v0.06 : idea





ここ一週間のふたりといえば、ほぼ一日中<D.D.D>のギルドハウスに入り浸っていた。

表向きには『互いのプレイヤースキルを高めるための合同訓練』として、モンスター相手ではなくプレイヤー同士での練習試合を重ねていた。
ブランは愛剣のシミターを踊るように繰り出していく。対峙する<守護戦士>の体力が彼の剣技に侵食されているのが手に取るようにわかった。

追加ダメージマーカーを確実に狙いを定めた<デュアルベット>を繰り出す。
剣戟を、他の誰にも視認させるわけにはいかなかった。誰よりも速く、誰よりも精確に。
一発を外してしまった瞬間に舌打ちが出るが、そのほとんどは追加ダメージマーカーにヒットしている。

彼はこの場に居合わせたどの<盗剣士>より速く、どの<盗剣士>より精確だった。

素早く<守護戦士>から離れる。HPはもうすぐ枯れてしまう。練習で死人を出す必要はない。
その意図に気がついて<守護戦士>も下がる。代わりに出てきたのは<盗剣士>と<暗殺者>のふたりだ。

上等、とシミターを構えた。風を切るように、消えた。

「兄さんはなんだってできるよ」

彼女の無邪気で無責任な声が聞こえた気がした。
頬が緩む。お前ひとりで、遠くへは行かせないさ。また一段階、彼の速度が上がる。




彼女はというと、クラスティのいる執務室に置かれている上質なソファに腰掛けている。

この訓練を申し出たのは他でもない彼女だというのに、案の定、彼女は参加しない。
彼は尋ねた、「訓練という口実に私を見張るつもりか」と。

嘘を吐くのは得意ではない彼女は正直に(嘘を吐くかどうか悩む素振りすら見せずに)ひとつ頷いた。
ならば自分の傍で見張れば良い、と提案したのはクラスティ本人だ。

尤も、彼女は自分が頭が良いともキレるとも思っていないし、正直なところ執務室にある報告書のひとつだって完全に理解できているものなどなかった。
それでも彼女本人はそれほど気にかけてもいない。元よりクラスティが自分の前で何か重大なミスを犯すとも考えがたい。

ただ彼女は、彼の良心に訴えかけるためにこの場にいるのだ。

それに彼女としては兄であるブランのこともあった。彼は努力家だが、自分のことを心配するあまり自身のことに集中しきれていないのだ。
クラスティに愛妹を預けている、と彼を納得させられれば、彼も自分のことに集中できる。

それにクラスティは、彼女の体のことを知っている。以前ブランと話した際に聞いていた情報だ。もう数年前のことになるが。
興味本位で聞いたことを少しばかり恥じはしたものの、それ以上の言及はしなかった。

だからこうして、彼女に気を配りながらも報告書を目でなぞっていく。

それにしても静かだ。何をしているのだろうか?
不思議に思ったクラスティが視線を上げる。HPは減っていない。"怪我をしていない"ということになる。
しかし、MPが時折急激に減っていく。


「ヒスイ、何をしているのですか?」


暫くは返事が返ってこなかった。ぷは、と小さく息を止め続けていたときのような呼吸音がして、ヒスイは彼に視線を向ける。

どう説明すべきか困ったような、そんな表情を見せる。


「あのね、私、感覚が鈍いじゃない?」

「ええ、そのようで」

「だからかわからないけれど、以前<幻獣憑依>を試したときに、本体がオートにならなかったの。
 ぼーっと突っ立ったまま瞬きすらしなくて。憑依した体で小突いてみても、避けようとする様子も見せなかったんだよね」


<幻獣憑依>中の<召喚術師>本体は彼女のいうようにオート状態にすることができる。
勿論簡単な命令を出すことも可能だが、彼女にはそれができなかったという。

後衛の<召喚術師>、しかも体力の低い<法儀族>の彼女が戦闘中に棒立ちするなんてことはあってはならない。
彼女はそう考えているらしい。使わないという選択肢はどうやらないように見えた。


「だから私、逆にしてみようかなって」

「逆とは?」

「私が幻獣に憑依するんじゃなくて、私に幻獣を憑依させるの。私のままでね」


相変わらずめちゃくちゃなことをさらっと口にするお嬢さんだ、とクラスティはため息を吐く。

しかしそれ以上は言及しなかった。MPが減っている理由を突き止めるという当初の目的は果たされたのだから、彼がこれ以上話を続ける理由はなかった。
好奇心はないとは言い切れなかったが、彼女が成功すれば面白くなるし、失敗するのならばそれまでだ。

ゲームシステム的には確実に失敗するものも、彼女の自信満々の姿には何も言えなくなる。
まるで確信があるかのように続けるその特訓は、このエルダーテイルに閉じ込められて二日目から既に実践していたという。
そしてそれは確信に変わる手応えを彼女に与えている、というのが本人談。

他人に口を挟む権利などどこにもない。


「武器…これでもないのか…」


ぶつぶつと魔導書をしまう。クラスティの前だからこそ取り出す彼女のメイン武器であるその魔導書は禍々しい妖気を放っている。
ただの"幻想級"魔導書ではない。それを持つものは極めて稀である。

ごそごそとしまいこむ。次に彼女が取り出したのは、美しい装飾が施された短剣だ。


「スティレットですか」

「種類は"misericorde"だからミセリコルデ、が正しいけれどそうだよ。ユニーク武器だけど…」


僅かに彼女の眉が動いた。何かに気づいたように、先ほど懐に戻したあの禍々しい魔導書を取り出す。

剣が反応した。それはクラスティにもはっきりとわかった。
キィン、キイイン、剣の叫びともとれる金属の震える音が鼓膜を刺激する。輝いた切っ先を魔導書に向ける。頁が剣から発生する魔力の影響で捲られていく。

