◎59 : 感覚
「使用ポケモンは3体、チャレンジャーはワカバタウンのヒスイ!
ジムリーダーヤナギへのチャレンジです!」
「少年よ、わしはヤナギという。時折、冬のヤナギと呼ばれることもある。
何故だかわかるか?」
静かに、審判の大きく響く声とは別の…低く、構えるような声でヤナギさんは口を開いた。
素足の部分にはあの日…ロケット団のアジトに突入した際の名残があった。
朝ラッキーに変えてもらった包帯は白い。
あたしの傷はポケモンのようにすぐに治ってはくれない。
人間の医療はあまり進歩していないこの世界では自然治癒力が頼りだ。
冷たい空気が頬を切るように冷やしていく。
「…いえ」
短く、あたしは首を軽く振って答えた。
その様子を見てヤナギさんは微笑んだ。
「では、教えてやろう。冬の厳しさに打ち勝つほどの強靭なヤナギの強さを」
ボールが投げられる。出てきたのはパウワウだった。
パウワウのあの体には炎が効きづらい…はず。
なら、最初は任せるね。
「真紅!」
『
ボクを初っ端から出して大丈夫?』
「ん、大丈夫。がんばるから。」
よろしくね?と目で挨拶すればやっぱり仏頂面。
でも心なしか、瞳が生き生きとしているように見えた。
真紅はバトル大好き…だから、なぁ。
「真紅、発頸!」
「パウワウ、"霰"だ」
肌を切られた、そう思うほどに強い風が舞う。
そして硬い何かがバトルフィールドに降り注いで一瞬、真紅の気が逸らされた。
その瞬間パウワウが動いた。
『
ッ…ボクとしたことが!』
「真紅、高速移動!」
なんとかパウワウの頭突きをかわして上へとジャンプする。
冬のヤナギ、か。確かに…ね。
「オーロラビーム」
「押し切って!」
パウワウのビームを受けて、だけどそのまま体重を利用して下へと急降下する。
さすがのパウワウも発頸の直撃に耐えられるほど強いわけではないはず。
たとえ、"霰"の下でオーロラビームをしたからといって、真紅は簡単には倒れない。
ゆっくりと地に倒れるパウワウを尻目に、ところどころ自慢の黒い毛が凍った真紅がヤナギさんに背を向けた。
だけど、ほんの少し…何か違和感を感じる。
「よくやった、パウワウ。そちらもポケモンを交代させるのかね?」
「はい。…ご苦労様、真紅。」
少し休んでてね、と頭を撫でればあたしの後ろに座り込んだ真紅。
ボールに入る気は無いのか、と苦笑してしまう。
次のボールが投げられる。出てきたのは茶色い…
「イノムー、か」
氷と地面を併せ持つポケモン。
紅霞なら地面タイプの技を避けられる。大きく逞しい翼はいつだって死中に活を見出すのだから。
「紅霞!たのんだよ!」
『
誰に向かって物言ってんだっての。
おいおっさん!そのイノムー、焼き焦がしてもしらねーぞ?』
にやり、と口から炎を漏らしてリザードン、紅霞が笑った。
イノムーがゆっくりと息を吸い込む。
「吹雪…?紅霞、気をつけて!」
『
わかってる。吹き飛べ!』
紅霞の翼で打つがイノムーに決まるけれど、吹き飛ばされたイノムーの口から吹雪が紅霞に襲い掛かる。
氷タイプの攻撃に強い炎タイプの紅霞も、飛行タイプを交えているからダメージが軽い、という訳でもない。
先ほどから続く霰に紅霞が目を細めた。イノムーが霰の中に隠れ、紅霞の視界から姿を消す。
『
ちょこまかとうぜェな…』
「気をつけて。これは…」
氷タイプのイノムーだからできること。紅霞が地に足をついて、ゆっくりと翼を動かした。
気配を掴めない。正直、地の利を活かせない戦いはあまりしたくない。
…けど、紅霞ならできるよね。
暴れ足りないように、尻尾の炎が一段と大きく蠢く。
「紅霞、やっちゃって!炎の渦!」
『
こざかしい真似ばっかしてんじゃねェよ!爆ぜろ!』
大きな炎の渦がジム全体に広がって、一気に熱気が頬に痛みを与えた。
同じように感じたのかヤナギさんが目を細めた。
溶けた霰や氷が水に変わるが、それも一瞬で気体へと変化する。
湿度すら、もう感じないほどに肌が乾燥する。
茶色い体がやや疲れてクリアになったバトルフィールドから出てくる。
いまだよ、紅霞。いくよ!
