◎19 : 封印
深い深い意識の底に、あたしはいた。
目の前には、見知らぬ・・・多分、男。
深いフードをかぶっていてほとんど顔は見えない。
あたしの口はまるで許されていないかのごとく堅く閉ざされていてまったく開く気配はなかった。
「汝に問う」
男が口を開いた。
その声はものすごく哀しいかのような低い声。
「何故そうまでして他人を救う必要がある」
思い出した。
これはアクゼリュス崩落のときに、そして地核に落ちたときに聞こえた声。
ここまではっきりと聞こえたことはなかったけれど確かにそうだ。
口が開いた。ノドに痞えていた何かが外れてあたしは声を絞り出すことができた。
「それがあたしの生き方だから。」
「例え汝の苦労が泡と化しても?これは堕落した人間の遊戯でしかないのだぞ」
悪魔があたしに囁いた。
確かに、この戦いが終わればあたしがここに留まることはないだろう。それは予想していた。
だけどもし元の世界に戻ったら?また画面越しに変わらぬ彼らの物語を紡ぐの?
ならあたしのしたことは一体どうなると言うのだろうか。
救いたいシンクは、また乖離する身体を見て笑うのだろうか。
「救えない命を求めるのならば、その命、捧げるがいい。」
「え・・・?」
「その小さな命に代えても護りたいものがあるならば・・・今暫く、我の力を貸す。
その代わり、我を解放せよ。でなければ力は受け取れぬ。」
男が闇に消えようとするのをあたしは腕を掴んで留めた。
「貴方は悪魔、じゃないの・・・?」
「・・・私はメフィストフェレス。悪魔と言えば悪魔だろう、人間からすれば。
だが汝の中で我はずっと生きてきた・・・」
す、と男が闇に溶けて、あたしはようやく現実世界で眼を覚ました。
「ヒスイ!」
「あれ?シンク?」
あたしが眼を開けて周りを見ると、ベッドのまわりをたくさんの人間が囲んでいた。
何が起きたんだっけ・・・と身体を起こそうとしたがそれは物凄い抵抗があった。
まるで水の中にいるかのような重い重い身体。
アニスが泣き腫らした瞳であたしを心配そうに見ていた。
「ヒスイ様・・・私、私ッ・・・!」
彼女の謝罪は聞くつもりはなかった。まだあたしにはすべきことがある。
それに謝るのは彼女ではない。
重い身体をひきずってあたしはタトリン夫妻の前に立って
----- パシン
2人のその頬を打った。
「ヒスイ様ッ!」
アニスがあたしの身体を抱きしめて瞳を怒りの色に染め始めた。
有無を言わさずあたしはアニスを睨む。
「アニス・タトリン響長、下がりなさい!」
「ッ・・・!」
ぐらりと揺れた身体を今度はシンクに支えられると、あたしはまたタトリン夫妻に向き直った。
「あなたがたの優しさは重々承知です。それが間違っているとはあたしは言いません。
ですが、その優しさがその無防備さが自分たちの娘を傷つけたのですよ?
本来ならばあそこで導師イオンが死ぬはずだった。アニスは今以上に自分を悔いたでしょう!」
ぽたぽたと、アニスの頬に涙が落ちた。アニスは物語のとおりにイオンを裏切るつもりだったのだろう。
モースも確かに悪いけれど、夫妻がしっかりしていればこうもならなかった。
そんなことを言ってもアニスの心の闇を晴らすことなんて、できやしないけど。
尚も、あたしは困惑している夫妻に向き直った。
「たとえ決められた運命なのだと、それが預言の・・・ユリアの意思として。
あなたがたはそのユリアという他人の意思を尊重してまで自分の娘を傷つけるのですか?
