27 : 運命







あの戦いから、もう3年という月日が過ぎていた。
相変わらず殺風景な部屋の隅にボクは蹲っている。






「シンク、仕事を持ってきました」

「・・・ラクト」


ボクの副としてラクトはこの3年、ボクと一緒に仕事をしている。
そう、ヒスイ、アンタが消えてからずっとだ。

あの時ボクらは確かに"ヒスイ"という存在を思い出すことはできなかった。
誰一人、あの死霊使いも、ラクトも、ボクですら思い出せなくて。


『シンク、らしくないな。あたしの知っているシンクはもっと強かったはずだよ?』


何処からか、アンタの声が聞こえてくるような気がして窓を通して空を見る。
相変わらず綺麗な空。変わらない日常。

アンタを犠牲にして手に入れたモノ。

・・・こんなの、ボクには必要なかった。
ヒスイがいれば障気だらけの世界でも構わなかった。
誰に罵られても、アンタがいればレプリカであることを忘れられる気がしてた。

どうして、ボクを置いて消えたの・・・?


「ヒスイ様の手紙・・・もう、随分くたくたになってしまいましたね」


ラクトが哀しそうに笑った。

そう、ボクたちはヒスイの記憶を取り戻してからすぐに彼女の部屋に向かった。
何かあるかもしれない、そう思ったから。







『クポ。』


彼女の部屋のベッドに座っていたのは、彼女の武器であり鞄でもあったクポ。
離れたボクとヒスイを繋いでくれたもの。ディストの発明なのはいまだに気に入らないけど・・・。


『遅かったクポ。クポは信じていたクポ、誰かがここに来るということを。』


埃まみれの身体をおこして、クポは立ち上がった。
声も出なかった・・・取り戻した記憶の、確証であって、なによりの、証拠で。

そこに確かにヒスイはいたという現実に、知らず知らずにボクは涙を流していた。


『ヒスイ様の申しつけクポ。ここに"仲間"を呼ぶクポ。』

「私が・・・連絡します」


すぐさま踵を返したラクトに、ボクはいなくなってから返事をした。

後日召集された全員で再度クポのところに行った。
クポは、ヒスイの召集を伝えた後からまるっきり動くことはなかった。
何度ボクが呼びかけても。

ヒスイの埃くさくなった部屋に全員が集まると、再び、クポは立ち上がった。


『識別するクポ。
 ・ ・ ・ ・ ・ 全員、確認クポ。メッセージを再生するクポ。』


ふわり、とクポは紙を一枚取り出した。
頭についている玉(確かヒスイは"ポンポン"って呼んでいたと思う)から光を出して、それが集結していく。

やがて人の輪郭ができて、それに色がつけられて、黒の瞳がボクを捉えた。
ずっと、ずっと会いたかった。


「ヒスイ!!」

『お久しぶり、みんな。ここにいるということはあたしの存在を思い出してくれたからだと思います。』


まるで、ボクのことを見えていないかのように、ヒスイは言った。
ヒスイなのに、そこにいるのに、手を伸ばしてはいけないかのような錯覚にボクは陥る。


『因みに今見えているだろうあたしは、あくまで映像メッセージなので触れることも、質問に受け答えすることもできません。』

「随分と、ヒスイも粋なことをしてくれますねぇ・・・」


まったく、と死霊使いがため息をついた。
映像メッセージのヒスイは続けた。


『そして、この世界は今は無事に救われたと思います。だから、本当のことを話そうかと思います。
 ・・・あたしの正体を。そして、願いを。』


『あたしはこの世界の人間ではありません。そして、預言を読んだから未来を知ったわけではありません。
 すべては、ひとつの遊戯でした。

 あたしはその遊戯の中の物語がとても好きだった。だけど、遊戯は遊戯。
 どれだけ想ったって届かないのが普通だった。
 その世界にあたしを引き摺り込んだのがマクスウェルと、ローレライだった。
 あたしは犠牲をひとつでも減らしたかった。

 あたしの知る物語では、ここにはルークもイオンもディストを除く六神将も、いないから。』


ヒスイは哀しそうに笑った。
あまりに綺麗で、あまりに儚くて。

だから、アンタは、ボクのために犠牲になったの・・・?


『たかだかあたしひとりに、一体何ができるのかわからなかったけれど。
 もしできることなら全部を覆したかった。犠牲だらけの物語を変えたかった。
 でも、犠牲がどうしても必要だったから、あたしは消える決意をした。

 本来ならばここでこうして映像メッセージを残すことなく死んでたと思います。
 それを可能にできたのは、あたしが悪魔と血の契約を結んだから。
 だから生き延びることができたんだ。
 その代わりにあたしという存在を失うことになったけれどね。

 だからあたしはみんなの、世界の記憶や記録に残らない存在となっていたと思う。今の今までは。』


『契約内容は3つ。まぁひとつはみんなにも世界にも関係ないから言わないけれど。

 ひとつ目は、あたしの身体を最後の時まで維持すること。途中で死んだら、何も変えられなかったのと同じだから。

 ふたつ目は、ルークの音素振動数とあたしの音素振動数を交換すること。
 あたしの音素振動数は定まることがないけれど、ルークの身体という器が変わることで勝手に定まるの。
 だから、最後にローレライを解放できている・・・と思う。

 でもあたしはローレライに会ったあと、音素の乖離を食い止めるためにローレライと決闘するつもり。
 こればかりは今現在のあたしには結果がどうなるかはわかんないんだ。
 でも、シンク、ルーク、イオン。身体にはできるかぎり気をつけてね。』


『こうして消えてるだろう"今"を考えたらこわくなる。
 みんなが、あたしのことを忘れてるなんて。すっごい寂しいし、嫌だよ。
 でも全部が全部叶うはずないって、ちゃんとわかってるから。

