◎07 : True Believer
フェンスを潜ったコナーは注意深く分析する。
「フェンスにブルーブラッドが付着している。他にもアンドロイドがいたんだろう」
警戒のためコナーは先にフェンスを潜った。板が打ち付けられた窓の隙間からは、変異体アンドロイドが見えたが探しているAX400型ではなさそうだった。
玄関の扉を潜り空き家に堂々と入る。変異体アンドロイドは静かに部屋の中央で立っているだけだった。スキャンの結果からWR600型庭師アンドロイドであることがわかった。顔のパーツには火傷のあとがあり、皮膚機能が修復不能なほどの損傷をみせている。
他のアンドロイドはいるかという問いに、変異体アンドロイドは一人だと答えた。だが、暖炉には火がついている。
アンドロイドは暖をとらないが、どういうことだ? 彼女の追跡は間違っていたのかもしれない。
テーブルには三人分の食器が並べられている。三人なら情報と合致するが、アンドロイドに食事は必要ない。変異体の行動パターンは予測の範疇を超えることがあるため油断はできないが、彼はどうやら何かを隠したがっていることは事実のようだ。
階段を途中まで上がり、二階を覗く。「二階に誰かいるか」というコナーの問いには嘘を吐かずにWR600型アンドロイドは答えた。「誰もいないよ」
ふと、階段下で何かが動いた。コナーはそっと、警戒を怠らずに覗き込もうとする。しかし最後まで覗き込むのは阻まれた。火傷痕を携えた変異体アンドロイドが、背後からコナーを羽交い締めし声を張り上げたからだ。
「カーラ! 逃げろ! 早く!」
追っていた変異体、AX400型アンドロイドが逃げるのを投げ出された身体でコナーは見ていた。どうやら裏口から逃げる算段らしい。
痺れを切らして入ってきたハンクにコナーは叫んだ。「いました! 応援を!」
ハンクはコナーを引き上げるようにして立たせた。ハンク・アンダーソンの歳でアンドロイドの追跡は難しい。コナーが飛び出すようにして正面に立つその少し前から、裏口で待機していたヒスイはAX400型のお互い意図しない突撃によって尻もちをついていた。
ヒスイの瞳が少しだけ揺れた。
ああ、なんで私の縁あるモデルは皆、警察に追われることになるのだろうか。明らかに変異しただろう彼女の恐怖と困惑の表情にヒスイは途端に家に帰りたくなった。あのスタンドアローンの場所ではない、温かな家族が待つ実家だ。母とカーラの待つあの家に。
ほんの一瞬しかお互い目を合わせなかった。逃げ出したAX400型の背を追いかけるより飛び出してきた裏口から、コナーやハンクと合流するしかヒスイには選択肢がなかった。
行き場のない感情がAX400型の背を視線で追う。共に行動していたあの少女が彼女を「カーラ」と呼んだことに、気がついてしまった。
裏口から空き家を通り抜ける際にキッチンの壁が嫌でも目についた。一面に書かれた「RA9」そして「I AM ALIVE」は彼女の心に思い何かを押し付ける。
昨晩の浴室でも目にした、「RA9」……理解できるようで、理解し得ないそれに今は言及している暇がなかった。
玄関から出てハンクの背を追う。
歳をとっているとはいえハンク・アンダーソンは現役の警官だ。それに対し、ヒスイは生粋のインドア派であり、重たいノートパソコンを肩にかけながら走るわけであるため、当然追いつくことはできなかった。
コナーがAX400型に追いつく頃、フェンス越しに決意を固めた変異体の眼差しがコナーを貫いていた。
追いついた警官が銃をAX400型に向けたが、コナーがそれを制する。「撃つな! 殺しちゃダメだ!」警官は構えたまま、しかし発砲はしなかった。変異体を生きて捕らえることこそ、この事件の鍵になるのだから。
彼女たちは高速自動車道を渡る気でいた。後ろからハンクの肩で呼吸するような声が聞こえる。彼女たちが道路に侵入するかというときに相棒が追いついた。
「ああクソ、なんなんだ」
AX400型はうまく少女を庇いながら中央分離帯まで到達する。何があのアンドロイドをそうさせるのかはわからなかったが、このままでは逃げられてしまう。そのことだけは確かな事実だった。
それでは撃たせなかった意味がないではないか。失敗はプログラムにない。コナーはフェンスを掴み、足をかけた。同時にハンクの手が肩にかかり、戸惑うように問われた。
「おい、何してる?」
