◎55555記念(ガールズトーク)
ぴたり、と背が壁にくっついたのをひやりと冷たく硬い感触で察した。
一体なんでこうなっちゃったんだろうと背筋を伝う嫌な汗を感じながら少し、あたしは意識を飛ばした。
そう、それは二時間ほど前に遡る。
「日持ちするパンはいるよね…えーっと、木の実はー…」
「あ、ヒスイやん!買い物なん?」
突然かけられた声に振り向くと、ピンクの可愛い髪を揺らしながらアカネさんが近づいてきた。
そう、ここはコガネ百貨店。ジョウト地方最大のお店だ。
そして彼女はとっても買い物が好きで、既に手に持ってるカゴには木の実がいっぱい入っていた。
「こんにちは、アカネさん。それに…」
「ミカンもおるで!」
「お久しぶりですね、ヒスイさん」
柔らかく笑って挨拶をしてくれたのはアサギジムのジムリーダー、ミカンさん。
彼女は鋼のような芯を心に持っている、優しい人。
…っていうのはきっとふたりとも有名人だし、知ってるとは思うけれどね。
ところで……
「ミカンさんも買い物ですか?…すっごい、木の実の量ですけれど」
「あー、ミカンがな、ほら、バレンタイン近い言うて…ポケモンにポフィンを作ろ思て。
で、うちが作り方を教えたろーってことになってん」
「恥ずかしながら、料理はすごくだめで…」
てれながら言うミカンさんが可愛くて、きっとそこらへんの男の子なら彼女の手料理とあらば喜んで食べるだろう。
という考察はさておき、ポフィン、とあたしは少し前に読んだ雑誌についていたポフィンの特集を思い浮かべていた。
確か、マフィンのような…ものだったような。ポケモン用のお菓子、って書いてたはず。
…そういえば、バレンタイン、近かったっけ。
何も用意していなかったことに今更気付いて(旅をしていると日付の感覚があやふやになるのだ)、思わず身を乗り出した。
「アカネさん!是非あたしもその輪に加えてください!」
「お、ヒスイが食いつきよった。えぇでー、イブキのヤツに修行があるってうちらフラれてん。
アイツ付き合い悪いわー。」
大袈裟にため息を吐いたアカネさんもそこそこに、あたしは木の実を手に取った。
タグを見ながら慎重にカゴに入れていく。初めてってこともあって失敗する可能性も考え、少し量は多めに。
こうしてアカネさんの主催する、『バレンタインにドッキドキ☆ポフィン講座』に飛び入り参加させてもらうことになったのだ。
(ネーミングにはつっこまない。つっこんだら負けだ)
ナイフで皮と種を取り除いていくあたしとは裏腹に、ミカンさんはナイフを握り締めて木の実と睨めっこをしていた。
隣でアカネさんが何か叫んでいるが頭にはあまり入ってこない。
「(紅霞は甘いものが苦手だから…ちょっと苦めにして…)」
こうして選ばれた名誉ある(?)木の実たちを細かく刻んでいく。
ふと、視線を感じて顔を上げればアカネさんとミカンさんがあたしの木の実を見ていた。
むしろ凝視っていうべきかもしれない。だって睨まれていたし…。
ナイフをゆっくりと置いてぎこちなく笑うと、ミカンさんが感動したようにキラキラと瞳を輝かせた。
「ヒスイさん…す、すごいです!こんなに綺麗に刻めるなんて…!」
「え、いや旅してるから料理とかするし…」
「ミカン!野暮なことやわそれは!この手つき!この効率!
ヒスイ、アンタ男と暮らしとったんちゃう?」
にやり、とアカネさんが笑えばミカンさんの頬が赤くなった。
な、なんでそうなるんだ!と異議を唱えようと口を開けばアカネさんの方が先に話し始めた。
ほぼ妄想に等しい内容だったけれど。
「旅をしてるってことは別れたんやろなぁ…でもヒスイくらい可愛かったら、うちが嫁にもろてもえぇんよ?
でもヒスイ、アンタ好きな人おるやろ?」
「はっ…!?」
「ヒスイさん、旅をしてらっしゃるのに…そんなのよくないです!
