◎53 : 侵食
ものすごい轟音と共に鋭い岩が飛んでくる。避ける前に目の前の影がそれを砕いて空に飛んだ。
空は依然変わらず泣いたままで、心なしか尻尾の炎が小さくなっている。
「紅霞!ボールに戻って!」
『
ンな悠長なこと言ってらんねェだろうが…!
おいお前!くそっ、正気に戻りやがれ!』
湖の上を紅霞が旋回する。火炎放射もまったく気にしていないように湖の中央で巨体が暴れた。
夕陽はとっくに沈んでいて、それでも燃えるような赤色の体は煌くほど艶やかだというのに。
ギャラドスは既に、正気の沙汰じゃない。
あたしを護るように翠霞が一歩、前に出て紅霞とギャラドスを見守っている。
だけど圧倒的に不利だ、紅霞は炎タイプでギャラドスは水タイプ。
ギャラドスの長い尾が暴れるたびに地面だったり、木だったり、至るところを破壊し尽そうと強く当たった。
だけど問題はギャラドスは苦しそうだってこと。好きで、こうしてるワケじゃない。
でもこのままにはしておけない…!このままじゃ、ギャラドスが傷つくことになってしまう。
「紅霞、あたしを乗せて!翠霞は西の方に走って!」
『
ヒスイ、気をつけてよ?』
振り返らずに翠霞の声が騒音の中で小さく響いた。わかってる、傷つくことが今あたしがすべきことではない。
下りてきた紅霞の背に飛び乗ってボールを投げた。
まずふたつ、湖の方に。
「白波、西の翠霞の待機場所までギャラドスを追い込んで!真紅はギャラドスの背に乗って方向を調整して!」
『
ヒスイ…わかっているとは思いますが、ここは異常です…。
私たちでも、力を制御できなくなるかもしれません』
『
そうなる前になんとかしろってことだろ、追い込むぞ!』
『
ボクの波導でこの気味悪い"音"を誤魔化してみるよ…』
白波の言うように、あたしですら何処か嫌な気分がしていた。むしろ真紅の言うような"音"が聞こえ始めている。
紅霞がわざわざ音を立てて急上昇した。それでも強くなる何かに紅霞の首に捕まったあたしは耐え続けた。彼らだって耐えている、あたしよよりもつらいはずなのに。
真紅がギャラドスの頭に捕まって体を無理矢理傾けた。白波は反対の、東側から波乗りでギャラドスを挑発して西へと泳いでいく。
ギャラドスが追いかけ始めたと同時に音が少し和らいだ気がした。真紅の波導だ。
恐らく…この音はチョウジタウンにあるロケット団の基地から発せられているもの。
だけど人間のあたしがどうして…?
『
ギャラドスが翠霞ンとこまで行ったぞ、ヒスイ』
「ん…真紅、飛んで!任せたよ、ロトムくん!電撃波!」
投げたボールからロトムくんが飛んで真紅が翠霞の傍に降り立ったと同時に電撃波を繰り出した。
小さくても(多分)電気タイプのロトムくん、電撃波はギャラドスにとって大きなダメージになったはずだ。
そのまま岸に向かって巨体が揺れ、倒れた。あたしも地に立ってすぐに紅霞をボールに戻す。このままじゃますます弱ってしまう。
ギャラドスは水タイプの他に、(納得いかないけど)飛行タイプも持ち合わせていたはずだ。
ロトムくんの攻撃じゃなくても大ダメージだろうその体はもはやぼろぼろだった。
あれだけ暴れていて反動がないはずがない。そこに追い討ちをあたしがかけたのだから…たとえその場を収めるためだとしても酷い仕打ちだ。
「あの…ギャラドス、」
『
ニンゲン、を…止メてくれ……』
身体の大きなギャラドスの声だと思えないほどに小さいそれは弱々しい。
どうしよう、こんな大きなポケモンは運べない。ジョーイさんを呼びに行ってる暇もないだろうし…紅霞はもう、雨の中飛んだことで(水飛沫にもあたった)既に疲労は限界だ。
だけど、彼、ギャラドスを可笑しくした"音"を破壊しなくちゃいけない。
ッ……方法はひとつしかない。悩んでる暇なんてない。
「翠霞、アロマセラピーでギャラドスを癒して。真紅、翠霞の護衛を頼むね」
踵を返すあたしの腕を黒くふわふわの手が掴んだ。それはぎしりと骨が軋んだと思うくらいに痛いものだったけれど、あたしは振り向かなかった。歩みは止まる。
真紅は離さないまま、あたしの背中に鋭い視線を浴びせている。痛む腕から困惑した感情が伝わってくるようだった。
『
