私と酒場にて


 掴まれていた腕がパッと離される。目の前には光る看板。……とうとうここまで来てしまった。どうしよう。
 太宰幹部に掴まれた肩と腕をさする。痛かった。太宰幹部怖かった。いったいこの人は私をどうするつもりなのだろう。
 今なら拘束もないので逃げられるのでは?と思い、後ろをちらっと見てみると織田さんがこちらを見ていた……ので、すぐに視線を前に戻す。
 ……駄目だ、逃げられない!
 私が一人悶々としているうちに酒場のドアを潜り、階段を下りていく太宰幹部。後ろを見てみると、『降りないのか?』とも言いたげな様子の織田さん。
 ……逃亡を諦めるしかなかった。


 黙って大人しく階段を降りていくと、だんだんと店内の様子が見えてくる。既にカウンター席には誰かが座っていた。見た目的には男性のようだ。
 ……いや、見たことあるような気がする。嫌な予感がする。あの容姿は、あの眼鏡を掛けた男性は……。

「やぁ安吾」
「あぁ、太宰君……と、織田作さんと……おや?」
 太宰幹部に声をかけられた彼は、私の方を見て、目を見開く。
「なまえさんではないですか。どうして彼女をここに」
 そう、カウンター席に座っていた彼は、坂口安吾。私の上司でもあり、文豪ストレイドッグスの登場人物の一人だった。どうして今日に限って皆さん集まるのか……。
「いやあ、前になまえについて話したじゃあないか」
「そうですが……まさか、ここに連れてくるとは思いませんでしたよ」
 織田さんと坂口さんに何を話したんですか太宰幹部。
「まあまあ、今日は気まぐれに連れてきただけさ」
 そう言うと、太宰幹部は坂口さんの隣のバー・スツールに腰掛ける。すると、太宰幹部はこちらを見てニッコリと笑いながら手招きをした。
 なんだ?織田さんを呼んでいるのか?と後ろを見ると、織田さんは私を見て首を振り、そして
 私の背を軽く押した。
 ……ええ?織田さんを呼んでいるんじゃないのか?
 もう一度太宰幹部の顔を見ると、先程と変わらず、笑みを浮かべながら手招きしていた。ゆっくり、ゆっくりと傍に寄ると、太宰幹部は隣のバー・スツールをぽんぽんと叩く。戸惑いながらもそれにゆっくり腰掛けると、彼は満足そうな顔をしていた。
「ふふ」
「……?」
 全くもって意味がわからない。
 いつの間にか織田さんも隣に座っていて、気が付くと私は太宰幹部と織田さんに挟まれていた。なんだ、逃亡させないためなのか?
 コトッ、と音がしたので、視線を前に戻すと、机の上には液体の入ったグラスが置かれていた。
「……」
「なまえ?飲まないのかい?……あぁ、ちゃんとノンアルコールのものを頼んだからね、安心して飲んで大丈夫だよ。私の奢りさ」
 いつの間に頼んだのだろう。あの太宰幹部が?私の飲み物を頼んだ?あぁ、なんだか今日はいろんなことがありすぎて頭が混乱してしまいそうだ。
 にしても、太宰幹部が私に対していつもより少し……いや、だいぶ優しい気がする。腹の中は真っ黒なのかもしれないが。いったい何を考えているのだろう。
「あの、太宰幹部」
「なんだい?」
「何故、ここまでしてくださるのです?」
 そう言うと、太宰幹部は一瞬固まった。だがすぐに微笑して口を開く。
「何故って……なまえは私の妹じゃないか」
 今度は私が驚く番だった。
 妹?太宰幹部が、私を妹だと認めている?
 いやいやいや、今までの態度からして部下と上司みたいな、兄妹らしからぬ会話ばかりしてきたのに?
 いやきっと裏がある……。
「なまえ?」
 いやでも、妹って認識はあったんだ。
 一応、この世界では太宰幹部とは唯一の血縁関係にある家族ではある。ずっと他人として関わってきたが、こういうのもいいかもしれない。
「……おーい、なまえ?」
「……っあ、すいません、少し考え事をしていました」
 そう言って笑うと、太宰幹部は少し間を空けて、そうかい、と言うと、私から視線を逸らしてお酒を一口飲んだ。
 兄かぁ。いいかもしれない。今日は気まぐれで、次会うときにはまた冷たい態度をとられそうだけれど。もしかしたら何か計画があって、私を試しているのかもしれないけれど。今は気にしないようにしよう。ここまで来たら深く考えないようにしよう。
「なまえさん、少々顔色が悪いようですが」
「へっ?あ、そう見えますか……?」
「ええ。無理はしないでください。あなたはマフィアの大切な情報員ですから」
「おやおや?安吾もなまえが優秀だと思うのかい?」
「ええ。なまえさんのおかげで、とても助かっていますからね」
 あの安吾さんが。あの安吾さんが私を褒めた?
 褒められているとわかるとなんだか恥ずかしくなり、とりあえず太宰幹部に頼んでもらった飲み物を飲む。
「この歳で頑張っているんだな」
 隣にいる織田さんはそう言うと、私の頭を撫でた。織田さんは私の頭を撫でるの好きなのか。飲み物を飲んで切り替えようとしたのに、さらに顔が熱くなる。
 なんだ?今夜は私を褒める日なのか?それとも夢か?夢なのか?
 太宰幹部はにやにやと、安吾さんも微笑してこちらを見ている。
 ああもう、なんなんだこの人たち!
 恥ずかしい気持ちを我慢できずに、グラスに入った液体を全て飲みきると、すぐに立ち上がった。
「どうしたんだい?」
「か、帰ります!」
 そう言って、すぐに出口の方へ向かう。
「もう帰ってしまうのかい……」
 と、太宰幹部はつまらなさそうな声をあげた。
「彼女も体調が優れないようですし、休ませたほうがいいですよ」
「そうだな」
「それじゃあ、失礼します」
 そして、私は酒場から出ていった。


