◎57 : 伝記
これは人間とポケモンという区別のなかった頃の…とてもとても、昔の話です。
遠い昔、この世界ができてまだ少ししか経っていない頃…世界は混沌に満ち溢れていました。
なんで"コントン"で満ち溢れてたワケ?
いい質問ですね、真紅。
私はその時代から生きているわけではありません。龍族といえど、寿命はありますから…。
これは言い伝えを元に推測した答えですが、恐らく、"秩序"に欠けていたのでしょう。
その頃は神も居ず、荒れ狂う自然にポケモンと人間が耐えていたそうです。
創造主のアンノーンは神として崇められていたわけじゃないんだね?
そうですね…アンノーンは確かに、創造主でした。
ですが、アンノーンの一個体には、世界を創造する力など存在しなかったんですよ。
だから、力の悪用を考える人間もいなかった。
はァ?じゃあヒスイに力を与えてるのは誰だっつーんだ
…紅霞、その質問に答えるのは後にしましょう。
世界に存在するすべての命は荒れ果てた自然の猛威に耐え続けてきました。
ですが、創造主アンノーンの…世界を創造した後に残った力など、微々たるものでした。
これでは世界が崩壊してしまう。創造主アンノーンは自分たちの作った世界に足りないものに気がつきました。
それは秩序、慈愛、そして、希望です。
アンノーンたちはポケモンで、そして人間や他のポケモンとの交流を断った創造主。
完璧なものを創ることは不可能だったのです。
みんな…どうなっちゃった、の?
創造主アンノーンは素直に不完全であることを認めたのです。
彼らの迅速な対応は奇跡を生んだとされています。彼らはひとつになり、創造主として、世界に新たな者を招き入れたと言います。
その者の名は、ヒスイ。小さな少女が持っていたのは、慈愛と秩序と、大きな希望でした。
っ…ヒスイ、ね。デキすぎてると思わないの?白波は。
もちろん私だって初めてヒスイを見、話したとき…そう思いました。
まさか彼女が、ってね。でも私を救った彼女の怒りを目の当たりにしたとき、確信したのです。
彼女こそが"創造主の一部"だと。
言い伝えのヒスイもアンノーンたち同様、不完全でした。
ですがアンノーンたちも、ヒスイ本人も、それは気にすることではないと言ったそうです。
『世界は命の象徴で、決して完全なる存在ではありはしない』と。
世界は完全に近い不完全の状態を今まで保ってきただけに過ぎない、ということなのです。
わかりますね、翠霞。
僕はわかるよ、創造主"たち"が不完全である以上、その者に作られたモノ全ては不完全なモノとなる。
だけど白波、ヒスイは別の世界の人間なんだよ?ヒスイが何故言い伝えの"ヒスイ"と関係があるって言い切れるんだい?
…アンノーンたちは、世界を混沌から解き放った後、ヒスイを封印しました。
ヒスイと共に創りだした神の欠片に世界の監視を任せ、自分は行く末を見届けるための記録者となったのです。
後にヒスイに関する言い伝えはぷっつりと途絶えました。
…どういうこと?
ここからは私の推測です。
ヒスイは恐らく…世界に散らばる神の欠片、すなわち、伝説と謳われるポケモンたちを創りだした後、消滅したと思われます。
力を使い果たした者の行く末は誰にもわかりませんが、とても大きな力を持ち、大きなエネルギーを必要とした作業だったことは容易に想像できますからね。
アンノーンたちと現在、接触できるのはヒスイ…貴女だけです。
そして真実は私たちにはわからない話なのです。
「待って…白波、あのね、よくわからない…紅霞の、質問」
『
ヒスイに力を与えているのは、ヒスイ、…貴女自身です。
貴女はもしかしたら自分は"ヒスイ"の生まれ変わりなのかとお思いでしょう。
ですが、それは完全なる正解ではありません。』
長い長い話と、複雑な過去と、わからない"あたし"という存在。
全部が絡み合ってあたしは今きっと複雑な顔をしていると思う。
白波だって、話していて色んな質問に答えなくちゃいけなくて。混乱してるのはみんなそうで。
だって、あたしは誰で、どうすべきか。まだ答えは出てないんだ。
堰を切ったように泣きたい衝動を、ぐっと堪えた。
あたしにはまだ、その権利はない。
『
ヒスイ、貴女は何故ポケモンの声が聞こえるのだと思いますか?』
「そっ…」
そんなこと、決まってる。なんでわざわざわかりきったことを問う必要があるんだろう。
答えはひとつ。…その答えが、
『
ンなの、アンノーン絡みの事なんだろ!?』
「…この力は、本当は、アンノーンの力じゃない。そうなんでしょ?」
『
っ…でもヒスイはただのニンゲンだよ!ボクの声しか、聞こえなくなったじゃんあの時!
