◎58 : 勇気
揺れる水面。
晴れ渡った、青い青い空。
彼の…真剣な、瞳。
どれもあたしの心を捕らえて離さない"青"に、目を逸らすように膝小僧に額をくっつけた。
これであたしに見えるのはほとんど、あたしと同じ"黒"。
…でも、どちらかというとあたしは灰色かもしれない。
どっちつかずの存在。
どちらでもない、存在。
どちらともとれる。灰色。
ふと、足元が紅に染まった…そんな気がした。顔を上げると燃えるように赤い巨体があたしを見下ろしている。
澄んだ綺麗な水が彼の体の色で赤に染まったように見えたんだ、と理解するまでにそう時間はかからなかった。
「こんにちは、ギャラドスさん。体は大丈夫ですか?」
『
おかげさまで、な。多少傷は残るだろうが、なァに、大したもんじゃない。』
軽快に笑った彼に、あたしも口角を上げた。だけどそれは、あまりにもぎこちないものだったらしい。
ふ、と彼が目を細めた。優しい眼をしている。そして強い。そこに光る意思は強い。
凶悪ポケモン。目の前にいるポケモンが、そんなふたつ名のあるポケモンにはあたしには思えなかった。
『
随分、気落ちしてるな』
「…そう、かもしれないです」
曖昧に答えた割にはきっとあたしの態度は"何かありました"感じでいっぱいになってるはずだ。
ああ、いやだな。あたし、自分の感情すらコントロールできない。
なんだかやけに悔しい気がして上げていた額をまた膝にくっつけた。
ここにくる前はひとりだったのに、いつからか…あたしはひとりを怖がっている。
『
…おまえさんが何を悩んでいるかなんて、俺にはわからんだろうな。
だが、溜めてるモノを受け止めるくらいならできるぞ?』
伊達に歳を食っちゃいない、と大きな口の端が上がった。
顔を上げたあたしにできるかぎり怖がらせないように笑ってくれてるんだろうな。
この人なら(人ではないけれど)信用できるかもしれない。
なんて思うのはあたしが今どうしようもなく寂しいからだと思うけれど…
でも彼にも拒絶されたら、どうしよう。
ぞわり、と寒気がして目の前が真っ白になりそうになってもたれていた木に頭をつけると燃えるような赤があたしを覗きこんだ。
『
大丈夫だ、俺を見てみろ…こんなナリで、誰もが俺を拒んできた。
おまえさんは違った。そうだろう?』
借りを返させてくれ、と優しく微笑んだ赤はとても澄んだ瞳をしていて。
思わず両腕で掴んで、痛いくらい抱きしめた。
きっと彼にはそれほど痛みなんて感じてないだろうけれど、それでも。
どうして見ず知らずの彼があたしを受け入れようとしてくれてるのに、あたしは仲間を信じられないんだろう。
仲間なのに、家族なのに。
逃げてきてしまった。そんな自分を、心の中で恥じた。
「ありがとう、ギャラドスさん…逃げてちゃ、だめですよね。あれだけ大口叩いたんだもの…!」
『
…そうだ、それでいい。信じなければ何も始まらない。
おまえさんはちゃんと正しいことを知って、行動している。悩むことなんてないだろう?』
擦り寄るように赤が押し付けられる。
思ったよりずっと強い力だったけれど、なんだかそれがくすぐったくて、気持ちよくて、あたしも精一杯さっきより強く抱きしめた。
刹那、ぐっと強い力で何かに引かれた。
『
てめェ…ヒスイに何してンだ!?』
「こ、紅霞!?」
『
少し目ェ離した隙にこれだ、お前もいい加減に学習しろよ』
強い力であたしの腕をひいたのは紅霞だったみたいで、いつの間にか鮮やかな赤から黒に近い赤の中に包まれていた。
なんていうか、さっきまでくよくよしていたのにこうしてすんなり話してるあたしにびっくりしたりとか。
