v0.05 : distance





四日目の朝、ヒスイたちは彼らと出会うことはなかった。

賑やかな朝食を楽しみにしていたヒスイはあからさまに残念がっていたし、「勇気をだしてフレンド登録をお願いすればよかった…」と泣き言を漏らすほどだった。

この世界、エルダーテイルにおいてフレンド登録は許可制ではない。
遠くから登録することはできないが、目の前にいるという前提であれば相手の許可は必要ない。

普段は天真爛漫風にこの奇妙な世界を楽しんでいるヒスイも、どこか他人に対して一歩引いてしまう性格のようだった。
律儀といってもいいかもしれない。フレンド申請というのは、つまり"友人リスト"に載せる行為で、それは一方の強い意思ではなりたたないと彼女はおもっている。

その言葉を聞いて、ブランも慌ててヒスイを登録する。


「忘れてた。ヒスイ、俺をリストに追加しておけよ。じゃなきゃ<念話>も使えない」

「そうだった!いつもならサーバー移動後インしてすぐにやるんだけど、ずっとゴタゴタしてたし」


改めて登録する。ここ数日の様子からは暫く"元の世界"に帰れない雰囲気は見て取れる。
いつもなら数ヶ月で消えてしまうこのリストも、暫くは重宝するかもしれない。

愛おしそうにフレンドリストに載った兄の名を眺めるヒスイとは裏腹に、ブランはフレンドリストを開いてげんなりする。

愛する妹の名が三番目になってしまうとは、四六時中共に過ごしているからといってこれは不覚だ。

嫌々フレンドリストを確認した後閉じようとしたその瞬間、ブランの耳をつんざくような、けたたましい音が鳴り響いた。
慌てて周囲を確認するもヒスイは様子のおかしい兄をきょとんと見ているのみ。

慌ててステータス画面を確認する。<念話>だ。


「悪いヒスイ、ちょっと<念話>だ。もしもし?」

「もしかして、直継さんとか!?ねえねえ、誰なのブランっ」

『おや、今日はちゃんと彼女といるようですね』

「うげ……」


一番声を聞きたくない相手との<念話>に思わず本音が出かかるブラン。その様子にヒスイは静かになる。彼女としては「なんだ、直継さんたちじゃないのかあ」といったところか。

ぽんぽんとブランがヒスイの頭を撫でるが、ヒスイは不貞腐れた表情で地面の苔を毟って八つ当たりを始める。


「ヒスイがスネてるんで、手短にお願いできますか」

『それじゃあ手短に。<D.D.D>のギルド本部へ来てくれるかな』

「は、なんで…」

『手短に、だからね。待っているよ』


ブチ、と一方的に<念話>を切られてしまう。昨日の今日で一体何の用が、と悪態をつきたくもなったがこの世界だ。
昨日と今日では状況がまったく異なる。今日は朝にしてはかなり遅い時間だ。

いつもはあまり睡眠をとらないヒスイだったが、どういうわけか今日はぐっすりと眠っていた。
寝ているヒスイのステータス画面を盗み見た時に<MP>が少し減っていたのが気になった程度だが、何か召喚でもしていたのだろうか?


「ヒスイ、体調は平気か?」

「え、うん。終わったの?」

「ああ。今日は少し予定変更だ。<D.D.D>に寄っていく」


それって。ヒスイが顔を引きつらせると同じような顔をしたブランが頷く。
やだやだとジタバタ暴れるヒスイの首根っこを掴んでブランは引き摺っていく。ブランだって、嫌な気持ちは変わらない。

……が、クラスティが用も無く呼び出すはずもない。彼がどういう男かというのは、ブランもヒスイもちゃんと理解しているのだから。

なんだか街が騒がしい。耳障りな噂話がブランの長耳にまとわりつく。
さっさと済ませて静かな場所にヒスイを連れて行きたい。ピリピリしているブランの表情に、ヒスイの心も曇っていく。




案内された部屋の奥にクラスティはいた。応接室らしいその部屋はシンプルながらも気品があり、家具を配置した人物のセンスがあらわれている。
高山三佐が小さく頭を下げ腰をかけるようすすめた。