 思い出したついでってことで、みんなにひとつずつお願いがあります。』


世界が、暗転した。








暗い中にひとり、ルークは立たされていた。


『ルーク。』


暗闇にヒスイが浮かび上がる。その瞳はルークを捕らえている。


「ヒスイ?なぁ、これ・・・」

『これはひとりひとりの意識の中に入ってる。だから、今そこにいるルークはルークの精神なんだ』


そうか、だから俺、こんな暗いところにいるのか。
先日ヒスイのことを思い出したばかりだというのに、忘れていた日々がまるでなかったことのように。

ヒスイへの想いをルークは心に募らせた。


『ごめんね、ルーク。
 あくまでこれは映像メッセージだから、もしルークが何かをあたしに聞いてもそれに答えることはできないんだ。

 つまりは、これは遺書だから。もうここに存在できない、あたしという人間の遺書』


そう言ってヒスイはルークの隣に座る。
わかってはいるけど。「うん、わかってる」返事をしても無意味だということもわかっているのに答えてしまう。

そのままルークもかたいのかやわらかいのかまったくわからない地面に座った。


『色々、あったね。』

「・・・うん」

『でもね、嬉しかったんだ。ルークが頼ってくれたこと。
 可愛い弟ができたような気がして。』


くすり、とヒスイが笑う。なんだか自分より大人びているような気がして少しルークは口を尖らせた。


「悪かったな、頼りなくて!」

『別に、頼りないとか、そういうつもりじゃないよ』


まるで受け答えをしているかのようにヒスイが答えた。
もしかして、意識が、あるんじゃないか。なんて馬鹿みたいに思ってしまう。

そんなことができるならは最初あんなこと言わない、よな?


『あたしが知ってる物語って、もっとうすっぺらかったんだ。』

「うすっぺらい?」

『うーん・・・なんていうか、物語を感動的なものにするために、人を殺せばいいんだって
 そういう話はうすっぺらいな、と思うわけですね』


レプリカとか、ディスト以外の六神将だとか、モースだとか、イオンとかクロ?
んでね、ヒスイはまだ続ける。


『ルークも、死ぬ、っていうか、大爆発になってたんだよ』

「なんだよ、それ」

『ルークの身体にアッシュの意識が入る?あたしもそのへん詳しくないからジェイドに聞いて欲しいけど。
 同じ音素振動数の被験者とレプリカが存在してる場合に起きる現象なんだって。』


だからさ、犠牲ばっかりだよ。
ヒスイは哀しそうに目を伏せた。ルークも、同じように俯く。

今でも震えるくらい"死"の存在はこわい。


『でもこうして話してるってことは、ルークはここにいるってことだよね。
 あたしの苦労も泡沫と消えずに済んだってワケ!喜ばなきゃなっ!』


ばふ、とルークにヒスイが抱きつく。
その体温も、においも、感触も。なにひとつ自分の知る彼女のままで。

--- 因みに今見えているだろうあたしは、あくまで映像メッセージなので触れることも、
  質問に受け答えすることもできません。

あくまで、ヒスイはそう言ったのに。そこにある感触は確かなもので。


「ヒスイっ!」

『守ってね、みんなを。くじけないでね、それと、・・・ずっと、ずっと、しあわせに』

「俺、俺ッ・・・ヒスイのことがずっと好きだったから!」


輪郭を、保てなくなったヒスイを抱きしめながらルークは叫んだ。
映像メッセージでも良かった。言わないと、言っておかないと、もう会えない気がして。


『うん・・・ありがと、ルーク』


ルークの目の前が、白に包まれた。







『アッシュ』

「・・・ここは?」


暗闇の中、浮くようにして彼は立っていた。目の前の彼女は先程と変わらない。
あたりは暗闇だというのに光がなくても彼女が自分の眼を見て話しているということがはっきりとわかる。


『アッシュの、中』

「・・・そうか。」


会話は続かない、いつも、続かなかった。
それでもヒスイも、アッシュもそれに慣れていたし、お互いそこにいるだけで安心できていた。

今もそれは変わらない。


『あのね、アッシュには、生きてほしかったんだ。』

「だからあのとき、導師守護役のラクトを残したんだろ。お前の考えるようなことだ」

『ラクトには悪いって思ってるよ、でも、あたしが残るワケにはいかなかった。
 それにラクトには絶対の信頼を寄せてるワケですから』


おどけたように、ヒスイは笑う。
その表情にいくら救われただろう。どんなに落ち込んだときも、彼女は同じように悩んでくれることはしなかった。
答えが出るまで一緒にいてくれる。仲間。

だけど、アッシュは彼女に歩み寄ってその小さな肩を掴んだ。


「屑が。」

『・・・ごめんね?』


映像メッセージ。そう思っていても、あまりに自然な会話に手に力が入る。
言いたいことは、山のようにある。なのに全然言葉にならなくて。

せめて、痛いと言ってくれれば、それが彼女だと思えるのに。


「・・・屑が。」

『屑かぁ・・・そうなのかな、あたしのやったことは、全部、無駄だったのかな』

「あぁ。」


すんなり否定されて、ヒスイの眉尻が下がる。
そんな表情するな、と言いかけてやめる。


「お前がいねェなら、意味がねェんだよ」

『・・・優しいな、アッシュは。いつも、優しかった』


優しくない、そう否定しようと思ったが、過去形にされるのも嫌だった。
見えない隔たりがあるようでつらい。


『ルークのこと、ねぇ、あのとき、受け入れたんだよね?もう大丈夫だよね?』

「あの屑の心配なんかするな。お前は、さっさと戻ってくることだけを考えておけ」

『手厳しい。でもね、それは叶わないからここにいるの』


クスクスと笑う。自分よりこんなに幼い容姿をしているのに、やっぱりどこか大人だった。
でも最後まで自分のワガママを貫くような子供。

いつだって自分は彼女に振り回されていたような気がする。


「わかんねェ、だろうが。お前が世界を救う努力をしたように、努力しろ。」

『・・・世界を救ったわけじゃ、ないんだ。』


詰まらせた言葉を苦しそうに吐き出すかのような声。


『シンクを、最初は守りたかった。それが、みんなを守りたくなって。
 犠牲をなくしたいと思った。
 気付いたら、まもりたいものが増えてた。でもね、世界を守りたかったワケじゃないんだ。
 結果的にそうなっただけで。』


困ったように笑う。
たとえそうかもしれないけれど、救ったことには変わりないだろう。そう口にしようと思った。
だけど、できなかった。してはいけない気がして。


「そうか。お前の、お願いってなんだ?」

『うん・・・ルークをね、お願いしたい。いろんなこと考えてると思うんだ。
 あたしがルークの代わりにローレライを解放したせいで死んだ、とか思われたら嫌だし。
 あたしね、死人同然だったんだよ。無理に身体を生かしてただけなんだ。
 だから、そう思われるのはやだなーって。』