いつもと変わらない紅霞の態度とか。
なんだか、やっぱりあたしって、バカなんだなと思ったりして。
「…大丈夫だよ、紅霞。迎えに来てくれてありがとう」
『
リザードン』
『
ッ…』
あたしが大丈夫だと言ってもまだあからさまに睨みつけている紅霞。
大きい左手をそっと掴めば、ようやくあたしのほうを向いてくれた。
「大丈夫だから。ね?」
『
随分おまえさんは大切にされているじゃないか。
悩む必要なんざ、どこにもないだろう?』
声を押し殺したように、くっくっとギャラドスさんが笑った。
口調とか声からもそうだけれどおじさん…みたいな印象を受けた。
ほら、渋い外国の俳優さんとかまさにそんな感じの。
紅霞もやって睨むのをやめて思いっきり肩を落とした。盛大なため息というオプションつきで。
なんだよ、そんなに呆れなくたっていいじゃんか…。
『
ほら、帰ンぞ。俺たち置いてどっか行くンじゃねェよ』
「ごめんね…ちょっとだけ考え事、してただけだから」
立ち上がって大きな体の彼を見上げれば、複雑な顔をして紅霞はそうか、と一言だけ言った。
翼を広げた紅霞に慌ててあたしが走り寄れば、地を大きな影がゆらりとあたしたちを飲み込んだ。
驚いて振り向けば、真っ赤な巨体。
『
おい坊主、その娘を賭けて俺と勝負しないか?』
『
はァッ!?ンだと、てめェ…!』
「ぎゃ、ギャラドスさん!?」
先程と瞳に宿る光は変わらない。怪電波を受けてるわけじゃないのに、どこか面白そうに長い尾で紅霞を挑発するギャラドスさん。
どういうつもりなのか、さっぱり理解できなかった。それは紅霞も同じで。
あたしを守るように再度あたしの前に仁王立ちした。
『
なぁに、簡単なことだ。俺はそこの娘を気に入っただけだ。
それともなんだ、相性が悪いから戦えないのか?』
『
あァん!?』
「ぎゃー!もう、紅霞挑発に乗らないでよっ…ギャラドスさんもからかわないでください!」
『
からかっちゃいないさ、気に入ったのは本当だ。』
『
上等じゃねェか、受けてやるよ…!』
苛々と翼をばたつかせて宙へと舞い上がった紅霞。あたしを置いていって!
紅霞、と叫べば何故かぎろりと睨まれてしまった。
『
女は黙って見てろ!』
「ッ…はぁ!?」
女はって、今時流行んないよそういうの!
ていうかあたしトレーナーだよ一応!普通指示出すのあたしでしょ!
ポケモンが勝手にバトルしちゃうとかそれって…
……あたしのレベル(バッジ数)不足、とか?
さー、と血の気がひいていくのがわかった。
ていうか、あとバッジふたつなんだから、相当高レベルのポケモンじゃないと中々言うこと聞かないなんてことないと思うんだけど。
これ、絶対ポケモン個人の性格によるって。ポケモンリーグの嘘吐き…!
『
カッとなりやすい性格じゃあさぞかし苦労するだろうな。坊主?』
『
クソジジィが、調子こいてンじゃねェぞ!!』
だめだ、完全に頭に血が上ってる。
仕方ないからぼろぼろになるまで眺めてようかな、と先程の木の幹に腰を下ろした。
紅霞を信じてないわけじゃないけれど、多分、あのギャラドスさんは強い。
それにギャラドスさんが何も考えなしに言ってるようには見えない。
っていうのは、あたしの思い込みかもしれないけれど、とっても聡明な人だと思う。
ギャラドスさんが吠えて水中に潜る。こうなったら、紅霞には手は出せない。
紅霞も宙を旋回して赤の影を追っている。
ぐるぐると水中でギャラドスさんが旋回する。旋回が続いて、あたしも紅霞もようやく異変に気がついた。
ただぐるぐるしてるだけじゃない…これって…?