「突然のお呼び立て、申し訳ありません」

「三佐さん、お久しぶりー!リアルで見ると美しさが倍増するねえ」

「こらヒスイ。すみません、三佐さん」


高山三佐に引っ付きそうになるヒスイを押さえて、ブランが頭を下げる。少しだけ目を丸くした高山は小さく首を振って「いえ」とだけ残し奥へと消える。

名残惜しそうにヒスイはソファへと腰をおろした。


「やっぱ美人は羨ましいなあ」

「だからって引っ付いちゃダメだ、ゲーム時代とはもう違うんだからな」


いかにもわかってないヒスイの「わかってる」に、はあ〜…と深くため息をつく。もう何度目になるかわからない。
扉の外からはひそひそと噂に花を咲かせる声が聞こえてくる。

「なあ、あれが例の<召喚術師>なのか?」
「あんなへっぽこそうな女の子が…?」
「世界中のサーバーを渡り歩いたって本当かよ」
「日本からじゃラグがひどくて攻略にならないよな」

ぐ、と拳を作り強く握る。
ヒスイが注目されるのは仕方ない。でももし、自分がもっと活躍できていたなら、この耳に障る噂話の中心は自分であったかもしれないのに。本当の彼女は、仲間すら腰を抜かすほどに、強いというのに。

それでも声を上げられない自分に嫌気が差す。
ここで本当の彼女の姿を話し、彼女がその力を見せることは難しくない。でもそうしてしまったが最後、彼女は姿を隠していられなくなる。
常に羨望と嫉妬の渦中に放り込まれ、安息の地も無く、すべてが終わってしまう。

それが、彼女たちが<D.D.D>およびギルドに所属しない本当の理由である。
もちろん、海外サーバーに移動するごとにフレンドリストやギルドは白紙に戻るのも大きいが、まとまった期間滞在できた時も彼らはギルドに属さなかった。


「さあ、散りなさい。客人の前で無礼です」


ぴしゃり、と芯のある声がしてふたりは顔を上げる。

重い扉を開けて入ってきたのはクラスティその人である。流石のギャラリーも散っていったようで、扉の先には静寂が戻ってきているようだった。
申し訳ありません、と彼の背後に立っていた高山三佐が再度頭を下げる。ヒスイにはあの野次馬の話し声が聞こえていなかったようで「なにが?なにがー?」とブランを問い詰めるように強い視線を向けているだけだ。

聞こえていなくてよかった、とブランは内心胸をなでおろす。
彼女は普段の性格によらず繊細な面がある。もちろん、戦闘中以外の話だけれど。


「お久しぶりです、クラスティさん」

「やあヒスイ、元気だったかい?そろそろ<D.D.D>に加入するつもりはないかな?」

「毎回言ってますけど遠慮しまーっす。その話をしに呼んだわけじゃないんでしょう?」


途端にヒスイの目つきが鋭くなる。

彼女にはエルダーテイルの世界の戦いにおける才能の他に、もうひとつ、才能があった。

それは人の考えを見抜く力。
とはいってもはっきりとわかるわけではない。あくまで感情から推測するというもの。
表情から、視線から、言動から、仕草から。その相手のあらゆる"情報"から相手の思考を探る天才。

恐らく、クラスティも(大雑把だとはいえ)彼女に近い才能、もしくは知識、経験がある。
そうすると厄介なことに表情の読み合いになってしまう。

だから、ヒスイはクラスティが嫌いだから<D.D.D>本部に訪れたくなかったのではない。
ただほんの少し、面倒くさいなあと思ってしまうだけなのだ。

彼女は表情は読めるが、表情を隠すことに関して言えばドがつくほど下手なのだから。


「ヒスイ、私は貴女のことを気に入っているんです。警戒されると傷ついちゃいますよ」

「はいはい。話を戻しましょう」


ヒスイは冗談として流したが、クラスティの言ったことは前半は本当だ。それは彼のヒスイに対しての執着からも読み取れるし、彼女自身もそれは理解している。だからあえて冗談として流した。
"これ以上は表情は読まない"といった彼女なりの戦意喪失の合図である。