 太宰の妹……なまえが去ったあとも、私と太宰と安吾は酒場でやりとりを続けていた。
「はぁ……あまりなまえさんを虐めないでくださいませんか」
「んー?なんのことだい?」
「あなたの態度に混乱していましたよ。なまえさんが体調を崩して困るのは情報員の方々ですからね」
 なまえさんがいるといないとでは違うんですよ、と困ったように言う安吾。
「うーん。まあ、あの様子だと任務について悩んでそうだしねぇ」
「任務?一体何のことです?」
「なまえは芥川君と黒蜥蜴との合同任務をすることになったのだよ」
「……それは組織の殲滅任務では?彼女は情報員ですよ」
「いやぁ、私が頼んだ」
「……あなたって人は」
 はぁ、と溜息を吐く安吾。あの眉間には皺がよっている。
「太宰……なまえに人を殺させるつもりか?」
 私がそう言うと、太宰は首を振った。
「いーや。おそらくなまえは誰も殺さないだろう。精々後衛から異能力でサポートするくらいじゃないかな」
「……そうなのか」
 なんでそう言い切れるのかは私にはわからなかったが、太宰がそう言うならそうなのかもしれない。短時間ではあったが、彼女の様子を見る限り、自ら人を殺すような娘ではなかったと思う。安吾は何か言いたげな顔をしていたが、黙って酒を飲んでいた。
「それと織田作。さっき、なまえが名前を呼んだとき、名前を教えたか、って聞いたよね」
「ああ、でもそれは太宰が俺の名前を言ったからで」
「私は織田作と呼んだ。でもなまえは織田さんと呼んだ」
 初めて聞いたのに、苗字が織田ってわかると思うかい?と太宰は言う。
「織田という苗字は珍しくありません。偶然ではありませんか?」
「んーそうかな……」
 太宰は酒を眺めながら考えているようだった。

「に、しても……」
「……?どうした太宰」
 太宰は、んーと唸りながら絶妙な顔していた。
「なまえがね」
「ああ」
「私に向かって、初めて笑ったのだよ」
「……今までは?」
「無表情、怯えた顔、泣きそうな顔、とか?」
 兄妹らしい会話は全くしてこなかったようだ。
「……それがどうしたんだ?」
「いやぁ……妹がいるってこんな感じなんだねぇ」
 そう言って、太宰は酒杯を弄んでいた。
 太宰の口から妹の話を聞いたのは割と最近だが、今まで、本当に家族らしいことはしてこなかったようだ。だがしかし、少しづつ関わりが増えて、当の兄本人もこの様子だ。
 妹に冷たくしたり、任務に行かせようとする太宰が何を考えているのかわからない。だがしかし、この兄妹が良い方向に向かえばいいと思う。
 安吾と目が合い、お互いに微笑して、私は蒸留酒を口に含んだ。


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