くるり、とアッシュに背を向ける。その背中があまりに細く小さく、頼りなく思えた。
気がつけばその背を隠すように抱きしめていて。

腕の中でヒスイが微かに震えた。


「死人同然とか、どうでもいい。俺たちはな、お前がいる世界があればいいんだよ。
 だからさっさと帰って来い。」

『・・・ありがとう、アッシュ。』


震えた彼女の声が響き、暗闇は光に包まれた。






「おや、ここは私の精神世界ということでしょうか、ヒスイ?」

『ここは、ジェイドの心の中。』


まるでジェイドの質問など聞こえていないというようなヒスイにジェイドは苦笑する。
そのまま彼女に歩み寄って、デコピンをする。


『いだっ』

「演技はやめなさい。どうせ、貴女の意識が一時的にここに残っているのでしょう?
 貴女がただの映像メッセージだったのは先程まで。・・・違いますか?」

『さ、さすがバルフォア博士っす。』


痛む額を擦りながらその場にぺたりと座り込む。


「・・・もう、戻ることは叶わないのですか?」

『無理だと思う。こうして話すのも、きっとこれが最後。
 ジェイドには大切なお願いがあるんだよ。』


へらへらと笑う。
ジェイドはふと自分らしくない考えを思いついた。このまま、この自分の世界に閉じこもってしまえば・・・。
くだらない、自分の考えがあまりに馬鹿らしくて笑えてくる。

このままここに留まっていたって、彼女の譜術がもつわけでもない。
つまり、彼女がここに永遠にいるわけではないのだ。
なのに目の前の彼女を自分の傍に置いておきたい。無理矢理閉じ込めてしまえるなら。
この機会を事前に知ることができたなら、自分はどうしていただろう。

彼女の譜術がいつまでももつような、ロクでもないものを考えていたかもしれない。
それくらい自分には、ヒスイという少女が大切だったのだ。


『何を笑っているんだ?』

「いえ・・・自分が、あまりにも人間らしいと思って」

『じゃあ、なんで、泣いてるの?』


笑いが、途絶える。
泣いている?誰が?自分が?そんな、まさか。自分に涙など存在しない。
確信めいたものを持っていたにも関わらず、拭うようにあてられたグローブは濡れていた。


『ジェイドでも、泣くんだ』

「いえ、泣きませんよ。普段はね。まったく、どうしたんでしょう・・・ねぇ・・・」


止まらない、綺麗な白い頬を滑る雫は暗闇の中なのに何故かきらりと光った。


『あ、ジェイド、これ』


最初の出会いでヒスイに傷口にあてるように言って渡したハンカチ。


「それは、貴女に差し上げると、言ったと思いますが」

『・・・いつか返そうって思ってたんだけどな。』


ここで返しても意味がないことはわかっていた。それでもヒスイは返したかった。
返さなければならないわけではない。


「どうやら」


ジェイドが口を開いた。赤い瞳はまだ少し揺れている。


「私は、貴女のことを本気で愛していたようです」

『今更自覚したのか・・・っていうか、自覚してなかったんならキスとかしないでよ!
 一応華も恥らう乙女な年頃なのにっ』

「どう見ても父と娘の構図でしたから、許されるかと思って」


くすり、といつものように笑えばヒスイはそんなわけあるか、と顔をしかめた。


「今、気付いたんです。
 私みたいな人間が、いえ、人間かもわからないような生物が、愛を知っているはずがない。
 そう思ってました。でも、私は初めからきっと」


ぐいっとヒスイの腕がひかれる。
ぽすんと音を立ててジェイドの胸にぶつかって止まれば、苦しそうなジェイドの笑顔があった。


「愛してます、ヒスイ。たとえ貴女の瞳にシンクしか映っていなくとも。」

『じぇ、じぇいっ・・・んぅッ・・・!』


無理矢理唇を彼女のソレと重ねる。舌を伸ばして口内を犯せば彼女の体重が一層自分にかかった。
何度か重ねた唇は今も前も変わらない。
匂いも、体温も、その感触も。すべてがヒスイだった。

肩で息をするヒスイに容赦しないとばかりにジェイドが入り込む。


「ヒスイ、私も、まだまだ子供なんですね」


唇をほんの少し離してジェイドは言う。
子供?そんなワケあるか、とつっこみたいヒスイだったが、ジェイドの顔を見てやめた。


「私には、貴女が必要なんです。いつまでだって待ちます。だから、どうかはやく戻ってきてください・・・」

『ジェイド・・・血の契約の代償を、ジェイドなら知ってるでしょ?』


契約は、絶対で。決してリスクは小さくない。
ジェイドならばわかるだろうそれに首を横に振った。


「そんなこと、私がなんとかしてみせます。私のワガママは醜いですか?」


縋るような、子供のような瞳。
どんなに手を伸ばしても届かないそれは自分のウエイトのほとんどを占めていて。

あまりの大きさに、為す術なんかなくて。


『ごめんね、ジェイド。でもあたし、嬉しいんだ。こうして皆が思い出してくれたこと。
 それって契約が絶対ではないっていう証拠だよね?
 だったら、ジェイドがあたしをそっちに呼び戻してくれるまで待ってあげてもいいぞ!』


ふふ。とヒスイが笑う。小さな天使のようだった。
ジェイドは小さなその身体を壊れないようにそっと抱きしめた。


「えぇ、必ず、必ず貴女に帰ってきてもらいますよ。
 ヒスイ、ヒスイも、私を忘れないでください」

『ジェイドみたいなキャラ濃いヒト、絶対忘れないって』


"私の計画が失敗したときには、どうかレプリカたちを"
ヒスイは最後まで言い切れずに光となる。先程とは正反対の明るさに、ジェイドは瞳を閉じた。
一粒、雫が落ちる。


「わかっています、ヒスイ」


消えた彼女にそうジェイドは送った。






「まぁ、ここは、どこですの?」

「・・・メリル?いるのか?」


ナタリアの声にラルゴが反応する。
ふわり、と光のように彼女が現れるとお互いの存在をハッキリと認識できた。

ヒスイはにっこりと笑う。


『仲、良さそうで良かった。』

「ヒスイ・・・なのですか?」


ナタリアの疑問には答えなかった。
曖昧に笑って、すぐに顔を上げる。その瞳は真剣だった。


『レプリカたちは?』

「レムの塔の付近に村を建設いたしました。小さな村ですが、未だに彼らの中にはあちらに向かっている者も多いのです。
 暫くは我がキムラスカとマルクトが指導者を出し合い後に自活できるよう支援していくつもりですわ」

