v0.04 : warning





一日目に比べてよりハードな敵を相手に避けて、飽きたら倒す、といった訓練をした昨日の午後。
エルダーテイルにきてから三日目となった今日も、ブランは二人分の朝食と昼食を買ってバッグにつめる。便利なバッグでよかったと心底思った。

彼女は昨日の場所にいるだろう。運が良ければ、直継と。
そうでなくとも少しの自由な時間を満喫しているだろう。

わかったことがある。

この世界での自分たちの体はレベル90、つまり旧パッチまでのカンストレベル相当に丈夫になっている。
それがどの程度というのはわからないのだが、少なくとも彼女の私生活の怪我についてはそれほどひどいものはないだろう、というのがブランの見解だった。

もちろんだからといって目を離したりはできるだけしたくないのだが、彼女はそのことに喜んでいるし、初めて得たただひとりの時間を…それが一時間に満たない程度のものであったとしても…満喫する権利くらいは与えたいと思っていた。
彼女は怪我に弱いのではないのだから。人並みの行動であれば、もちろん彼女がそれを認識できずとも、多少の怪我で済むはずだ。

それに加えて、この世界の怪我は回復魔法で治すことができる。
これは訓練中のブランの怪我を彼女が治したことからはっきりとわかっている。どの程度の傷で体力、つまりヒットポイントがどの程度削られるかまではわからないのだが、多少の怪我であれば彼女自身癒すことができるだろう。

課題として残された疑問はバッドステータス…彼女たちはDebuff<デバフ>と呼んでいる…についてだ。

これは相応の治療薬がないと回復できない。
風邪なども所謂バッドステータスに属するのだろうか?それは罹ってみないと解決しないだろう。

ブランは昨日の直継の言葉を思い出して、できるだけ果物を買うようにしていた。幸いそれほど値上がりはしていなかったとはいえ多少は上がっている。魚や肉類はむしろ値が下がっているように見受けられた。
元々安い値であるのでブランにはそれほど違いは感じられないのだが。

買い物を済ませてヒスイのところに戻ろうとする道、見知った顔が行く手をやんわりと阻んだ。


「久しぶりだね、<竜使い>のブランくん」

「……クラスティ、さん?」


<狂戦士>に似つかわしくない知的な風貌に、久方ぶりの再会(しかも現実になったエルダーテイルで)というのにも関わらずブランは相手が誰かすぐに理解できた。
一歩斜めに引いた場所で丁寧に頭を下げるのは確か部下…というよりは秘書なのだろうか…の高山三佐。

お久しぶりです、軽くブランが頭を下げる。
最後に会ったのは確か数年も前のことである。まとまった時間を日本サーバーで過ごしたのは今を含めなければもう数年前のことになるのだ。


「三年ぶりくらいかな。君たちが巻き込まれているだろうことは予想できていたけれど、まさか日本サーバーにいるとは思わなかったよ」

「はい、戻ってきてすぐのことだったので。本来なら二週間後にはロンドンでした」

「彼女は元気かい?」


眼鏡の奥にある瞳が光ったような、そんな気配をブランは感じた。
彼は昔から何かとヒスイを欲しがっている日本人のひとりだった。世界規模で見ればヒスイを欲しがる人間はかなりいる。
自分はそれほどでもないにしろ、邪魔にもならないためほとんどがセットで欲しがられていたが、その真意は彼には痛いくらいよくわかっていた。

彼、<D.D.D>のギルドマスターであるクラスティは、フレンド登録をしていないのにも関わらず自分たちが日本サーバーにいる間、どこからともなく現れて、そして自分たち…おおよそは彼女に対して…を勧誘するのだ。

「ええ、元気にやっています」そつなく、会話をこなす。


「こんなことになって身寄りもないのは心許ないだろう?良かったらいつでも<D.D.D>に顔を出してくれると私も嬉しい」

「それはありがたい申し出です、感謝します」


心にも思ってないことを棒読みで述べると、クラスティは首を横に振る。


「こんなことになったのだよ、ブランくん。彼女が特別であることに気が付いた人間が善人だとは限らないだろう?
 それに、三日目にして治安は既に悪化している…女性ひとりで歩かせるのも危ないときたものだ」

「それは……」

「君と私は、関係がよくないとはいえ知己であることに違いはない。君に当てがあるのであればそれで構わないが、そうでないのならばいつでも頼って欲しい。タダじゃないけどね」


ぞわり、と悪寒がはしる。

このテの人間はこれだから嫌なのだ、とブランはひとり心の中で愚痴る。
彼はおそらく、寝床と身の安全の世話をしてくれる代わりに、ギルドメンバーの特訓に付き合えだの、レベリング狩りに付き合えだの要求してくるに違いない。
ブランにとって、スパルタ教官はヒスイだけで十分なのだ。


