obscure killer


 フットボールフロンティアに被らぬ日程でひっそりと行われるのが、馨たち女子の参加する『全国女子中学生サッカー大会』である。
 一見すごい大会に思えるが、実際のところニュースで大きく取り上げられることも無いうえ、フットボールフロンティアに比べれば圧倒的に知名度も低い。一応全国大会とは銘打ってあるものの、参加しようがしまいが大して学校の名に影響はしないくらいのちっぽけな存在感しかなかった。
 帝国学園の女子サッカー部が設立されたのは、学校の歴史からすればわりと最近である六年前。自分たちが初等部入学した後にできたのだと、以前馨は先輩から聞いたことがあった。部員は案外すぐに集まったために大会へはそれから毎年出場していたようであるし、その度にきちんと優勝をしていたらしい。失点も無く、カードも出ていない、見事に完璧と言える結果を残し続けてきていた。今年も例外などあってはならない。
 最初こそどたばたしたが何とか部にも馴染み、夏の香りが漂い始めたそんな時期、ついに大会の本戦がスタートした。
 フットボールフロンティアとは違い学校内では特別な動きは無いものの、女子部とは言え影山の率いる名門帝国サッカー部、油断や慢心など許されない。とりわけ馨は早々にチームの中心を任せられていたため、人一倍大会に熱を燃やして集中しきっていた。

「はぁっ……はぁ……」
「なんか馨、日に日にボールを蹴る強さ増してない?」
「ふぅ……本戦では、細かいパスの中にも大胆な遠距離パスやダイレクトパスを織り交ぜていきたいと思うので」
「そうだね、相手に点をやるチャンスは与えられないからね」

 キーパーをやっているのはキャプテンの賀川(かがわ)。汗だくの彼女は、話に区切りがつくと一言断りを入れてからベンチへ戻っていく。相槌を打ちつつ膝に手を置いて呼吸をしていた馨は、滝のように流れる汗を乱暴に拭って目の前に転がるボールを強く睨みつけた。
 ――失点は許されない。相手にその機会を与えることも、ゲームの流れを引き寄せられることも、一瞬だって許されない。
 それは影山の望まぬことである。サッカーの全てをこの手にしているのなら、敵チームのサッカーだって完全に掌握してしまわねばならない。最強を誇る帝国で最高のプレーを約束した身である自分が、その役を担っているのだ。
 ぐっと唾を飲み込み、上半身を起こす。練習を再開しようとしてボールを手に持つと、突如サイドライン外から呼び声が掛かった。

「江波ー! 総帥がお呼びだよー!」
「総帥が?」

 まだ部活中なのに、珍しい。
 急な呼びつけにそんな独り言を漏らしつつ、馨は駆け足で彼のいる部屋へと急いだ。


* * * * *


 ――観客の人数はフットボールフロンティアには劣るが、それでも温かな歓声がコートへと降り注ぐ。
 本戦の一回戦が終わり、それぞれの選手が握手をするために一列に並んでいる。スコアは十一対零、帝国の圧倒的勝利。チームメイトは皆当たり前の顔をして、対照的に無理矢理の笑顔で悔しさを打ち消そうとする相手メンバーと握手を交わした。馨も清々しい様子の相手の10番と手を握り合うが、その表情はどこか堅く、暗かった。
 その後、控え室へ戻る一同。例外無く廊下の混みあいの中にいる馨は、定まらぬ視線のままのろのろと足を動かしている。心此処に在らずな様子の彼女は、更衣室前まで来たときに不意に肩を叩かれた衝撃ではっと我に返った。

「馨、どうした?」
「え?」

 振り返れば、そこにいたのは賀川。肩に手を掛け、心配そうに馨の顔を覗き込んできていた。

「なんか考え込んでたから、ちょっと気になって」
「あ……大丈夫です、今日の試合をいろいろ考えてみてただけですから」
「そっか。今日も何にも問題無いでしょ、完封勝利だし」