止まった頁から、一瞬何かが飛び出したようにクラスティには見えたが、あまりのはやさにそれが本当に存在したかどうかも、ハッキリと断言することができなかった。

ぱちくり、とヒスイは二、三度肩をぐるぐるとまわした。軽く跳ねてみて、ぴたり、と止まる。

ぼんやりと宙を眺めながら首をかしげる。


「コウ、デン?」

「香典?」


クラスティも真似るように首をかしげる。

うーんうーん、と唸っていたヒスイだったが、考えることを諦めたようにクラスティを見た。
彼女の頭はあまりよくないため、5分以上同じことは考えても無駄だと割り切ってしまうらしい。わからないことはわからない、ブランにでも後で聞こう。そんなあんばいである。


「私、ブランのところにいきたい」

「はあ…さっきのアレはいいんですか?」

「たぶんだけど、完成したから」


何がどう完成したかの説明は最初からするつもりはないようで、つまり、さっさと私を案内しろ、といった視線を感じたクラスティは大げさにやれやれとヒスイの手を握る。
迷子にならないでくださいね、と手をひいてやれば大人しくついてくる。

普段から過保護すぎるとブランをからかっている彼だが、なるほど、こうして大人しくついてくる彼女を見ていると庇護欲がわいてくるのも事実だ。
たまに視線をちらちらと物珍しげに揺らすが、必死に歩くことに集中しているのだろう。
変な歩き方をしたとしても、彼女は自分ではうまく気づけない。

広いハウス内を少し歩いて、広い闘技場に出る。水筒から水を取り出して口に含むブランが邪魔にならない位置で座って練習試合を観戦していた。


「ブラン!」


ヒスイが兄の名を呼ぶと、彼は軽く手を振る。

練習していた者たちも我が主の姿を確認して敬礼する。止めてくれるなと、クラスティはいつも思っていた。しかし、ひとつ頷けば彼らはまた再開するのでわざわざ口にはしない。

ミロード、と高山三佐が傍に立つ。


「経験値の上昇はやはり見込めませんでしたが、彼との練習で少しずつ体に慣れ、上達を見せるものも多いです」

「そうですか。やはりブランは強いですか?」

「はい、かなり」


いつもヒスイを支えようと躍起になっているシスコンのあの兄は、自分ではまだまだだと謙遜しているが、相当の実力者だ。
それもそのはずで、ヒスイと付き合って難関レイドをいくつもクリアしてきた猛者である。世界中に散らばったレイドを、知らない相手と。

ヒスイの戦闘の腕は確かにすごいのだが、彼女はただの廃人プレイヤーだ。
しかしブランは少し違う。彼女とは違い頭もきれる。伝えたいことを伝えるために現地の言語をほぼ完璧に覚えてしまうほどに。
そして何より世渡りがかなりうまいのだ。ヒスイは少し引っ込み思案なところがあるため、彼女としても彼がいなければここまでにはなっていなかっただろう。

だからあのふたりは他人から見れば引くレベルで、いつもべったりだ。

駆け寄ってきたヒスイの手と腰に手を添えて支えたブランはため息をつく。


「危ないから走るな。転んだらどうするんだ」

「ナメときゃ治るっておじいさまがおっしゃってたじゃない。
 ね、それよりブラン、私と試合してよ」

「は!?お前、自分のクラスを忘れたのか?<召喚術師>なんだぞ?」


普通、<召喚術師>が<盗剣士>に敵うことはない。いくらソロ性能が高い<召喚術師>とはいえ、流石に<盗剣士>相手には分が悪すぎるのでは。
そう口にするつもりでヒスイを見たとき、首にぴたりと、冷たい切っ先があてられる。

目の前のヒスイは消えている。今の今まで感触はあったのに。

振り返る。彼女が意地の悪い顔を浮かべていた。


「これでも、<召喚術師>相手には戦えない、と?」


ブランが跳んだ。広い場所まで飛ぶように駆けた。フードの深いローブを外したヒスイもついてくるように駆ける。
そのままミセリコルデを突きつけようと跳んでくる。

ひゅん、と風を切る音。ブランの髪がほんの少し宙に舞う。


「何したんだよ、お前」

「"カミサマ"にお願い、だよ」


いつの間にか誰もが戦う手を止め二人を見ていた。ほう、とクラスティが彼らを見る。
面白い。誰もがそう感じていた。あんな<召喚術師>は見たことがない。

視線が集まると同時にブランは居心地が悪くなる。
ここで自分が引いてしまったら(それはきっとヒスイにはバレるだろうけれど)、おそらくここにいる殆どのものは自分が敗れたと思うだろう。
<盗剣士>が<召喚術師>に競り合いで負ける。

そんなことは、プライドが許さない。

ブランの目つきが変わるのをヒスイは感じた。兄の本気モードなんて久しく見られていないのだから、その気迫にぞくりとする。
兄さんの役に立ちたかった。私がいたら兄さんは、私の世話ばかりしてしまう。
だから兄さんの役に立てるように、手に入れた力で、兄さんの相手をしよう。

金属のぶつかる音が響く。どちらも一歩も引かぬ攻防が、ギルドハウスの中央で繰り広げられた。




2015.11.05





back

ALICE+