「いやだなあ、ヒスイくんほど私はこわくないだろう?」


しかも心を読むし。

はあ、とため息を吐きながらも一応頭の片隅にはこの申し出を憶えておこうと彼は決心した。もちろん、それは最終手段である。
彼の言うとおりヒスイは確かに(日本だけをとってみればそれほどでもないにせよ)世界規模で考えると有名であるし、彼女にとって悪い申し出ではないはずだ。
それは彼女を一番に考えているブランにとっても同じこと。

そうして半ば強制的にクラスティ、三佐とフレンド登録を交わして彼女のところへと走った。
こうしている間にも彼女は悪人に連れて行かれてしまうかもしれない、クラスティの言っていることは的外れとも言い難いものだった。

買い物中、<NPC>相手に力技でゴネる<冒険者>を見かけた。恐ろしいことではあるのだが、この世界には法もなければ秩序も無いのが現状だ。秩序の反対語は混沌、まさにそこに向かおうとしている。

今の状態だけでは済まなくなるかもしれない…不安が心に侵食してくるのを感じて彼女の元に急いだ。


「あ、ブラン!おかえりー」


いつもと変わらない笑顔で手を大きく振るヒスイの横には、彼女と同じように手を振る直継と、控えめに頭を下げるシロエがいた。
どうやらふたりと仲良くなったらしいヒスイは楽しげに話していたくだらない話をする。

ブランは、直継に対しては好感を持っていた。時折「おパンツ」だの「なんとか祭り」だのというが、基本的には世話好きで、頼りになる人間という印象だった。
それは彼が<守護戦士>だからそう感じるのかもしれなかったが。

一方シロエに対しては、少しばかりの警戒心を抱いていた。
それは彼がブランに対し警戒心を抱いていたからというのもあるのだが、どこか余所余所しく、情報を探っているようにも見えたからだ。

思慮深く臆病な性格であることがうかがえたが、やはりまだ得体の知れない、といったところが正しい見方のような気もする。

……もう何年前になるか、ブランとヒスイは彼に出会ったことがあった。

ヒスイはそれを憶えていないらしい(元々記憶力の良いほうではない)。逆に、シロエ本人も覚えていないだろう。
そもそもあのときのヒスイは今の"ヒスイ"、つまり召喚術師でもなければ"ヒスイ"というキャラネームでもなかったのだから当たり前なのではあるが、ブランはそのときも<盗剣士>で"ブラン"のままだったのだから悲しいものだ。

確かふたりとも同じくらいで、ヒスイが中学生の頃だったか。その頃は<神祇官>であったのだから憶えていないシロエに非はないが。


「おはよう、ふたりとも。"湿気たせんべい"は済んだか?」

「あれはもう限界だっつーの…食う気が失せるんだから、ダイエットとかにいいかもなあ」

「確かに痩せそうだよね…」


げっそりとして言うヒスイに「じゃあ、たっぷり贅肉を落とそうな」とブランは朝食の"湿気たせんべい"を手渡す。
途端に嫌な顔をするヒスイを尻目に彼はシロエを見る。

彼もブランを見ていたようで目が合った。「ブランさん」シロエは口を開く。


「略奪者が既に動き出しています。治安は昨日より確実に悪化しています。
 ヒスイさんをなるべくひとりにしないように気をつけてください」


まさか、クラスティと同じことを言われるとは。
思わず苦笑するとシロエが戸惑いの表情をすこしだけ見せた。


「何か、おかしいことを…?」

「ああ、違うんだ。知り合いにも同じ事を言われてね、焦って買出しから帰ってきたところだったんだよ。君たちがいてくれてよかった」

「そういうことでしたか」


シロエはほっとしたような顔で微笑む。

どうやら自分たちの内情が探られるものだとばかり思っていたブランも少し考えを改める。
もしかしたら彼は与えた情報分くらいは、別の情報を自分たちに教えてくれるつもりなのかもしれない。

ならば昨日の狩場についても少し情報を与えておくか…<付与術師>のシロエなら、色々情報を得られる知り合いが多そうだし。

打算的な思考ではあるが、ほとんど金なんて役に立たないこの世界では情報が金銭のようなものである。
もっともどの世界であってもそうだとは思われるが、この世界の情報はそれ以上の価値を感じた。
もちろんそれは目の前の彼であっても同じ考えであるだろう。こうして会話することでお互い何かを得ようとしているのは事実なのだが…。

ただ、昨日に比べると、シロエは少し丸くなったようにブランは感じていた。
それはおそらくブランに対してではなく、目の前の呑気な顔でおしゃべりを楽しむヒスイに対してが正解だ。

ヒスイも一見だけでは彼女の抱える闇なんて微塵も表には出ていない。
このまま彼女の笑顔が続けばいい。そんな彼の淡い期待は、すぐに崩れることとなる。




2015.10.30





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