『・・・ナタリアらしいね。良かった。』


くすりとヒスイは笑う。何処か、つらそうな瞳を見てラルゴが口を開いた。


「・・・ヒスイ、何か、心残りがあるのか」


瞳を伏せたヒスイはすぐに黒い眼を晒し首を横に振る。
嘘です、とナタリアは腕を組んだ。


「貴女・・・ルークと同じ、後悔をしているのでしょう?」

『・・・そうかも、しれない』


否、そうなのだ。それを悟られたからといって過去を変えられるわけではない。
わかってはいるけれど。


「情けない。貴女はローレライ教団の導師なのでしょう?」


ビシリ、と突き刺さるような、叩きつけられるような、そんな言葉だった。
確かに今の自分は情けないなと苦笑する。


「きっとローレライ教団も・・・貴女の帰りを待っていますわ。
 ・・・もちろん、わたくしもそれは同じです。」

『・・・ありがとう、ナタリア』


くるり、とラルゴを黒い瞳がとらえた。


『ナタリアを、よろしくね?』

「ああ」


口数は少ない。でも、それだけで伝わる。
その返事にこめられた数々の想いと決意が。


『ナタリア、レプリカたちを、お願いします』

「えぇ、マルクトと今後も手を取り合って解決していきますわ!」


自信満々に胸を張っていうナタリアを見て、安心したようにへらりと笑う。
ラルゴがそっと手を伸ばした刹那、光に包まれる。

暗闇に目が慣れた2人には眩しすぎる光。


『ありがとう』


微かに、ヒスイの声が聞こえた。






アニスはあたりをきょろきょろと見回す。
たとえ何かの危険が迫ったとしても、イオンの手を無意識に握っているため安全だ。
トクナガもスタンバイできている。


『警戒しないで、アニス、イオン』

「ヒスイ、さま・・・」

「ヒスイなのですか?」


ぱ、とアニスが手を離すとイオンが駆け出す。
手探りで探すのにもどかしさを覚えた。


『イオン、そんなに焦らなくてもいいのに』

「ヒスイ・・・」


背後に現れたヒスイの姿を見るなり、イオンが飛びつく。
少し揺らいだがヒスイはしっかりと受け止めた。


「ヒスイ・・・!」

『こらこらイオン、いつからそんなにあまったれに・・・』

「イオン様ズルいですーっ!」


緊張感なく飛び込んできたのはアニスで、ヒスイは先程より大きく揺れた。
流石に2人支えるのはつらい。


『も、もう、2人がかりはつらいって!』

「離すもんですか・・・離したら、消えて、しまうんでしょう?」


不安そうにイオンの瞳が揺れる。大好きな色が、そう揺れるのを直視できない。
ヒスイは少しだけ俯いた。


『・・・そうしても、消えるよ。譜術の効力が切れたら。
 だから、ね?お願い聞いて欲しいんだ』

「・・・はい」


イオンが仕方なく離れると、アニスも離れる。服は掴んだままだったが。
少し笑って、ヒスイは口を開いた。


『ローレライ教団を、たてなおしてほしいんだ。
 確かにヴァンは過ちを犯したよ。でもね、ヴァンの気持ちだってわからなくはないんだ。
 預言に頼りすぎた人たちが、これから一体何に縋ればいいのか、わかんなくなると思う。
 そういう心のよりどころにしてあげてほしい』

「・・・ヒスイさまって」


アニスが、灰色の大きな瞳でヒスイを睨みつける。


「ヒスイさまって、どうして、他の人のことばーっかり考えるんですか!
 自分のことも少しぐらい考えてあげてください・・・」


何かに耐えるようにアニスが身を震わせた。涙が、こぼれる。
言葉が、出なかった。
-- こんなに小さい子にまであたしは、


『・・・ありがとう、アニス』


それでも、不謹慎だけど、嬉しかったんだ。

身体が少しずつ輝き始めてもう時間がないことをヒスイに告げた。
伝えなくちゃ、大切なことを。


『レプリカという存在を、認められない人もいる。
 だからね、そんな人に伝えて欲しい。レプリカって、確かに、いろんなことを招いたかもしれない。
 でもね、違うよね。アニス、ガイがエルドラントのホドのレプリカを見たときに感じたことって、その気持ちって。

 ・・・とっても素敵なものだったと、思うから』


光が、周りを包んだ。


「ヒスイ!」「ヒスイさま!」

『意味のない生なんか、存在しないんだよ。
 あたしはそれを旅の中で、感じたから -------- 』


光に包まれて彼らの姿が飲み込まれたとき、そこにヒスイはもういなかった。








「ッ・・・ここは・・・・・」

「教官?」


ティアとリグレットがお互いを声で認識する。
声のする方向にリグレットが近寄れば、闇に慣れた瞳がうっすらとティアをとらえた。


「ティアか」

「はい、教官。ここは・・・どこでしょう?」


ティアが辺りを見回すけど闇しかないように感じて身を震わせた。


『ティア、リグレット。ここは、貴方たちの精神世界みたいなものかな』

「「ヒスイ!」」


できれば、怒らないで聞いて欲しいなぁとヒスイが眉尻を下げれば、口を噤んだ。
リグレットは納得のいかないという顔をしている。

無理もない、彼女を無理矢理生かしたのは紛れもない、ヒスイなのだ。


『お久しぶり、ティア。最近は何をしているの?』

「私は・・・神託の盾をやめて今はキムラスカで働いているの。普段はルークの家庭教師みたいなものね」

『なるほど・・・すごく、大変そうだ』

「えぇ、まったくよ」


ふふ、とティアが笑う。
彼女は旅の中で表情が柔らかくなったとヒスイは思った。
最初からティアを知っているという訳ではなかったが、そう感じた。

ローレライ教団にいた頃も会うことはなかったのだから。


『リグレット・・・あの・・・ごめん、ね?』

「・・・」

『リグレットは信じられなかったと思う、預言のない世界。
 ヴァンのいうことが正しいって、信じてたと思う。だけどあたし、リグレットを無理に生かしたことを後悔してないよ』