「イノムー、氷の牙だ」
「紅霞、大文字!」
ヤナギさんのイノムーへの指示のほうが少しはやく、茶色のふわふわとした体が動いた。
似つかない素早い動きに、あたしが一瞬、指示を遅らせてしまった。
翼に噛み付いたイノムーの攻撃が翼を凍りつかせる。だけど、紅霞は躊躇しなかった。
自分の翼に噛み付いたイノムーを翼もろとも大文字を当てる。
「こうっ……!」
『
俺だってな、ヒスイ、…お前のこと、守って』
言葉が、切れた。
黒い巨体が、大きく揺れた。そして倒れる。
翼を氷付けにされたのだってダメージがかなり大きいはず。なのに、大文字で追い討ちをかけたようなもの。
倒れた紅霞が苦しそうに唸ったのを見て、あたしはボールに彼を戻す。
…昨日のこと、気にしてたのかな。ごめんね、意地悪して。
「ありがとう、ゆっくり休んでね…紅霞。」
「もどれ、イノムー。」
同時にボールに戻せば、ヤナギさんと目が合った。
あたしのような子供相手にも手加減はせずに、まっすぐにぶつかってくる。
今のあたしは…覚悟が足りない。彼のように、まっすぐに何かを信じられるだろうか。
昨日の今日で、複雑なこの気持ちをどうしたらいいかわからないし、紅霞があたしのミスで瀕死状態にまで追い詰められたのは明白だった。
わかってる、鼻がつんとくる。でも、進まなきゃいけない。あたしのために。
それから、紅霞たちのために。
「あたしにはまだ、真紅ともう一匹残っています。
…ですが、ヤナギさん。本当は…あたし、バトルは嫌いなんです。」
「……そうか」
「でも、進まなきゃいけない理由があるんです。」
あたしがいくら迷っていたとしても、時間は進んでしまう。
あたしが迷うたびに、"彼"が苦しむのなら。
あたしに救いを求めているのなら。
それがあたしの戦う理由になる。だから。
「頼んだよ、橙華。真紅もいるから、リラックスしてね?」
『
橙華頑張る。橙華負けない。ヒスイ喜ぶ。』
『
新人のくせに、やる気出してるじゃん。』
自分のボールでリフティングを始めた真紅がロトムくん、橙華を見ながら言う。
真紅も十分休んだみたいだけれど、橙華もやる気がいっぱいだ。
初のジム戦で、まだまだ実戦経験も少ないし…あたしも橙華に慣れてない。
それでもこんなに彼がやる気を出してくれているんだもんね、がんばらなくちゃ!
そんな橙華の前にボールが投げられる。古い傷がいくつもついた、赤と白のモンスターボール。
古い付き合いだということがそれだけでもわかるほどに、不釣合いな輝きと深いいくつもの傷。
白く、毛並みの美しいジュゴンが橙華の前に立ち塞がる。
それでも橙華は電気タイプのポケモン。水タイプのジュゴン相手でも、勝てるはず。
橙華、がんばろうね。
「橙華、電撃波!」
あたしの言葉を聞き、橙華が電気を小さな体にためて、一気に放出した。
避けることも守ることもせずにジュゴンは正面からそれを受け止めている。
あのジュゴンなら、少なくとも防御することはできるはずなのに。
そう思ってヤナギさんの顔を見ても相変わらずの表情を貼り付けたままだった。
ナメられているのか、様子見なのか。それとも、別の何かがあるのか。
橙華が不安そうにあたしをこっそりと見る。
「…橙華、続けて電磁波!」
麻痺させてしまえばこっちのもの!
