◎34 : 至福
高いビルに囲まれて、眉をひそめる。
地下通路、と聞いたものの、どこから入るんだっけ…と辺りを見回す。
みんなはボールに戻している。なんでかっていうと、こうして探し始めてもう1時間も経ってるし。
これからエンジュシティに向かわなくちゃいけないのだから、こんなことで疲れさせちゃ不味い。
記憶が定かであればバトルを申し込まれるはずだし。
ぐぅ、とお腹が切なげに鳴いた。困った、昼食もまだだったんだ。
足もいい加減痛くなってきて、しまいにはいい匂いがしてくる。
なんだろう、シチューかなぁ。
ふらふらと匂いに誘われるままに歩いていくと、海の匂いとシチューの匂いに包まれた庭先で、たくさんのイーブイに囲まれた男の人と目が合った。
あれ、この人、あたし知ってる…?
どこで見たんだっけ、とイーブイたちとその彼を眺めていたら、ふと、彼と目が合った。
「なんや?イーブイが珍しいんかいな」
「え、あ、ごめんなさい。可愛いから、つい見惚れちゃって」
せやろー、と嬉しそうに笑う彼。あ、思い出した。
WICの司会のマサキさんだ。
イーブイズがお腹減ったー、かまってかまってーと可愛く鳴いていて、マサキさんが彼らの頭を優しく撫でる。
「コイツらはみんなわいが育ててんねん。かわええのは当たり前や!」
「そ、そうですか…あ、ごめんなさい、道をお尋ねしてもいいですか?」
広くて迷っちゃって、と笑えば、「コガネは都会やさかい」と彼も笑う。
ゲームではずっとシンプルで狭かったから、迷わなかっただけで。
実際にはこうも広いのだ。
彼は快く笑って了承してくれた。「実は、」と口を開いたその時、大きく鈍い音がした。
ぐうぅ〜と切なげに声を上げる腹の虫に、妙な沈黙があたりを包んだ。
「……」
「…………プッ、くふ、ぶはっ!」
「わ、笑わないで下さい!」
「あーはっはっは!!なんやねん今の情けない音!」
腹を抱えて笑い始めるマサキさんに恥ずかしくて顔が赤くなるのがわかった。
い、一生懸命我慢してたのにっ!
涙を浮かべてひーひー言ってるマサキさんに怒るに怒れず睨んでいると、ぽんぽん、と頭を撫でられた。
帽子の上からだけど。
「そない迷子なっとったんか、大変やったなぁー…ブフッ」
「お、思い出して吹き出すなんて…!」
「せやかて、あのなさけなー音は堪忍やわ…!ぶははっ!」
彼に引っ張られて真っ赤な顔をしたまま家に招待されると、足元にイーブイたちがいっぱい寄ってきた。
踏んづけそうになってその場で止まると、マサキさんが(ちょっと笑い涙を浮かべて)あたしをひいていた手を離した。そのまま、イーブイたちを簡単に誘導して玄関を開けた。
「はよ入りぃや」
「え?あ、はい、お邪魔します…?」
中に入ると(靴を脱がない家だった)、綺麗な女性が台所から出てきた。
イーブイたちと、マサキさんと、それからあたしを見て「あら?」と笑う。
「マサキのお友達?昼食ができているけれど、食べていくかしら?」
「あ、えっと、あの、道を聞きに…」
「せや、ダチにメシ食わせたって!もーペコペコで腹の虫が鳴きっぱなしやねん」
クックッと笑うマサキさんの言葉に驚いて、あの、と小さく袖を引っ張れば、彼は黙ってウィンクをする。
どうやら彼女は彼の母親で、ご馳走してくれるらしい。
肝心の地下通路への入り口についてまだ聞かせてもらえてないし、お腹が限界そうにきゅるきゅる言うので、お言葉に甘えさせていただくことにした。
目の前に運ばれてきた熱々のシチューと焼きたてのパンがあたしの食欲をそそって、手を合わせる。
匂いだけでもよだれが出てくるそれを一口口に含む。んーっ…おいし!