暫く、リグレットが悔しそうな顔をしていた。
不意に口を開いて、瞳を真っ直ぐとヒスイに向ける。

その眼はやはり怒りが見え隠れする。


「違うわ。私は貴女の理想を信じていた。
 私が貴女に対して怒っているのは・・・貴女が、帰ってこないということに対してよ」

『リグレット・・・』

「貴女の望んだとおり、この世界は預言から脱した。けれど足りないものがある。
 貴女は・・・誤解してるのよ。私たちの幸せに貴女が必要だって、全然わかってない」


その口調はどこか寂しそうで、どこか優しくて。
静かに頷くティアも、ただヒスイを真っ直ぐに見つめるリグレットも。

彼女にとってふたりは姉のような存在だったと思う。
-- それでも、後悔しても、あたしは戻れなくて。


『・・・ありがとね、2人とも。
 でもあたしは戻れないんだ。これは記憶のひとつに過ぎないから。
 リグレットは、ヴァンを。ティアはルークを。
 そして今という瞬間を、大切に生きて欲しい。』

「じゃああなたはッ」


ティアが、ヒスイの腕を掴んだ。
普段前髪に隠れている瞳が真っ直ぐに彼女を見つめて。


「じゃああなたのことは、誰が大切にしてくれるのッ!?全然・・・わかってないじゃない・・・!」

『ティア、そう言ってくれるティアが、あたしのことを大切に想ってくれてる。だろ?』


へらり、とヒスイが笑えば、ティアの瞳がより一層見開いた。
輝く身体は彼女とティアを隔てる。


『ごめん、もう時間切れみたい。あたしね、こうして皆があたしのことを思い出してくれて嬉しい。
 それだけあたしのこと、大切に想ってくれてるってことだと思うんだ。
 これ以上ないくらいの』


光が、全てを包む。
お互いの姿が見えなくなって、消える身体でヒスイは呟いた。


『しあわせなんだ』








『ホド組発見。ヴァンせんせーとナイスガイさんじゃないですか』

「ヒスイ」


にやりと笑ったガイが少し、大人びてて、なんていうか違和感をおぼえる。
ああそうか、女性恐怖症は克服できたのか。

-- 元々あたしには関係なかったみたいだけど。


『ヴァン、腕、なくなっちゃったね』


あの戦いで、ローレライから恩恵を受けていた片腕は見事になくなっている。
でも、その顔はなんだかすっきりとしていてヒスイは笑う。


『でもいい顔してるや』

「おいおいヒスイ、ヴァンにホレるなよ?」


冷やかすガイに「まっさかー」と彼女は笑った。
あれ、なんでヴァンってば項垂れてるんだろう?とヒスイの視線がヴァンに向く。

「なぁ」とガイがヴァンの方を向いていたヒスイの意識を自分に向けようと口を開いた。


「いつ、戻ってくるんだ?ルークのやつ、めっきり落ち込んでてさ。
 だからあいつのためにも・・・・・・やめた。ただの口実だよな。

 ・・・ヒスイに会いたいんだよ、俺。」

「私だって私と、そして、大切な仲間を救ってくれたお前に会いたい。
 新作のコスチュームが・・・」

「おいヴァン、お前がいるとムードに欠けるんだ。少し黙っててくれないか」


怒ったようにガイが笑えば、しゅんとまた項垂れるヴァン。
そっかそっか、ホドというか、マルクトの上下関係的にはこれが正しいのか・・・。
ヒスイはひとり納得したように頷いていた。

-- はじめっから妙な威厳たっぷりだったからなぁヴァン。


『ガイはマルクトに?』

「ああ、今でも陛下のブウサギの世話係。最近は可愛いジェイドも可愛くないジェイドもご機嫌ナナメでな」

『ガイって貧乏くじひくの得意だな・・・』


ヒスイが同情するように苦笑すればまったく、とガイが額に手を当ててオーバーリアクションで疲れている素振りを見せる。
あれ、ヴァンは今どうしているんだろう?と彼女はうずくまった大きな彼を見下ろした。


『ヴァンは、どうしてるんだ?』

「ああ、ヴァンは神託の盾に残ってるんだ。総長ではなくなったけどな。
 相変わらずリグレットと一緒にいるらしい。」


まぁ相変わらずさ、と笑うガイに、そうだね、とスネているヴァンを見る。
変態っぷりも相変わらず変わっていないようだ。
ヒスイがくすりと笑うと、ようやくヴァンがこちらを向いた。


「ヒスイ・・・すまなかった」


軽く頭を下げる。何に対して謝っているのだろうか。
ヒスイは口を閉ざしていたが、やがて、ゆっくりと開いた。


『ヴァンはあたしに賭けてたんでしょ?じゃなきゃあたしが導師就任前に殺せたから。
 普段から戦い慣れてるヴァンのほうがあたしよりずっと有利だった。
 ・・・迷った先の答えが、見つかったんだよ、今』


ふわり、とその纏められている頭を撫でた。
ヴァンも暫く押し黙っていたが、やがて観念したかのように口を開いた。


「そう、かもしれんな」

『じゃあ大丈夫。今度は、もっと素直に道を選べる』


ふたりとも、ね。ヒスイは笑う。
少しずつ彼女の指先から光がこぼれて、ヴァンは目を細めた。


『ガイ』


ふと名前を呼ばれてガイは視線を下げた。小さな彼女と視線を合わせるべく屈む。
まるで騎士のような素振りにヒスイは少しだけ恥ずかしくなって視線をそらした。


『最後まで、カッコいいな。ガイは。』

「じゃあいつまでもヒスイの思うカッコいい俺でいるさ。だから、最後だなんていわないでくれ」


哀しそうに瞳を細める。彼の涙は、落ちることなく、増えることなく、その瞳に留まっていた。
それから目を逸らさずに彼女は微笑んだ。


『マルクトを・・・おバカな陛下とツンデレ大佐をよろしくね?』

「ヒスイのお願いなら、死ぬまで世話しないとな?」


もとよりそのつもりではあったのだろう、嘘偽りのない純粋な瞳にうつる決意がそう語っている。
ヒスイは振り返り、ヴァンを見た。


『ヴァンデスデルカ。・・・みんな、この戦いがあって、色んな人が悲しんだり、苦しんだり、傷ついた。
 その責任を、その腕一本で償いなさい。貴方にできる、貴方にしかできないこと。
 そして彼らが掴んだ未来の一瞬一瞬を・・・貴方も、掴むのです』


