「バーベキューセット、みたいなのがあったらいいのに…」むす、としてトマトやレタスを切るヒスイに贅沢言うなよ、とブランが笑う。

火が起こせたので鉄串に肉や魚を刺す。それでも、ヒスイはブランよりずっと楽しんでいた。
なぜなら、彼女はバーベキューを一度だってしたことがなかった。
それどころか、刃物を握って野菜を切ったことだってほとんどなかったのだから。

もちろんブランの監視のもと、一般よりもかなりのロースピードでひとつひとつ丁寧に、間違えないように切り分けていくヒスイはブランから見て数年で一番楽しんでいる表情だった。


「火は危ないから、そこに座ってろよ」

「はいはい、火傷したくないし黙って待っておくよ」


肉に塩胡椒を振って、炙る。いいにおいがして……は、こなかった。

どろり、と肉が黒いゲル状の何かになって、そのまま火の中に落ちる。少し離れたところで座っていたヒスイも、ブラン自身も目を丸くした。


「こう、もっとじゅわーっとして、いいにおーい、な感じだよね?」


自信なさそうにヒスイが聞く。もちろん、そんな簡単には加減良く焼けたりはしないのだが、まさかこんな状態になってしまうとは…と少し困惑する。他の肉も魚も、結果は同じだった。

ヒスイの作ったレタスとトマトのサラダはいくら待ってもあのゲル状にはならなかったので口にしてみる。ドレッシングがあればよかったのだが、あいにくそういったものは手に入らなかったのでそのままだ。

トマトのみずみずしい味とレタスのシャキシャキ感を感じながら、ブランは険しい表情のままだった。

彼にとってあのゲル状は屈辱以外のなにものでもない。ヒスイの世話と言うのは、もちろん、食事の世話なども含まれる。
常に傍で家事スキルを上げてきた彼がたかだか肉を焼くくらいのことで失敗するはずがないというのが彼の自負だし、ヒスイ自身、それは理解している。


「噛む時は舌に気をつけろよ」


こくり、と頷いたヒスイに再度思考をめぐらせる。なぜだ、なぜだ…?
彼女のいうここが"現実"なら、失敗などありえない。


「あのさ」


重々しく、ヒスイは口を開いた。
一度口を大きく開けて中をブランに見せた後、言葉を続ける。


「もしかして、ブランは料理ができないんじゃないかな?」

「そんなわけないのはお前だってわかってるだろ?俺は……」

「違うの、兄さんじゃなくて、ブランが、だよ」


彼女の話を要約するとこうだ。

向こうの自分、つまり<タツミ>は料理ができるし、掃除もできる。
しかし、それは向こうの体の場合だ。

逆を考える。こちらの世界の<ヒスイ>は召喚獣を自由に召喚し、操れる。
だからといって"現実"の<ミズキ>は扱えない。

当たり前のことの逆の現象が起こっているのかも、というのはヒスイの推測だ。


「つまり、知識があってもスキルをおぼえてない状態なんじゃない?もしかしたら、ココアだってスキルがあれば作れるのかもしれないし」

「でもあのココアは<大地人>から仕入れたココアなんだぞ?もしそうだとしたら、あいつらにもスキルがないってことになるだろう」

「そこなんだよねえ〜……」


サラダの咀嚼を開始したヒスイはまた黙る。彼女は小さい頃からブランと約束していることがある。食べている時は話さないこと。
咀嚼に集中して、話し始める前に口の中を見せるということ。

なーんかひっかかるんだよなあ、とぼそりとブランがこぼす。ヒスイも小さく頷いた。
味気ないサラダを完食して、口の中を見せて、ヒスイは立ち上がった。


「じゃあさ、確かめにいかない?」

「へ?」

「ココアを売ってくれた人にさ、確かめに行けばいいじゃんか!」

「は?いや、お前、だって相手は<大地人>だぞ?」

「だから?」


きょとん、としてヒスイはブランを見やる。その様子にブランも目を丸くする。
少しの沈黙が続いて、ああ、とヒスイは理解したように頭を回転させた。


「つまりブランは相手がノンプレイヤーキャラクターだから、会話が成立するはずがないって思ってるの?」

「それは……」

「さっきも言ったけれど、ここはリアルだよ。リアルなら、話せたりするはずじゃない?言葉が通じるならね」


まったくもってこの妹はどうかしてる。ブランは大きくため息をついたが、もうつっこみを入れる気力も残されていなかったため、火を消して片づけを済ませ、薄暗いアキバの街に戻ることにした。




2015.10.28





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