そう思ったけれど相変わらずのヤナギさんの表情に、息を呑んだ。
ジュゴンは電磁波を受けて体が思うように動かないようで、体を横に倒したままじっと橙華を見る。
指示をしないヤナギさんを見る。彼が、ようやく口を開いた。
「ジュゴン、"眠る"」
「なっ…!」
開いた口からは、予想外の言葉が出る。
眠る。ポケモンは眠っている間は全ての状態異常にかからなかった…はず。
それどころか、与えたダメージも回復されてしまう。
橙華が眠り始めたジュゴンに近づいた。
「橙華、回復させないで!電撃波!」
「ジュゴン、"寝言"だ」
眠っているジュゴンに声が届いたか届いてないか、ものすごい音でジュゴンは寝言を叫び始める。
その音の波が橙華の小さな体を吹き飛ばす。
壁に勢いよく突っ込んだ橙華が、よろよろと宙に浮いた。
これだ。これが、狙いだったんだ。あたしの目の前の大木が、ゆっくりとあたしを見下ろす。
そんな気すらしてくる。
あたしの浅はかな考えで橙華は傷ついている。
「ジュゴン、もう一度"寝言"」
寝言なんてかわいいもんじゃないのに。そんなことを思う暇なんてない。
はやくしないと。ジュゴンが息を吸う。
そのとき、橙華も息を吸った。
『
ヒスイ!!!!!!』
「ッ…!?」
橙華が、負けじと叫んだ。聞いたこともないような大きな声。
目を大きく開けて叫んだのが橙華だと確認した。
橙華の表情は変わらないし、わからない。けれど。
橙華の瞳が赤くなる。途端、小さな体から想像もできない大声をあたしに向けた。
『
橙華、頑張る!!橙華負けない!ヒスイ橙華信じる!!!』
その声に目を丸くした。途端に耳をつんざくような嫌な音を出す橙華をわけもわからず見上げた。
立ってるのもやっとなくらいの音に膝をつく。
ジュゴンの目が少し、開いた。
『
ほらヒスイ、手出して。』
「真紅?」
真紅があたしが微妙に開いた手を握る。その瞬間、あれだけ鼓膜をふるわせた"音"が消える。
橙華はまだ赤い瞳のままジュゴンを睨み付けている。
『
一時的に波導であの音を打ち消してるの。大丈夫?』
「び、びっくりしたけど大丈夫。それより、橙華…」
『
"騒ぐ"、だね』
一定時間はこの音が続いて、ジュゴンは眠れないはずだよ。と真紅が口角を上げる。
その黒いふわふわな手はまだ繋いだまま、橙華を見上げる。
あたしは無知だけど、でも、真紅も頑張ってくれた。
橙華も、今、頑張っている。
だから…あたしは負けない。そう確信したような気がした。
「橙華、電磁波!麻痺させて!」
ばりばり、という電気音が聞こえた。嫌な音が響いている中でもまっすぐにヤナギさんは立っている。
その精神力は、とてつもなく強大なものだということは百も承知だけれど。
「ジュゴン、オーロラビーム」
「橙華、かわして電撃波を自分に!」
「ッ…?」
わずかに、ヤナギさんの眼が開いた。
橙華はあたしを疑うことも知らずに、自分に対して電撃波を落とした。
彼の体が光る…ジュゴンはオーロラビームを溜め始めていた。
でも今のジュゴンの遅い攻撃スピードなら、橙華も見切れるはず。
そして自分のほうがはやく動けることを理解してる。
だから橙華の瞳に曇りはなかった。そして、あたしにも。
黒く柔らかな手をぎゅ、と握り締める。"充電"の終わった橙華は、赤い瞳でまっすぐにジュゴンを睨みつけたまま、雷ほどの威力を感じさせる電撃波をバトルフィールドに放った。
2011.03.18
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