◎22 : 最期の記憶
甘いお菓子を持ってあたしは扉を叩いた。
「ラクト?いる?ヒスイだけど」
「はい、開いていますよ」
中から声がして扉を開ける。ラクトの部屋に入るのは思えば初めてだった。
入る機会なんかいくらでもあっただろうし、場所を知らなかったワケでもないのに。
なんで今までラクトの部屋に来なかったんだろう。
足を踏み入れると、既に研究室化していた。
ラクトは山のように詰まれた書類の中に座っている。
細くか弱そうな身体のラインが、ますます細く見えた。
「お菓子、持ってきたんだ。シンクと一緒に、作って・・・」
「ありがとうございます、ヒスイ様。」
眼の下の隈があんまりにも哀れだった。
ベッドの上まで書類が置かれていて、暫くここで寝ていないんじゃないだろうか。
「これ、お菓子。でもその前にちょっと片付けるね」
ラクトにバスケットを押し付けてベッドの上の書類をまとめて空いているスペースに置いた。
折角会えたのに、こうしなくちゃいけないなんてなぁ。
ぼさーっとそういうことを思いながらあたしは思い出したように口を開いた。
「例の件はどう?」
「まったくです。やはり、不可能かもしれません。」
第七音素を別の音素に換えることはできないと思う。頼んだのはあたしだけど。
なら他に第七音素の惹き合う性質を変えることは?
だけど今のラクトにこれを頼むのは酷か・・・。
あたしはただ黙ってラクトをベッドに座らせた。
「随分貧相になった。とってもいい生活をしているみたいだね」
「自分の研究に踏ん切りがつかないもので・・・何度やっても失敗なんですよ」
曖昧に彼が笑う。一体何の研究をしているのだろうかと近くにあった紙を覗いてみるけれど・・・
なんだろうこれ・・・さっぱり意味がわからない・・・!
「・・・ヒスイ様」
「ん?どうしたの、ラク・・・」
ぎゅう、と痛いくらいに後ろから抱きしめられる。
栗色の髪があたしの黒い髪と少しだけ交わった。
拒むことも、受け入れることもしないあたしは前に回された彼の手に触れる。
「言わなきゃ、わからないよ」
「ヒスイ様は、死ぬのがこわいですか?」
ラクトの問いに空気が止まった。
まさか、知るはずがない。動揺すべきじゃない。
でも、・・・あたしは思い直してその手を撫でた。
「こわくないよ。だけどあたしは、死を選ぶ権利があると思う。」
「権利、ですか?」
「そう。自分の死んでいいと思うときに死ぬ権利。
でも、思い半ばで死ぬのはだめだよ、諦めるのは嫌だ。」
だから。あたしはラクトの腕を抜けて振り返り、その瞼を指でなぞった。
「最後まであたしを守ってよ、ラクト=ブラウズ。だから、今はゆっくり休んで」
「ヒスイ・・・さ、ま・・・?」
がくん、と彼が崩れるようにあたしに倒れてくる。ほんの少し意識を夢へと導いただけ。
規則正しいその寝息を確認すると、ベッドにゆっくり横にさせた。
「おやすみ、ラクト。はやくいつものラクトに戻ってね」
毛布を軽く彼にかけてからあたしはそっと部屋を出た。
障気が消えていく空は、眩しいくらい綺麗だった。
一体何人のレプリカが消えたんだろう。
あたしは何もできなかった。
青が煌く頃にはもうルークもアッシュもぼろぼろだろうな。
こんなにこんなに平和なのに。
あたしはこんなにも無力で。
右手を眼の高さまで上げてみれば、かすかにそれは震えていた。
「ヒスイ!」
か細い声がして振り返ると、何かに飛びつかれた。
もさもさしてて柔らかい・・・けどものすごく重い。
これ、ライガ?ってことは。
「アリエッタ?」
「僕もいるよ」
アリエッタとクロ(被験者イオン)がそこにはいて。
どうしたの、と口を開けば彼女は嬉しそうに笑った。
「イオンさまと、アリエッタの故郷行ってきたです。」
「そう、フェレス島にね。ところで君何してるの?」
「何って・・・空を見てたかな」
へぇ、と興味なさそうにクロが言う。
ていうかよくフェレス島にいけたなぁ。それを言うと彼は「僕に不可能なことなんかないよ」って笑いそうだ。
