◎36 : 伝説
ぎしり、と床が軋んだ。中央には大きな穴があったけれど、そこまで行く勇気はあたしにはなかった。
外見も確かにそうだったけれど、中もかなりひどくボロボロになっていた。
焼けた塔の名に相応しく、あちこちが傷んでいる。
真紅についてきてもらっているけれど、白波にしたほうがいいかもしれない。
ないとは思うけれど底が抜けるかもしれないし。
ゆっくりと歩けばぎしり、と前の方から音がした。
金髪で、少しだけ垂れ下がった瞳があたしを見て、そしてにっこりと笑う。
あ、この人…なのかな。
「君は僕に用事がある。違うかい?」
「あ、えっと」
本当に彼がマツバさんだろうか?深い深い奥まった記憶を探るように眉間に皺を寄せたら、彼は少しだけ瞳を細めた。
「いきなり失礼だったね。僕はマツバ、ここエンジュのジムリーダーだよ。
…君の名前は?」
「名前までは流石のキミでも言い当てられないようだね!」
ばっ、と短めの白のマントを翻した彼はマツバさんの後ろから歩いてきた。
紫のスーツ、赤の蝶ネクタイ(?)、そして白のマント。この人…!
「ドラゴン使い…!」
「マントだけで私をドラゴン使いだと判断するのはやめたまえ」
独特の前髪一束を横に払って、彼はむっつりとあたしにそう言った。
だって、ドラゴン使い=マント=変な恰好っていうのがオーソドックスな判断基準だと思っていたし…。
にしても、こんな人ゲームで出てきたっけ?
あたしが首を捻れば、マツバさんが少し怒った顔で彼を制した。
「ミナキくん、君が見ていない間にスイクンが逃げてしまうかもしれないよ?」
「何ッ!?」
またマントを翻して彼は穴のギリギリまで行って下を見下ろし始めた。
そこから、スイクンが見えるのかもしれない。
マツバさんはそれを見て、続けてあたしを見た。
「ごめんね、彼はミナキくん。僕の古い友人ってところかな。」
「あ、ヒスイです。」
出された右手を握り返して、マツバさんの話を聞く。
大体は知ってる話だったけれど、要約すればこんな感じ。
エンジュには昔から、スイクン、ライコウ、エンテイという伝説のポケモンにまつわる言い伝えが存在しているらしい。
で、ジムリーダーの仕事として把握するのがお仕事、らしくて。
因みに彼、ミナキさんが覗いている大きな穴の下…つまりこの下の階には伝説と呼ばれている3匹のポケモンがいる。
スイクンの虜なミナキさんはこうしてはるばる遠くからエンジュまできているってことらしく。
ぎしりと軋む床にも慣れてきたし、ちょっと、覗いてみようかな。
なんて思って視線を辺りに向ければ、少し遠くに見慣れた赤く長い髪が見えた。
「彼は、知り合いかい?」
「えっと…そう、です」
友達だ、とは大きな声で言えず(だってきっと彼はそう思ってくれてなんかいないだろうし)言葉を濁した。
彼に話しかけようと踏み出そうとすれば、マツバさんがあたしの腕を掴んだ。
「あの…?」
「ごめんね、ヒスイちゃん。知り合いだとしても、彼の傍に寄らないでくらないかい?」
一体、どういう意味だろう。あたしはズバットちゃんと約束したし、彼だって、確かに目つきは悪いけどいい人なのに。
マツバさんはそれ以上何も言わず、だけど少しだけ強く掴まれた腕が小さく痛んだ。
きっと訳があるのかもしれないけど…だって真紅が黙っているんだもの。
真紅は波紋の力で人の心の中を見通すことができる。
理不尽なことじゃないから、つまり、あたしにプラスになることだから真紅もマツバさんに対して何も言わないってことで。
「真紅…」
『
黙って従っててよ。…全部は読めないけど、嫌な予感がすることは確かなんだから。』
でも、と口を噤んだ時、あたしの声が聞こえたのか視線を感じた。
あたしに気付いた彼は一瞬あたしを見て、それから、マツバさんを見た。
その瞬間彼はマグマラシくんを出してあたしとマツバさんの間に火炎放射を放った。
掴まれていた腕が解放されて、あたしは真紅に包まれる。
『
チッ…厄介すぎ。』
「お前ッ…コイツに何をしたんだ!!」
近寄ってきたシルバーくんがあたしに手を伸ばせば、マツバさんがゲンガーを出して彼とあたしの間に入る。
げ、ゲンガー…って…ゴーストタイプ…!(忘れてた!)
