◎32 : 魅了
地鳴りかと思うほどの声援の中、あたしは、キラキラとした紙ふぶきの中大きなトロフィーを空に掲げた。
それがもう10年以上前のことにように思えてくるほど、あたしは疲れていたらしい。
あれからまだ、24時間も経っていない。
燦々と降り注ぐ朝日に目を細めれば、ぐ、と後ろから腕が回された。
寝てたんじゃ、と振り向こうとすれば腕の力が強くなった。
「おはよう、紅霞。」
「
なんで俺だって判った?」
「なんとなく、」
顔を上げれば、むっつりとした彼の片目があたしを見る。
ホントは足音とか、腕のかたちとか、においとか、独特の温かさを保つ体温とか。
そういったもの全てがあたしに安心感を与えて、見なくても、紅霞だってわかる。
けどそんなこと本人に言えば笑われそうだから言わないけれど。
整った鼻が首筋に押し付けられる。そのまま、暖かく柔らかな何かが押し当てられて、次の瞬間には鋭い痛みがあたしの感覚を支配した。
「いっ…!」
「
悪ィ、美味そうで、つい」
ぺろり、とあたしの肩を舐める。恐らく、噛まれて、血が出たんだろう。
じっとりと紅霞を睨めば小さく笑った。
「
これで、俺はお前のもんなのか?」
「…へ?」
「
白波が、歌詞を……っ、なんでもねェよ!」
「あぁ、…あれかぁ」
緩んだ腕の中で身体を半回転させる。困惑した紅霞の顔が可愛くて、つい吹き出してしまった。
案の定一瞬にして不機嫌になった紅霞はもう一度首筋に顔を埋め、血を吸うように、強く噛み付いた。
「ひぁっ…こ、う…!」
「
感じてンの?じゃあヤっとくか」
「はっ…!?」
つ、と首筋を舐められて、上手く抵抗できずに彼の胸を押せば、彼はニヒルに笑った。
「
ヨくしてやンだから、黙って任せとけって」なんてあたしのパジャマの中に手を入れてくる。
腰を撫でられ涙が出そうになったそのとき、ひゅん、と風を切る音がした。
壁に刺さっている、葉っぱ。
ぴたり、と紅霞の手が止まる。
「
いいご身分だねぇ、紅霞クン?僕を差し置いてヒスイを襲うなんて流石馬鹿だね、この後どうなるか考えた?」
「
ハッ、草如きに俺様が負けるかよ」
「
それはヤってみなきゃわからないでしょ♪」
紅霞があたしから身体を離して般若のような翠霞に向き直ったその時、紅霞の頭に白波のいい拳骨が落ちた。
クリーンヒットした紅霞は言葉にならない叫びを上げてその場に蹲る。
「
お2人とも、朝から喧嘩はやめましょう。でも疲れていて抵抗できないヒスイに襲い掛かるなんて野蛮も良いところですよ、紅霞」
「え、別にあたし疲れてな…」
「
さぁ翠霞、朝ご飯を作るのを手伝ってください。
真紅、真紅!貴方も起きて紅霞がヒスイを襲わないようにちゃんと見張っていてください!」
あたしの意見は総シカトされて(…)白波は翠霞を連れて簡易キッチンの方へと足を運んだ。
「
ん〜…」と眠そうな真紅の声が聞こえて、ベッドに足を運ぶ。
小さくなって寝ている真紅の黒髪を少し撫でると、つり上がった目が開いて、赤の瞳があたしを捉えた。
「
ヒスイ…?」
「まだ、寝ててもいいよ?今日はジム戦に行こうと思ってるんだ、真紅に期待してるんだからね?」
「
んっ…」
小さくて短い手が伸びて、あたしの腰にまとりついた。
ぎゅ、とあたしのお腹に顔を埋める真紅の髪を撫でれば、復活した紅霞があたしの隣にどさりと座った。
ベッドが揺れて、ぎしりと軋む。
「
チッ、いいとこで邪魔されたな。」
「どこがいいとこなんだか…」
「
ヨガってたくせに、テレんなよ」
だ、誰がよが、よがってなんか…!口を開けば、彼が笑ってあたしの唇を覆うように手で塞いだ。
に、と笑った彼の唇の間から尖った八重歯が見えた。(犬歯?)
