◎44 : 雨隠
「…くそッ!」
悪態が口から飛び出る。晴れていたと思ったら、こうだ。
ざぁー、と音を立てて水滴が勢い良く地に叩きつけられた。
天気予報なんて普段から見ない。旅をしているうちにそんなもの、雲の流れや風の匂いで殆ど予測ができるようになる。
だが、今回はまるで違った。まるで、意図的で、刹那的。
やっとの思いでポケモンセンターに辿り着けば、見慣れた顔が目に付いた。
・・・ヒスイ?
「おい、お前、こんなところで何を…」
声をかけたその瞬間、息を呑んだ。まるで俺に気付かないかのように、雨の中呆然とつったっていた。
人形でも見ている気分だった。妙な感覚、俺が知っている、コイツじゃないような…。
触れることを戸惑ったが、いくら声をかけても気付いてはもらえない。
このままじゃコイツも、俺も風邪をひくだろう。
肩を掴んで、できるだけ落ち着いて声をかけた。
「…おい」
「あ……シルバー、くん」
抑揚のない声が、死んだ視線が俺に突き刺さる。
いつだって、どんなときだって笑って、怒って、たまに不安そうにして。
俺の知らないこの生気のないヒスイは、一体、誰なんだ。
「…チッ」
埒が明かない、こうなった原因はわからないが、でも、このままにもしておけない。
傍に居るには遠すぎて、離れるには近すぎる、この関係に舌打ちをする。
情けない、焼けた塔から俺は、情けないままだ。
コイツひとりすら護れずにいるのだから。
「(……馬鹿みたいだ、俺)」
嫌がりもせず黙って、俯きながら俺についてくるヒスイを数日宿泊している部屋に連れてくる。
俺も濡れているが、まずはこいつをなんとかしないと。
洗面所からタオルをとって、渡そうと腕を伸ばした。が、一向に受け取る素振りを見せない。
些か気がひけるが、ゆっくりと帽子をとった。滴るほどに濡れきって重たいそれを洗濯カゴに投げ入れて、タオルをゆっくりと頭にかぶせた。
艶やかな黒髪は泣いているかのように、雨水が伝い落ちている。
泣きもせずに、俺のすることを気にもかけずただ呆然と何もない床を眺めている。
それが無性に腹が立つんだ。どうして、俺のいないところでお前は傷つく。
タオルごとその黒い頭を、壊れそうなこの馬鹿を強く抱きしめた。
ああ、何をやっているんだ、俺。
「泣きたいなら、泣けばいいだろ」
馬鹿、そうじゃないだろ。頭ではもっと優しい言葉を用意していたはずなのに、口から滑り落ちるのは今のこいつには痛いはずの言葉。
もっと、何か別の。言葉をさがしていれば、抱きしめていた体が僅かに揺れた。
「っひく…しるば、く……!!」
「…大丈夫だ、お前は、大丈夫」
何を根拠に言うでもなく、無責任な言葉を押し付けて、やっと流したこいつの涙を雨水と一緒にタオルで包んでやる。
大丈夫に、決まっているんだ。俺を負かし続けているトレーナーが、こんな場所でくじけるはずがない。
後付けされた根拠がいかにも不安定で、それでいて頼りがいがある気がして少し苦笑する。
いつも、小さいこいつは今は更に小さく見えた。
落ち着くまで、待つんだ。それから、打開策を…。
馬鹿みたいにこいつの世話を焼いている。ああ、俺はコイツのなんでもないのに。
弱味につけこむように頭を撫でる。
「泣きたければ泣けばいい、俺は何処にも行くつもりはない。
だがヒスイ、このままじゃお前が」
風邪をひく、と言いかけて再度息を呑んだ。見上げるその濡れた瞳には生気があって、やっと俺の知っているヒスイに戻った。
だが今度は俺の理性が崩れそうになる。馬鹿はどっちだ。
誤魔化すように頭をきつく抱けば、くぐもった小さな抗議が聞こえた。
「シルバー、くん、苦しいです…ひっく」