至って冷静なマツバさんが首を横に振って、幾分か背の低いシルバーくんを見る。
あたしは火炎放射にびっくりして座ったままだったからふたりを見上げているわけだけど。
「何もしてないよ。でも、君を彼女に近づけさせる訳にはいかないんだ」
「ハッ…王子様ってワケか?」
じろり、と今までに向けられたことがないくらい冷たい目であたしを見るシルバーくん。
なんでそんなに怒ってるのかわからないまま、その視線に耐えられず目を逸らした。
王子じゃなくて、彼はジムリーダーだと思うんだけれど。(そもそもこの国は王政じゃないんじゃないの?)(政治についてはまるっきり触れたことがないけれども)
「上等だ、マグマラシ!」
『
そないせかさんといてぇな。ま、気に食わんのは一緒やさかいな…』
ごう、と強くマグマラシくんの背に纏われた炎が大きく揺れた。
殺気立っているふたりを他所に、マツバさんはまた首を横に振った。
「君とはまだ戦う時じゃないようだね。ヒスイちゃん、ここは危ないからジムに戻ろうか」
「え、あっ」
ぐ、と強引なくらい強く立ち上がらせられて、ぐらりとよろける。
こんな人だっけ?マツバさんって、もっとこう、優しそうな感じの…
あたしが古い記憶を一生懸命引き出しているというのに関わらず、肩を思い切り掴まれて現実世界に引き戻された。
もう少し手加減してほしいのに、とシルバーくんを見れば相変わらず冷たい瞳が、ほんの少しだけ困惑したように一瞬揺れる。
「それで、いいのかよ」
「えぇっと…ほら、シルバーくん、」
これにはきっとワケがあって。そう口にすることも許されず、強い力で身体を突き飛ばされた。
マツバさんの手が離れて、慌ててあたしは体勢を整えようと足を動かせば、バキリ、と鈍い音がした。
…バキリ?
足が床に着いたはいいものの、床が、そのまま重力に従って落ちていく。
ついでにあたしの身体も一緒に。
「う、わっ…!?」
「ヒスイちゃん!?」
「…ッ」
『
ヒスイ!!』
穴は大きくなって、足だけじゃなくて身体をも巻きこむ予定らしい。
焦ったマツバさんの顔と、赤い目を開いたシルバーくんの顔が流れて真紅の手が伸びた。
掴もうとあたしも手を伸ばすけれど判断が遅れたように、触れすらせずに降下していく。
素早く近づく下の階に、来るべき痛みに身体を硬くした。
だけど瞳は閉じれないまま、青を捕らえる。
『
床が脆くなっている…お前が死ぬことは、まだ許されていない。
そうだろう?記録者の使者よ。』
「へっ…?」
柔らかな毛に包まれて、不思議な感覚のまま顔を上げれば硬い土と、水色の身体。
顔を近づけてくる"それ"は、確かに先程話に出てきた伝説で。
「スイ、クン?」
『
いかにも、私は人間たちからその名で呼ばれている。
そなたの名を聞かせてくれないか?』
キラキラの体毛(なのかな?柔らかかったけれど、毛というには少し違う)が宙で揺れて、重力を無視して浮いている。
重力を無視しているのはそれだけじゃなくて、白いリボンのようなものも彼(で合ってるかな、男の人の声だけど)の周りで浮いている。
やっと彼に助けられたことを理解したときには、黄色と茶色にも囲まれていた。
『
なんだ、まだガキじゃねーかよ。こんなんで務まんのかよー?』
『
そういう事を決め付けるにはまだ早かろうぞ、そなたとて若いじゃろう』
『
じーさんよりちょっと遅く生まれただけじゃん!たった数千年くらい…』
『
少し静かにしてくれ、この者が困惑しているだろう。』
貫禄のあるエンテイに、少し子供っぽいライコウ。
彼らを諌めるスイクン。初めて伝説のポケモンを見たというのに、彼らはあたしのすぐ近くで、しかも、あたしを置いて話を進めている。
し、心臓に、悪いような…。
心なしか少し疲れた気がして、一番話が聞けそうなスイクンの質問に答えるために口を開いた。
