「邵可様、借りていた書翰、お返しにきました」
「おや、絳攸殿。と…そちらは…」
「邵可殿、お久しぶりです」
「なまえ君でしたか」

あまり背の高くないなまえは抱えていた書翰の脇から顔を出し、会釈をした。邵可殿一家とご近所さんであるみょうじ家はこの一家によくしていただいている。前に秀麗ちゃんがうちの店頭に立った時は売り上げがうなぎ登りだったっけ。なまえはますます、紅邵可一家に頭が上がらない。

「疲れているようだね、なまえ君。絳攸殿も、お茶を一杯どうかな?」
「邵可様が言うのでしたら「え!いや!李侍郎、まだ持って行くべき書翰は沢山あるのですよ、またの機会に!」

絳攸はぎょっとした。いつもは穏やかななまえが慌てふためき自分の背を押し始めたのだ。府庫の出口に向かって。その顔は何か恐怖を目の前にしたような、そんな顔だった。絳攸はますます首を傾げたが、なまえの言うことも最もなので、その言葉に素直に従う事にした。

「すみません、邵可様。折角の誘いを」
「いやいや、引き留めて悪かったね、絳攸殿。なまえ君。またの機会を楽しみにしているよ」

なまえもそんな邵可に引きつった笑みを浮かべながら会釈すると、絳攸の背を押しながら府庫を後にした。絳攸が抱えている書翰から察するに、次は礼部の蔡尚書の元に赴くようだが、礼部とは反対方向に足を向けようとする絳攸の背を押し正しい道を歩かせながら、なまえは深々と溜息を吐いた。全く、危機一髪である。

「どうしたんですか、みょうじ官吏…いつもと様子が…」
「絳攸殿……お願いいたします、邵可殿のお茶は、決して、口にしてはいけませんよ」
「?は、はぁ…」

あの秀麗ちゃん曰く、父茶、を飲んだ事が絳攸には無いらしい。あの毒々しい…いや、最早兵器に値する一品にはぐうの音も出る事なく気絶してしまった記憶を思い返しながら、なまえはぶる、と肩を震わせた。思い出すだけで寒気がする。そんな兵器を口にしなくてもいい人生なら、その人生をまっとうしてほしい。なまえは生暖かい笑みを浮かべながら、隣を歩く絳攸を見上げた。絳攸はそんななまえの顔にますます首を傾げるしかなかった。

「それにしても、書翰を届けるだけならば侍僮に任せればよろしいでしょう。何故李侍郎が?」
「あ、ああ、…みょうじ官吏が、戸部に赴いていると聞いて…その…紅尚書が、書翰届けついでにでも呼んでこいと」
「……本当、人使いが荒いですね、尚書は」
「何故戸部に赴いているというだけで…」

絳攸は疲れたように溜息を吐いた。なまえはそれに同情の眼差しを送りながら、同じように溜息を吐いた。
まあ、一言で言えば気に食わないのだろう。
前に自分はあの紅尚書がいる目の前で、黄尚書の本名を口にしてしまった。それからである。今迄自分の事なんか眼中にもなかった紅尚書が私をいびり始めたのは。同期であり同じ上位及第者となった紅黎深と黄奇人はそれなりに親しい仲だ。もしくは紅黎深の一方方向な独占欲。あまり自分が彼に近付くのが気に食わないとみた。少しだけ、自分があの時の挙子であると特定されるのではと冷や汗をかいたものだが、どうやらあの時の自分と今の自分は結びつかなかったようで、とりあえずは紅尚書からの呼び出し等は一切ない。

「まあ……お互い頑張りましょう…。すみません、吏部の者ですが。此方は吏部で目を通し吟味した案です。お願いいたします」
「ありがとよ。そこ置いといてくれるか」
「はい。失礼しました」

侍僮だとでも思ったのか、此方を振り向きもしない失礼な礼部官に拝礼をきちんと行ったなまえを見た絳攸は目をすっ、と細めたが、なまえは依然にこにこしながら、ぽん、と絳攸の背を押した。

「行きましょう李侍郎。つまらない時間は戻らないものです」
「……はい」

誰が彼を鉄壁の理性と称したのやら。彼はこんな窓際吏部官にまで腸を煮え繰り返してしまう。それは絳攸自体がなまえを吏部官として尊敬しているからなのだが、それをなまえは知らない。絳攸が吏部に配属されて最初に面倒を見たのがなまえであった為、懐かれているなぁくらいにしか思っていないのである。

「そうだ、みょうじ官吏、後で確認して欲しい案件がありまして…知恵をお借りしたく」
「おや、私でよければいつでも。絳攸殿が私を頼ってくれるなんて久方ぶりで嬉しくなっちゃいます。絳攸殿と仕事をするのは学ぶことが多いですから」
「な、な、そ、そんなこと、」
「あはは、照れ屋さんなのは変わらずですね」

絳攸は若干赤くなった頬を軽くかきながら苦笑をもらした。この人の年齢がいくつなのかはわからないが、自分が外朝に仕官し始めた頃から見た目は変わらず、のほほんと話す姿はどこか不思議な感覚がするのだ。

「絳攸!!」
「っ!?黎深様!?」
「おや、紅尚書、私が朝方に提出した書簡は見ていただけましたか?」
「ふん、万年窓際官吏が私に物を言うとは。絳攸、尚書室に戻るぞ、さっさとしろ」
「え、あ、ちょ、みょうじ官吏!後で伺います!」
「誰の許可を得て伺うというんだ!」
「は、はい!?」
「お大事に〜」

こちらをギン、とにらみながら絳攸を引きずっていく黎深に、なまえは苦笑しながら手をひらひらと振った。さて、これはまた、殺意ポイント+1だな、なんて、のんきなことを考えながら。

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