うーん、実にシンクに似てるなぁ・・・。
「だからね、アリエッタっ・・・やっとヒスイと一緒にいられるです!」
「・・・うん、今までありがとうね。あとはヴァンとラルゴとリグレット、か。」
大人組みはどうしようもないんだよなぁ。
ディストはまぁどうでもいいとして。だって彼は六神将で唯一生き残るから。
殺したって死なないだろうとクスクス笑えば、アリエッタが首をかしげた。
「どうしたですか?」
「ううん、はやく、預言なんて消えればいいのにね」
絶対の未来なんかいらない。
そう思っていても、世の中にはたくさんの人が預言を望んでいる。
皮肉なことに、それがないと生きられないと思っている人だって。
大切な人を失って、初めてそれが残酷なものだとわかって。
失ってからじゃ遅すぎることに失った後に気付かされて。
行き所のない悲しみばかり募っていったあたしの大切な仲間たち。
ルーク、今、アッシュと一緒にいてシアワセかな。みんなといれてシアワセかな。
生への執着を、取り戻せたかなぁ。
ああ、そうだ。
「アリエッタ、クロ。今多分イオンがフローリアンの面倒見てるから一緒に見てあげてくれないかな?
フローリアンもイオンやシンクと"一緒"なんだ。」
「まだ、いたの?」
クロがほんの少し眉間に皺を寄せた。
まぁ自分と同じ顔があと3つもあるなんて考えただけでこわいかなーと思うけど。
でもクロならフローリアンと上手くやれる。・・・と思う!
「アリエッタ、フローリアンに会いたい、です・・・」
「・・・まぁアリエッタが言うなら仕様がないな。レプリカだけに任せるのもなんだしね」
教会に2人が戻っていく。本当はクロは世話好きなんだろうな。
兄弟のようにイオンやシンクを想ってることがあたしにはちゃんとわかる。
でも一番フローリアンのことを大切に想ってくれそう・・・。
いつかアニスもフローリアンに会わせたい。
そう思ってから少し、自分に時間がなかったことを思い出した。
でもあたしが消えた後でも。時間はあるよね。
「・・・よしッ!」
あたしは重い腰を上げて自室に向かう。
最後の仕上げにとりかかった。その瞬間、全てが夢だと思わせるくらい身体が軽くなった。
封印術が解除できたらしい。
「・・・ありがとう、ラクト。あと少しだけ、耐えて・・・あたしの身体・・・」
いつかシンクからもらったペンダントをそっと指でなぞって、顔を上げた。
まるで昔からだというように、窓の外の空は綺麗な青色だった。
ラルゴが、偶然ナタリアに会ったと、聞いた。
あたしとラルゴが話してからまだ数日と経ってない日。
父かと問われ答えずに帰ってきたということ。
そして、今。・・・ここを出て行くということ。
「次会うときは敵だな」
「そうだね、ラルゴ。でもあたし、甘いから諦めてないんだ。」
そう話したときの彼の瞳はやはり敵ではなかった。
そして今日あたしは、教会を出る。
もちろんシンクとラクトも連れて行くつもり。最近はラクト、研究を自重してるみたいだ。
どちらかというと鍛練に精を出している感じ。
すっかりあのメイクかと思うくらいの隈はとれたみたい。
「ヒスイ、準備終わった?」
「もう少し!」
シンクが扉の向こうから声をかけてくる。あたしはクポにそっと囁いた。
「ねぇ、クポ。絶対"アノ約束"は守ってね?」
『わかったクポ・・・でも本当に、クポを置いていくクポ?』
「うん。クポには仕事があるからね!頼んだよ。」
わしわし、とクポの頭を撫でる。
緑のチェックのロングパーカーに袖を通して、首には音叉とシンクからもらったペンダント。
ポケットには匂い袋。あとはウェストバッグに適当にモノを詰め込む。
怒るかもしれない。泣くかもしれない。恨むかもしれない。
ここに戻ってくるときのシンクの反応を思い浮かべてひとり苦笑した。
これはあたしの死に装束。これでいい。
覚悟は、もう決めた。
頬に落ちていく涙なんか気にならない。どうせ静かに暮らしたって長い命ではない。
『本当に、後悔はないのか?』
「うん、勿論。」
