◎46 : 相和
寝惚け眼を少し擦って覚醒しようとすれば、あたしとは別の腕が先にあたしの頬に触れる。
このまま、また、青い瞳が一層大きく見えた。
そのとき。
「
ッッ……てェな!!」
『
病人がそんな事していいと思ってるのかい?
まったく、寝込みを襲うなんて君…相当飢えてるんだね』
「
翠霞、てめェいい気になりやがって…表に出ろ!」
『
ヒスイ、おはよう。大丈夫だった?』
にっこりと翠霞が蔓であたしの頬を撫でた。ああ、あたしの前にいるのは紅霞で、あたしは夜ここで寝たのか…。(彼の頭には葉っぱが刺さっていた)(何があったかは容易に想像ができる)
集中治療室とまではいかないけれど、そこそこの重傷ポケモンが休むこの個室に紅霞はいた。
昨夜の事件なんて紅霞はきっと知らないだろうし、何故あたしが指示を出さなかったのかも知らないだろう。
そして何より、あの子のことも…
「あ…翠霞、ロトムくんは!?」
『
はい、ここ。』
そう言って渡されたのはあたしのポケギアだった。ディスプレイに表示される時刻がランダムに動いている。
つまり、この中にロトムくんがいるということで。
「ロトムくん、朝だよ、出てきてくれる?」
一声そうかければポケギアより大きなオレンジの身体がそこから飛び出してあたしに飛びついてきそうになる。
…つまり、それは未遂に終わったということで。
「
なんだ、コイツ」
紅霞の眉間に皺が寄る。掴まれたロトムくんの瞳が青から赤へと変わった。
まるで、信号のようだ。
ばちり、と音がして、紅霞の僅かな叫びと共にロトムくんが彼の手から離れた。
そしてあたしの腕の中に飛び込んでくる。
「
いってェな!なんなんだよこいつは!」
『
厄介なポケモン。ロトムっていうんだって。
どうやら機械の中とヒスイの腕の中が居場所だと思ってるみたいで、昨日…』
翠霞が簡単に紅霞に事情を説明している間、ロトムくんの瞳は赤から青へと戻っていた。
ひりひりとするのか、手をぐー、ぱー、と動かして感覚を戻そうとしている紅霞を横目にロトムくんの頭とも身体とも言えるボディを一撫でした。
昨晩翠霞を(半ば強制的に)説得してこの子、ロトムくんと一緒にいたいと言ったのはいいものの、彼が一体何者で(そもそも"彼"かどうかも定かではない)、どこからきたのか…何もかもがわからないのだ。
それに、はっきりとした意思確認だってしていない。
「ねぇロトムくん、あなたは何処からきたの?」
『
ロトム…遠い、おうち。ロトム、おうち、どこ?』
「う、うーん…あたしに聞かれても、なぁ…」
ロトムくんは少し首をかしげた。表情は読み取れないけれど、少しは、寂しいのかもしれない。
何処かわからない住処から理解できないままこんなところまできたのなら、可哀想だ。
ポケモンっていうのは基本的に地方で、大体の場合だけれど生息している種類が異なる。
…なんて話を聞いたことがある。
ロトムくんはカントー地方、そしてジョウト地方ではないはずだ。
幼い頃こんなポケモンは見たことがないし。
かといって彼の家がこの地方にないとも限らないし…。
『
ロトム、言うこと、変?』
「あ、ううん。でもおうちがあるなら帰らないといけないよね。」
じゃあボールに入れなければいいか。と苦笑した。
確かに電気タイプがいてくれればこの先楽なことも多いと思うけれど、でも楽だから良いというわけでもないんだ。
あたしはあたしで成長しなければならないし。
少し悩んで、ロトムくんを抱いて立ち上がった。
「ロトムくん、あたしとおうち探す?