あれであたしを噛んだのか、どうりで痛いはずだ。
手で噛まれたあたりに触れれば、にやにやと嫌な笑みを紅霞が作る。
「
綺麗に痕がついてンな。俺がお前のもんなんじゃねェ、お前が、俺のもんなん…ぶっ
」
「あっ」
紅霞が言い切る前に、寝ていたはずの真紅が無茶な体勢から紅霞の顎に一発、蹴りを入れた。
きちんと綺麗に着地して、真紅はじ、とあたしを見る。
今日は散々な紅霞を尻目に(自業自得だ!)真紅の頭を撫でる。
「よくやったよ、真紅!これでコガネジムも余裕だね!」
「
当たり前じゃん。トカゲくらい、余裕だし」
「
てっ、めぇ…!」
ぎゅ、と抱きついてくる真紅に(こんなに甘えてくる子だったっけ?)紅霞が舌打ちをした。
どうやら小さい子に手を出すのは抵抗があるらしい。(このあたりは常識人なのか)
キッチンから良い匂いが漂ってきて、エプロンをつけた白波があたしたちを呼びに部屋に顔を出した。
ジムの看板には、"ダイナマイトプリティギャル"とでかでかと書かれている。
扉をくぐれば花と、僅かに、香水の匂いがした。
いつものことながら、「おーっす!」と声がかかった。
「未来のチャンピオン!WICで足止め喰らってたんだろう?大変だったな!」
「こんにちは、随分お久しぶりな気がします。」
「おうおう!チビ助は元気そうだな!」
髭面を真紅に向けた彼はにかっと笑った。
前回あたしが血相を変えて真紅を抱えて出て行ったことを彼は知っている。だからだろう、真紅の身体を気にしてくれていたんだ。
なんとなく嬉しくなって足にしがみついてる真紅を抱き上げた。
「はい、前よりずっと強くなったんですよ!」
「そりゃあ良かった!ここのジムリーダーのアカネはノーマルタイプのポケモン使い!
格闘タイプが有利だ…が、オスのポケモンは気をつけろよ?」
「…皆男の子、なんですけれど」
「おーまいがっ!アカネのポケモンの脅威はなんてったってメロメロだ!
メスのポケモンを出してくるアカネは脅威だぜ…」
じゃ、俺はおねーさんを見てるから!びしっと手を上げた彼はジムの内部に入っていった。
単純におねえさんが見たかっただけなんじゃないだろうか、とすら思える彼の行動に苦笑しつつも、後を追うように足を踏み入れる。
高いところに上がったり、とりあえず広いジム内に(でもハヤトさんのとことかツクシくんのところよりはまだマシだ)(花壇や塀がピッピの形をしているだけだもんね)歩き回っていると、お姉さんがちらり、とあたしを見た。
「あら、すごくキュートなポケモンね。おねーさんと勝負してみない?ボ・ウ・ヤ♪」
「あ…(坊や…か…)、はい、お願いします」
ぺこり、と頭を下げると、腕の中にいた真紅がするりと抜け出してあたしの前に立った。
瞬間、頭の中で声が聞こえた。
《
ヒスイ、ボクが技を教えるから、ちゃんと覚えてよ》
「しん、く?」
こくり、と彼は頷いた。黒の毛がふわふわと揺れる。目の前に現れたニャースに臆することなく、立っていた。
そうか、波紋…?だっけ。心の中に直接訴えかけることができるんだった、彼は。
頭を切り替えて、頑張らなくちゃ。もう二度と真紅を傷つけたくない。
「真紅、電光石火!」
「ニャース、ひっかいて!」
ニャースの鋭い爪が真紅の肌を掠め取ることもなく、彼は素早い動きでニャースに体当たりする。
途端、あたしの頭の中でまた真紅の声がした。
《
追い討ちをかけるよ、…発勁》
「っ…真紅、発勁!」
ポケモンに指示されるトレーナーって、なんて思いつつ、真紅の言ったとおり発勁と叫ぶ。
真紅の手から弾かれるようにしてニャースが吹き飛んだ。そのまま花壇に直撃していく。
大きな音を立てて崩れた花壇の下で、ニャースはぴくりとも動かなかった。
「ああん、もうっ!おねーさんの負けだわ!」
ニャースをボールにしまったお姉さんから賞金を頂いて、真紅を抱いた。
ふわふわの毛が指先に触れる。
『
ね、アフロになんか、教わらなくてもいいでしょ』
「そうだね、真紅、すっごく強くてかっこよかった!流石あたしのナイトさんだね」
柔らかな頭を撫でれば、恥ずかしかったのか、ぐっと胸に頭を押し付けてくる。
ああ、可愛い。癒されるー。ぎゅうと抱きしめれば、テレたのか慌てて暴れた真紅が腕から抜けていった。
すると、ピンクの少女があたしをキラキラとした瞳で駆け寄ってきた。
「アンタ強いねんな!それ"Monarch"がつけてたペンダントやん!何処で買ったん?
