41 : 焦燥





意気揚々と灯台を飛び出して数時間、あたしはタンバシティに着いて………はいなかった。
未だにアサギシティから一望できる海と、その向こうに微かに見えるタンバシティを交互に見てはため息を大きくした。

どうして気がつかなかったんだろう。灯台が消えている今、太陽が沈みかけているこの時間に船を出す人はいない。
それは灯台の偉大さゆえなのだけれど、まさか、あたしの手持ちに"波乗り"を使えるポケモンはいない。
白波が申し訳なさそうに頭を垂れた。ううん、悪いのは彼じゃないのに。


すみません、ヒスイ…

「白波のせいじゃ、ないでしょ?」


細いその身体を撫でれば綺麗な瞳が少しだけあたしを見上げた。
ハクリューというポケモンは波乗りが使える。あたしの判断は正しかった。
だけど問題なのはハクリューである白波の身体があたしを支えるほど大きくないということ。

つまり、今日中にこの海を越えることは今のあたしにはできそうにないということなのだ。

でも諦めきれずにこうして海を眺めていれば、太陽がゆっくりと海に溶けてしまう。
真紅に染まりきらずにいる場所では星がひとつ、きらりと顔を出していた。

ざざ、と音を立てて砂浜に波が少し、浮き立って消える。

白波をボールに戻してその場に屈めば、ブーツの底が少しだけ波に触れて、また離れた。
日が完全に落ちるのを横目に岩に腰掛ければ灯台のない海は完全な闇と同化する。

ざざ、と大きく海が揺れた。


さぁ、日は落ちた。記録者に選ばれた唯一の子、


波と共に声がして、顔を上げる。
大きく高い岩の上には僅かな月明かりできらきらと輝く体が細い月を見上げて、少しだけ口を開いた。


何をそんなに驚くことがある?

「え、だってスイクン…さん?な、なんで?」

"瞬いた程の近い時に会う"と言ったのを忘れたのか?


人間は物覚えが悪いのか、とぽつりと彼が呟いて岩から飛び降りた。
彼…スイクンは確かに、前にあたしと会ったとき別れ際にそう言い残した。それはあたしだって覚えている。

だけどまさかもう会うなん、て。


「で、でもスイクンさん、伝説のポケモンなんだからそう易々と姿を見せちゃ…」

日が闇に飲み込まれるその瞬間まで、私は待っていた。
 急ぎなのだろう?



さぁ乗れ、と水色の身体があたしの前に屈んだ。
え?と言葉が喉につまった。その瞬間身体が宙に浮いて、気がつけば水色の身体に跨っていた。

恐らく、念力だとか、そういう類の力だと思う。だって彼は伝説と謳われたスイクンなのだから。

彼が駆け出すと共に水がぱしゃり、とブーツにかかった。振り落とされないように抱きつけば彼が少し鼻で笑う。
水面を走っている。忍者が使う道具で水蜘蛛っていうのがあったような気がしたけれど、あれはこんな感じなのかもしれない。
(そもそも水蜘蛛で実際に浮くとは思えないのだけれど)

すぐに白い波が消えて、静かな夜の海に出る。
細い月が水面で揺れて輝いた。


「あの、スイクンさん…」

どうした?

「どうして、」


助けてくれるんですか?あたしがそう聞けば、ぴたり、と海面で制止した。
あたしの体重があっても沈まないスイクンの身体は物理学的に言えばありえないと思うけれど、沈まない事実はあたしの恐怖心を少し和らげてくれる。

だってこんなに町から離れたところで溺れれば、後がないし…。

止まった足が動き出して、彼が、ふっと笑った。


では何故、そなたは我々を助けようとする?


同じ理由だろう?とまるで当たり前のことを答えているかのように彼が笑う。
だけど彼に微笑む余裕がなかった。

あたしは"何の為に"彼らに手を貸すのだろう?

今まで明確な答えを持たずにここまできたのだ。だって、理由を考えたいと思ったことがなかった。
当初、旅の目的…アルフの遺跡に行くまでは「元の世界に帰ること」が目的だった。
だけど紅霞との約束でそれは無くなった。あたし自身、勿論未練がない訳ではないけれど元の世界に帰りたいと思わなくなってしまったからだ。

ではあたしは何の為に彼らを?アンノーンに頼まれたから?それとも同情?
世界の危機だから?そんな安っぽい理由で、あたしは旅を続けてるのだろうか。

ふと過ぎる濃い紫色の瞳が、冷たいその視線が、あたしの脳裏によぎった。
そうか、あたしは。


「理由はないんだ、それで、全部が理由なんだ」


呟いた一言は風の切る音に巻き込まれたけれど、大丈夫、あたしの中にはちゃんと芯ができた。
好きなんだ、皆が。それ以上の理由なんて必要なかった。

風の力に負けないようにスイクンの頭を撫でると、彼が大きくひとつ、吠えた。


空を見ろ


一言、スイクンがそう言ったのをきっかけにあたしはまるで黒の画用紙に穴を開けたような、暗くて綺麗な闇を見上げた。
途端大きな影が一瞬、上空を横切った。暗くて輪郭もよくわからないまま、それは遠くの島に降り立った。

あの島は…確か…?