その返答にクラスティも納得したのか話を戻す。


「私の情報筋によると、君たちは初日から長時間街の外に出ているそうだから、街の情報に疎いんじゃないかとおもってね」

「か、監視されてる……」


さー…とヒスイが青ざめると「愛ゆえだから許してくれると嬉しい」とクラスティが笑顔を貼り付ける。その笑顔は偽者だが、その言葉はあながち嘘ではないようで、ヒスイは小さく悲鳴をあげる。


「まず、ギルドが集まり始めている。街の治安が悪化していることから、自分のギルド以外を敵と認識する人間が増えてしまっているとの報告があがっている。
 このも例外ではなく、ほとんどのギルドメンバーが集まっている。

 そして本日のビックニュースだが…今朝方、<大聖堂>から帰還した<冒険者>があらわれた」

「っ……!」


その報告に一気に緊迫した表情になるのはブランだ。ヒスイは「なに?どういうこと?」とキョロキョロとふたりを交互に見やる。

クラスティはじっとブランを見つめたまま黙っている。
これは、説明する意思がないと彼から言われているような気がして、ブランは重い口を開いた。


「……<PK>が始まるんだ、ヒスイ」

「<大聖堂>と<PK>が、どうして、つながるの?」

「<冒険者>に"死"は存在しない。快楽的に殺人をおかしても、重罪にはなりえないからだ。
 この無秩序の中に<PK>が生まれると、組織ぐるみのも増えていくと予想される。
 俺が最初に予想していた一ヶ月程度の期間よりずっとはやく、性質の悪い<PK>が出歩くことになる」


<冒険者>は死んでも蘇る。その事実だけで、そんな暴挙に及ぶプレイヤーがいるとは…

縋るようにクラスティに視線を向ければ、彼もまた、全く同意見だと顔を伏せた。


「幸い、街には衛兵が存在する。…ですが、"戦闘行為外の嫌がらせ行為"については衛兵システムは稼動しないというのがこちらの情報です。
 また、街の外に一歩でも出れば、それは<PK>可能ゾーンに出たという認識になります。
 快楽殺人の犠牲者は、まず初心者が妥当…」


クラスティの重々しい言葉に、ぎり、とブランは唇を噛む。
正義感の強い彼にとってこの世界は耐え難い状態へと悪化している。どれだけ経験を詰もうとも、彼はいつだって初心者プレイヤーに親切にしてきたというのに。

もう閉じて欲しいクラスティの口は、まだ、ゆっくりと開く。


「また、街では初心者への<ギルド>の勧誘行為が横行している。それ自体は悪いことではないように思える。
 ですが……初心者ばかりを集めているギルドがあるのも事実存在する」

「いったい、何の目的でそんなことを?」


それほど悪い行為には思えないその報告にヒスイは俯く。悪いわけではないのに、何かひっかかる。

「現段階では断定はできないが」クラスティの言葉にブランの唇に血が滲んだ。ヒスイはそっと無言で<召喚>する。
小さな妖精がヒスイの手の中の光から飛び出して、ブランの噛み切られた唇を癒しに駆け寄った。


「<EXPポット>を売るためだと私は推測している」


落ち着いた、その重い言葉に、ヒスイは息苦しさをおぼえる。

<EXPポット>とは、レベルの低い、初心者を救済する目的で配られる特殊なアイテムである。
一日一度配られるそれは、不幸にも取引が可能だ。

そして現在、<ノウアスフィアの開墾>が実装され、レベル上限は100になったとされている。
<冒険者>がゲームと同様に不死身であるのならば需要はうなぎのぼりだろう。とくに〔大手の戦闘ギルド〕に需要が高いはず。


「クラスティもっ…!」

「我が<D.D.D>の方針については口外するつもりはないよ、忠告のために呼んだのだからね。
 ただふたりとも…ギルドに所属しないのであれば、気をつけたほうがいい」


あっさりと締めくくったクラスティは立ち上がって「以上だ、ご足労感謝する」とだけ残し部屋を去る。

妖精が不安そうな面持ちでヒスイを見上げる。クラスティを問い詰めようと中腰になったままの姿勢をソファへと落とし、自分がどうするべきか、何ができるのか、重い空気に心を溶かして、静寂を深く吸い込んだ。




2015.10.31






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