◎v0.03 : chance
結果は惨敗だった。
否、収穫はあった。宿に泊まった彼女たちは次の日の朝に"水ココア"の<大地人>に話を聞きにいったのだ。
ヒスイが懸念していた"言語の問題"やブランの"NPCに話が通じるか"という懸念も全くの取り越し苦労であり、<大地人>は少し怪訝な顔をしたものの彼女たちに教えてくれた。
そう、<メニューコマンド>から作成する方法を。
彼女たちは<メニューコマンド>をすっかり失念していたのだ。
なぜならばヒスイはこの世界を"現実"だと思っているわけだし、確かに彼女の言うとおり、この世界は"奇妙にリアル"なのだ。
そしてその<大地人>から朝食用のサンドイッチを購入して(昨晩はサラダだけで済ませてしまったためかなりの空腹だった)、街外れにある大樹…とはいっても街には大樹だらけではあるのだが…の一角に腰を落ち着けた。
「いただきます」
ヒスイが手を合わせ、ブランも同じように手を合わせる。
買ったのは水とサンドイッチというシンプルすぎる食事ではあったが、"水ココア"も"ミネラルウォーター"も味が変わらないのであれば安いほうがいい。
サンドイッチを口にする。記憶の中のサンドイッチの味を、味覚が期待する。
しかし、あまりにかけ離れたそれに思わず顔をしかめる。
ブランもそれは同じだったみたいで、眉をひそめた。
「離乳食」
「湿気た味なしせんべい」
ほぼ同時に口にすると、近くにいた冒険者がぶ、と噴出した。
顔を上げると全身鎧の青年が笑っている。「同じ感想だ」どうやらヒスイに言っているらしく、彼女も彼に微笑んだ。
「ひどい食事だね、これ」
「ああ、だよな。塩かけると塩味になるぞ。まっ、湿気たせんべいだけどな!」
笑う彼の助言通りに塩を振りかけて食べてみる。確かに、塩味の湿気たせんべいだ。彼女はそれでも幾分か食べやすくなったそれを咀嚼する。終わった後、舌を少し確認してから再度彼に向き直る。
立ち上がって、片手を少し服で拭いて差し出した。
「私、ヒスイ。しがない<召喚術師>だよ、よろしくね!」
「俺はブランだ。<盗剣士>と、こいつの保護者をやってる。よろしくな」
「俺は直継、<守護戦士>だ。よろしく、嬢ちゃんっ!」
ふたりは<守護戦士>直継と握手をかわす。そのままどしんと直継が腰掛けたので、昨晩余ったトマトを勧めておいた。
素材そのものは味がするので直継も遠慮なく手を伸ばす。
「トマトには砂糖だとおもうんだよね〜」
呑気なヒスイの声に好きだもんな、とブランがほがらかにいう。
砂糖も勧められた直継は控えめに、トマトにかけてみる。
なるほど、酸味と甘みがほどよく手を取り合っていて、悪くはない。
こういった発想は"湿気た味なしせんべい"な世界ではかなり重宝する。そのままスイカに塩をかける派だとか、きゅうりには何をつけて食べるだとか、くだらない話で盛り上がる。
直継にとって彼女たちは異質だった。こんな世界になったというのに思ったより悲嘆に暮れているようにも思えなかったし、混乱して危害を加えてくるようでもなかった。
略奪とは無縁の位置にいるような、ほがらかな雰囲気。
それでいてゆっくりと時が流れているかのような、錯覚。それがどこから生まれる余裕なのか、直継は少しばかり気になった。
直継、と後ろから知った声がして彼は振り返る。買い出しに行ってきた連れが戻ってきたらしい。
「やっぱり果物関係はかなり売れちゃってたよ……えっと、そちらの方は」
「おかえり、シロエ。ちょっとした交流をな。
こっちの嬢さんがヒスイ、そこのエルフ族がブランだ」
ふたりとも片手を差し出す。連れのシロエも少し驚いた表情をしながら片手を差し出した。
まさかマリ姐ほど落ち着いた…いや、彼女以上に余裕のある冒険者がいるとは思わなかった。
失礼だと思いながらもふたりのステータスバーを盗み見る。<召喚術師>と<盗剣士>…どちらもギルド未所属。
彼らも同じなのだろう、とシロエはステータスバーから意識を外して彼らを見る。
自分にとっての直継が、彼らにとっての互いだった。だから、比較的穏やかで、くだらない会話を全く知らないだろう相手の直継とできたのだ。こんな状況であるにも関わらず。
