◎55 : 旋律
ちりちりと痛みを感じてあたしはようやく現実に戻ってきた。
いや、現実…という言い方には語弊があると思う。あたしは元々この世界の人間ではない。現実というのは元の世界のことを指すだろう。
目が覚めたあたしは見慣れた天井を凝視した。ここはポケモンセンターだ、直感ではなく、何度もお世話になった記憶からの推測である。
ポケモンセンターの外観は町の個性に合ったデザインになっているが、今まで行ったポケモンセンターはどこも同じような内装になっている。
だからあたしにはここがポケモンセンターだとすぐにわかった。
痛む体を起こして頭を少しずつ整理していく。
あたしはどうして、ここに来られたんだろうか。綺麗に巻かれた包帯はまるでミイラのようにあたしを包んでいたけれど、上げた腕の先にチラついた紅に息を呑んだ。
な、なんで…?
あたしがベッドに横になって寝ていて、あたしを動揺させた原因である紅の髪の少年…シルバーくんはベッドサイドにもたれかかるように寝ていた。
静かで、無防備で…幼い表情。眉間の皺が伸びきっていないまま線を残している。
起こさないようにゆっくりとベッドから立ち上がった。けれど、まるで力が入らずにがくんと膝が折れる。
不味い、と思ったその刹那、太く頑丈な腕があたしを支えた。
顔を上げれば悪戯っ子のような笑みを浮かべた彼が立っていた。随分大きくなっちゃったんだな…
「マグマラシくん…あの、おはよう」
『
グッモーニン、やなぁ嬢ちゃん。慣れてきたトコ悪いんやけど、"バクフーンくん"やわ』
そのまま体勢を整えて立ち上がる。なんとか立ち上がることはできたけれど手はまだ彼の腕を掴んだままだった。
ふわふわした毛に覆われたその腕が気持ちよくて、中々放せずにいる。放したところでまた倒れるかもしれない、そうすればシルバーくんが起きてしまうだろう。
ありがとう、と小さく礼を言えば彼は苦もなさそうにあたしの体を抱き上げて扉へと向かった。(びっくりした!)
人間ほど器用に、そして静かに扉を閉めて廊下に出たところでやっと普通に話せた。
シルバーくんは優しい。だからきっと、あたしのぼろぼろの姿に放っておくことができなかったんだと思う。
だったらきっと寝不足だ。
『
そないポケモンが心配なん?リザードンたちならすっかり回復してはったわ…問題なんは、カイリューのほうやな』
「…白波、ひどい怪我だったでしょ?あたし、がッ……!」
『
ストップ、嬢ちゃん。誰が悪いとかは関係ないわ。
今は、顔見たって?そんで笑っとったらえぇ。それが嬢ちゃんのえーとこやろ?』
ぺし、と軽くおでこを叩かれて、小さく頷いた。
今更悔いても仕方ない。バクフーンくんの言うとおり今あたしにできることなんて少ない。
なら彼の言うように、あたしは傍にいるべきなんだ。
「ありがとう、バクフーンくん」
『
マスターがお世話なっとるからな、気にせんといて』
元々細い目をさらに細めてバクフーンくんが笑った。
マスターってシルバーくんのことだよね…だったらむしろあたしのほうがお世話になってるのに。
でもこれ以上この話題を続けさせたくないのか、バクフーンくんがあたしを抱いたまままた歩みを再開した。
少し気恥ずかしい気もしたけれどその体にしっかりと掴まって上下に揺れる衝撃に耐えることにした。
『カイリュー、ドラゴンポケモン。立派な体格で荒れ狂う海を物ともせずに自由に飛びまわれる海の化身。』
ポケモン図鑑を開けばカイリューの説明が始まった。目の前の"カイリュー"は瞳を閉じて静かに呼吸を重ねている。
図鑑には2.2メートルと書かれている身長だけれど、白波は違う。前は小さいことがコンプレックスだと言っていた。
でも今の彼は図鑑が示す平均を少し、上回っている。
力が大きすぎると白波はあたしに教えてくれた。だから、この体格は力の大きさをきっと表しているんだと思う。
それがどれほどのものかはあたしにもよくわからないけれど、きっと、すごく大きな力。
大きな手を握って目を細めると、少し、頭が重くなった気がした。
その原因がすぐにあたしの太腿の上に落ちてくる。
『
ヒスイ、元気ない。ロトム知らない。どうする?』
「大丈夫だよ、ロトムくん。…ありがとうね」
オレンジの体に手の平を滑らせれば少しだけロトムくんが震えた。
白波はあたしの知らないことを知っている。あたしが何をすべきか、どういう存在なのか。
話すべきなんだ…そろそろ。アンノーンの事を知っている白波が、何故あたしと共に行動しているのか。
万人に好かれる人間なんていない。白波があたしのことを好きでいてくれて、あたしのポケモンになってくれているのなら…それは喜ぶべきことだけど。
