◎42 : 繋索
大きな音をたてて水が流れる。
まるで滝のようなそれが床にぶつかる手前に目当ての人はいた。
膨大な水を受けてもぴくりとも動かず、その人物はただ眼を瞑って座っている。
「あの…すみませんー、こんにちはー!」
『
全然聞こえてねェな』
ふう、と呆れたように紅霞がため息を吐いた。
滝の水飛沫に当たらない位置から話しかけるのはどうも不可能らしい。
どうしようか、と首を傾げた時、うしろからつんつんと突付かれる。
振り返ればいつものおじさん。
「よぉ、未来のチャンピオン!ほら傘」
「あ、ありがとうございます」
渡された傘をさしてほんの少し、近づいてみる。
ブーツを脱いで水に足を入れれば冷たかった。
「タンバジムリーダーは、まぁ見ての通り脳まで筋肉でできているな。」
「(…言ってもいいのかな?)この滝、どうしたら止められますか?」
「どっかにボタンがあったと思うけどなー」
さてどこだったか、と彼が腕を組んで考え始める。にしてもこのシジマさん、1日こうしているんだろうか?
それってすごい大変なことじゃ…。
あたしもボタンを探そうとあたりを見回したとき、水が止まった。
見上げれば上には紅霞。何時の間にあんなところに…。
そして彼の後ろには赤い大きなボタンがあった。成る程。
「ぬおおおおお!?滝が止まったああ!!…って今日もかコラー!」
「(今日も?)こんにちは、邪魔してごめんなさい。ジム戦を申し込みにきたんですけれど…」
ざぷざぷと裸足のまま彼、シジマさんに近づけばきょとんとあたしを見る。
暫くあたしの頭の天辺から爪先を眺めて、両手を大きく振った。
彼の腕にしがみついていた水滴が一気に飛んでいく。
その腕をあたしの脇にいれるとひょい、と持ち上げた。
「女の子がこんな冷たい水の中に足を入れるもんじゃぁない!身体に悪いぞ!」
そのままの状態で持ち上げられていると飛んできた紅霞がシジマさんの手からあたしを奪うように横から取る。
あたしは物じゃない…!
横抱きにされて冷えた足先を暖めるように熱風を起こす。
それを見たシジマさんも何かを言いかけていた口を閉じて、にやりと笑った。
「随分そのリザードンは懐いているんだな」
「あ、はい。ありがとう紅霞」
頭を撫でて靴下とブーツを履きなおした。
流石に裸足のまま戦うのは不味い。寒いし。
支度も済んで立ち上がれば、シジマさんの案内され後をつける。
振り返ればいつものおじさんが拳を作ってあたしに突き出していた。あたしも、ぐっと拳をつくってガッツポーズを決める。
あたしの様子を見ていた紅霞も少し呆れ顔で笑った。
『
油断すんなよ』
「わかってるよ。でも…何を出してくるんだろう、シジマさんは。」
前を歩く大きな背中がいかつい扉を開いた。
その奥はバトルフィールドになっている。
「使用ポケモンは2体、構わないか?」
「あ、はい。少ないほうがありがたいです。」
2体ということは…やっぱりエビワラーやサワムラーあたりだろうか?
だとすればあたしは誰を…
自分の立ち位置に立ってシジマさんを見る。
彼がベルトから取り出したボールから出てきたのはエビワラーでもサワムラーでもなく…オコリザルだ。
「オコリザル…?」
「すまんが名を教えてくれ!」
向こう側でシジマさんが叫んだ。そういえば、自己紹介がまだだったっけ。
オコリザル…何か、嫌な予感がする。エビワラーでもサワムラーでもないだろう、後の一匹は。
だけど何処かカポエラーでもない気がするんだ。となると、他に残っている格闘タイプは…?