「<付与術師>のシロエです、よろしく」
途端にブランが難しい顔をしたのをヒスイは見逃さなかったが、すぐに彼女は意識をシロエに向け直した。
<付与術師>は不人気のクラスだ。敵に対するデバフや、味方を援護するバフには長けているものの、個人の攻撃面はかなり劣っている。つまり、ソロが苦手なタイプだ。
直継は屈強な<守護戦士>だが、防御に優れているだけで攻撃力があるわけじゃない。
同じタンク…壁役であるならば<武闘家>のほうが攻撃力の面では優遇されている。
逆に彼女たちの組み合わせはいい。どちらもダメージディーラーではあるが、<盗剣士>のブランは簡易の壁役を担えるし、<召喚術師>のヒスイはダメージディーラーを兼ねつつ危なくなれば回復役にもなれる。
お互い本職に及ばないとはいえ、狩場を拡げられる組み合わせである。
「<付与術師>でレベルカンストなんてすごーい!」
「もう"カンスト"じゃないんですけれどね…」
そういえばそうだった、とヒスイは笑った。
このゲーム、エルダーテイルは現在<ノウアスフィアの開墾>のパッチがあたっていると思われる。
そういえば、とブランが思い出したように顔を上げた。
「<ノウアスフィア>って"人間の思考の圏域"…だかって意味だったかな」
「それ、どういう意味?」
ヒスイが尋ねると勉強しろよ馬鹿娘、と彼は眉間に皺を寄せる。
これにシロエは苦笑したが、直継は黙っていた。彼もヒスイ同様まったくわかってないタイプの仲間である。
ぴゃーっ、とヒスイは直継の隣に逃げて、「わかんないよね!?普通はわっかんないよねー!?」と同意を求めている。
「詳細説明は省くけど、近年は"インターネットで集積された情報が、何らかの知識進化を遂げるかもしれない"なんて予測の比喩に使われることが多かったらしいが」
「なんていうかそれ、"ハカッタ"ようなタイトルなんだねぇー」
ヒスイは興味なさそうにトマトをつまむ。しかしその言葉にシロエの表情は曇る。
彼女の言うようにこのタイトルで、この現象。それが"図った"のか"謀った"のかまではシロエにも、恐らくそう口にしたヒスイにもわかってはいなかっただろうが、その言葉はシロエの心に深く沈んでいった。
「ふたりとも、外には出てみた?」
ヒスイが空気を変えるように明るい声でシロエと直継に問いかける。
それを受けて「おいおい、冗談だろ」と直継が顔を引きつらせる。何が待ち受けているかもわからない外の世界に行くなんて正気じゃない、と。
直継のその言葉に首を横に振るのはブランだ。
「今なら略奪者も少ない。略奪者個人ならそれほど恐ろしくないし、組織化するにはあと一ヶ月ないぐらいは、かかるだろうからな。
外に慣れるためにも近いうちに出たほうがいいぜ」
「なるほど、ブランさんの考えは一理ありますね」
シロエも同意する。
が、当のヒスイは目を丸くしている。「ブラン、そんなこと考えてたの!?」その言葉に「そんなことも考えてなかったのか!」とブランが驚く。
どうやら彼女はどちらかというと、頭の回転が良くないほうなのだろうな…その様子にシロエは微笑んだ。その視線に気付いたヒスイも恥ずかしそうに、頭を掻いてはにかむ。
それがあまりにも純粋で、シロエの心臓が一度、強く高鳴った。
「…?」
自分でも理解できない不整脈のようなそれに奥歯を強くかみ締める。
すぐに落ち着きを取り戻して、彼女たちに向き直る。
「そういうおふたりは、もう外に?」
「うん、近場だけどねー」
「外の様子を聞いてもいいですか?」
シロエの一言にヒスイより先にブランが答える。「わかる範囲でな」その様子にシロエが驚く。
同時にヒスイの視線はふたりの表情に向けられる。
ああ、一気に"良くない雰囲気"だ。
ふたりの会話を邪魔しないように直継を見上げる。視線に気が付いて、彼が笑顔を作った。
「難しい話はわかんねえよなあ」
「さーっぱりだよ。こまっちゃうね」
それからふたりは先の"くだらない話"をふたりで続けるのだった。
2015.10.29
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