でも、そこまで御気楽になんてあたしはなれない。
あたしの知らないことを、白波が知っていることを。
そしてお互いの為すべきことを。
話すべきなんだ。
決心を固めたあたしは立ち上がった。とりあえず、ジョーイさんに会って紅霞たちの様子を聞いてこなくちゃ。
白波は暫く休ませてあげたい。巻かれた包帯が痛々しいから。
あたしもミイラのように巻かれてはいるけれど…。
「…そういえばどうして包帯?マタドガスの大爆発も白波に庇ってもらったのに…」
最後の力を振り絞ったあの時、多少の擦り傷なんかはあった。
だけど包帯を巻くほどの大袈裟なものじゃない。
集中治療室から出たあたしは急いで包帯を取る。肌に近くなるたびに見えなかった赤が白い包帯に滲んでいた。
包帯を全部巻き取ったときには、腕に見覚えのない傷がいくつもついていた。
見た目ほど痛みも酷くないし、出血は多いものの深くはない。
だけどわからない…どうしてこんな傷、
『
ああ、ヒスイさん!ダメですわ、包帯を取っちゃ!』
「わっ!ら、ラッキー…じゃなくて、えっと」
前にもポケモンセンターで見たことのあるラッキーに似たポケモン。
図鑑を取り出せば"ハピナス"と表示されていた。
そんなポケモンもいたかも、と悠長に考えていると後ろから背を押された。
ぷりぷりと怒る彼女も可愛らしい。ふりふりの体もとってもプリティだ。
『
もう!最近の若い子ったらすぐ無茶するんだから!
さ、こちらにお座りになって!』
半ば強制的に広間に設置されてるソファに座らせられて、何処から取り出したのか真っ白の綺麗な包帯を巻いていく。
慣れた手つき、と暫く包帯を見ていたけれど他のところにも巻かれている包帯を交換するつもりだったらしく、時間がかかるだろうなぁと辺りを見回した。
そしてすぐに大きな何かが目に付いた。あれは…、
「グランドピアノ?なんでポケモンセンターに…」
『
素敵でしょう?あのピアノはチャンピオンリーグからの贈り物なのよ』
ヤナギさんは特別真面目にジムリーダーを勤めていらっしゃるから、感謝の気持ちをこめてらしいわ。とハピナスさんがふふっと笑った。
確かに、イブキさんには会っていないけれど…今までのジムリーダーって結構自由だったもんなぁ。
一癖も二癖もあるジムリーダー相手にチャンピオンリーグもさぞ大変なのだろう…と心の中で少し、同情する。
とは言っても昨日のワタルさんを思い出すとジムリーダー以上にチャンピオンが自由すぎる気もしないでもないけれど…!
あたしはソファに投げ出されていた手を上げて手相を見るように自分の手を凝視した。
痛みもひどくないし、何より腕は傷があるけれど手はない。ペダルを踏むのだって歩くことに比べれば痛みは少ないだろうし…。
血のついた包帯を集めているハピナスさんに遠慮がちに、尋ねてみた。
「あの…ピアノ、いじっちゃだめですか…?」
『
あら、構わないわよ。ちょっとお待ちになって、ずっと使ってなかったものだから…埃がすごいのよ。』
カバーを静かに除かれて黒く光るそれがあらわになった。すっごく大きくて立派なもの。
うちにあったのも確かこのくらいだったっけ、なんて遠い記憶を呼び起こした。
『
カバーの埃を払ってからあそこに置いておくから、終わったらかけてちょうだいね』
「あ、はい、ありがとうございます!」
『
あら……ふふ、可笑しな子』
あたしが返事したのに驚いたのか、くすくすと笑いながら彼女は血のついた包帯と汚れたカバーと共に奥へと戻っていった。
ジョーイさんに本当は用事があったんだけど…まぁ、いいよね。
指を動かす。鍵盤を叩くのではなくて…優しく、流れるように。
頭の上にいたロトムくんがふと、体を浮かせた。
「
なーにやってんだよ」
「紅霞?それに翠霞も…なんで人の姿で、」
「
ヒスイに会いたくて抜け出してきたんだよ♪疲労程度だしねー。」
翠霞が左に、紅霞が右に座って大きな椅子もぎゅうぎゅうと詰められる。
呆れたように少し離れたところで真紅が腕を組んでいた。
「
ヒスイ、それ…何?」
「これ?ピアノだよ」
鍵盤を叩いて音を出せばぴくり、と真紅の少しだけ尖った耳が揺れた。
そっか、ピアノを見るのも初めてだったんだっけ。
中断したところからゆっくりとリズムの波を作った。合わせて、音が踊り始める。
-- You look so dumb right now
(今のあなた、最悪ね)
-- Standin' outside my house
(あたしの家の前に突っ立って)
-- Tryin' to apologize
(謝りたいのね)
-- You're so ugly when you cry
(泣き顔、最悪だって気がついてないの?)