好きな人とは一緒にいるべきですよ!」
あたしそっちのけでふたりの妄想は止まらず、あたしも木の実を放って弁解をしていた。
…けれどもまったく相手にされず、肩を落とした。
と、その時。悪魔が目覚めたのだ。(アカネさんの中で。)
「ところで、ヒスイの好きな人って誰なん?」
うちら仲良うなってかなり経つやん?とじりじりと迫り始めるアカネさんに恐怖に似たものを感じて一歩後退る。
助けを請うようにミカンさんを覗き見ればばっちりと目が合った。
一歩、ミカンさんが近づく。
「私も、気になります。そういえばヒスイさん、以前アサギで親しげにお話していた方がいらっしゃいましたよね。」
じりじり、と今度はミカンさんが近づく。
親しげって…だ、だれだろう。アサギで会った人といえば、デンジさんやオーバさん、それに…シルバーくん。
脳裏によぎった面影を首を振って払いのけて両腕を突き出して否定する。
「い、いるワケないじゃないですか!あたし旅してますし…!」
「今一瞬"カレ"のこと考えとったやろ?うちらに話してみ?」
「そうですよ、ヒスイさん。話すと楽になりますよ…?」
笑顔で詰め寄ってくるふたりからなんとか逃げようと後ろに一歩、また一歩と下がればどん、と背に何かがぶつかる。
感触と位置からしてそう、壁だろう。
つまり、四面楚歌。あたしの逃げ場は何処にもないらしい。
そして話は冒頭に戻るというわけである。
す、好きな人なんて…いまのあたしにそんな余裕があるはず…
冷や汗がひとつずつ伝うのを感じて、なるべくいい言い訳がないかと頭をフル回転させる。
「じ、実は…」
「なんや?」
「なんですか?」
…は、迫力が怖すぎます。助けて誰か!
じりじりと縮まる距離に慌てて手を振ってふたりを止める。
「実はですね…その人、ひとかたならぬお人でして。とても名を呼べるほど…!」
「めっちゃ聞きたいわー、なぁ、ミカン?」
「ええ、そうですよね、アカネさん?」
もうだめだよこの人たち悪魔かなにかだよ!
泣き出しそうになる心を叱咤してなんとかこの場から逃げようと考えていたその時、大きく扉が開いて痛そうな音を立てた。
青い、耳のようなニット帽をかぶった少年が視線をゆっくりとあたしに向けた。
「
やっと見つけた。ヒスイ、ボクら預けて何遊んでるのさ」
「真紅!」
「「……真紅?」」
ひゅん、とすごいスピードで近づいてきた真紅があたしの手首を掴む。
ふと、何を思ったのかいきなり抱きつかれた。
少しくすぐったいその行為に首を傾げればまるで口付けるかのように真紅は頬に唇を滑らせる。
「
ヒスイ、甘い匂いがする…」
「わかる?ポフィンの作り方をアカネさんに教えてもらってたの。」
丁度真紅用の甘い木の実を切っていたところだったから香りが染み付いていたのかもしれない。
アカネ?と彼は首を傾げてようやくここに別の人間がいるのに気がついたみたいで眼を丸くした。
「
ああ、ミルタンク使いとハガネール使いだね。憶えてるよ。
じゃあヒスイ、はやく作ってよ。ボク結構お腹空いてるし」
「え、あ、うん…でもまだあんまり進んでなくて…」
「
いいよ、手伝うから。おいしそうだね」
余ったナイフを取り出して器用に木の実を刻んでいく真紅に、ようやくアカネさんが口を開いた。
それもそうだ、いきなり入ってきたし。ここは一応ジムの私室なのだ。
「ヒスイ、あれ…誰なん?」
「私たちのことを知ってらっしゃる方みたいですけれど…」
「ああ、真紅です。ルカリオですよ、あたしのポケモンです」
ごめんなさい、口が悪くて。少し謝罪して真紅の隣に並べば彼はひょいと刻んだ木の実をつまんだ。
もぐもぐと口を動かして、うん、と小さく笑う。
「
甘くておいしいよ。新鮮だしね」
「だ、だからってつまんじゃ…んむぐ!?」
「
これでヒスイも同罪でしょ?」
にやり、と口角を上げた真紅を睨みながら口を動かす。確かに、とても甘くて美味しい。
思わずほっぺたが緩んじゃって、「一回だけだからね」と許してしまった。
まぁ仕方ないか、可愛い弟だしね。
あたしたちがポフィンの準備をしている間、後ろで少女ふたりが何かを呟いていたのをあたしはまったく聞いていなかった。
「なぁ、ミカン。うち思たんやけど、ヒスイの『ひとかたならぬ』って言葉なんやけどさ」
「…は、はい」
「『一方ならぬ』やのうて『人型ならぬ』やった場合どないなると思う?」
「…ヒスイさんのポケモンって、オスばかりだったはずですよね」
「ヒスイ、恐るべしやわ…!魔性ってこういうこと言うんやな!うちも見習お!」
「(見習うところでしょうか、そこ…)そう、ですね」
「しまった!木の実買いすぎたー!」
* * *
2010.02.13 Culm
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