自分の勘を信じてみよう、大丈夫、だってみんな強いから。
「ワカバタウンのヒスイです!紅霞、お願い!」
『
おいおい、初っ端から俺でいいのか?』
「…わからない、けど。嫌な予感がするから」
後で紅霞を出すより、今出した方がいい。
後でカポエラーだったりしても紅霞は相性がいいから戦ってくれるだろう。
それに相性が悪ければ交代すればいいだけだ。
紅霞が前にでて、オコリザルと対峙した。
オコリザルが先手を取る。
「オコリザル、影分身!」
「紅霞、空を飛んで!」
地から足を離し、宙に浮いた紅霞が大きく羽を動かした。オコリザルが影分身をして何匹ものオコリザルに見える。
さて、どうしようか。影分身は回避技…だから…そのまま急降下をしても当たらないかもしれない。
「旋回しながら火炎放射!」
「オコリザル、影分身を続けろ!」
ひゅん、と風を切る音が聞こえてオコリザルが牽制しながら増えていく。
一方紅霞は宙に火炎放射を打ちながらはやいスピードで旋回していた。
炎が空気中の温度を上げていく。それでいい、大丈夫。
あたしの読みどおり影分身を続けていたオコリザルの動きが止まった。すぐにそれは再開されたけれど、確実に紅霞より熱に強くないオコリザルのスタミナ切れは時間の問題だった。
「オコリザル、影分身をやめろ!」
「っ…判断がはやい、流石ジムリーダーですね」
宙を旋回していた紅霞も火炎放射を吐き出すのをやめた。
だけど影分身をやめたのならこっちに都合がいい。
「紅霞、急降下!」
「オコリザル受け止めろ!」
素早くあたしの指示に従った紅霞は急降下を始める。
オコリザルがそれを受け止めようと構えた。しかし、紅霞の力も弱くはない。
急降下によって紅霞の体重が加えられた力をまともに受けたオコリザルへのダメージは大きい。
しかし、オコリザルは紅霞を決して離さなかった。
「いいぞオコリザル、そのまま岩なだれ!」
「いわなだれ…紅霞、逃げて!」
『
くそッ…離しやがれ!』
片手で紅霞を掴み、確実に岩なだれが紅霞にあたった。
紅霞は飛行タイプと炎タイプ。どちらも、岩タイプを不得手としている。
岩の中に閉じ込められた紅霞はなんとか這い出てきたものの、体力は残り僅かだ。
まさか岩なだれを確実に決めるために紅霞の直撃を喰らったなんて。
…攻撃は最大の防御、って訳か。
あたしが紅霞を心配して慌てないのには訳がある。彼の大きな背中が、その傷が、彼の強さを物語っているから。
立ち上がるのは紅霞がまだ終わらせるつもりがないってことだ。
ならばトレーナーのあたしがしっかりとしなければいけない。それがトレーナーとポケモンの強さ。
…あたしだって、ちゃんと成長しているんだから。
「紅霞、次で決めてね」
『
流石にやべェからな…いいか、ヒスイ』
俺が倒れても泣いたり、バトルを中断してポケモンセンターに駆け込んだりすんじゃねえぞ。
紅霞はあたしに見向きもせずにそう言った。
つまり、相打ちを覚悟しているということだ。
泣くかもしれない。ポケモンセンターに行きたくなるかもしれない。
確かに、あたしの弱さかもしれない。だけど、紅霞が、戦ってくれてる紅霞がそう言うんだったら。
いつかのツクシくんに言われたこと、忘れたわけじゃない。
「紅霞が、そう望むなら。」
『
…いい眼になったじゃねぇの。』
視線だけ、あたしとぶつかった。紅霞にそう言われると素直に嬉しかった。
ねぇ、紅霞。進む理由も戦う理由も、あたしは見つけたんだ。
だから、あたしは負けない。
「紅霞、フレアドライブ!」
「オコリザル、もう一発岩なだれをお見舞いしてやれ!」
オコリザルが両手で岩を持ち上げた。紅霞の瞳がその岩を見つめた。
翼が大きく開かれて紅霞が駆け出す。オコリザルもほぼ同時に駆け出した。
眼を閉じてしまいたかった。だけど、それはバトルに対して、そして紅霞に対して失礼な行為だ。
大きく見開いて、紅霞の姿を焼き付けた。
紅霞なら、やってくれる。この技の反動がどういうものかも勉強したし、危険な賭けだとしても。
信じることこそが強さなのだから。
爆風が起きて、そこで初めてあたしは眼を閉じた。顔を覆うように腕を前に出す。
大きな爆発音から暫く、ようやく風が収まってあたしは瞳を開いた。
土ぼこりが舞う中、立っていたのは紅霞だった。
「ッ…紅霞ぁ!」
『
だから泣くな、つってんだ…ろ』
どしん、と紅霞が座り込んだ。本当は倒れてしまいたいんだろう、だけど、意地なんだ。
自分のためではなくあたしのために。
駆け寄れば鋭い爪が器用にあたしの涙を掬った。
仕方ないよ、泣いちゃうのは。だって大好きなんだから、誰だって、傷つく姿は見たくない。でしょう?