…どういう意味さ?』
「そのままの意味だよ、真紅。真紅なら人間と話すことができる。こうなった状況について、誰かに説明できる。
あたしはこの"音"を壊さなくちゃいけないの。」
振り返った。赤い瞳と視線が交じり合う。適任なのだ、真紅はこの場に。そして翠霞はギャラドスを癒す能力を持っている。
ポケモンセンターに連れて行けない今、必要なのは彼ら。
腕が離れた。それでもあたしを睨みつける視線は鋭いままだった。
でもあたしにはそれが不安からくるものだと、ほんの少しわかっていた気がした。黒い体を捕まえて抱きしめる。
ふわふわの毛が顔をくすぐった。
「すぐに、戻るから。ね?」
『
っ…白波でも、いいんじゃないの?』
「…真紅、」
お願い。強く抱きしめるとつんとした耳が少しだけ垂れた。
そのまま体を離して翠霞と一瞬目が合った。ひとつ、頷いて再び踵を返す。
もうあたしの足は止まらない。
ゲートを越える頃には息もすっかりあがってしまっていたけれど、そんなことは気にしていられなかった。
紅霞は弱ってた。小さな小さな変化だったけれど、確実にあの時の紅霞は弱りきっていた。
頭に乗っていたロトムくんの体を抱いて、向き合う。
「ロトムくん、ポケモンセンターのジョーイさんにこれを渡してほしいんだ。できる?」
『
ヒスイ…?』
「お願い…紅霞を、助けてあげて」
いつもいつも、あたしのために無茶をする紅霞。でも今回は少しだけ休んでいて。
いつもなら抗議をするようにボールが動くけれどその様子もない。それほどまでに弱らせてしまった。
あたしの不甲斐なさゆえに。
ロトムくんはボールとトレーナーカードを腕にひっつけて(静電気のようなものみたいだった)、ふわりと飛んでいく。
真っ直ぐ、先にあるポケモンセンターまで。
残った白波があたしの頬に擦り寄った。
酷な選択をしているあたしを責める様子もなく、澄んだ瞳があたしを映している。
「…ごめんね、白波。ひどいトレーナーで」
『
貴女は真紅の具合の悪さを見抜いていた。ボールから出したあの時の様子ひとつで、彼にはこの基地内に入るほどの余裕がないことを理解した。
真紅にはこの"音"に対する耐性があまりにもなかった…彼の幼さはそれを理解はできなかったでしょう。ですが、私は違う。
…私は誇り高き龍族です。優しき主のためならば、傷つくことも厭いません。』
だから貴女は進むべきです。覚悟を決めた青の世界が、あたしをじっと見据えていた。
白波ひとりで乗り切れるほど簡単なことじゃないのはわかってる。きっとすごくつらい。
なのに白波はあたしと共に行くと言ってくれた。
覚悟を決めるべきなのはあたしだ、ヒスイ。
情けのない顔はやめろ!
「…行こう、白波。ただじゃ済まさない。…絶対に!」
何か、力が沸きあがるような気がした。感情が高ぶると同時に起こる変化。
この感覚…知っている気がした。
小さな店に足を踏み入れると男性がふたり、こっちを見た。
「な、なんだてめぇは!!」
「店はもう閉めて…っ」
男性を押しのけて大きな箪笥を見る。不自然なほど大きなそれは明らかに"何かあります"って物語っていたけれど、生憎にも今のあたしは冗談にすら付き合えそうにない。
ふと、腕が勝手に上がった。いつかの夢のように…青白い肌の彼が、したように。
手を少しだけ横にずらす。
途端、箪笥が勢い良く壁にぶつかった。まるで強い力に引かれたように。
『
ヒスイ、今は"それ"には悩まないでください。後で私が説明しますから…
暴走しないようにだけは気をつけてくださいね』
階段のところで白波が止まって、あたしにそう言った。
混乱している暇すら与えてくれないのも、彼の優しさだと思う。あの時と…繋がりの洞窟で白波のボールを破壊した、あの時と同じ感覚。
二度目ともなると慣れなのか、諦めなのか、さほどあたしの心中が混ざりあうことはなかった。
とは言ってもやはり、混乱してしまうけれど。でも今は白波が言うように進むしかない。
この力を利用するくらいの心構えがないと…取り込まれてしまいそうな気すら、するのだから。
もしかしたら"彼"もこのくらい、いや、これ以上の力と戦っているのだろうか。
考えるな、考えるな、考えるな…!