あたし、今旅をしてるんだ。旅の途中にロトムくんの帰るうちがあればいいんだけど」
『
帰る…?ロトム、ヒスイ、…一緒。帰らない。』
ぎゅ、と胸にかかる重さが一層重くなって、オレンジが少しだけ、震えた。
帰りたくないのかな?ロトムくんの言葉や感情なんかは中々、理解しにくい。
付き合っていくうちにもしかしたらわかるのかもしれないけれど、カタコトの言葉が意思疎通しにくくしてた。
こんなとき、普通のトレーナーだったら…どうするだろう。
ぎゅうぎゅうと押し付けられるロトムくんを抱きしめてみた。
「あたしの、仲間になってくれる?」
『
ロトム、ヒスイ、仲間。』
ふわり、とロトムくんが浮いてくるくるとあたしの周りをまわった。
よくわからない子だし、どうしてあたしのポケギアの中にいたのかもわかんないままだけど、まぁいっか!
翠霞との話を終えた紅霞がロトムくんを見て軽く舌打ちをする。
「
まぁ…ヒスイが決めたんなら、好きにしろよ」
「…ふふっ」
つい、あたしは紅霞の一言に笑ってしまった。その顔は不機嫌に不機嫌を重ねたように歪んで「
あンだよ!?」と声を荒げるほど。
そんなひどい顔で、舌打ちまでして、だけど"好きにしろ"って、全然納得してないくせに。
でもあの旅立ちの日を思い返せば…
「大人になったね、紅霞」
「
…ばーか!俺は元々大人だったろ!」
あたしの思い出していることを察したのか、ぶっきらぼうに彼は吐き捨ててベッドから飛び降りた。
途端、身体が光ってワインレッドの巨体が現れた。
『
さぁて、少し動くか』
「だ、だめだよ紅霞!まだ安静にしてなくちゃ!」
『
はぁ?』
ばっ、と音をたてて閉じていた翼を広げれば、傷ひとつない翼。
あれほど大きな傷を携えたというのに関わらず、その治癒力とポケモン医療の進歩に驚く。
だけどまだぎこちなさそうに羽が動いた。
それを見た翠霞が少し、瞳を細める。
『
随分"調子が良い"ようだね、紅霞?』
『
…るせェよ、草坊主。これくらいなんてことッ…!』
無理に動かそうとする紅霞を見かねてあたしが手を伸ばせば、それが届くよりはやく蔓が紅霞の身体を縛り上げる。
その行為がお気に召さないのか、大きな口から炎を漏らして蔓を仕向けた本人を威嚇した。
炎に埋もれて牙が鈍く光る。
『
なんの真似だ?翠霞』
『
そうカッカしないでくれるかい?目を瞑って』
翠霞の頑なな態度に折れた紅霞が瞳を閉じた。
これが他の子ならきっと、無理にでも動き出すのに…これまでの旅できっと、紅霞と翠霞の絆があたしの知らないところでずっと深く、太く…繋がっているんだ。
少し寂しいような気がして目を伏せれば、ふわり、といい香りが花をくすぐった。
胸の"しこり"がすっと溶けるような…そんなすっきりとした匂いに視線を上げれば、きらきらと翠霞の首周りの花が光った。
『
少しはマシになるんじゃない?ヒスイ、アロマセラピーだよ。』
あたしの視線に気がついたのか、翠霞は得意げに口角を上げた。
身体の疲れがとれるような気がして伸びを一回すると、ロトムくんが不思議そうにあたしたちを眺めた。(もしかしたら嗅覚がないのかもしれない)
アロマセラピー、といえば、治療法の一種だ。心を静めたり、感情を穏やかにしたりする…方法だった気がする。
いつもより少しだけ穏やかな紅霞の表情にくすくすと笑えば、途端に少しぶっきらぼうになんだよ、と睨まれてしまう。
『
紅霞、羽を動かしてみて』
翠霞の一言でぐ、と力を入れた翼が一気に開く。
自分の力で動かしたはずなのに、その当の本人は目を丸くした。
『
痛みがひいた…!?』
「すごい…!」
攻撃だけが、全てじゃない。よく考えればこの技もそうだし、リフレクターも使える翠霞は攻撃より防御や支援に向いているポケモンだと言えるかも知れない。
今までただ"草タイプ"としか思ってなかったけれど、ポケモンって…
「奥が深いんだ!」
『
ふふ、やっとわかったの?僕が毎晩手取り足取り教えてあげてもいいんだけどね…?』
ずい、と顔を近づけられて後ろにひけばロトムくんがあたしの腕の中に飛んできた。
あたしと翠霞はロトムくんを挟むかたちで対峙する。("対峙"なんて思ってるのはきっとあたしだけだろうけど)(あたしの貞操のピンチ!?)