「あたしは、ヒスイって言います。あの、何か知っているんですか?」
あたしのすべきことを。そう続ければ、3人(匹?)は少しだけきょとん、とした。
次の瞬間にはぶっ、とライコウが盛大に噴出したわけだけど。
『
やったら肝が据わってやがんな、このガキ!おもしれーじゃねーの?』
『
成る程のう…良い眼をしておる訳か』
『
すべきことは為しているはずだ、そして、理解もしている。』
スイクンの顔が一瞬、頬に触れた瞬間に強い風を感じた。冷たいけれど、決して鋭くはない。
目の前から消えた彼らは穴の上からあたしを見下ろした。そして、背を見せる。
顔はそのままにスイクンが少しだけ笑った。
『
私たちはそなたがここまで来ることを見届けるために待っていた。
いずれ、瞬いた程の近い時に、会うだろう』
光る背がすぐに走り去って、誰かが叫んだ。
「スイクンー!」と叫んでるのは…多分マントの人、ミナキさんだろうけれど。
怪我ひとつ作らずに人生で最大の落下を体験したあたしの身体は、またも強い力で押さえつけられた。
座ったまま苦しいほどに締めつけられて、目の前に赤がちらついた。
「シルバー、くん?」
「ッ…悪い、悪かった、ヒスイ」
抱きしめられていることを理解したとき、震えている彼の腕に触れた。
少しぐらいは心配してくれていたのかな。いつだって、あたしが不安定なときは支えてくれてたもんね。
マダツボミの塔とか、コガネシティとか。
「大丈夫ですよ、ほら、怪我ひとつしてないし。だから…っ!」
もっと強く、身体が締め付けられる。でも、痛いのにくすぐったいような変な感覚と、ほんの少しだけうるさい心臓。
勿論、それはあたしの身体の中にあるほうね。
きっと締め付けられすぎてて酸欠なんだ、と彼の背に腕をまわす。ぽんぽんと叩けば、ゆっくりと身体が離れる。
一瞬見えた赤はすぐに逸らされた。だけど確かに彼の瞳は濡れていた。
彼が悪いわけではないというのに。
顔を逸らしたシルバーくんはそのまま袖で乱暴に眼をこすってあたしを見る。
どきり、とまた心臓が鳴いた。
「立てる、か?」
「わかん、ない…」
伸ばされた手を掴むために手を伸ばそうとすれば心臓がまた鳴く。
ああ、なんでこんなことくらいでドキドキしてるんだろう!
今度こそ手を伸ばそうとすれば、それはまたも阻まれる。黒のふわふわした毛に包まれた手があたしの手をとったからだ。
「真紅!」
『
…今すぐボクの視界から消え失せろ』
あたしを見ずに、真紅はシルバーくんを睨みつけて言った。
通じるはずもないと思っていたのは間違いだったようで、彼は、少し驚いたような顔をしてすぐに眉間に皺を寄せた。
ああ、「波紋」…か。
「俺の責任だ、ポケモンセンターまで俺が運ぶ」
『
頭で理解できないんなら直接教えてあげるしかないね、身体にさぁ!』
あたしの手を離して力を溜め込み始めた真紅を止めようと足に力をいれた。
けれど止めたのはあたしじゃなくて。
『
真紅、止しなさい。ヒスイに怪我をさせたいのですか?』
「白波?」
勝手に出てきた白波が自分より大きい真紅の前に立って、優しく彼を見上げる。
真紅も彼には叶わず、溜めていた力を少しずつ放出させる。
『
……チッ』
「はいはい、舌打ちしない。シルバーくん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ…ポケモンも、話すんだな…」
「ルカリオってポケモンは特別らしいですよ?」
あたしが誰の手も借りずに立ち上がったとき、向こうからマツバさんが手を振っているのが見えた。
後ろからミナキさんも見える。
立ち上がったあたしを見てようやくシルバーくんの表情が少し、柔らかくなった。
2009.12.02
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