 にっと微笑んで励ますように背中を一つ叩き、彼女は一足先に更衣室へ入っていった。馨は頷きも返事もせず、ただ曖昧に笑ったまま、その背中がドアの向こうに消えていくのを見つめていた。
 いつの間にか廊下の人混みも解消され、今は馨一人。急に引いた喧騒に取り残されても尚、そこを動かなかった。顔からは完全に笑みが消えている。ぐるぐると脳内を駈け巡るのは、巨大な不安と、恐れだった。
 ――どうしよう。
 両手が震えているのが解る。身体中が恐怖しているのが解る。確かに今日の試合も賀川の言うようにいつも通り完璧に運べたが、それだけではダメだったのだ。馨には他にやるべきことがあった。だのに。
 脳裏に蘇るのは、昨日影山に呼び出された際に交わした会話。冷たい声が、あたかもリアルなもののように思い出される――。


 ――江波、次の試合では相手の10番を潰せ。
 ――えっ?

 一瞬、聞き間違いかと思った。
 敬愛する彼の口から飛び出した指令に、脳の処理が困惑している。思わず聞き返した声は、情けなく不安に揺れていた。

 ――潰す……のですか?
 ――私に二度も同じことを言わせるな。ただ勝つだけなら誰にでもできる、しかしそれでは本当の完璧な勝利とは言えないのだよ。

 尊大に指を組む影山は口元以外ぴくりとも動かない。対する馨も、別の意味で身体を動かすことができずにいた。

 ――言っただろう、江波。私は君に頂点を望んでいるのだと。
 ――は、はい……。
 ――これは、その道程の一つに過ぎない。君は余計なことを考えず、ただ私の言う通りにしていれば良いのだ。

 ぴしゃりと、選択の余地を与えぬ強い語調。
 元より影山に逆らうという思考が欠落気味であった馨ではこれを撥ねつけられるわけもなく、半ば押されるかたちでこの恐ろしい命令を承諾してしまったのだ。


 馨は震える手を重ね合わせ、何とか冷静さを取り戻そうとする。
 最初はどうして良いか解らなかった。相手を潰す必要性すら不明で、何度か問おうとしたが勇気が出ずに疑問は静かに喉へ落とされるばかり。
 それでも、彼に言われたのならやらねばいけない、これは命令なのだ、と燃え盛る炎のような使命感だけはあった。方法も幾つか考え、シミュレーションまでしてみたくらいだ。
 そして、ほぼ万全な状態で実際にフィールドで標的である相手チーム10番を見たとき、真っ先に心に浮かんだのだ――無理だ、と。
 できなかった。自分と一つか二つしか変わらない、同じサッカープレーヤーという肩書きを持つ彼女を潰すだなんて、自分には無理だった。遅すぎる自覚に、積み立ててきたものがぐちゃりと音をたてて崩れ落ちた。
 試合中は散々だった。
 どうにかしないとと思う気持ちと、無理だできないと拒絶する気持ちとがぶつかり合い、自身が二つに分裂し、正直ゲームどころではなかったくらいだ。それでも勝てたのはチームメイトの活躍が大きかったのだろう。何せこの六十分間で自分は何をしたのか、殆ど思い出せないのだから。
 首を左右に振り、一旦全ての考えを消し去ってから更衣室へ入る。既に何人かは着替えを終えてゆっくりしていた。くだらない雑談に花を咲かせる彼女らを視界に入れぬようにしながら、馨は手早くユニフォームを脱ぎ捨てた。


「無様な試合だったな、江波」

 いつもより重く感じられる低音に、小さな肩は可哀想なくらい跳ね上がる。俯き気味の顔は明らかに怯えていて、そんな少女を前にした影山はわざと大きく嘆息をした。その度、馨はびくびくと身体を小刻みに震わせるしかない。

「常にチームの中心にいなければならない君が、あそこまで集中できないプレー……よもや、私の言いつけすら守れなかったとは」
「……申し訳、ありません」
「何に対しての謝罪だね? 謝らなければならないという自覚があって、この結果を出したのか?」