ヒスイ、アンタは認めちゃだめなんだよっ!それはっ……!!』
真紅の赤い瞳が揺らいで、腕を黒い手が掴んだ。
軋むかと思うくらい痛んで、赤くなった皮膚に彼の愛情を深く深く、感じた。
わかってるの、白波が続きを言うのに躊躇っているってこと。
でも、確認すべきことだから。だから、ちゃんと最後まで聞かなくちゃ。
あたしの視線が白波へと向いた。覚悟をするまでの猶予を、白波は与えてくれる。
『
ヒスイ、何故怪電波を貴女は微弱ながらも聞き取れたと思いますか?』
『
……白波、もうやめてよ。ヒスイは人間だよ?』
震えた声で、翠霞が白波から視線を逸らすように俯いた。
じわりじわりと襲い掛かる不安。でも、不安になったりしちゃだめなんだ。
だってあたしの代わりに、こんなにもあたしの代わりに不安になってくれてる子たちがいる。
あたしの腕を掴んで話さない真紅の手の上にあたしの手を重ねた。
ふわふわで柔らかい毛を撫でるように、ゆっくりゆっくりと手を動かす。
ありがとうの気持ちが伝わるといいな。
『
翠霞、現実を受け入れることも時には必要なんですよ』
『
そ、そんなの…白波の推論であって僕は認めな…』
「翠霞」
緑の綺麗な瞳が、あたしの方に向いた。
その世界は揺れていて、まるで綺麗な宝石のようだな、なんて暢気にも思ってしまう。
ほら、白波。あたしは大丈夫だよ。だってこんなにも…みんなに愛されてる。
たったひとつの事実かもしれない。だけど大切な真実なんだよ。
ねぇ、あたし、思ったより大丈夫みたいだから。
『
なんの話なんだよ、なァ!?お前ら、ヒスイがなんだってンだよ…!』
『
ヒスイがポケモンの言葉をわかるのは、そのアンノーンのペンダントが彼女の力を制御しているからです。
強大すぎる力はヒスイ、貴女自身でも制御はできない。アンノーンの力で調和しているのです。
"ヒスイ"の生まれ変わりなだけであれば、こんなにも酷なことを言わずに済んだかもしれませんね…』
小さく、白波がため息を吐いた。
あたしが首を横に振ると薄いオレンジの手があたしの頬に伸びて、滑るようにして落ちる。
あたしの右腕を抱くようにして擦り寄るのは真紅。珍しいな、彼がこんなに甘えてくれるなんて。
そう思ってすぐ、左手が何かの感触に気がついた。
すぐ傍に翠霞かきて、いつものようにあたしの手の甲にキスを落とした。
だけどいつもよりもずっと繊細で、まるで、触れ合っただけで壊れてしまいそうになる、感覚。
ずしりと肩に重みがかかった。すぐ耳元で何かに耐えるような、荒い息遣いが聞こえた。
椅子の後ろからあたしの肩を抱くのは、知ってるよ、きっとあたしのことを一番に考えてくれて。
あたしのために理解しようとしてくれて。
肩に感じるひんやりとした湿り気は。
あたしのために、あなたが…泣いてくれてるから。
「
頼む、白波…お願いだ。
もうコイツをこれ以上苦しめないでくれ……」
「こう、か…」
「
たの、む…」
それがどんなにあたしを動揺させることなのか、知らず知らずに理解してる。
何よりもあたしを優先してくれた彼。
「みんな、ありがとう。でもあたし、思ったよりこわくないんだ。
真実は時に残酷で牙を剥くものだと思う。だけどね…こんなに真紅が甘えてくれたこと、今までなかった。」
真紅が顔を上げた。いつの間にか人の姿になっていた彼の鼻の頭は真っ赤に染まっている。
まだ真紅自身は気付いてないかもしれないけれど、あたしの中で真紅はとても大きな存在。
まだまだ真紅について、知らないことたくさんある。だけど、それでもいいと思うんだ。
ゆっくりゆっくり一緒に歩いていけるなら、そんな些細なことは絆に差し障りない。
真紅もそう思ってくれてるよね?
