真央霊術院入試・後編



 試験官から許可をもらい、名前は平子の腕を自分の肩に回して、よろよろと歩き出した。
 手足は細いくせに、意外と重たい。だらしなく身を預ける平子の吐息が耳元にかかる。

 「……クソガキ……なんやねん……うぅ……目ぇ回る……」

 まだ声変わりしていない、若々しい声だった。名前は頭の中でそんな事を考えながらも、平子の腰に手を回してどうにか運ぼうともがく。重心が定まらず、よろよろとした歩行になりながらも、それでも名前は平子を救護室へと連れて行こうとしていた。

 「すみません、倒したの、私なので……私が責任持って運びます」
 「知っとるわボケぇ……いてて……」

 実技入試を行なっていた武道場を出て、渡り廊下を渡り、教科棟のある舎を歩く。そうして試験官から言われた通りの道順で十分ほど歩くと、ようやく「救護室」と書かれた部屋が見えた。名前はその部屋の襖を片手でどうにか開ける。開けた先には、白衣姿の係員がいた。

 「あら!あらあらまぁまぁ、どうされたんですか?」

 名前たちの存在に気がついた白衣の係員が、声をかけながら二人のもとに歩み寄ってきた。名前はその人をぼんやりと眺めながらも、少しだけ頭を下げて答える。

 「……すみません。先程実技の試験の際に怪我をしてしまって」
 「あぁ、なるほど。……怪我をされたのは、こちらの方だけですか?」
 「はい」
 「わかりました。すぐ処置しますので、あなたはお戻りになって大丈夫ですよ」

 言いながら、女性は平子を寝台に寝かせ、手際よく霊力診断と薬湯の準備を始めていた。名前はそれを眺めつつ、どうしたものかと少し思案した。

 ──帰れと言われたけれど、平子に言いそびれたことがあるな。

 そう考えた名前は、迷った末に躊躇いながらもおずおずと口を開く。

 「……あの、一応、彼の様子を見ててもいいですか」

 そう言って救護員の女性にちらりと視線を向けると、女性はにこりと微笑んで、「どうぞ」と頷いた。

 そのまま部屋の隅に控えて様子を眺める。薬品の匂いのする部屋の中で、テキパキと動く係員を見つめていると、そのうち寝ていた平子がゆっくりと目を開いた。

 「あぁ〜〜……クソったれ……まだ目ェがぐるぐるしとるわ……」
 「……大丈夫ですか?」
 「……ゲ。お前、まだおったんか」
 「ひどい言い草ですね」

 そう言って名前が作り笑いを向けると、平子は居心地悪そうに眉を顰めてそっぽを向いた。名前は、そんな平子に近付いて、彼のそばまで行くと、頭を下げて彼に向かって感謝を述べた。
 
 「……先程は、ありがとうございました」
 「……なんのハナシや。ガキに礼言われることなんざしとらん」
 「…。その気になれば私なんてすり潰せるのに、組み手の際に一度も反撃しなかったですよね。だから、ありがとうございました」
 「ハ、買い被りすぎやろ。俺が弱かっただけや」
 「……」

 名前は、下げていた頭を持ち上げてからそっぽを向く平子をじっと見つめた。金髪のポニーテールを解いた平子の髪の毛は、肩口にかかるくらいの長さだ。名前は「(この長さの平子の髪の毛は原作でも見たことが無いなぁ)」なんて考えながらも、なおも平子を見つめる。相変わらずそっぽを向く平子に向かって、名前はぽつりと呟いた。

 「他の方々の組み手は、みな同性同士でした」
 「……」
 「しかし私の霊力検査の結果を鑑みて、一番霊力の近い貴方が組み手の相手をさせられたのでしょう」
 「……」
 「……貧乏くじ、引かされちゃいましたね」
 「じゃかしぃわ」

 即座に返されたその言葉に、名前はふっと目を細めた。

 「でも、慮ってくださったことは、本当に嬉しかったです。ありがとうございます」
 「……感謝なんか要らんねん。そもそも俺が勝手にそうしただけや」

 気恥ずかしそうに目をそらす平子の横で、名前は懐から小さな包みを取り出した。それは、赤い紙に包まれた、小さな飴玉だ。名前はニコリと作り笑いを貼り付けながらも、平子にそれを差し出した。

 「じゃあ、お礼じゃなくて……ちょっとした贈り物です」
 「……おい、ガキ」
 「なんですか?」
 「お前……なんで飴なんか持っとんねん?」

 その問いに、名前は静かに答える。

 「隣に立っていた方から、無断で頂きました」
 「……盗ったんかい」

 呆れたように言う平子に、名前は小さく笑った。

 「仕方ないでしょう。ボンボンの子どもが、何の躊躇いもなく袖の下に飴入れてるんですよ?、飴なんて高級品、私の地元じゃ夢のまた夢ですから。貰える時に貰っとかないと」

 事実、そうだった。
 名前がこの世界に生まれて数十年過ごしてきた流魂街の錆面という場所は、食事もままならなければ治安も最悪だった。原作の中で貧民街で育った阿散井恋次が「子供はみんな野良犬と同じような扱いだった」と言っていたが、アレとほとんど変わらない。
 大人の気分で蹴飛ばされたり可愛がられたりする。だから飴なんて高級品は、口に入れることはおろか、見ることすらなかった。
 無論、名前は前世で数え切れないほど飴は食べているので、名前からすると飴というものは「高級品」というよりも「懐かしい」という感情の方が強かったが。閑話休題。
 そんな経緯があったから、名前は懐かしんでつい飴を盗んだ。貧しさに塗れた数十年間は、思ったよりも名前の善性を蝕んでいた。

 「……手グセわっる」

 ──と、名前がそんな事を考えていると、ベッドに寝かされていた平子は、名前にそう返しながらも名前の手から飴をひとつとって、しげしげと梱包を眺める。赤と白の縞模様のそれを眺めた平子は、結局そのまま梱包を解いて、飴をぽいと口に放り込んだ。

 「……すっぱ。……なんやこれ、梅か?」
 「当たりです」
 「……なんで味知っとんねん、盗品やのに」
 「共犯ですから」

 無邪気な口調でそう言う名前に、平子は思わず吹き出す。

 「……お前が主犯やんけ」

 ふたりの間に、ようやく静かな笑いが落ちた。
 名前の目元も、わずかに緩んでいた。

 それはたったひと粒の飴で繋がった、最初の“縁”だった。
novel topへレンドルミンの箱庭