 この結果とは即ち、相手の10番に何もできなかったこと。
 馨には返す言葉も無かった。視線を硬質な床に落としたまま、口元を引き締める。今はただ謝ることしかできないのに、唇が震えてしまってそれ以上を発せられない。泣くまいと必死に両手を握り締めるが、掌に喰い込む爪の痛さでも彼と向き合う意識を逸らすことは叶わなかった。
 怒られることはそんなに恐怖するものではない。
 けれど、影山の場合はただの説教ではないのだ。彼から掛けられていた期待の重さを自覚していたから、そしてそれを達成できると約束したからこそ、今回の失態は比例して大きな罰となる。影山の望み通りの選手になれなかったこと、その期待に応えられなかったこと、二つの自責の念が入り乱れ、心身は今にも爆発してしまいそうだった。
 何故相手を潰す必要があるのか――彼の求めるものの理由を考えることさえ、無意味に思えた。ただただ、胸に渦巻くのは後悔ばかりで。

「君には期待していたが……失望したよ」
「っ!」

 溜め息混じりに吐き出された言葉に、馨は勢いよく頭を上げた。その顔面はいよいよ悲痛に歪められていて、必死な視線を一身に浴びながらも敢えて影山は顔を逸らす。

「設備も環境も完璧なこの場所で、弊害も無く発揮し伸ばしていける才能。私はそれこそ、そう――君を信頼をしていたというのに」
「か、影山総帥……っ」
「だが、言われたことができぬのなら……仕方ないな」
「総帥っ!」

 その先にどんな台詞が続くのか、聞かなくても理解できてしまう。直接口にされるのが怖くて、馨は泣きそうになりながら叫びにも似た声をあげた。
 ――嫌だ、終わりだなんて嫌だ。捨てられるなんて、嫌だ。

「ごめんなさい総帥ッ……次は、今度こそは必ず、言われたことを遂行します!」

 この場所も、サッカーも、全ては彼から与えられたものなのだ。彼は自分の才能を活かそうとしているのだ。彼は自分を信頼してくれているのだ。欲してくれているのだ。こんなもの、彼からしか与えられないのだ。
 求められたい、そして応えたい。どこまでだって応えたい。信頼を裏切ったりしたくない。自分はできるのだと、きちんと彼に示したい。
 あの10番の子、他でもない自分が潰すことを躊躇った少女が浮かべていた爽やかな笑みすら、今や遠くへ霞んで消えてゆく。

「っもう絶対に、総帥の期待を裏切ったりしません! 頂点に立つために頑張ります、……だから、だから……ッ」
「……江波」

 今にも切れそうな涙腺を声を張ることで堪えていたが、遮るように呼ばれた名前に反射的に口を閉ざす。瞬きしたときにつぅ、と頬を一筋伝う生温さを感じたが、気にも留めない。目線の先で小さく手招く影山の意のままに、彼の元へと歩を進めた。

「江波、私は君をとても信頼している。それと同時に、必要ともしているのだよ」
「……そうすい」

 横に回れば、自然な動作で伸ばされた腕に腰を絡め取られ、微かに引き寄せられる。前よりも面積を増した体温に、しかし驚きもせず、涙の筋を増やしながらも視線を決して目前のサングラスからは逸らしたりはしない馨。
 影山は口角を持ち上げると優しく囁くように、幼子へと言い聞かせるように、彼女の耳元へ唇を寄せた。

「私の言う通りにすれば、何も心配は無い。君をこの世で最も輝かせることができるのは他でも無い――この私だ」

 ――これは酷い、殺し文句だ。
 馨は声を出すどころか、最早首を縦に動かすことすらできなかった。


* * * * *


 ――大会二戦目。
 この試合は影山が観に来ることが予め伝わっていたため、メンバーは一様にこれまで以上のやる気を見せていた。影山が女子サッカー部の試合自体を直接観戦しに来るのはどうやら初めてなことのようである。いつもは冷静なのに今日は少しテンションの高い賀川の話を聞きながらも、馨は飽くまで表情を変えず、平常心を保っていた。
 例え総帥が見ていようといまいと、やることは変わらない。このゲームの中で自分のやるべきことをきちんと遂行するだけだ。整列時も皆がスタンドを気にする中で一人端然と敵チームのメンバーを観察し、結局試合開始のホイッスルが響き渡るまで、馨の口から必要以上の言葉が放たれることはなかった。
 ゲームが始まってから暫くは、相手の様子見と自チームの調整を兼ねて馨から指示を出すことはない。敢えて攻めさせては点をやるチャンスを的確に潰しつつ、粗方準備が整ったところで一息。
 そしてそこから――彼女にとっての本当の試合が、始まる。