-- Please just cut it out
(いい加減にしてよ)
-- Don't tell me you're sorry cuz you're not
(ごめんなさいなんて言わないでよ、そんなこと思ってもないくせに)
-- Baby when I know you're only sorry you got caught
(バレたから謝ってるんでしょう?バツが悪いだけよ)
ピアノの旋律に合わせて口ずさむ詩が、少しずつ大きくなってくる。
英詩であるこの曲の意味なんて翠霞ですらわからないはずなのに、どこか複雑な顔をする彼に笑いかけた。
この曲を捧げるような相手はこの世界にはいないけれど、お気に入りの曲のひとつだった。
あたしは元の世界では子供とは言いがたい歳だったし、苦い経験もある。
今でも十分甘いとは言えない経験を重ねているけれど…。
-- But you put on quite a show
(いいショーだったわ)
-- You really had me goin'
(とても面白かったわね)
-- But now it's time to go
(でももう時間なのよ)
-- Curtains finally closin'
(幕が降りるの)
-- That was quite a show
(中々のショーだったわ)
-- Very entertainin'
(楽しませてもらったもの)
-- But it's over now
(でももうお終い)
-- Go on and take a bow
(最後にお辞儀でもしたらどうかしら)
「But it's over now...(でも、もうお終いよ…)」
ピアノの最後の音が消えるまで、誰も何も言わなかった。
隣から空気を伝ってくる熱を感じることができなければ、本当にここにふたりが座っているかすらあたしにはわからなかっただろう。
それくらい奇妙な静けさがあたりを包んで、なんだか、申し訳ないような居た堪れないような気持ちになる。
「
ヒスイ、失恋したことあるの?」
「へっ…?な、なんなの、いきなり」
翠霞の突拍子のない質問に紅霞の片眉が釣りあがった。
も、もしかして意味がわかったとか…なわけ、ないよね。だっていくら天才っていえども英語だし、うん。
「そりゃー…あたしも子供じゃないし、何度もあるよ。
曲を作る上で一番優先するのは、恋愛要素を取り入れることだもん。」
「
子供じゃない、ねぇ…僕には君が子供以外の何者でもないように思うけど、」
翠霞がじりじりと顔を近づけてくるから体を少しずつ引けば、後ろから紅霞の腕が回される。
抱きしめるように回してくる腕は少しだけ、今のあたしには力が強い。
「
で…これが新曲?」
「あ、ううん。これは新曲とかじゃなくて…あたしよりずっとセンスのある人が作った曲なの」
素敵な曲でしょ?と笑えば曖昧に紅霞が頷いた。
指がまた動こうとした時、先程のハピナスさんがやってきた。
どうやら抜け出した紅霞たちを探しにきたらしく、先程より些か目が釣りあがってた。(あたしのせいじゃない)(抜け出す方が悪い!)
『
もう、あなた方!人の姿だとバレないと思っていらっしゃったの!?
さぁ元の姿に戻って、さっさと治療室にお戻りになって!』
「
バレちゃったら仕方ないね、戻るよ、紅霞、真紅。」
それに君も、とあたしの頭の上に乗っていたロトムくんを鷲掴んだ翠霞はさっさとハピナスさんの後に続く。
きっと、あの様子じゃあバレることがわかってたに違いない。潔すぎるし。
真紅が後に続いたのを確認した紅霞があたしの傍にくる。
そのまま近づく顔に驚いて目を閉じれば、ふわり、と左の瞼の上に暖かいものがおちた。
すぐに、それは離れる。
「
一人で出歩くんじゃねェぞ」
「紅霞、白波みたいなこと言うんだね」
「
アイツがノビちまってんだから、俺がしっかりするしかねーだろ?」
にやり、と近い距離のまま紅霞が笑って、すぐに踵を返した。
しっかりした紅霞なんて気持ち悪い気もするけど(…)あたしは椅子に座ったままその後姿を眺めていた。
完全に見えなくなって、視線を下げる。ピアノの旋律がまた音を紡ぎ始めた。
ふと、手元が暗くなって顔を上げた。
断言できる。この顔はすっごく不機嫌だ。
「続けろ」
一言、紅の瞳を細めて彼は言った。
2010.03.23 -- 歌詞は"Rihanna(リアーナ)"の『Take a bow』より一部抜粋。
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