パンも勿論美味しくて、ちょっといただく予定が目の前の皿はすっかり綺麗になくなっていた。
「ご、ごちそうさまでした…」
「流石やわ、しっかりキレーに食べよる!腹いっぱいになったんか?」
「はい、すっごく満たされましたー」
ぽかぽかする身体に思わず顔が緩んでしまう。そんなあたしを見て彼は「大袈裟やなぁ」とまた笑った。
よく笑う人だなぁと彼を見れば、ぴ、と名刺をあたしに突き出した。
彼の母は台所に食器を片付けに既に立ち上がって後姿を向けている。
「わいはマサキ、ポケモン預かりシステム考案者や。つこーたことある?」
「いえ、ポケモン、4匹しか持ってないから…でもお名前は耳にしたことはあります。
天才、でしょ?」
「ようわかっとるな!じゃ、ほな目的地に向かおかー」
にこ、と笑った彼に手を引かれて(「あ、イーブイたちばいばい!おじゃましました!」)ぶらぶらと一緒に歩く。
地下通路の入り口は入り組んだところにあったけれど、そんなに歩かない場所にあったためさして長い時間彼と一緒にいることができたわけでもなく。
「あの、送っていただいてありがとうございました!」
「そないな小さいこと気にすんなやー」
「あと、ごちそうさまって伝えてください」
勿論、と彼は笑ってあたしの頭を撫でた。すぐに背を向けてしまった彼に少し寂しさを感じて(もしかしたら忙しいのかもしれない)(一応、偉い立場みたいだし)軽く手をあげて、あたしは薄暗く変なにおいのする地下通路の階段を下りる。
ゆっくりと目を凝らして一段ずつ降りれば、足元できらり、と何かひかった。
「なんだろ、これ」
拾い上げてみれば綺麗な飾りのついた…かんざし。
しゃらしゃらと手の中で音を奏でて、それを見ながら降りればこんな場所に似つかわしくない女性があたしを見た。
舞妓さんだ、かんざしって時点で予想はできたけれど。
「あんさん、うちのかんざしをご存じないどす?踊っとるうちに落としてしもたんどすけど…」
「これですか?」
手をそのまま差し出せば、ゆっくりと彼女はそれを受け取る。
舞妓さんが歩くたびにからんころん、と静かな地下通路に響いた。
「これやわぁ、おおきに、ヒスイはんやろ?」
「え、お会いしたことありましたっけ…?」
「タマオはんから聞いたんよ、そない驚くことやありまへんえ…うちはコモモ、これはおおきに。またお会いしまひょ」
ふふふ、とかんざしを嬉しそうに握って去っていくコモモさん。
うーん、ということは、無事にタマオさんとコウメさんはコガネに着けたってことなのかな。
それはいいことだよね、と軽くなった足取りで地下通路を進むと(途中でハドルをしかけられたけど)無事に下っ端さんの働く場所まで辿り着いた。
カウンターに座っていた彼はあたしを見た途端腰を上げる。
「あ、ずぶ濡れ帽子!来てくれたのか!」
「下っ端さんー!」
ようやく会えた!長かった!と彼の手を握れば、嬉しそうに写真を指差した。
「撮ってくんだろ?ほら、ポケモン出して準備しとけよ!」
「てんちょー!」と叫びながら奥に行く彼の言葉に、ボールのボタンを全部押す。
勢いよく彼らが飛び出てきて、特に紅霞が、あたしをじっとりと睨みつける。
『
いくら動いてねェとは言え、俺らだって腹減るんだが』
「……あっ!」
『
「あっ」じゃねーよ!』
『
やめなよ紅霞、真紅だって黙ってるのに君みっともないよ?』
うるせぇ!と噛みつかんばかりに紅霞が翠霞に対して牙を見せる。
ああ、すっかり忘れてた…あんまりにもお腹が減っていたから、と言い訳したところで聞いてもらえそうにない。
紅霞の言い分は尤もだし、ね。
「ごめんごめん、これ撮り終わったらたっぷり食べてよ」
『
…チッ、自分ばっかりいいモン食いやがって』
『
まぁまぁ、ヒスイにも悪気はないのですから…』
白波が紅霞をたしなめる。紅霞を一番扱えるのが白波なんだから、なんだか不思議だ。
流石お兄さんってところだろうか?
