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朝、目が覚めたヒスイはきょろきょろと部屋の中を見渡した。
昨晩はブランと死闘めいた試合を長時間繰り広げてしまったことで彼女のMPはすっからかんになっていたため、窓のから見える日は随分と高くなっていた。今日も熟睡してしまったな、と硬いベッドから体を起こした。

結局、ブランには敗れてしまったヒスイだったがこれといって気にする素振りもなかった。
彼女はブランの練習相手になりたかっただけなのだ。彼を打ち負かすつもりで挑んだとはいえ、相手は本職である。

そんな彼はヒスイの遅い起床を察してか書き置きを残して宿を先に発っていた。

買出しに行ってくる。うろちょろしないように。

そんなメモをくしゃりと丸めて、ゴミ箱にシュートする。スリーポイント、ヒスイは微笑む。
軽く水を浴びた彼女は早速書き置きをあざ笑うかのように街へと繰り出した。




朝から街は賑わいを見せていた。無理もない、<アキバの街>の夜は暗く、娯楽もないのだ。
外に出る人間が一週間前に比べると随分増えたとはいえ、日帰りできるような距離に出かける冒険者が大半だ。

電気もなければ水道もなく、井戸から汲み上げている状態である。
それでもヒスイはこの世界が好きだった。「不便を感じるからな、人は賢くあれるんだよ」大好きな祖父は田舎でいきなり牧場を始めたかと思えばそんなことに彼女とブランに言って聞かせた。
当時父は、相変わらず勝手な人だと呆れていたが、小さいころは長期の休みになると遊びにいったものだった。

そんな経験のあるヒスイは井戸で水を汲み上げるその手間も好きだったし、本当は自分が率先してやりたいほどだ。
それができないのはブランの監視の目が厳しかったからなのだが。

<大地人>が増えたな。冒険者は、あまり活気がない。日向にいるヒスイはフードの奥から木陰にいる冒険者を眺める。
みんなどこか遠くを見るようにぼんやりとしている。

-- なんだか、いやな雰囲気だな

ヒスイは駆ける。昨日のように憑依はさせてある。だから風のように駆けた。
あてもなく現状から逃げ出したくなったのだ。そういう気持ちがいけないのだと、彼女は自分で自分を叱咤することができずにいる。そういうのはブランの役目だった。

ふと目の前に知った顔があらわれた。シロエさんだ、声をかけようと近寄ろうとしたとき、燕のような少女が彼の傍に駆け寄った。
親しげに何かを話していて、思わずヒスイは声を飲み込み体を陰に寄せる。

過保護な兄の庇護下であるならばそれほど出てこない人見知りモードは、今はしっかりと発動している。

-- だって、私それほど親しくないし
-- 声をかけたら迷惑かもしれないし
-- ……でも、久しぶりに話したいなあ

街の外へと移動していく彼らの後ろを、隠れながらついていく。彼女の頭は話しかけるべきか、引き返すべきかでいっぱいいっぱいになっていて、街の外に出ていることまで気がついていなかった。

-- もし彼らがおぼえてくれていなかったどうしよう
-- さみしいけれど、ちょっとしか話してないし仕方ないかな

うじうじと悩む。ああ、ブランがこの場にいてくれたらいいのに。そうしたら気兼ねなく声をかけられるのに。
いつだって自分は"こう"なのだ。ヒスイは唇を噛みそうになって、慌てて歯を離した。口の中に血の味が広がる。

どれほどついて歩いたか、いつの間にか彼女のターゲットが減っていることに気がつく。

-- あ、黒い子が消えてる!