たったひとりのかけがえのない娘、なの、に・・・」
ぐらり、と視界がまた揺れる。
おかしい、こんなの普通じゃない・・・一体あたしの身体は何が起こっているんだろう。
ジェイドが夫妻とアニスを別の部屋に移動させるのを見計らって、シンクはあたしの身体を易々とベッドに運ぶ。
そしておもむろにカギを取り出した。
「これって、ラクトの部屋の?」
「そう。ラクトはさ、もう知ってたんだよ。アンタのその身体のこと」
シンクが今度は四角い何か箱のようなものを取り出してあたしの手に押し付けた。
これは、どっかで見たことがあるような・・・。
「単刀直入に言いますね、ヒスイ様。今ヒスイ様のお体は封印術にかかっています。
私が独自に開発したものなので多少の副作用はありますけれど・・・。」
「あ、あんちふぉんすろっと!?」
ジェイドがふ、と何処か懐かしい顔をした。彼はもう解除しているんだろう。
というか、なんでこんなものをあたしに・・・。
そこまで考えて思い出した。ティアが申し訳なさそうな顔をしていたからだ。
間髪入れずにラクトがまた話す。
「ヒスイ様が音素暴走を起こしたときに備えて用意しておきました。
その・・・ヒスイ様が亡くなられたはずがないと、確信していましたから。」
困ったようにへらりと彼は笑う。
「ですが、アクゼリュスでのことをジェイドから聞いていました。
それに地核に落ちて無事だとも限らない・・・そう考えた私は封印術の作成を始めました。
それを入れ違いになった場合に備えてシンクにカギを渡すよう導師イオンにお頼みして貴方を探し始めたのです。」
そうか、フォンスロットを閉じられたことで強制的に譜術が封印されて音素暴走を引き止めたのか。
だけれども何故今更音素暴走を?第七音素の素養はあったはずなのに・・・。
不安になっていくあたしの心を感じたのか、シンクがぎゅっ・・・と抱きしめてくれる。
「ラクトがいうには、アンタのフォンスロットが安定したら自動で解除されるんだってさ。
それまで大人しくしててよ、じゃないとボク・・・ヒスイのこと、閉じ込めてしまいたくなるから」
「・・・ありがと、シンク。」
あたしがよしよしとシンクの頭を撫でると、面白くなさそうなジェイドがごほん、とわざとらしい咳払いをした。
「いやぁ、お熱いのは結構ですが、私たちはこれで失礼しますよ。
イオン様は私室で休ませます。」
「あ、えっと・・・」
イオンがちらり、とあたしを見た。そっか、ダアトに残るんだ。
にこりと笑いかけたあたしに少し遠慮しながら「また来ますね」と言って部屋をぞろぞろと去って行く。
最後に出て行こうとしたジェイドが少し、止まった。
「ヒスイ」
「あ、はい。どうしたの?」
「年上に興味が沸いたら、私はいつでも待っていますからね」
真っ赤な瞳を細めてジェイドが笑った。嫌味にも、その笑顔は綺麗で思わず見惚れてしまう。
そのまま彼の背中を見送るとシンクがいきなり押し倒してきた。
ぎし、とベッドが揺れる。
「ヒスイ、アンタ今死霊使いに見惚れてたね」
「ち、違っ・・・ていうか、力入らないんだからどいてよ!」
「嫌だ。アンタの瞳にボクしか映らないようにしてやる」
そのままものすごい不機嫌な顔のシンクが近づいてきて、寸前で止まった。
ラクトがこめかみをピクピクとさせながらにっこりと笑っている。
どうやらラクトが彼の首根っこを掴んでいるようだった。
「シンク、私もいるんですが?」
「あぁ、すっかり忘れてた。」
けろりとシンクが(けれど残念そうに)(あ、今舌打ちしやがった!)あたしの上からどいてやっとのことで身を起こす。
それをラクトが支えてくれた。
「ヒスイ様、私は自室で研究を始めたいと思います。
第七音素を別の音素に変えることは不可能でしたが、興味深いことを聞きましたので・・・」
ジェイドにはバレてしまいましたけれど、ね。眉毛をハの字にして彼は笑う。
頼んでいた件だ。いつかはシンクは乖離してしまうだろうから。
そうそう、とラクトが別のカギをあたしに渡す。
「これは元大詠師モースの入れられている部屋のカギです。