でもなんだか悪いのでポケモン用のお菓子をみんなに渡せば、嬉しそうに真紅がそれを受け取る。
リオルの時は紅霞より小さかったのに、今はリザードの紅霞よりも背が高い。
人型をとったときは全然紅霞のほうが背が高いのだけれど。
あたしと同じくらいある真紅の身長に慣れずに苦笑すれば、嬉しそうに細められていた赤い瞳を少し開けて、照れたように顔を背けた。
…別に嬉しそうにお菓子を食べてるところを笑ったわけじゃないのに。
(嬉しそうだとわかるのはあたしぐらいかもしれない)(普通のトレーナーから見たらちょっと不機嫌そうに見えると思うくらいの表情だ)
奥から戻ってきた彼がカメラを掲げた。もうお菓子を食べ終わったみんなもカメラを向く。
あーあー紅霞、食べかすつけてるし…。
「そのリザード、間抜け面のまま撮ってもいいのかー?」
『
あ゛!?誰が間抜けだって…!』
『
食べかすつけたまま威嚇しても誰も怖がってはくれないと思うけどね?』
『
ッ…!っせーよ!』
ぐっと乱暴に口の周りを擦る紅霞。デキた弟を持つとお兄さんも大変だよね、と紅霞に言えばすごい嫌そうな顔をした。
でも食べかすをつけた顔は確かに"マヌケ"で可愛くて、ついつい笑うと紅霞は真っ赤になって牙をむき出した。(元々赤に近いからほとんど色の変化はないけど)
ついには真紅まで笑うと、紅霞もついに怒るに怒れずに項垂れた。
わかってるよ、昼食を忘れたあたしのせいでお腹が空いてたことくらい!
でも、可愛かったんだもん仕方ないでしょ?
「ほらほら、紅霞も笑わないと、仏頂面のまま撮るの?」
『
うっせぇ…もうほっとけよ…』
「悪いけどずぶ濡れ、もう撮っちまったぞ」
「えぇーっ!?」
だって紅霞笑ってないのに!と文句をつけようと下っ端さんに顔を向ければ、彼は既に奥に入っていってしまった。
これから焼くのかもしれない、と鞄から本当のご飯を出してみんなに配った。
どれくらい時間がかかるのかはわからないけれど、これからエンジュシティに向かうのだからしっかり食べてもらわなくちゃ。
紅霞が心なしかぎこちない動きでご飯を食べていた。多分、さっきの食べかす事件をきにしているんだろうな。
くすくすと笑えば、じっとりと睨まれる。
「食べかすがついてもちゃんと拭いてあげるから、がっついたらいいのに」
『
それじゃ、ヒスイはアンタのお母さんってワケだね』
喉の奥で笑うように、押し込めた笑いを紅霞に向けた真紅にいい加減キレた紅霞がご飯そっちのけで真紅に襲い掛かる。
真紅が軽々とかわしてあたりが戦場になる前に食べ終わった翠霞と白波が紅霞を止める。
そんな光景をぼんやりと眺めていれば、「なるほど、」と後ろで声がした。
いつの間にか戻っていた下っ端さんがあたしの隣に立つと口の端を上げる。
「お前に助けられたのは、俺だけじゃないんだな」
「…下っ端さん?」
「ここに就職できたときさ、お前に一番にこれを礼としてあげたかったんだよ」
珠がついたブレスレットをあたしに渡す。よくわからず、受け取ると、「ここ引っ張って」と指示される。
言われたとおりに軽く引っ張ってみれば、珠から小さな光が出て写真が映し出される。
食べかすがついた紅霞をみんなで笑っている写真。いつもと変わらない光景なのに、映像にしてみれば、みんなすごく幸せそうで。
そこに映るあたしですら、すごく幸せそうで。こんなの、現実世界じゃ有り得なかった。
頬が自然に緩めば、彼も笑顔でそれを腕につけてくれた。
「すぐにコガネを発つんだろ?」
「あ、はい」
そこの階段から出て左に曲がって少しのところがコガネの北ゲートだから、と彼が教えてくれて、ようやく、旅立てそうだと皆を見た。
紅霞は今度は翠霞に絡み始めたらしく、苦笑して、でもこの幸せを噛み締めながら彼と別れた。
相変わらず、あたしは"ずぶ濡れ帽子"のままだったけど。
2009.11.27
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