「走れ! 右側は無視して逆サイド、ボールをこっちへ! あとは……」

 先陣を切るFWへと高らかに指示をしてから、単身で一気に相手MFの待ち受ける中央へ切り込む馨。走りながらもちらりと横目で審判の位置を確認すると、後方から飛んできたパスを受け取り――。

「《ジャッジスルー》」
「っぐう……ッ!」

 前方にいた選手の腹に、ボールごと強烈な蹴りを喰らわせた。

「なにを……ッ」
「あぁ、ゴメンね、うっかり」
「ぐ、お、まえッ……!」

 苦痛に腹を押さえてうずくまる相手だが、審判はカードを出すどころか笛さえ鳴らさない。完全に計算し尽くされた死角を衝いての行動に、当事者と他の数名以外は殆ど今の出来事には気付いていなかった。馨は薄らほくそ笑むと、何事も無かったかのようにドリブルで彼女の脇を駆け抜けていった。
 その後、馨は同じような手口で三人の選手を交代にまで追い込んだ。一度だけ笛を吹かれて試合は止められたが、カードまでは出されていない。そのまま何てことない顔でゲームを続ける馨を最初はおっかなびっくりな様子で見ていた味方メンバーだったが、戦況が有利になるにつれ、次第に彼女の行動については気にしないようになっていった。馨自身もまた、自分を見るチームの目はそんなに気になどしてはいない。
 やがて試合は終わり、帝国は初めて二十点を取るという快挙で勝利する結果に終わった。
 馨の参加した試合の中でもここまで点を取れたことは無い。静かに、しかし圧倒した試合ができたことに喜ぶメンバーの輪の中心にいながら、それでも馨はどこまでも冷静であった。
 ――完璧な勝利のため、完全なる強者となるために。
 彼が自分を見ているであろうスタンドを一瞥した馨の瞳は、以前よりも強い意志を宿してぎらぎらとしていた。
 ――私は、それを可能とするだけの才能を持っているのだ。


* * * * *


「なぁ木原、聞いたか? 女子サッカー部の新入部員の話」
「あぁ、あの江波っていう奴?」
「そうそう、なんかスゲーらしいな、アイツ」

 女子部が大会を勝ち進んでいる傍ら、来るフットボールフロンティアに備えて着々と準備を整えている男子サッカー部。ただ、ここは二軍のグラウンドなため、一軍レギュラー陣のように張り巡らされた緊張感は然程感じられない。
 ベンチで休憩していた木原(きはら)(あきら)は、戻ってきた友人の言葉にふーんと適当な相槌を打って返す。話題は最近よく耳にする、とある女子のこと。ふっと前に女子の公式戦を見たときのことを思い返せば、自然と眉間に皺が寄った。

「確かにプレーはすごいけど……」
「お、噂をすれば何とやら」

 何と言って良いか解らず口籠もっていると、突然友人が顎をしゃくるようにして向かいのグラウンドを示した。木原もそれに倣ってそちらを見てみれば、丁度少人数の練習を終えた女子サッカー部がミニゲームを始めた模様だった。
 彼らの視線の先にいるのは件の人物――江波馨。
 新入部員にしていきなりレギュラーの座を掴んだ、類稀なる才能を有した女子生徒。同じく一年の木原は彼女とクラスこそは違ったが、さすがにあれだけ目立つようなことをしている人物なのだ、噂は嫌でも耳に入ってくる。
 それに、木原は彼女のゲームメークする試合を既に幾つか観戦済みだ。どういう人間なのかはある程度把握できているつもりだった。
 先輩に対しても腰を低くすることなく、どこまでも威風堂々とした態度で声を張っている馨。きりっと吊り上げられた眉とゲーム全体を掌握しようとする鋭い瞳は、初めて見たときから木原の意識を惹いてやまなかった。ただ、決して良い意味だけというわけではないのだが。
 腕を組んでミニゲームを傍観している友人が、ふんとやけに偉そうに鼻を鳴らす。馨のアシストで点が入った直後のことだ。