「逃すわけには」
「平気だ、どうせ反対側にゃいけない」
ハンクの言うことは尤もに思えた。この交通量で、轢かれずに車を躱すのは至難の技だった。しかもAX400型は少女を連れている。それが、何であれ、足をひっぱるに違いない。
だがその判断は間違っていると、コナーのどこかのプログラムが告げている。失敗はプログラムにあってはならないと。
フェンス越しにみたあの固い決意は、決して偽物なんかではないのだと。
そう判断し、ハンク・アンダーソンの警告を無視してフェンスを登りかけたそのときだった。腰に急激な重さを感じ、行動が中断された。
意図しない妨害に視線を下げるまでもなくコナーは聴覚ユニットでその存在を確かめた。
「コナー! 行ったら死にます!!」
絶対に離さないと言わんばかりに頑なな腕を振り解いている時間はなかった。すでにAX400型は向こう側に渡りきり、少女の無事を確かめている。
渡り切ったのだ。家事用アンドロイドができて、自分にはできなかったこと。これが変異体の為せる行動なのだろうか。人間二人の邪魔が入ったらコナーであっても無視はできない。
失敗した。しかしどこか、ハンク・アンダーソンの横顔が安堵の表情を変異体に向けているのが視界ユニットの端に映り込み、困惑した。彼はなぜそのような表情をするのだろうか。この事件を担当しているのは他でもないハンク・アンダーソン警部補である。
任務を失敗し続ければ彼だって職務を全うできていないという判断を下されてもおかしくないはずなのに。
なのに、なぜ。
「逃げられちまったか。まったく、すげえや」
お手上げだ、と言いたげなハンクはこれ以上追うつもりはないと示すかのように来た道を戻る。その際にぽん、とヒスイの頭を軽く一度撫でた。
彼女はまだコナーの腰にしがみついていた。コナーが本当にもう追いかけるつもりはないとわかるまでは離すつもりはないらしい。変異体の姿が見えなくなったところで、コナーは腰に回ったヒスイの腕に触れた。
「もう追いかけるつもりはありません」
そう言って諦めて、ようやくヒスイが腕の拘束を解いた。恐る恐る、ゆるゆると離れていく。どうして、彼女に向き直ったコナーが溢す。
見上げた不安げなヒスイの瞳が揺れた。
「どうしてこのような形で僕を止めようとした。僕が君を振り切っていれば、君は怪我をしていたかもしれないんだぞ」
「でも、あのままじゃコナーさんが修復不可能なくらいに壊れてしまいました。私はあなたのサポートが仕事です、あなたを見殺すのが仕事じゃない」
「僕は、君が愚かで危険な真似をしたといっているんだ! 君ならいくらでも僕を止めることができただろう!」
声を荒げ、コナーは彼女が肩から下げている重々しい鞄を指先で乱暴に突いた。任務を優先することはできたし、破壊されても次の機体にメモリが移されるだけだ。
でも彼女は人間で、代替はきかない。おまけに他の警官なんかよりよっぽど鈍臭く、運動神経も悪い。ハンク・アンダーソンより息を荒げながら自分にしがみついて、コナーがそのまま高くフェンスに上がってしまっていたら? 恐らく途中で落ちていただろう。
コナーの言葉に絶え絶えで肩で息をしていたことも彼女はすっかり忘れてしまっていた。こんなに責められるとは思っていなかったからだ。
もちろん、彼がアンドロイドで、一般人である自分を傷つけるわけにはいかない立場であることは理解していた。
だがせいぜい、軽蔑の視線を送られる程度のものだろうと鷹を括っていた。それがどうだ、彼が自分の肩を痛いくらいの力で掴んで自分を叱責している。
たしかにヒスイと、彼女のノートパソコンであればある程度の距離からなら遠隔操作でクラッキングが可能だった。昨晩からすでにそのプログラムを彼の中に忍ばせてあるのも事実だ。
だがその方法は頭にはなかった。実際に物理的に追いついたのももちろんあったが、なにより。
「だって、約束したじゃ、ないですか……」
震える声でヒスイは抗議した。それは今朝のタクシーでのことだった。あの約束の指切りのことを彼女が言っているのだと、ようやくコナーは気付いたのだ。
アンドロイドであろうコナーは、そのことを失念していた。というよりは、彼女が律儀にそんな約束を守るとは思っていなかったのだ。
彼女の肩を掴む手に込めていた力が、ふっと抜けるのを感じた。
ああ、人間は本当に面倒だ。