導師の顔を、ちらり、と見せる。
真剣な瞳は慈愛に満ちている。自分を救うために、なけなしの第七音素を使った少女。
その小さな身体には一体どれだけの覚悟と、勇気があったのだろうか。
初めて少女と会ったときはこんなに強くはなかっただろうこの少女は。

・・・一体、どれほどまでに成長したのだろうか。


「・・・その命、しかと心得ました。導師ヒスイ」

『ガイ、ヴァン・・・ありがとう。』


ふわり、と光に少女は溶ける。同じように溶けそうな彼らは、お互いの顔を見る。
きっともう会えないのかもしれない。だけど信じたかった、預言が絶対でなかったように。
彼女の消滅もまた、絶対ではないのだと。


「いいからさっさと帰って来い。ってな」

「ああ、まったくだ。」


その笑顔は、光に溶けたが、その光よりもずっと眩しいものだった。










「ヒスイだー!」


ぎゅう、といきなり抱きつかれる。こんなことをするのは・・・


『フローリアン、だめだろ!いきなり人に抱きついちゃ!』

「ヒスイ怒ってもこわくない!随分おかえり、遅かったね?
 ボク待ちくたびれちゃった。本読んで欲しいの!モースっていつもカミカミなんだもん」


くるり、と彼が振り向くと、少し腹の出た中年の男がそわそわとする。
わかっているのだろう、彼・・・モースには。彼女はもうこの次元の存在ではないということを。
死して音符帯となったわけでも、ないだろうことも。


「導師ヒスイ・・・」

『・・・モース、貴方にひとつだけ頼みたいことがあります。
 フローリアン・・・まだ、こんなに、幼い。あたし、帰れないから』

「存じております」


ふ、と頭を下げる。最期を告げるかのような、別れの挨拶。
ですが、と彼はすぐに顔を上げた。


「待っております。私も、フローも。それはいつまでも変わることはないでしょう」

「また、ヒスイどっかいくの?ボク、やだけど、おしごとだもんね!
 フローリアンいいこで待ってるから、次は本読んでね!」

『・・・フローリアン。いつまでも、純粋なままで、いてね』


すう、とヒスイの白い頬に雫が流れる。
彼女より幾分か大きなフローリアンはそれに気がつかず彼女を放すものか、と抱きしめていた。


「だいすきだよ、ヒスイ。待ってるから」

『うん、フローリアンはイイコだもんね。』


ふわり、と抱きしめていたはずの彼女の感覚が消え、光に飲み込まれる。
本当はわかっていたけれど、だけど、わからないふりをしていたかった。

まだ幼いふりを、彼女の知っている自分のままでいたかった。

色んな知識を得た今ならヒスイが消えたことくらいわかる。戻ってこないこともわかる。
でもあの頃の自分なら、きっとこう言った筈だ。

フローリアンは緑の瞳をゆっくりと閉じて、光に溶けた。


「いってらっしゃい、ヒスイ。ボクはヒスイのただいまを、ずーっと待ってるからね」







桃色のウェーブがかった髪を振り乱して、少女はヒスイの元へと走ってきた。
愛用のぬいぐるみをどこかに落としたこともお構いなしの様子。

後ろから髪をくくったイオンがやってくる。
この表情からすれば被験者の方で。


「ヒスイ!」

『クロ、アリエッタ。元気だった?』


ヒスイの質問に首を大きく振り千切られんばかりにアリエッタは振った。


「アリエッタ、ヒスイいないと・・・元気じゃない!」

「アリエッタ、ワガママは言わないんだ。もう何度も話しただろ?」


眉間の皺を増やしてクロが言えば、そうだけど、と少女は口ごもった。
アリエッタはアニスよりも精神的にずっと幼い。ゆえに、アリエッタを言い聞かせるのは大変だっただろう。

ヒスイは少しだけ苦笑した。


『もう少し優しくしてあげないと、アリエッタ泣いちゃうよ』

「・・・ほっといてよ」


むすり、と顔をしかめるクロにヒスイは相変わらず、と笑った。
最初に見たあの時から彼はまったく変わっていない。ある一部を除いては。

世界に対する希望が、今、少しずつ増え始めて。


「あんたの言ったとおりになった。預言は、ある少年によって捻じ曲がる。
 でも、僕の世界も、その少年の世界も、そしてこの世界も。
 救ったのはあんただ。」

『・・・』

「今まであんた、諦めなかったじゃん。ここまで、がんばってきたんだからさ。
 僕はあんたに起こるだろう奇跡を信じるよ」


だから、アリエッタの味方。そう彼が笑えばアリエッタの瞳が嬉しさに輝きだした。
みんな勝手だな、あたしは、ただの平々凡々な学生だっていうのに。

そう思うのに、その優しさが染みる。ヒスイはにっこりと笑った。


『じゃあ帰ってくるまでに、ふたりとも元気でいてね!
 アリエッタがイイコじゃなかったらあたし、帰れないかも〜。』

「あ、アリエッタ、イイコだもん!ね、イオンさま!」

「どーだか。」

「ひどいです・・・イオンさま・・・」


うるうると滲ませた涙にため息を吐くクロ。
ふふ、とヒスイは悪戯に笑った。


『まぁアリエッタが悪い子だったことなんかないだろ?大丈夫。
 そうそう、ママによろしく言っておいてね。』

「・・・うんッ」

『じゃあ、またね、アリエッタ。クロ、アリエッタ泣かすなよ?』

「それは約束できないな」


ふふ、と大人びた笑みを浮かべるクロにまったく、とヒスイも笑った。
アリエッタは光に消え始めたヒスイの身体を必死に抱いていた。


「アリエッタ、待ってるから・・・」

『・・・うん。ありがとう、アリエッタ』


その笑顔がゆっくりとクロに向けられた刹那、光は爆発するように3人を包んだ。







「ヒスイ。」

『げ、ディスト!ごめん君の存在をすっかりきっぱり忘れ去っていたよ』

「キィィィィッ!!あなたといいジェイドといい、どうして失礼なんですか!」


まぁまぁ、と宥めるも煽った本人がやれば逆効果で。
しまいにはいじけ始めた彼に少しため息をついた。


『もー、悪かったって!薔薇のディストさまに助けてもらわなきゃ旅なんかできなかったし!
 すっごく感謝してるよ。
 だけどさ、ディスト、六神将で唯一生き残ったひとりなんだもん。すっかり気を抜いちゃって。』