「総帥のお気に入りって言われてるだけあって、気迫スッゲーの」
「……楽しいのかな」
「ん?」

 ぼそりと零した呟きに反応した友人ではなく、視線は馨へ定めたまま、木原は堅い表情で再度呟いた。

「サッカーやってて楽しいのかな……アイツ」

 ――プレーをしていると言うより、させてもらっている、もっと言えば、させられているような気がしてならない。
 あの鋭利に洗練されたプレーの根底にあるものが、彼にははっきりと捉えられなかった。


* * * * *


 大会も残すところ決勝戦のみとなったのは、本戦開始から凡そ二ヶ月経った頃だった。閉め切った天井のせいであまり実感はできないが、日差しはもうすっかり夏のそれである。
 予選のときとは随分雰囲気の変わったチームの中で、特に馨は一際大きく変化したと言えよう。短い期間で急激な進化――と呼べるかは人によりけりであろうが――を遂げた馨。どんどんと才を剥き出しにしていく彼女へチームメイトが向ける眼差しは、どれも入部当初の冷たいものではなくなっていた。
 明らかに自身では太刀打ちできない実力者を前に、それでもどうしようもない妬みや憎悪を膨らませる程、彼女たちは子どもではなかったのだ。

「馨、次の試合の作戦だけど」
「はい」

 今日もまた、時間を見つけてはキャプテンの賀川と共に、馨自前の作戦ノートと睨めっこをしながら話し合う。完全にチームの核という立ち位置に落ち着いた馨は、自分が新入部員だろうが何だろうが気負いをせずに向き合うことを決めていた。年齢や先輩後輩など関係無い。全ては実績、実力が物を言う環境であり、それに準じて役目を与えられているのだ。このチームを如何に徹底した勝利へ導けるかどうか、それが馨に課せられた使命のようなものだった。
 事前に書き込まれていたラフ図を参考に、さらさらとペンを走らせる馨。最後に走り書きで選手の名前をそれぞれの位置に記すと、賀川がよく見えるようノートを上下逆にして差し出した。

「――こんな感じですかね。足の速い斉藤先輩と柊はそのまま両サイドで、基本を3-5-2の陣形でいきましょう」
「随分中央に固めたねぇ、DF薄めて大丈夫?」
「後で総帥にも確認をとりますが、これで問題無いはずです。この形が一番指示も通りやすいし、シュートに持っていくのにも都合が良いので」

 そう言いながら、ゴール付近でシュート練習をしているFW陣へと目を向ける。一人MFを交えて、三人用の必殺技を特訓しているところだ。地面でくるくると回転をしては同時に停止し、全員がボールを正面に捉えられるようにする。意識を集中させるためにと影山から提示された練習方法は、既に三人とも完璧に攻略できていた。

「《デスゾーン》、あとは馨の発動に合わせるだけじゃない?」
「前に何度か合わせてみましたが、タイミングもピッタリでもうほぼ完成ですよ。何なら、今からやってみましょうか」

 言うが早いがノートを賀川に預け、小走りでゴール前まで駆ける。回転していた三人を一旦止めてから、この必殺技――《デスゾーン》を発動させてみると言って皆を配置に移動させた。自分は構える三人の一歩後ろに立ってボールを片足で押さえる。こくりと唾を飲み込み、息を吸い込んだ。

「……《デスゾーン》、開始!」

 そう宣言すると同時に走り出した三人。その中心へ上手く入るようにボールを勢いよく蹴り上げれば、合わせて飛び上がった三人が回転しながら綺麗な正三角を描いてボールに更なる力を加える。それをタイミング良く一斉に蹴りつけることで、馨が蹴り出したときよりもずっと大きな威力を持つシュートとなり、突き刺すようにゴールネットを揺らした。
 賀川が感嘆の声をあげるのが聴こえる。着地した三人のもとに向かった馨は、満足そうに微笑みながら各々の肩と背中をそっと叩いた。