『
ックソが!龍の舞かよ!』
「龍の舞…?」
紅霞の舌打ちと共に聞こえた言葉にポケモン図鑑を取り出して調べてみる。
攻撃と素早さを上げる、龍族の舞…ドラゴンタイプではないギャラドスだけど、それは使用できるんだ。
途端水面から顔を出したギャラドスさんが跳躍して紅霞の前に現れた。
目の前、そして飛躍的に上がった素早さ。
極めつけは…振り上げられた赤い、大きな大きな長い尾。
不味い、と瞬時に察したあたしはボールに手をかけた。どうか間に合って。
赤い光が紅霞に伸びていく。だけど寸でのところで水を帯びた尾に紅霞が叩きつけられた。
そのまま地面へと一直線に飛んでいく。
「紅霞!!」
『
気付くのが少し遅れたな、坊主。』
一瞬だった。紅霞の叫び声が聞こえたと思ったら少し先で彼が倒れていた。
この程度の傷ならすぐにジョーイさんに治してもらえる。…けど。
あたしがボールに紅霞を戻してギャラドスさんを睨みつけた。どうして、こんなこと。
でも彼は眉尻を下げて少し笑っただけだった。
「…ギャラドスさん」
『
悪かったな。でもこれでおまえさんもわかっただろう?
おまえさんはひとりじゃないってこと。そしてこの坊主も、他のやつらも。おまえさんがついている。
…仲間、か』
最後の呟きはあたしの耳に届くことなく、彼は水の中に飛び込んでしまった。
ああそうか、彼はあたしを信じさせるために。
そう気付いた頃には既に赤い彼はどこにもいなかった。
いかりの湖のどこかで、彼は静かに過ごすんだろう。もしまた会えたなら彼にちゃんとお礼を言わないとね。
とりあえず、ひとまずはバカな相棒を休ませなくちゃ。
急いで帰る頃にはポケモンセンターの壁が真っ赤に染まっていた。
ジョーイさんに紅霞のボールを預けて部屋に戻る。
部屋には重い顔をしたみんなが各々に過ごしていて、扉を開けたあたしを一斉に見た。
「あっ…た、ただいまー…?」
『
ヒスイ!』
どん、と痛いくらい抱きついてきたのは真紅だった。
黒い毛を撫でれば赤い瞳が揺れてあたしを捉える。
ああ、また心配させちゃったな。
『
アンタのことだからくだらないこと考えすぎて、迷子になったのかと…!』
「ほ、方向感覚そんなに悪くないし!」
『
それには同意しかねるよ、ヒスイ。』
後から聞こえたのは翠霞の声で、困ったように目尻を少し下げた表情が見えた。
『
ヨシノシティに行くつもりで46番道路に行っちゃったのはどこの誰だったかな?』
「うぐっ…!でもでも、あれ以来これといって大きな迷子には…」
『
僕がポケギアを確認していたからだよね?』
ふふ、と大人びた笑いを溢す翠霞にはぐうの音も出なかった。
本当のことだけど…それを言われちゃトレーナーのプライドというものが、ですね…。
ぐったりと頭を垂れたあたしに蔓が伸びて髪を撫でるように動いた。
ヒスイ、と少し奥であたしを呼ぶ声がした。
『
決心は、つきましたか?』
「…白波、」
部屋に戻ってきていた白波がソファに腰掛けたままふわりと笑った。
答えなんて、決まってる。
真紅の頭の上にちりちり、と音を立ててロトムくんが現れた。
あたしが今すべきこと、ちゃんとわかってるよ。
でもその前に…ごめんね、紅霞。
あなたを置いて話を進めるけど、自業自得なんだからね。「女は」発言、結構怒ってるし、あたし。
そんなくだらない言葉で拒絶した紅霞は仲間にいれてあげない!
「翠霞、真紅、白波、それに、ロトムくん。
みんなにお話があります。…紅霞は今ジョーイさんに預けたままだけどね」
2010.04.23
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