「・・・悪いと思っているのなら、いいのですけれどね」


ふう、とため息を吐く。どうやら彼の怒りは薔薇の二文字で消え去ったらしい。
彼のバックにあの豪華な椅子がないのは珍しいというか、おかしいというか。
失礼ながらヒスイはそんなことを考えていた。

ふと、ヒスイが顔を上げた。


『ネビリム復活諦めた?』

「・・・レプリカは、所詮、複写なんですよ。外見ばかり似ている別人。
 どれだけ願ったところで先生・・・彼女はもう、戻ってこないんです。」


彼の視線が、眼鏡の奥で下がった。

単純に彼は寂しかったのだと思う。あの日々が、恋しかっただけなのだと。
どんなに願ったって過去なんて戻らない。それが理解できた今、一体彼は何を望めるのだろう。

ヒスイの瞳が微かに揺れた。


『あのね、ディスト・・・ジェイドはね、ディストの技術を認めていたよ。
 ディストがいたからレプリカが作れるようになったんだよね?装置とか、そういうのがあってできたこと。
 じゃあさ、ちょっとだけボロボロになったこの世界を治すためにジェイドに協力してあげたらどうかな?

 ・・・そしたら、ジェイドとまた働け「それはいいですね!」・・・う、うん』


ばっ、と上を向いた彼はまさに生き生きとしていて、すごく幸せそうだとヒスイはこっそり思う。
そしてと付け加えてヒスイの肩をしっかりと抱いた。


「ジェイドと必ず、貴方をこちらに呼び戻す譜業を作って見せます。
 だから待っていてくださいよ!ハーッハッハッハッ!!」

『そ、それは頼りがいがあるなぁ〜・・・アハハ・・・』


意気込み始めた彼に「ジェイドからおしおきされないように祈ってるね」と小声で言ったが、
有頂天の彼の耳には届かなかった。

光に包まれたヒスイに、ディストは視線を向ける。必ずまた会える、そう確信したように。


「貴女が戻るまでにクポを改良しておきますから、楽しみにしていてくださいねッ」

『・・・そうだね、クポをよろしく!』


洗っておいてねー、と言葉を残し、彼女は光に包まれる。
私に不可能はない、ディストはまるで自分に言い聞かせるように繰り返していた。








少女が輪郭を保てば、嗅ぎ慣れた、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
瞳を合わせることなんかできるだろうか?だって彼は、あんなに必死になって自分を止めてくれたのに。

その彼の希望すら、踏みにじった。


「ヒスイ」


怒っているのだ。彼が、自分に対して怒ることなんかほとんどなかった。
どんなときだって自分の味方になってくれた。

名を呼ばれ、ヒスイは赤と紫の瞳を見上げた。
刹那、乾いた音が響いた。


--- パシンッ


一瞬何が起こったのかヒスイには理解できなかった。
数秒して、頬に走る微かな痛みに気がついたときには、もう自分は彼の腕の中にいた。


『ラクト・・・』

「どうして、どうして止めなかったんだ!!」


いつものように笑っている彼ではない。
でも、ヒスイは、素直に怒りをぶつけてくる彼に恐怖は感じていなかった。

こんなにも優しい人なんだ、とその怒りをすべて受け止めるように瞳を閉じる。


「私は・・・あなたと、ただあなたと一緒にいたかっただけなんです。
 ヒスイ、こんなのはあまりに残酷すぎる」


痛いほど抱きしめられる。その痛みに負けずに、優しく抱きしめ返した。
少しだけ腕の力が抜けて、ヒスイは小さく擦り寄った。


『ごめんね、ラクト。ごめんなさい。思いつかなかった。
 ラクトくらい頭がよかったらあたしわかったかな?あたし、ここで生きられたかな?』

「馬鹿ですね、ヒスイ。本当に、あなたは馬鹿だ」


彼が笑った瞬間、唇に柔らかい感触を感じた。
見開いたヒスイの瞳にはラクトの色の違う瞳が映って、直視できずに瞼を閉じる。

優しい、キスだった。
強引なやり方であるのにも関わらず、その優しさにヒスイは溶けるような気分を味わっていた。
こんなのはよくないのに。わかってるのに、拒めなくて。

ラクトの甘い舌がヒスイの中に侵入すれば、逃げるようにヒスイは舌を動かした。


『ん・・・ふぁ・・・・らく・・・・・・』


ぬるり、とヒスイの舌は簡単に絡められる。
抗議の声を上げても彼のキスは止まらなかった。

彼が唇を離したときには、ヒスイの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
立っていられなくなってその場に座り込むと、ラクトが屈んでヒスイの頬を撫でた。


「嫌、でしたよね。」


すう、と綺麗な指先が彼女の顎まで滑る。そのまま肩をそっと抱いた。


「でも、謝罪しません。だってあなたが悪いんですよ?私の気持ちを、いつだって無視するんですから」


ずっと抑えていた気持ち。割り切ってきた気持ち。
崩れていく抑制力にラクトは心の中で嘲笑する。

愚かだろうか。彼は、一体自分をどう思うだろうか?