今なら話しかけられるかも、と身を乗り出そうとした瞬間、背後から気配を感じた。
振り返る。一瞬目が合ったそれに口を開きかけて、そのまま彼女は意識を手放す。

ずり、とローブを引き摺る。<召喚術師>の尾行には気がついていた<暗殺者>のアカツキは困ったように息を吐く。

様子を見ていたが襲ってくる気配もないし、かといってついてくるし、主であるシロエはそのことに全く気がついていなかったのだ。
悪意があるように見えないから始末におえない。とりあえず主君の判断を仰ごうと<召喚術師>を引き摺って木陰から出る。
彼女はそれほど大柄ではなかったが、小柄を極めるアカツキよりは幾分か大きい。

主君、不審者が我々を付回していたから捕獲した。如何すればよいだろうか。

そう問うだけだったが、それは別の気配によって言葉になる前に彼女の喉へと戻っていく。
代わりに響くのは金属音。

かろうじて、なんとか構えられた小太刀に、容赦なく降り注ぐ衝撃には彼女を怯ませるほどの殺気が含まれている。
物凄いはやさで減る体力が、あと一撃、というところで喉元に切っ先を突きつけられた。恐ろしいほどの剣技の舞は、怒りと侮蔑を孕んでいる。

死ぬ。この世界に訪れてから初めて抱いた危機感は、我が主の制止の声によって幾分か和らぐことになった。


「ブランさん!」

「ッ……シロ、エ?」

「誤解です、アカツキは僕の仲間だ!」


慌てて駆け寄ってくるシロエの足を止めるようにもうひとつの曲刀<シミター>を彼に向ける。
先ほどよりは殺気が消えたとはいえ、油断はできない。アカツキは突きつけられた刃の鋭い痛みを感じながら、その刃の主である青年を見上げる。

自分より、格上の相手だった。おそらくそこに転がっている<召喚術師>の仲間だろう。庇うようにして立っている。


「その、<召喚術師>が、私たちを尾(つ)けてきていたのだ。だから、脳震盪を起こさせた。それ以外、危害は加えていない」


アカツキがひとつひとつ、なるべく刺激しないよう言葉を選ぶ。
納得したのか<盗剣士>は刃をおさめた。それはシロエに向けられていたものも同様に、である。

悪かったな。回復薬を投げられた彼女はあっけからんと先ほどまで自分を始末するか悩んでいた青年を仰ぎ見た。
彼はそのまま倒れた<召喚術師>に駆け寄って、小さな手ぬぐいを水筒に入っていた水で濡らしてそれを彼女の額にのせる。
フードをとった<召喚術師>は法儀族の女性だった。


「ブランさん、ヒスイさんは大丈夫ですか?」

「君のツレの腕による。ま、大丈夫だろう。ったく…」


言葉とは裏腹に、彼女の髪を撫でる指は柔らかく、シロエはそのときに確かに特別な関係を感じた。
うっすらと棘が刺さった感覚を感じて胸をおさえる。大丈夫、自分は何も感じてなどいない。

誤魔化すように咳払いをし、改めてブランを見る。

そういえば彼が戦っているところを初めて見たな…と先ほどの戦いぶりを脳裏で再生させる。
アカツキは決して腕の悪い<暗殺者>ではない。むしろかなり腕がいいとすら思っている。

そのアカツキが、防戦を強いられてなお、あのHPの減り。
彼が情けで最後の一撃を待たなければ…そう思うと背筋が凍る思いだった。
あの時、確実にアカツキは"死んで"いた。

彼の装備しているものを、シロエは殆ど知らなかった。自身の知識が完璧だとは言わないが、多少の自信はあるつもりだ。
それが全くわからないとなると可能性はふたつ。シロエに知識がなかったか、彼が海外プレイヤーであるということだ。

その可能性はどことなく感じていた。アキバの冒険者にはアジアの血を感じる顔立ちがほとんどだ。
キャラクターを引き継いでいる分は端整ではあるのだが、どことなくぼやけた印象を与える。

しかしふたりは違う。
ブランはエルフ族というのも相俟ってはっきりとした目鼻立ち、眉の位置やほりの深さ、乱暴な印象を与える言葉の中のイントネーション。
今はフードを深くかぶってしまったヒスイの、あのくりくりとした丸い瞳。