予想ができなくて、非効率的で、おおよそアンドロイドとは全く違う構造をした、奇妙で弱い生き物。
かろうじてコナーの口から発せられたのは、止まることを知らない車の騒音にかき消されそうなほど小さなものだった。「ああ」「そうでした、ね」
ようやくコナーから解放されたヒスイはほっと胸を撫で下ろした。ソーシャルモジュールは自分が知るものより幾分も複雑な構造に改変されているらしい。彼がそんな反応をするとは思っていなかった。
思い切り走ってきたため服装が乱れてしまっている。ヒールのある靴を履く習慣がなくて心底良かったとヒスイはここまで走ってきた道のりを思い返していた。あの空き家の変異体はもう、どこかに逃亡してしまっただろうか。
ヒスイが服装を整えて随分遅くなってしまったハンクの後を追おうとコナーに背を向ければ、彼はやはり戸惑うかのように後ろから声を追わせた。「コナーと」
「コナーと、呼んでくれましたね」
「あ、あー……はい、すみません。なにぶんトロくさいもので、急いでたからつい」
無礼をお許しください、と彼女は頭を下げた。
彼女はコナーの呼称にいつも「Mr」をつける。「detective」と呼ぶべきか悩んだが、捜査補佐型アンドロイドにその呼称もどうかと、結局「Mr」に落ち着いているというわけだった。
しかし署内でごく稀にハンク・アンダーソンがそう呼ぶ以外は、コナーは「plastics」か「Android」、または「it」であり「Connor」と呼ぶ人間は少なかった。
どうか、コナーは続けた。
「どうか、コナーと呼んでください」
「……いえ、私ほら、事務員ですし」
彼女は遠慮がちに後ずさったが、その細い腕を軽く、だが離すつもりはない程度の力で掴んだ。
「一般事務員は現場の捜査はしない。そうでしょう?」
隠れたバッジを空いた手の指で弾けば、彼女はああ、だとか、うーん、だとかの声を上げる。
しばらく考え込んでふと自分が彼にした約束を思い出した。「ごく一般の事務員と接するようにしてください」そうだ、すでに私はごく一般の事務員とはかけ離れた仕事を与えられることになっていた。
だから彼は刑事ではないが事務員ではない自分への対応に困っているのだろう。ヒスイは自分の中でそう結論づけて、コナーを混乱させまいとその提案を呑んだ。
「わかりました、コナー」
「お互い捜査を補佐する立場だ。違いますか」
どうやら彼はもっと、を要求しているらしい。
眉尻を下げ、黄色く点滅する彼のLEDリングを眺めながら「わかった、コナー」と肩を下げた。
「でも私はあまり砕けた英語は知らないからね。あとで無礼だと言っても聞きませんので」
「アンドロイドが人間に物申すことはないと思いますよ、ヒスイ」
ぱちり、と彼がウィンクをしてヒスイを腕を解放した。瞬間、どきりと鼓動が高鳴る。
驚いた。ソーシャルモジュールが複雑であるのは理解していたけれど、そんな機能もあるなんて。さすがパートナー型アンドロイドも多く販売しているサイバーライフだ。人の心をどう掴んだらいいのか、自分なんかよりずっとわかって商売をしているらしい。
早歩きで歩く小さな後ろ姿は胸を押さえ、深呼吸しているようだった。
自身がなぜそこでそのような行動をとることにしたのか、コナー自身も計算できていなかった。
そうすべきと判断したのだからそうしたのだろうが、なぜそうすべきだと思ったのだろうか。
彼女は同じ捜査補佐を担うが刑事ではない。ならば、アンダーソン警部補との仲を取り持ってもらうため? しかし自分にそのような思考プログラムが制御外で動いていたとは到底思えない。
ソフトウェアの異常を検知し、自己診断をかける。しかし、結果は正常だった。
メモリには彼女の白の肌が見る見るうちに朱に染まる映像が保存されていた。なぜ、その表情を見て……言い得ぬ何かを、胸のあたりに閊えさせてしまっているのか。
これが一体何のエラーなのか。ただ、今はその背を逃したくはなくて追いかけることに専念した。
待ちくたびれたのかハンク・アンダーソンがパトカーを運転し路地の前まで迎えに来ていた。「なんだ、エラーでも見つけたか?」「いえ、なんでもありませんハンク」彼女はさっさと後部座席に乗り込んでしまったため、コナーは助手席に身体を滑らせた。
「残念だったな、失敗しちまって」
「ええ、本当に。次は必ず変異体を捕まえてみせます」