「ッ…いいか、シャワーを浴びろ、泣くのはその後だ。わかったな!」
「ふぁ、ふぁぃ…」
しまった、腕に力をいれすぎたか、と離せば鼻の頭を赤くしたヒスイがじっとりと俺を睨んだ。
ようやく、心臓や脳が正常に戻った気がした。熱が少しずつ、失せていく。
「痛かったです…くるし、かった」
「…悪かったな。さっさと浴びて来い」
なんとか洗面所に押し込むことに成功した俺はタオルをかぶりながら服を脱いだ。
アイツもそうだが俺も相当、濡れている。絞れるほどに水を含んだ服はやたらと肌にはりついて気持ちが悪かった。
部屋が少し寒く感じて、マグマラシをボールから出す。
「マグマラシ、少し部屋の温度を上げてくれ」
返事ひとつで背から炎を出すマグマラシ。こいつが何を思っているかなんてさっぱりわからないが、ヒスイを気に入っていることは知っている。
バトルそっちのけで抱きつくほどには好きなのだろう。成る程、トレーナーに似ると言うのか、ポケモンも。
着替えて濡れた服をハンガーにかければ、マグマラシが顔をあげた。
顔を扉からひょっこりと出したヒスイが戸惑いがちに俺を見ている。
「マグマラシ、戻れ」
抗議の声を上げる前にボールに戻して、ベッドに腰掛けた。
ぽんぽんと隣を手で叩けば、こそこそと隣に腰掛ける。今更俺を警戒してるとでも言うのだろうか。
否、その考えは馬鹿げている。この鈍感女にはまったくと言っていいほど危機感がない。
まさしく平和ボケの象徴だろう、その証拠に俺の服を掴んで、至近距離に座る。
俺だって、男だ。
「…黙ってるだけじゃ、解決しないんじゃないのか」
俺以外に悩んで、俺以外に苦しむこいつは嫌いだ、なんて言える筈もなく。
わからない相手に湧き上がる嫉妬を堪えつつもそう言えば、視線を更に下げる。
頼るなら、思い切り頼ってくれればいいのに。思い切り自惚れるほどに。
掴まれた袖とは反対側の腕で頭を撫でようとすれば、いつもと違ったこいつの匂いがふわり、と鼻をくすぐった。
俺と同じ、シャンプーの匂い。当たり前だ、俺の部屋のシャワーを使わせたんだから。
無性にそれが嬉しくて、顔に出そうになって、慌てて舌打ちして顔を逸らした。
ああ、今のは絶対不自然だ。くそ、こういう役回りは苦手だというのに。
指を掠めた黒髪の滑らかな指どおりが名残惜しかった。
「ごめ、なっ…さ……ッ!!」
「っ…別に、泣かせたいわけじゃない!」
どう言えばいいのだ、俺の態度が気に障ったのがまたその黒い瞳いっぱいに涙を溜め始めるヒスイに弁解しようとすれば、言葉が詰まった。
胸に押し当てられるのはこいつの顔。ああ、また服が濡れる。
ふうとため息を吐いて頭を再度撫でれば、声を上げて泣き始めた。
ジム戦に負けたとかじゃないだろう、こいつがここまで泣くとすれば…恐らく。
視線が投げ出されたベルトについてるボールを捕らえた。3つしかついていない。
赤と青、それに黄色だ。赤のボールが足りない、確か。
「…誰かが、傷ついたんだな。お前は自分の責任だと思ってる」
だからだろ、と頭を撫でながら言えば泣きながら二、三度頷いた。
コイツの優しさは、長所だ。だが、それが弱点でもある。
こんなに弱いくせにいつも全てを自分で背負おうとするから…だから、泣くんだ。
馬鹿だな、自業自得でしかない。
「…それだけか?」
そう問えば首を横に振った。つまり、別にも問題があるのだろう。
大分大声で泣いて落ち着いたヒスイはぐずりながらも俺を解放する。
「あ、た…あた、し、ポケモンの、言葉わかんなぐなっちゃっで…」
「…は?」
「もう、あたし、必要ないって…!」
うわあああん、とまた泣き始めたヒスイにティッシュを押し付けて眉間に皺を寄せる。