もちろんアジア人らしい特徴も残しているが、シロエの推測はハーフか、クォーター。
閉ざされた彼女の睫毛は上品な長さで影を作る。

差別でも偏見でも嫉妬でもないのだが、だからこそシロエは彼らに異質なものを感じていた。
その違和感はおそらく正しく、この見たことのない装備が物語っている。


「シロエ」


唐突に名を呼ばれる。見ていてくれ、と言って立ち上がった彼はいまだ呆けたままのアカツキのほうへと歩いていく。
彼女は先ほどのことがショックだったようで、ただぼんやりと、まるで先ほどの試合を脳裏で再生しているかのように、ただただぼんやりとしていた。

彼は大人だ、おそらく、自分以上に。

シロエはヒスイの傍に腰を下ろす。間近で見るとわかる、透き通るかのような白くなめらかな肌。桃色の唇は血色がよく、艶を出す。
フードをかぶった姿を見るのは初めてだったが、このフードつきのローブはシロエにもわかる装備だった。日本サーバーのものだろう。
それほど珍しくなく、安価で売られている、カンストレベルの<後衛職>入門装備だった。

ブランと違って装備はこれといって珍しいものはなさそうだ。流石にまじまじと見るわけにはいかないけど。
目を先ほど去ったブランに向ける。彼は片膝を地面について、アカツキと目線を近づけようとしていた。


「その、悪かった。怪我は大丈夫か?」

「っ……ああ、もらったポーションも飲んだし、休憩したから回復している」


怯えるように一瞬反応したアカツキは、目線を下げて、まるで謝罪するかのように俯きながら質問に答えた。
百パーセント怯えきっているわけではない。身で感じた敗北に、何故か、理由を問いたくてもその疑問をかみ殺すかのように拳を強く握っている。

何度か頭を掻いたブランは彼女の前ではなく横に腰を下ろし、空を見上げた。


「結構<大規模戦闘>の経験があるんだよ、世界中回りながら、たまに知らない言葉のやつと拙いやりとりをしながらさ、たくさんこなした。ほとんどの日本人には体験できないようなくらい、たくさんこなしてきたんだ。

 だから……ってわけじゃないけど、そう落ち込まないでくれ。たまたま俺のほうがいい装備を身につけてたってだけなんだから、さ」

「……違う。装備の差はあれど、お前はもっと、こう…違う力を感じた」

「じゃあ毎日やってた鍛錬のおかげかもしれないな。こう見えて俺さ、結構強い知り合いがいて、毎日しごかれまくってたんだよ」


思い出したかのように苦笑するブランに、ようやく彼女は始めて視線をあげた。

自分を殺さんばかりに鬼気迫る形相はどこにもあとを残さず、彼の笑った顔には人懐こさと、少しばかり不器用なやさしさと、そして何より、自分のしでかしたことは自分で責任をとるというかのような真摯さを感じられた。
つまり彼はどうにかアカツキを励まさなければいけないと思っていて、先の戦闘行為を恥じ責任を感じているのだ。

だから、意地悪いことを言うつもりを少し混ぜて、アカツキは口にする。


「悪いと思ってるなら、私に稽古をつけて」

「……へ?」

「数日でいいから、頼む」


どうして強くなりたいか、そのときアカツキにはまだわかっていなかった。
だがそれでも強さを欲したのは事実、真っ直ぐな燕の願いを、ブランはいまだ目を覚まさないヒスイに一度向けてから、思案を少し、そしてアカツキに視線を移した。


「俺なんかでよければ。俺はブラン、よろしく」


右手を差し出される。今度は戸惑わず、アカツキもしっかりと握り返した。


「<暗殺者>のアカツキだ。よろしく頼む、"師匠"」

「げっ、その呼び方は勘弁してくれよ……」


ふたりの<攻撃役>が挨拶を交わしたあたりで目覚めたヒスイが、まだボロボロのアカツキを見、兄に問いただし、叱り付け、彼女を回復するまでもう少し。

真上にのぼっていた太陽が少しばかり傾き始めていた。





2015.11.08





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