下っ端だろう男を一瞥して階段を駆け下りた。
ペルシアンの銅像が何個も並んでいて、瞳のセンサーが赤く光る。
『
…ヒスイ、』
白波があたしを見上げる。同じように、手をかざして…横に振り切った。
途端に音を立てて銅像がいくつも崩れていく。やっぱり箪笥と同じ。
そして使えば使うほど、コントロールが上手くなっていく。
憎しみが増えると共に。あたしは少しだけ苦笑した。
今白波はどんな表情をしてるんだろう?あたしは、彼を思いやれているだろうか?
『
すみません、ヒスイ…でも貴女は監視者に選ばれた者です。
貴女なら、闇に打ち勝てるはずですから…』
「…大丈夫だよ、白波。まだ、正気でいられる。ありがとね?」
水色の綺麗な体を撫でると白波が少し、目を伏せた。
あたしの中で何か、ドス黒いものが疼いた気がする。だけど気付いちゃいけないんだ、まだ何も…あたしは救えてない。知ってない。
銅像が壊れる時に発した音か、それともどこかで見ていたのか、大勢の人の声が聞こえてきた。
あたしの手元には空のボールしかない。白波ひとりで大勢を相手取ることはしたくない。
白波ならきっとやってくれる…けれど。
あたしがどうするか決めかねているとふと、体が引かれた。口には手、声を上げることができない。
白波が目を丸くしてあたしと、恐らくあたしを押さえつけている背後の人間を交互に見る。
「しー…君、ロケット団じゃないね?
今は黙って僕についてきてくれないか」
「んっ…んんー!」
『
彼は大丈夫ですよ、ヒスイ。』
もごもごと押さえつけられた哀れなマスターを見上げる白波の瞳が少しだけ揺らいだ。
為すがまま、男の人に引きずられるようにして物陰に隠れる。
遠ざかる足音に手を離してもらい体が解放された。すぐに振り返ると、派手な(ピンクに近い)赤色の髪をした男の人と目が合う。
………マント?
「急にごめんね。僕はワタル、君は?」
「どっ…ドラゴン使い…?ほんもの…?」
完璧なまでに派手な服装、髪型、そしてマント。何もかもがあたしの想像通り…!
あたしの(ミーハーにも似た)興奮した状態に目を丸くしたワタルさんがカイリューを撫でる。
いたんだ、カイリュー。緑の瞳があたしを見て、それからにこりと笑った。(可愛い!)
あ、そうだ。名前…まだ、ちゃんと名乗ってなかった。
気を取り直してあたしは彼に向かい合った。
「すみません、取り乱しちゃって。あたしはヒスイ、ワカバタウンのヒスイです。
訳あってここを潰すために潜入しています」
「じゃあ僕たちは同志って訳だ。そのハクリュー…とてもよく育てられているよ。
君がいいトレーナーだってことを証明してる。」
彼は白波の体を一撫でして立ち上がった。
よし、あたしもいかなくちゃ。立ち上がろうと足に力を入れてすぐ、白波が顔を近づける。
幾分か先程よりも優しい瞳であたしを見つめた。
『
良かったです…貴女が、元に戻って。』
ふわりと彼が笑う。…そっか、知らない間にあたし、すっごくネガティブになってたかも。
意外とギャラドスのこととか、ロケット団のこととか、悩んでいたのかな。
ようやく自分のことを客観的に見られた気がして、細い白波の体を抱きしめた。
白波も、きっとワタルさんとカイリューがいたら傷つかずに済むかもしれない。
良かった、本当に良かった。細い体をきつくきつく抱きしめれば白波が苦しそうに笑った。
2010.03.12
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