刹那、部屋の自動扉が機械音と共に開いた。
「あら、おはようございます、ヒスイさん。もう起きていらしたんですね」
「ジョーイさん!」
あたしが翠霞の横を抜けてジョーイさんに挨拶をすれば、彼女も微笑んで返してくれた。
それから紅霞を見て、一緒にきたハピナスと共に彼の診察を始めた。
ちらり、とジョーイさんがあたしを見て少し笑った。
「時間が少しかかりますわ」
「あ、えっと…じゃあ、荷物とってきます」
気を遣ってくれたんだと思ってそう言えば彼女もにっこりと笑った。
翠霞にロトムくんを預けてシャワーを浴びた。一気に覚醒する意識に、紅霞が朝ごはんを食べられるか少し考えた。
あれくらい元気になっていれば心配はきっとないんだろう、けど…。
膝を滑るシャワーの水に、ぞわり、と冷気を感じた。
実際の温度は変わっていない。驚いて投げ出されたシャワーは床に音を立てて転がり、尚もまだ温かな湯を噴出させている。
膝に残る赤い線が、湯に溶けてふくらはぎを落ちる。
「…紅霞は、無事だったのに」
ぽつり、と呟かれた言葉が室内で反響した。無事であることと、安全であることは大きく違う。
傷つけたのは紛れもないあたしなのだから。
ぐ、と膝を拭えば僅かにこびりついていた赤が落ちる。
『
ヒスイ?大丈夫ですか?』
声だけが聞こえる。半透明の、モザイクがかった模様の扉の先に水色が見えないのは、脱衣所の外から話しかけられているからみたいだ。
まだ、大丈夫じゃないけれど。でも精一杯見えない相手に声を振り絞った。
「大丈夫だよ、白波。心配かけてごめんね」
『
いえ、紅霞の様子は?』
「翠霞の力もあって、結構…ピンピンしてた、かな?」
それはよかった、と安心したような白波の声が聞こえてするすると足音が遠ざかった。
無事だから、良いというわけじゃないんだ。
だって紅霞はあたしのせいで傷ついたのに…!
できればジム戦なんかしたくないのに、あたしの記憶だとカントー地方に向かうにはジムバッジを8つ、全て揃えてカントー地方とジョウト地方を繋ぐゲートを越えるか、船に乗るか…コガネに通っているリニアに乗るか、だ。
うち、ふたつはパスポート、所謂乗車券が必要で特殊な入手経路になる。
だけどゲートを通るのに特別な資格は必要ない。バッジさえあれば無条件で、あたしに許された唯一の方法。
…ジム戦なんか、バトルなんか、嫌いだ。
荒々しく扉を開けて乾いたタオルで乱暴に髪についた水分を弾いた。
誰一人、傷つけたくないのに。どうしてアンノーンはあたしに"彼"を…
『
ヒスイ、さっさと着替えて!ボクお腹すいた!』
「あ、おはよう真紅!今、行くからっ!」
食べないでね!そう言えば、当たり前でしょ、と一言少し可笑しそうに笑った真紅の声が扉の向こうから聞こえた。
悩んでいる暇なんかないんだ。すべきことが為されるのを、アンノーンも"彼"も待っている。
そしてそれを、紅霞も翠霞もみんな、わかってくれている。
やるしかないことに、悩む必要も時間もない。
あたしはジム戦を、避けることはできないんだ…!
「今、行くから…」
時間は、ない。
やるしかないんだ。
2010.01.27
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