でも。まるで子供のように言い訳を繰り返した。


「ヒスイが、悪い・・・」

『・・・バカラクト。ボケラクト。オキラクト。』

「・・・謝りませんから」


むすっ、と彼が綺麗な顔を膨らませた。
見たこともない表情にヒスイがぶっ、と噴き出した。


『あはは、何その顔!ラクトってば子供みたいだ!』

「そうさせたのはあなたです。」


むっつりとした顔でラクトがスネたように言えば、ヒスイはよしよしと頭を撫でる。
まるで優しいジェイドのようだと思っていたが、この男、中々可愛いところもあるらしい。
ヒスイはぎゅっ、と抱きつく。


『ありがとう、ラクト。心配してくれて。ラクトがいてくれたらシンクも大丈夫だよね』

「・・・恋敵の機嫌取りなんて、私はごめんですから」

『コイガタキ?』


小首をかしげたヒスイに、もう一度優しく、キスをする。
すぐに真っ赤になるヒスイの顔を見てラクトがへらりと笑った。


「愛してます、ヒスイ。ずっと前から。」

『あ、あ、あああたしにはシンクっていう・・・』

「でも、まだ付き合ってないじゃないですか。私にだってチャンスくらいください」


こんなに我慢したんですから。いつものへらりとした情けない笑顔を貼り付けたラクトは優しくヒスイを抱きしめる。
まるで予想外というように口をぱくぱくしているヒスイの意思は完全に無視だ。


「私へのお願いはシンクのことですよね?断ります、それに、シンクはそんなに弱くないですから。
 だから安心してさっさと帰ってきてください」

『・・・うん』


こくり、と頷けばよろしいと頭を撫でてくる。
大きなこの手に支えられてあたしはずっと歩いてこれた。
光り始めたヒスイを抱きしめる。行かないで、こっそりと何度も囁かれる言葉が、耳に残って。


『ラクト、ごめんね。ありがとう』

「絶対、絶対戻ってきてくださいね・・・約束、ですから」


その言葉の途中で、最愛の少女は光となって溶けた。


「いつまでだって、待っています。私は、あなたの騎士なのですから」









「ヒスイ・・・?」

『・・・シンク』


どんな挨拶を交わせばいいのだろう。
どんな言葉を求めているのだろう。

お久しぶり?元気だった?あれからどうしてるの?

色々な言葉が浮かんでは消えて、お互い微妙な距離を保ったままただ黙っている。


『あ、あの・・・えっと、シンク、ごめん。会いたくなんか・・・なかった?』


不安そうにヒスイがシンクの顔色を窺うと、ぐい、と素早く掴まれた腕をひかれる。
ぽんっと彼の胸におさまれば、はぁ、とわざとらしくため息を吐かれた。


「アンタ、ほんっとうにバカだね」

『なッ・・・!?』

「会いたいに、決まってるでしょ」


小さな身体をできるだけ強く抱きしめる。
こんなに愛しいのに、どうして自分はあの時、止めなかったんだろう。

手を伸ばせば届いたのに。


「ねぇ、ヒスイ。」


優しい声が、耳の奥で鳴った。


「行かないでよ。」


たった一言が、こんなにも重い。
わかっていたはずなのに、どれだけ覚悟を決めたって。

彼のその一言に、縋りたくなる。

行きたくないよ、そう返したくなる。

一緒にいたい なんて我侭 もう叶わないと決まっているのに。


『やだよ』


紡げた言葉は足りずに、シンクは身体を離してヒスイの表情を窺った。
ぼろぼろと崩れるように落ちていく涙の粒が、一体どれだけの苦しみを少女に与えているのか。

子供のようにヒスイは、ただ嫌だと繰り返す。


『あたし、嫌だよ、シンクのこと好き。大好き。どうしてあたし、消えなくちゃいけないの?
 どうして、シンクといられないの!?

 あたし、あたしッ・・・・!!』

「・・・ごめんね、ヒスイ。ボク、どうすればいいかなんて全然わからない。」


崩れ落ちる。まるで、赤子のように声を堪えることもなくヒスイは泣いた。
ぽつり、ぽつりと自分の身体から光の玉が浮かんで闇に消える。
消えないように、行かないように。シンクはしっかりとヒスイを抱きしめる。

だが、その腕もいつしかヒスイの身体が透けてきて宙に掠めてしまう。


『シンク・・・も、もう・・・あたしッ・・・』

「ヒスイ、よく聞いて?」


ぽたり、ぽたり。

シンクの瞳から、涙がこぼれる。


「待ってるから」


消えそうなくらい、光に滲む彼女の頭をそっと撫でる。もう感触は、お互いわからない。
もう触れ合うこともできない。

ヒスイの首元で輝いたペンダントを見て、シンクはもう一度だけ口を開く。


「愛してる」


唇を、重ねた。

どんなキスよりもずっと重い、口付け。そこに、感触はなくても。
撫でていた手を頬に寄せて、もう片手を彼女の背中に。

すっ・・・と涙が頬を伝ってシンクの手に落ちた。
その感触を感じたときにはもう、そこにヒスイの姿はなかった。


「ずっと、待ってるから」


こうして出会えたのだから、また、会える。
手についた彼女の涙に、シンクの涙が落ちて光となって消えた。













あの時の手紙はもう映像メッセージとしては出ることはなかった。
そしてクポはあれ以来動いていない。
知らない間にボクら全員がヒスイの手紙を握っていて。
誰もがそこに涙を落としていて。

ボクはクポを拾い上げて、そっと抱きしめた。

そのときからボクの部屋にあまり似合わないぬいぐるみが置かれるようになったんだ。


「シンク、私とピクニックに行きませんか?」

「・・・どこに?」

「わかりません・・・ですが、ヒスイ様が案内したかったと行っていた場所を、探してみたいんです」


シンクと一緒に。ラクトはいつもの笑顔でそういう。
へらへらしたその笑い方も、随分ボクは好きになったと思う。

あの後ラクトはヒスイを好きだったことをボクに告げた。
気付いてはいたんだけど、言ったらボクはヒスイをとられる気がして。
ボクのものじゃないんだ、ボクたちはまだ、始まってすらいないから。
だけどラクトのすっきりとした顔を見ていると、なんとなく、ラクトの気持ちがわかって。

今ではボクにはラクトは欠かせない存在になっていた。
それは、もちろん好敵手という意味でも、仲間という意味でも。


「じゃあ、すぐに支度する。」

「あれ、シンクが仕事をサボるなんて珍しいですね〜。」

「たまにはサボったってバチはあたんないでしょ?」


口の端を上げて、ボクがそういえばもちろんとラクトも頷く。



見つけたい、ヒスイが見た風景を。
それがボクとヒスイを繋げる唯一のモノなのならば。










08.12.15 27 -- さよならなんてまだ言いたくないんだ。






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