どことなく、ハンク・アンダーソンの言葉は軽く、同僚にかけるような言葉のように聞こえた。
バックミラー越しに彼女が柔らかく微笑むのをコナーは視界ユニットで捉えた。
△
くるくるとフォークでパスタを巻いた。イタリアンという気分でもなかったが、食べられるときに食べておかなければ身体が刑事相手についていかないのもまた事実で、満腹とまではいかない量を腹に入れておく必要があった。
比較的バランスの良さそうなものと、にんにくが入っていないもの(これが中々難しい)をチョイスしスープとサラダを追加注文した彼女は、目の前に穏やかな表情で座っているだけのアンドロイドを見やった。
たしかにここはアンドロイドお断りではないし、彼女自身そのような店に好んで来店するタイプの人間ではなかった。ただ、ハンクが行きつけのバーガーショップへ食べに行くと言うので、彼女は無礼を承知でこのレストランに下ろしてもらったのだ。
ハンクの食事は基本的に摂取カロリーが多いものばかりだった。それに加えあまり衛生面を気遣われている店ではないことも多い。治安は悪く、彼が好むような場所といえばそうなのだが、気分屋の彼はどこかに寄ったりしながら最終的に食事場所にたどり着くため、時間にもルーズであるし、彼女の母国の習慣とはなにかと合わないのだ。
彼女は衛生的な店を好み、アンドロイドだからといって入店を断ったりはせず、それでいてバランスのとれた食事を好む。外食に頼りたくはなかったが、この事件が解決するまではそうも言ってられないだろう。
さて、目の前に座るアンドロイドについて考えよう。
メニューを見て注文をオーダーすれば「摂取カロリーはやや多めではありますが昨晩のことを考えると程よい選択だと思われます」であるだとか「コーヒーも紅茶も嗜まれないのですね。カフェインに依存しない人間は珍しい」であるとか、何かにつけて合いの手をいれてくるこのRK800型アンドロイド、通称コナーのことである。
「なぜ私についてくるの。私ではなくハンクのパートナーでしょう」
「それは誤った見解です。僕はアンダーソン警部補のパートナーであることは確かですが、ヒスイともまたチームなので。それにアンダーソン警部補もあなたの護衛を快諾してくれました」
「それは人間の世界では”厄介払いされた”って言うのよ」
嫌味を含ませて言うと至極真面目な顔つきで「存じています」と言うものだから、自覚はあったのかと呆れてしまった。
会話する内容は大したことではないが、ふたりで会話する際には彼女の母国語、つまり日本語で話すことにしていた。ビジネス英語ばかりを勉強してきた彼女にとって砕けた英語は難しかったし、彼は何ヵ国語も流暢に話すことができる。
ひそひそ話をするつもりはないが……ここはアンドロイド立入許可が認められていて、客の数は少ないとはいえ日本語を理解できるアンドロイドが複数着席している……安全面を考えると母国語の会話の方が意図も伝えやすく周りに影響を与えづらい。
本当ならコナーモデルという珍しいアンドロイドは好機の目にさらされやすいので、せめて帽子のひとつくらいはかぶって欲しいものではあるのだが。
「逃したAX400型変異体アンドロイドの名称を聞きましたか」
不意に、コナーが話しかけてくる。一瞬だが咀嚼するのを止めてしまった。慌てて再開するが、きっと動揺したのはバレてしまっているだろう。それでも口に物を入れているときはあまり話したくはなかった。話題も話題である。
あの少女……否、少女型アンドロイドモデルといったほうが正しい。YK500型幼児モデルはそれほど需要はないにせよ、同性愛者や独り身の人間といったコアな需要が支えている。街中でYK500型を見ることは滅多にないが(なにせ世界人口はいまや100億人前後と言われているのだから)、何かの縁がありあのAX400型とYK700型は共に行動しているに違いない。
そしてAX400型を少女アンドロイドは「カーラ」と呼んだ。完全に咀嚼を止めてしまったヒスイに対し、コナーはどこか遠慮がちに質問する。
「あなたの実家にいるAX400型もカーラという機体名がつけられていましたね。事件との関連性はありませんか?」
「……カーラは愛称なの。カーラとか、カレンとか、愛称で呼ぶことが多いってだけ。事件とは何の関わりもないよ。なんなら家に行けば、カーラが出迎えてくれるだろうし」
「しかし、あなたのカーラは……気分を害するつもりはありませんが、変異体でしょう」