"うずまき島"と呼ばれている。あれはルギアだ。…我が友、ルギア

「友達、なんですか?」


首を傾げればああ、と風に乗って微かな返事が聞こえた。
あの遠吠えももしかしたら、彼があのルギアを呼んでくれたのかもしれない。
ルギアの通った跡の空はきらきらとした軌跡が続いていた。


「いつか、会ってみたいです」

一癖も二癖もある奴だがな…お前の望む答えを、知っているかもしれん


あたしの望む答え。もしかすると、ルギアは"彼"のヒントを持っているのだろうか。
だとするとスイクンは"彼"については知らない、ってこと?

あたしの進むべき道は"彼"を助けることだと思ってた。だけどもし別にすべき事があるのなら、見つけないと。
ぎゅ、と綺麗な毛を掴めばベルトがかたりと揺れた。
視線を流せばオレンジのボール。

白波の、ボール。


気負いすぎてもいけない。そなたはそなたであるべきなのだ

「あ…」


あなたは、少し気負い過ぎてしまいますね…』いつかの白波の言葉がよぎる。
そうだったね、わかったよ。あたしはあたしらしく、どうせそれしかできないし。

あたしらしく、頑張ればいいんだ。

指でボールをなぞれば静かに動きが収まった。
タンバシティはもう目の前だ。



タンバシティのポケモンセンターで朝を迎えたあたしたちは、早朝すぐに噂の薬屋へと足を運んだ。
案外簡単に見つかったのは、このタンバシティに来る人は大抵ジム戦かこの薬屋に用があるのだそうで。
心優しい町の人に尋ねればその場所はすぐにわかった。

古風な扉を開けて足を踏み入れる。


「おはようございます…誰かいませんかー!」

「朝っぱらからどないしたんや、嬢ちゃん」


いらっしゃい、と少し無精髭の生えた人に声をかけられた。
店の中は他に、誰もいない。

意外と若い人だ…てっきりお爺さんとかだとおもってたけれど、と事情を説明すれば、彼は顎に手を当てて少し考え込んだ。
それから少しして、カウンターの後ろに詰まれた高い棚の中を確認していく。


「今丁度薬が切れとんねん…すぐつくったるわ、夕方受け取りにきてくれんか?」

「夕方…ですか…」


それまでは薬ができないのだ。ならば、仕方ない。…けど。
なんだかやりきれないような気がしてちらりと薬屋さんの顔を覗けば、彼は少し苦笑した。


「急いでできるもんとちゃうからなぁ…タンバにもジムがあんねん、その様子じゃバッジはまだやろ?」

「はい、でもジム戦なんてそんな余裕ないし…はやく届けてあげたいから」

「せやな、でもよう考えてもみィ?ここのバッジを手に入れたらアサギまでひとっ飛びやで」


はい、と渡された色の違うディスク。顔をあげれば、彼はニヒルに笑った。


「秘伝マシンの空を飛ぶや。波乗りよりずっとはやくアサギに帰れるで。
 急がば回れっちゅーわけで、俺は作業させてもらうでー」


ディスクを押し付けた彼はいくつか棚から何かを取り出して(干物だったり薬草だったり…だと思う)奥へと行ってしまった。
確かに、今のあたしには波乗りができる子はいないし、スイクンだってどこに行ったかわからない。
もう遠くに行ってしまっているかもしれないんだ。

そう思うと確かに彼の言うようにここは回るべきなのかもしれない。
タンバジムといえば、格闘タイプだったはず。


「…久しぶりに暴れてもらおうかな、紅霞」


ボールを指で軽くはじいてジムへと足を運ぶ。…っと、その前に。
ひらけた場所に出て紅霞をボールから出した。


どうした?

「折角だから、空を飛ぶ…覚えるかな、って思って。」


ディスクを渡せば、少し考えた紅霞がその額にディスクをあてた。
その青い瞳を閉じ暫くそうしていた紅霞が瞳を開いた。きらり、とディスクが太陽に反射する。


ほらよ、

「っわ!もう、投げないでよ!」


むっつりと怒れば眼を少し細めて口の端を上げた。
もう、壊れたらどうするんだ…!

技マシンがしまってある場所にそれをしまって、ジムへと足を向けた。
振り向けばのしのしと歩いていた紅霞と目が合った。


…ンだよ?

「あ、ううん、なんでもない。けど…」


もし、紅霞の力不足…或いはあたしの体重オーバー(…)で海に落っこちちゃったらどうしよう。
ぞわりと身体が震えて恐ろしい想像をかき消すように頭を横に振った。

だ、大丈夫。紅霞は確かに人の時はひょろっとしてるけど…!
でもきっと人一人くらい…大丈夫、だよね…?

もう一度ちらりと振り向けば、大きな手があたしの頭にのっかった。


心配すんなって、俺様だからな


ジム戦くらい楽勝だっての。笑う紅霞に頷いて、少し苦笑した。
心配してるのはそこじゃないんだけどなぁ。



2010.01.10



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