--- あたしは契約を交わす。
--- それは、"血の契約"。あたしの身体を限界まで持たせる、"悪魔の取引"。
--- メィストフェレスは言った。
------ "血の契約"の代償は、完全なる存在の消滅。
--- それはこの世界だけではなく、あたしの暮らす世界のことも意味する。
--- 血の代価は高い。
--- 誰の記憶からも消えて、孤独に闇に堕ちる。
--- それが"血の契約"。彼が悪魔だから、できること。
『記憶は・・・完全ではない。戻ることもある。だが、肉体や魂が戻ることはない。
血の契約とはそういうことだ。永遠に闇を彷徨うということ。』
「わかってる。つもり。
堕ちたとしても、忘れられたとしても、あたしがここにいた記憶は変わらない。
それはあたしに遺(残)った思い出として。」
『汝には、魂さえも残されん。無に還ることすら叶わぬ。悪魔と成り果て、輪廻を彷徨う・・・
思い出なんてものはその片隅に消えていく』
「だとしても」
--- そう、だとしても。
「あたしは、信じてるから。」
「お待たせ、シンク、ラクト。」
「ヒスイ、なんかものすごく変なカッコしてるね」
シンクが眉間に皺を寄せた。
そういえばあたしのこのカッコを見たのはクロとイオン、ヴァンにモースだけか。
シルフにシンクを連れてきてもらったときはもうヴァンが容易した服に着替えてたし・・・。
執務もあったし・・・・。
あたしが昔を思い出していると、シンクが気まずそうな顔をした。
ああ、変なカッコって言われて落ち込んでると思われたのか。
「これが普通だったんだ、向こうでは」
「じゃあそれ、ヒスイの世界の服なワケ?」
あたしが頷くとほぼ同時に緑のロングパーカーをラクトががしり、と掴んだ。
そのまま彼のドアップが近づく。
「ら、ラクトさん?」
「この材質・・・軽い上に暖かい・・・素晴らしいですね・・・
帰ったら是非研究し「行くよオキラクト」・・・はい」
「あは、ははは」
緑の生地を触っていたラクトはシンクに引きづられて行く。
とりあえずラクトが元に戻って良かった。
向かうはアブソーブゲート。
ラルゴに、最後の説得をしに。
教会の外に出ると、澄んだ空気があたしたちを包んだ。
「オトナってどーして頭かたいんだろ。
そういえばオキラクトもオトナ組だよね、一応。」
シンクがだるそうに頭の後ろで手を組んでラクトを見た。
少し、困った顔をして彼は笑う。
「どうしてでしょうね。大人になればなるほど、何かを覚悟して。
何かの責任を負い、何かを為そうとするからでしょうか。
・・・人を愛するのにだって、こんなに苦労しますから。」
ふと、ラクトと目が合った。
すぐにその視線は外されたけれど、彼の紅と紫の瞳は寂しそうに伏せている。
何か、これ以上聞くのは不味いと思ったのか、シンクもそれ以上は何も言わなかった。
「でもね、ラクト。子供だって覚悟してると思うよ」
あたしは、どっちだろう。 大人?それとも子供?
どちらにせよあたしは覚悟している。
ぶわり、と風があたしの背を押すように強く吹いた。
くるりと振り返る。もう見ることはないだろう、この風景を。
しっかりと眼に焼き付けたくて。脳に、記憶に残したくて。
叶わないだろうことは言われたのに未練がましく。
「(・・・あたしも、やっぱ子供か。)」
覚悟なんて全然ないくせに強がってる。
本当は死ぬのだって誰よりもこわいんじゃないのか。忘れられるのは嫌だと心が叫ぶ。
もしすべてが夢だとしたら。
考えて、やめた。夢だなんて思いたくない。
たとえ誰の心からもあたしという存在が消えたとしても、夢にはしたくなかった。
あたしが生きたことは、歴史が憶えてくれればいい。
その歴史を誰も知らなくても。忘却の中、消えていくとしても。
「行って、きます」
強がったあたしの、最期の挨拶。
08.10.07 22 -- だからどうか、どうか・・・。
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