つまりこいつは、ポケモンの言葉がわからず、何かの拍子に自分の手持ちの一体(モンスターボールに入ったポケモンだろう)が傷ついた。自分のせいだと思っている。
そんなことで動揺するのかとも思ったが、こいつはきっと長い間ポケモンと話せたのだろう。
なら突然ただの鳴き声になったことはこいつにとっては革命ほどの威力なのか。
俺には到底理解できる次元の話ではないが、ただひとつ、俺はあの焼けた塔でのことを思い出していた。
たしか、俺は初めてあのとき…ポケモンと、会話したはずだ。
「…おい、泣いてるところ悪いが、黙れ」
「いだっ!ひ、ひどいでず、じるばーぐん…!」
「鼻をかめ。その後、焼けた塔で出してたポケモンを出せ」
俺につっかかってきたやつだ、と言えばヒスイは暫く停止して眼を大きく開いた。
ぼろぼろと涙が落ちたが構いもせずベルトに飛びつく。
鼻をかめと言ったのに、聞く気もないようだな。
青いボールを投げた途端、あの時のポケモンが飛び出す。
見たこともないやつだと思ったのは今でも変わらない。ジョウトには生息してないポケモンなのだろうか。
俺とヒスイを交互に見た赤の瞳が、やはりと言うべきか、俺の服を掴んでベッドに押し付けた。
『
アンタ…またヒスイを傷つけたワケ?お望みどおり殺してやるよ!!』
「ぐっ…!」
「すごいです、シルバーくん!真紅の言ってることわかる!」
俺が首を絞められているのもお構い無しに"シンク"と言ったポケモンに抱きついた。
恐らく種族名ではないだろう、この馬鹿はポケモン一体一体に名前をつけている。
きょとんとした"シンク"は飛んできたヒスイを抱きしめながら俺に冷たい視線を送る。
解放された首をおさえながら起き上がれば今度はヒスイが飛び掛ってきて、慌てて手をついた。
百面相もいいところだ。
「ありがとう、ありがとうシルバーくん!」
『
ヒスイ、どういうこと?まさか紅霞に指示をしなかったのって…』
「うん、真紅以外の子と話せなくなっちゃったの。びっくりして、どうしていいかわかんなくて。
だから…紅霞、怪我させちゃった……」
眉尻を下げたヒスイと困惑してる俺を交互に見た"シンク"は鼻で笑った。
『
じゃあヒスイ、この人に挨拶してさっさと部屋に戻ろ。
翠霞や白波にもこの事をちゃんと伝えないといけないでしょ?』
「あ、うん…ちょっとだけ、待ってて?」
途端"シンク"が嫌な顔をするのも構わず、ヒスイが俺に駆け寄った。
ベッドに投げ出されてた手をとって、少しだけ微笑む。
まだ俺が求めていた表情には程遠い、けれど。
「ありがとう、シルバーくん。あたし、頑張ってみます」
離れたくないから、そう曖昧に笑って手が離れる。
先程まで冷たかったあいつの手が、暖かくなっていた。
ありがとう、あいつによく言われる言葉。そんな言葉をかけられるためにトレーナーになったわけじゃない。
親父を探すために…そして、親父を倒したといわれるトレーナーに、勝つために。
家を飛び出したというのに。
外気に晒された手の平を名残惜しく、熱を逃がさないように握り締めた。
どうして、あいつは俺の決意を簡単に溶かしてしまうんだろうか。
忘れていったヒスイの白く丸い、大きな帽子がベッドサイドの洗濯カゴに落ちている。
拾い上げれば光る5つのバッジ。あの馬鹿にとって、忘れる程度の…価値なんだ。
俺が必死に集めているソレは、あいつにとっては必要ないもの。
俺とあいつは、こんなにも逆の人間なのに。
「…だから、惹かれるのか」
自嘲するように、俺は小さく笑って帽子を適当な場所にかけた。
2010.01.18
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