「うん、申し分無いシュートでした。さすがですね」
「江波さんのアシストのおかげだよ。そっちこそ、さすがの正確なパスだ」
「我ながらすごい威力だったと思うよ」
「次の試合はこのシュートで相手を蹴散らせると思うとわくわくしちゃうね」
「本当ですね、使うのが楽しみです」

 良い笑顔で応える皆の顔を見つめ、馨はふと、先程キレのあるパスを出した自分の利き足を見下ろした。次いで、彼女たちに賛辞のつもりで触れていた両の手に視線を留める。

「……」

 ――何だろう。
 今、一瞬だけれども背筋を駆け抜けた感覚……痺れるような何か、随分と久しかった気がした……。

「馨!」

 ぼうっとし始めた意識を引き戻したのは大きな呼び声と、強く背中を叩かれる痛みと衝撃。吃驚して反射的に声を漏らしながら首だけで振り向けば、目を輝かせた賀川がノートでバシバシと自分の背中を叩き続けているところだった。

「今のすごかったじゃない! 三人も、あんなシュートを撃てるなんて!」
「影山総帥の考えた技ですし、歴代のメイン火力でもあったそうですから。威力も桁違いですよね」
「でも、身につけたのは貴女たち自身でしょう? やっぱりすごいなぁ」

 すごいすごいとしつこいくらいに繰り返す彼女は心底嬉しそうで、そして誇らしそうで、目の当たりにした馨はいつしか叩かれる痛みなど気にならなくなっていた。ゴールからこちらへ音も無く転がってきたボールが視界に入り、ポタリと、心のどこかで水滴の落ちるような音がした。

「まぁ、何と言っても重要なのは司令塔の江波さんだね」
「よろしく頼むよ、ゲームメーカー!」

 誰かの手が伸びてきて、くしゃりと頭を撫でられる。それだけでも自分が心から頼られているのが解る、そんな優しい手つきだった。馨は思わず肩を竦めて口元を緩めつつ、言葉を返すために唇を割ろうとした。
 ――そのとき。

「江波」
「……!」

 突如グラウンドの入り口から飛んできたのは、聞き間違いなどできぬくらい耳に浸透している声音。
 弾かれるようにそちらへと顔を向ければ、想像通りそこには片手をポケットに入れた影山が立っていた。

「総帥……」
「江波、こちらへ来なさい」

 有無を言わせぬ命令形の指示。
 逆らうことを知らない馨は、いきなりのトップの訪問に呆然としている四人をそのままに、全速力で彼の待つところまで突っ走る。馨の走っている間に少し場所を変えたらしい影山は、グラウンドからは見えないところで少女の到着を待っていた。多少息が切れたが、何とか呼吸が平常に見えるよう努め、自分より遥かに高いところにある顔を見上げる。一体何の用で呼びつけたのか、声に出さずとも伝わるような目つきで。
 影山は馨の視線を受け止めるとポケットに入れていた手を出し、前触れも無くその小さな顎をより持ち上げるように指を添えた。驚いて頭を引こうとするのも阻止し、少しだけ力を込めて、彼女が顔を背けぬようしっかりと固定した。

「……」

 そのまま何か説教があると思った馨だが、予想に反してそれからはじいっと、ただ注視されるだけ。何一つ言わぬまま、あたかも見えないものを探るかのように、穴の開きそうな程見つめられている。最初こそはされるがままだった馨も、さすがに現状の奇怪さに焦りを感じ始めていた。

「そ、総帥?」
「……そっくりだな、どこまでも」
「え?」

 不意に落ちてきたのは、上手く聞き取れないくらい小さな、独り言と思しき何か。
 つい眉を顰めて聞き返してしまった馨だが、それと同じくして唐突に顎が解放された。気を抜いていたためにかくりと落ちかけた頭を慌てて正したときには、既に影山はこちらに背を向けて去っていくところだった。結局彼は何も語りはしなかったし、今の行動だけではその意図を全く読み取れはしなかった。
 ――何だったんだろう。
 合理的でかつ理知的な彼には似つかわしくない不自然な、かつどこか影を思わせる一連の出来事。
 暗色の背中が廊下の闇に溶け消えても尚、馨は胸に生まれた小さな違和感をなかなか上手く拭い去れずにいた。




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