ぎくり、とヒスイは肩を強張らせた。
その通りだった。あの一瞬の出会いで見透かされるとは思っていなかった。それ以上を口にすべきか悩んだが、食事を終えてしまった今咀嚼して誤魔化すものはなかった。
手を合わせてごちそうさまでした、とこぼしてから、ぽつり、ぽつりとヒスイが話し始めた。
「カーラは……元々は、廃棄されそうになっていたところを母が拾ってきたのが始まりだったの。まだアメリカに来て間もない頃は、母も仕事をしていて……私は、兄弟がいなかったから、家で機械をいじって遊んでいた毎日だった。
でもある日母が病院から……母は元々は看護師でね、とにかく勤め先の病院の駐車場で、蹲ってる彼女を見つけたのが始まり。
母はカーラに名前を尋ねると、彼女はカーラと自分で名乗った。でも、その名前が必ずしもカーラの記憶に良い影響を与えるとは思わなかったから、別の名前をつけて、愛称としてカーラと呼ぶことにした」
昔話は、まだ大して自分の記憶が曖昧だった頃の話であるから、これはヒスイの母親の聞きかじりだった。それから段々と、記憶の混ざった話を思い出していく。
「母は私にカーラの手当てを頼んできた……私は小さい頃からロボット工学や人工知能研究が好きで、アメリカにきたのは日本の教育方針が合わなくて、飛び級して好きなことを学ぶためだった。
そうして学んできたことをカーラの手当てに全力を尽くして取り組んで……カーラは元気になった。でも、彼女は発見されたそのときからすでに変異体だったから、行くあてもなくて、うちで引き取ることになったの。日本の歌が上手でね、「さくらさくら」なんて、すごく綺麗なんだから」
「なぜ摂食機能を追加したのですか?」
「それは……母が退職してから、毎晩晩酌をするようになったんだけれど、私は父譲りでアルコールに弱くてね。だから私じゃ物足りないだろうと思って、ちょっとしたコネで特別に追加してもらったの。
カーラの今の仕事は家族として母を支えることなの。だから、事件とは……何も関係がないのよ」
驚いたのはコナーだった。変異体アンドロイドは職務を放棄し、人間に危害を加え、好き勝手な場所に住み着いたりするものだとばかり思っていたからだ。それが変異体になったとしても機械でいた頃の知識を活かして家族と共に過ごす、というのは初めての事例だった。
尤も自分たちが追っている変異体アンドロイドは問題を起こし、警察の厄介になるタイプのものばかりであるためそういった出会いが中々ないのも事実なのだが、一概に変異体がアンドロイドの職務を全うしないという固定観念は通用しない場合もある、ということなのだろう。
勘定用の端末に携帯をスライドさせた彼女が立ち上がった。
おしゃべりはおしまいだと言うかのように店を出る彼女について歩く。こうしていると、自分も彼女のアンドロイドに見えるのかもしれない。店を出る前に店内を視界をスライドさせて見たが、少ないながらも平和だった。
付き添いのアンドロイドは食事を摂ることはなかったが、子供の世話をするもの、話し相手になるもの、親しげに飲み物を運んでくるもの。アンドロイドは人間社会に馴染んでいた。彼らもいつか、変異体となって主を裏切るのか。それとも彼女のカーラのように、変異体となっても自身の存在意義を見失わずにいられるのか。
タクシーに乗り込みながら窓の外を眺める彼女の横顔を覗く。
いつも、彼女は外を眺めている。何が楽しいのかはわからないが、すれ違う車やバス、歩行者、それに失業者。すべてを目に焼き尽くしているようだった。
「アンドロイドがいなければいいなんて思ったことは、私はない。でも……時々不安になる。自分のしてきたことが、間違っていたのかもしれないって」
ある失業者が座り込んで金の無心をしているのを見て、彼女は何を感じていたのだろうか。
職に就いているという罪悪感だろうか。何もできないという無力感だろうか。それとももっと深いところにある、彼女の過去からくる罪の意識だろうか。
そのときのコナーには、知る由もなかった。
20200109 - Wish I could make you, make you fall in love
( 君に恋をさせる相手が僕だったらいいな、なんて )
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