「いつも冷静な判断をしてくれる翠霞が、自分の考えすら否定してくれるのって…今まで、なかった。」
自分の考えを根拠もなく否定するというのは、そう容易いことじゃない。
とくに翠霞のように頭のいい人は…そうだと、思う。
本当は答えがわかってるのに、翠霞はあたしのために、現実を否定してくれる。
あたしが傷つかないように。いつだって翠霞はあたしが傷つかないような選択肢を提供してくれた。
その気持ちだけで、あたしは十分救われてるよ。
「あたし、紅霞が泣いてるところ…初めて見たよ」
プライドの高さは人一倍の紅霞。あたしの前ですら、決して泣いたことがない。
過去にあった紅霞の心の傷についてだって、きっと彼のプライドがあたしに話すことを許可しないんだと思う。
それぐらい高い…エベレストも顔負けのプライドの高さすら崩してしまうほど、あたしは紅霞に想われているんだ。
だって最初の家族、最初の友達。
でもね、紅霞が傷つくところも、紅霞が泣くところもできれば見たくないんだ。
生きてる以上そんなことは無理だってわかってる。けど、
「…ありがとう、紅霞。真紅、翠霞。」
みんながいるから、傷つかないよ。
…ううん、ホントはちょっと、…すごく、こわい。
だけど、必要なことだから。みんなと一緒にいるために、みんな揃って笑うために。
必要なことなら…あたしは倒れたりしない。
「あたしは、大丈夫。どれほど満身創痍になろうとあなたたちがいてくれるから。」
そう、大丈夫なの。
あたしはなかない。くじけない。倒れたりなんか、してやらない。
あたしが倒れたら誰がこの子たちの涙を拭えるというの?
なんて、きっとあたしじゃなくてもできるだろうけれど。…でもこれはあたしのワガママ。
他の人になんて、可愛いあたしの家族を渡したくない。だなんて愚かな独占欲。
どんなにあたしが特別だとしてもあたしは善人にはなれないのだから。
『
貴女の強い覚悟は希望に満ち溢れていますね。どれほど辛い現実を告げたとしても、恐らくはきっと、貴女にはただの試練でしかない。
乗り越えるための壁…貴女は乗り越えてしまうでしょう。』
一呼吸、白波が置いた。
まるでここには何も無いんじゃないかってくらい、静かだった。
嗚咽を押し殺した真紅を引き寄せて、癖のある髪を指で梳く。
『
"ヒスイ"は消滅する前に、アンノーンにも力を与えたと思われます。
今回の事で私は確信したことがあります。恐らく、翠霞にはわかっていることでしょうね。
そしてヒスイ自身も薄々気がついている…アンノーンはその力を自分の物にはせず、ある完全に近い不完全な存在の創造に使いました。
この世界が再び不完全に揺らいだ時…その存在が希望となるように。』
青が、あたしを見据えた。
あたしも負けずに見つめ返した。それはある意味では挑戦で、ある意味では覚悟の表れ。
青の世界に囚われたまま、あたしは唾を飲んだ。
覚悟はできてる。
『
貴女はアンノーンと"ヒスイ"から生まれた存在です。
ヒスイ…貴女は人間でもポケモンでも、ありません。』
静かに放たれた銃弾が、あたしの胸を貫いた。
…そんな、気がした。
2010.04.10
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