うち、ここのジムリーダーしとるアカネいうんよ。」
「えっと…ヒスイです、初めまして」
「礼儀正しい坊ちゃんやわー!バトルしにきたんやろ?ほな、使用ポケモンは2対、悪いけど勝たせてもらうで!」
ひゅん、とボールを投げてくるアカネさんにあたふたしてボールを投げた。
真紅はとりあえず、今は出さないで様子見することに。あの技があれば苦戦することはない、と思いたい。
ボールから出てきたのは、我らがベイリーフの翠霞だ。
『
ヒスイ、ボール適当に投げたでしょ』
「え゛っ…そ、そんなことないっす。翠霞のメガニウム姿がはやくみたくて!ね!」
『
…まぁ、そういうことにしておいてあげるよ』
ふう、とため息を一回ついた翠霞を(捕まえた)真紅を腕に抱きながら見る。
なんだかんだいって、ほら、やる気だ。
目の前にいるのはピッピ。ピッピはというと…メロメロボディ、だっけ?
「翠霞、ピッピに触れないように注意して!マジカルリーフ!」
『
僕がヒスイ以外の女に現を抜かす筈がないでしょ?まぁ、その作戦には賛成だけど、ねっ!』
「ピッピ、往復ビンタや!」
桃色の柔らかそうな身体が動いて、ピッピの小さな手が翠霞の頬にあたった。
マジカルリーフがピッピの身体に向かって当たるが、まだ戦えるように立っていた。
だけど、翠霞は何処かピッピをうっとりとした目で見つめていた。
「翠霞、葉っぱカッター!」
あたしが叫んでも、ぴくりとも動かない。どうしたんだろう、と彼を見れば、うっとりと笑った。
『
ヒスイ、僕に手を上げるなんて…おしおきが必要だね…?』
「…翠霞さん?」
「ピッピのメロメロボディの虜になってもうたな!ピッピ、はたく!」
ピッピがアカネさんの指示に従って翠霞のほうへと再度走っていく。
ど、どうしよう、メロメロ状態の翠霞をどうしたら正気に戻させることができるか…
ピッピの手が翠霞の顔にあたる直前で、蔓がピッピの手に絡まった。
そのまま身体を縛り上げる。
『
いくら僕の可愛いヒスイだとしても、僕より上に立つことは許されないんだよ…?これだけ調教したのにまだわからないなんて、』
『
ひっ…アカネ!なんかコイツキモいわ!』
「なんでメロメロ状態にしたんにピッピに攻撃できるん!?」
三者三様、というのはこのことなのか。完全にピッピをあたしだと勘違いしている翠霞に、縛られたピッピ。
それに困惑しているアカネさん。どうやら、あたしは指示を出さなくても勝てそうだった。
翠霞の性癖が垣間見えてこの時ばかりはポケモンの言葉が理解できる能力を恨んだ。(すごい恥ずかしい…!)
ちまちまとマジカルリーフや蔓の鞭で削られるピッピは精神的にも肉体的にも疲労して、ついには倒れてしまった。
なんて不本意な勝ち方なのだろうか。
『
もう無理やわぁー!うちの貞操がぁぁっ!』
「な、なんでや…確かにメロメロにしたはずやのに…」
『
僕から逃げられると思ってるの?ヒスイ、堪忍するんだね』
逃げ回るピッピを執拗に追いかける翠霞を無言でボールにしまうと(…)、ピッピもようやく落ち着いたのかボロボロの身体で泣き始めた。
ああ、なんだかすごく悪いことをした気がする。
呆れて言葉も出ない真紅がもぞもぞと動いた。
『
次、ボクを出すんでしょ?』
「そうだけど…真紅、あのね、」
ごにょごにょと耳打ちをして、真紅を解放する。
うん、メロメロにならずに勝てる方法、これならばっちりだ。
シンプルに、勝つ方法。それは。
「いくでミルタンク!」
「真紅、お願い!」
ひゅん、とミルタンクの前に立った真紅。両者がにらみ合う。
大丈夫、大丈夫。だって真紅はすごく強いんだ。もう、あんな風に傷ついたりはしない!
「ミルタンク、メロメロや!」
「真紅、背後に回って発勁!」
巨体が、吹き飛ばされて大きな音を立てた。
2009.11.21
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