彼は多分、ヒスイ様にお会いしたいはずですから・・・」
「モース?逃げてないの?」
「えぇ、いくらか逃げる機会はあったはずですが、彼はそれをしませんでした。
ヒスイ様のことを随分気になさっていましたし・・・」
ラクトはそれだけ言って頭を下げ、出て行く。自室に篭るんだろう。
あたしはシンクの手を借りて立ち上がると、モースのいる部屋へと足を運んだ。
「モース、いますか」
「導師ヒスイ・・・ご無事、で」
あたしの姿を見たモースは一瞬眼を見開いた。それがどんな意味なのか、あたしには理解できなかった。
ただここで彼は一体何をするのだろうか。
原作と違って入ればあたしは何も行動ができない・・・どうしていいのか、わからない。
なんだ、あたしだってゲームという名の預言に縛られているんじゃないか。
自嘲的にあたしが笑うのに、モースは顔をしかめた。
「本当に、すまなかった・・・あれから色々と考えた。
ユリアの真意を理解することは最早この時代では不可能だ。だがあの秘預言が本当なら・・・」
「預言とは違う世界を、そのために預言を捨てることができますか?」
「・・・あぁ、約束しよう。ユリアだって護りたかったのだろう・・・きっと。」
今、あたしはゲームという預言を裏切った。
あれは絶対に最善ではないんだ。あたしが諦めなければ、こうして誰かを救えるかもしれない。
モースはただ純粋に預言を信じていただけ。その預言を捨てるのにどれほどの勇気が要るだろう。
ずっとずっと、ゲームなんかよりこの人は強い人だった。
「大詠師モース。今教団は随分忙しいんですよ。今あなたにやめられると、困ります。」
「ちょっとヒスイ!」
シンクがあたしの考えを察したのかキッ、とシンクがあたしを睨んだが怯まずに笑いかけた。
「暫くの間は謹慎していただきますけれど・・・。
大詠師モースには今後のレプリカについて導師イオンと手を取り合い、考えていただきます。」
返事は?と振り返ると、一筋・・・彼の頬に雫が伝って彼は俯く。
小さな声で承知しました、と聞こえたことに満足してあたしはゆっくりとその部屋から抜け出した。
シンクはあたしを支えながら不機嫌そうに顔をしかめる。
「ねぇ、本気でアイツのこと信用するわけ?まだヴァンと繋がっているかもしれないのに?」
「大丈夫だよ、きっとね。そのうちクロ(被験者イオン)をここに呼び戻さないと。
それからアリエッタもね。」
ますます眉間の皺が濃くなるシンクが可愛くてその腕に寄りかかる。
何かごつごつしたものが当たって、あたしは顔を上げた。
「なんかここに入ってる?」
彼の二の腕のポケットを指差して言うと、「あぁ」とごそごそと何かを取り出した。
「ほら、これ。いつだったかあのオキラクトのせいで戦うハメになった剣が落としたやつ。」
「あー・・・ソードダンサーの。でもなんで?」
この石は今部屋に置きっぱなしになっているクポの中に入れていたはずだ。
それを察したのか、シンクは何かを思い出すように少し上を見た。
「地核に落ちたあと、先に目覚めたボクにアレがこれを渡してきたんだよ。
これは・・・よくわからないけれど、音素が不安定だから持っていてくれってさ。
最初はボクだって捨てようかと思ったんだけど・・・これを持っているとなんとなく身体が軽い気がして。」
だからここにいれてたってワケ。
シンクがそう言ってその石をあたしの手の平に押し付ける。
「ヒスイが持っててよ、もしかしたらアンタの身体も楽になるかもしれないし・・・」
「とてもそうは思えないけどね」
相変わらず綺麗に、だけど真っ黒な石を匂い袋に入れてしまいこんだ。
シンクの言うような効果はないけれど後で実感できるようになるかも・・・?
あたしは沈みかけた赤い太陽に照らされたステンドグラスを見ながらこれからのことを考えていた。
08.09.03 19 -- 重い身体と引き換えに、あたしは大切なものを手に入れた。
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