首に抱きつけばぽんぽん、とあやすように頭を撫でられた。
こんなときばかりはあたしに心配させてよ。
「バカ紅霞」
『
泣き虫マスター』
「…ありがとう、お疲れ様。」
顔をあげて土ぼこりで汚れた紅霞の頬を撫でた。
倒れてたオコリザルがボールに戻っていく。それと同時に紅霞の体が大きく揺れて、あたしは彼をボールに戻した。
彼が倒れきる前に戻したかった。彼のプライドのために。
「ただ強いだけではなさそうだなぁ、ヒスイ!」
「…えぇ、あたしは強くはないんです。」
赤い、少し汚れた手の中のボールを見つめる。
あたしが強いわけでは決してない。ポケモンとして、紅霞たちが強いというわけでもないと思う。
ただあたしの期待を決して裏切ることはないんだ。それが強さへと繋がっていく。
力ではない別の強さ。
「でも、信じてます」
決してあたしは凄腕のトレーナーではないけれど、それでも信じてくれる仲間がいるから。
嫌いなバトルでも、前に進もうと思える。
だから、シジマさん。
「バッジは頂きます。翠霞!」
『
まったく、紅霞はだらしがないね。』
「メガニウム…か!ニョロボン!」
繰り出されたボールから出てきたのは水と格闘タイプのニョロボン。
やっぱり、嫌な予感がしてたんだ。
確かに岩タイプよりは水タイプのほうがまだマシかもしれないけれど、でも、攻撃の通りやすさではオコリザルの際に紅霞を出して正解だった。
きっとニョロボン相手でも勝ってくれるだろうけれど、さっき以上に苦戦したはずだから。
その点草タイプの翠霞は相性がいい。もし彼が氷タイプの技を繰り出してこなければ、だけど。
「翠霞、リフレクター!」
「ニョロボン、気合いパンチ!」
翠霞がリフレクターを張っている間にニョロボンは気合いを溜めた。
そのままニョロボンが動き出す。翠霞の前に張られたリフレクターに突進した。
凄いパンチがリフレクターに当たる。
刹那、ぴしっ、と嫌な音がしてリフレクターが割れた。
「リフレクターが…!」
そのまま拳が翠霞を掠って、地にぶつかった。
翠霞が後ろに飛ぶ。地面が大きな音を立ててひび割れたからだ。
「いくら相性が悪くたってわしのニョロボンは負けやせーん!」
「…確かに、この力じゃ」
リフレクターは何の意味も持たない。じゃあ、どうすべきだろう?
翠霞は紅霞と違って力が強いわけでもないし、決定打となる攻撃があるわけでもない。
おまけに草タイプというだけで弱点は多い。
『
ヒスイ、焦らなくていいよ』
あの馬鹿トカゲよりは体力があるから。にっこりと翠霞が笑った。…そうか!
ニョロボンが再び動き出した。
「ニョロボン、のしかかりだ!」
ニョロボンが地を蹴って翠霞にのしかかった。だけど、翠霞のほうが体重的にも体格的にも勝っている。
さして攻撃を受けていない翠霞が蔓をニョロボンに巻きつけた。
「翠霞、ナイスだよ!そのまま宿り木の種!」
『
そうそうヒスイ、不安なことなんて何もないんだからね』
だって僕が勝つのは決まっていることなんだから。ふふ、と翠霞が笑って蔓で固定したまま種を植え付ける。
ニョロボンに寄生した種が体力を奪う。奪えば奪うほど、種から蔓が出てニョロボンを締め上げた。
のしかかられたままの翠霞だけれどまだまだ余裕があるように笑っていた。
「そのまま毒の粉!」
『
意外とヒスイも、サディストの素質があるんじゃない?』
毒の粉を思い切り吸ったニョロボンは抵抗していた腕を次第に落としていく。
完全に動きがなくなるまで翠霞は解放しなかった。
こういう徹底したところも流石翠霞だと思う。
「わしのニョロボンが…」
「翠霞、だいじょ、う…ぶ……?」
ぶちり、と音を立てて蔓が千切れ、ニョロボンが地に転がった。
千切れた蔓を見ながら翠霞が瞳を細める。
『
意外と僕の蔓も貧弱なものだね。』
蔓が切れても問題がないようで、そのまま体内にしまってしまう。
血とか、出ないんだ…ドキドキと煩い心臓を肌の上から押さえながら翠霞に駆け寄れば頬にキスをひとつ落とされた。
まったく、こういう時くらいスキンシップは謹んでくれたらいいのに。(人前だというのにね!)
「わしの…負けじゃ…納得がいかーん!が、このショックバッジを渡さねばな!」
どうやら宿り木の種と毒の粉で勝ったことに納得がいかないらしい。
確かに、彼はどちらかというと力勝負が好きそうだ。(どちらかというとより、絶対に等しい)
「ありがとう、ございます!」
重たいバッジは拳のかたちをしていてなんだか少し、受け取るのを戸惑った。
手の中に収まったそれはずっしりと重い。他のバッジもそうだけれど、ひとつひとつ成長している証…なのかな。
後バッジは3つになった。そうしたら、カントー地方に行ける。
"彼"に会うにはもう少しかかるけど…でも確実に近づいているんだ。
夕刻まではまだ時間があるし、紅霞と翠霞を回復させてからちょっと遅いご飯を食べよう。
2010.01.10
←|
→