私と太宰幹部と職場にて


 太宰幹部の入水を止めてから数日。あの日から、あまり眠れていない。寝ても元の世界の夢ばかりをみてしまうからだ。
 こんなことになるのは転生したと気づいた時以来。寝ても覚めてもあの世界のことを考え絶望していただけだった時と比べ、最近は時々考えてしまうだけだったというのに。あの日、私は太宰治の、あの言葉によって、大きく揺さぶられてしまったらしかった。
 この人生が全て夢だったらいいのに。
 でも夢なわけがないと、この世界で暮らしてきた私が、痛いほど知っていた。

 睡眠不足だからか、気だるい。重い体を引きずって、洗面台に行き顔を洗う。水は冷えていて多少目が覚める。顔をタオルで拭いて鏡を見た。そこには兄、太宰治と似た少女……今世の自分の顔が写っている。
「……ひどい顔」
 あの太宰幹部に似た顔なのだから元の顔の作りは美形に分類されるのかもしれないが、気づいたときには自分の顔なんて見慣れてしまっていたのでよくわからない。そして今の自分の目の下にはとても濃い隈が出来ていてだいぶ酷い顔になってしまっている。
 昨日まではそこまでひどくなかったように思えるが、ここ数日で中也さんや同じ情報員の方々、更に首領やエリスちゃんにまで心配されてしまった。なんだかとっても申し訳ない。……なのに悪化させてしまった。
 このままではまた心配をかけてしまう。そう思い、私は普段使わないコンシーラーを手に取り、鏡と向き合った。


 重い頭をなんとか働かせ、いつも通り仕事に専念する。
 首領はこの様子の私を見てか、数日休養を取ってもいいと言ってくれたが、どうにも休む気にはなれない。休日ができたところであの世界について考えてしまう時間が増えるのだから、仕事をしたほうが考え事をしなくて済む。
 そうしてずっとパソコンと向き合っていると、ふと部屋の扉の方から聞き覚えのある声がする。声からして同じ情報員の人と……もう一人いる?最近聞いたような、若い男性の声……。
 ん、ちょっとまって?
 キーボードを打つ手を止めて、バッと入口の扉を見る。
 いや、確かあの人は今任務に行っているはずで、決してこちらに来られるわけがない。
 扉のすぐ目の前にいるのか、声が大きくなり、そして。
「やぁ、なまえ」
 バンッと無情にも開かれてしまった扉。部屋の外にいるのは申し訳なさそうな顔をしている顔見知りの情報員。そして部屋に入ってくる男……太宰幹部。
「……あの、何故此処に」
「いやー彼に君の仕事場をおしえてもらったのだよ。にしてもすごい紙の量だねぇ、流石優秀な情報員だ」
「……鍵をかけていた、はずなんですが」
「私にはどうってことないさ」
 フフン、と笑って答える太宰幹部。……ピンで開けたのか?顔はニコニコとしているが何を考えているかはさっぱりわからない。
 太宰幹部の入水を止めたあの日から、彼と関わる機会が目に見えて増えた。廊下ですれ違ったりすると声をかけられたり、中也さんと話していると乱入してきたり。どの会話も兄妹らしい会話ではない。だが、今までに一度もなかったことだ。
 やはりあの日、私は太宰幹部に気の障るようなことをしてしまったのだろうか?入水の邪魔か?私の発言がいけなかった?思い当たりがありすぎて逆にわからない。
「それで、あの、ご用件は……?」
「あぁ、これだよ」
 そう言って渡される紙の束。それを受け取り読んでみると、最近仕事をしていてよく見る犯罪組織の名前と、その組織についての情報、日にちなどが書いてある。
「これは……」
「うん、君と芥川君と黒蜥蜴の合同任務の資料だ」
「は、」
 思わず声が出る。芥川君と黒蜥蜴、そしてこの紙に書いてある内容が間違っていないなら、私はこの任務に行ってはいけないはずだ。
「待ってください、紙に書いてある内容だと、この任務は組織の殲滅ですよね?」
「ああ、そうだよ」
「私は情報員です、なんで、この任務を」
「私がそう判断したからだ」
 焦ったような私の声を遮って、目の前の男は言う。
「この組織は人数が多い。そして異能力者もいる可能性がある。芥川君の異能力や黒蜥蜴の力があっても、厳しい任務になるかもしれない。そこで私が君を行かせたらいいんじゃないかと思ったのだよ」
驚きすぎて何を言えばいいのかわからない。言いたいことはたくさんあるはずなのに、口が開いては閉じてを繰り返すだけで肝心の声は出ない。
「君なら、前の芥川君との戦闘の様子を見る限り、足を引っ張ることはないだろう。中也から体術の特訓をうけていることだし」
「しかし」
「なまえ」
ハッとなり顔を上げる。太宰幹部は口元こそ笑っているように見えるものの、目を合わせれば鋭く冷たい視線が私を貫いている。
そうだ。
いま目の前にいるのは誰だ?
_____マフィア時代の、最年少幹部、太宰治だろう。
ここでもしも、断れば私はどうなる?

「……は、い……わかりました」
「まぁ任務までだいぶ時間はある。中也に特訓でもしてもらったらどうだい?」
「……はい、そう、ですね」
呆然となりながらもなんとか返事を返す。その返事に満足したのか、先ほどの鋭さは消え、また笑み浮かべながら話す。
「じゃあ、私も用事があるのでね、これで失礼するよ」
引き続き仕事を頑張り給え、と言ってすぐに部屋を出て行った。いつのまにか、顔見知りの情報員の人も消えている。
残ったのは呆然と部屋に立っている、私だけだった。

私じゃなくても、他に適した人がいるはずだ。なのにそうしないのは、私の何かを見て試そうとしているのか。
その場に立ち尽くす私。死に際に見た血溜まりと痛みと匂いが、その記憶が、脳裏にちらついていた。

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