episode 104
運命共同体
「何故、ここに…」
地下にある水の中で神威が見たものは球体に包まれた繭と、その傍らに眠るサクラの姿だった。どうしてここに在るのか。彼は一行を自身の仲間に任せた後、ずっと地下の水を見守っていたのだ。ただずっと、それだけを見つめて。そんな神威に気付かれずに地下の水の中へ潜る事など不可能である。しかし、良く見るとそこにはとある疑問点が一つ、浮かび上がった。
「…違う。これは躰じゃない、魂だ」
入れものではない、と言う事に気付いた神威の視界は、眩い程の光で支配された。それは球体から漏れ出す程の威力を誇っていて、僅かに身体を浮かせれば眩しい中に見る事が出来るある光景が目に映る。その光の中から出て来たのはサクラの羽根で、それは眠っている彼女に寄り添う様に、光の威力を抑えたのである。
「東京」の砂上には未だ、痛々しい雨が降り続けている。何時止むか分からない、そんな場所に佇む都庁に、レイノらは再び足を踏み入れた。それの入口を塞ぐのは先ほど狩った突然変異種で、どうやらそれが今夜の食事になりそうだ。少しでも空腹を満たせる、と言う事に、都庁に避難している人々は酷く嬉しそうである。
「おかえりー!」
「慌てるとまた転ぶ」
「モコナもお帰りー」
無事に帰って来たレイノらに、霞月は嬉しそうに飛び付いた。それを受け止めたのは那托である。この二人は兄弟の様な、親子の様な、そんな不思議な雰囲気を纏っている様に思えた。言葉にするのは難しいけれども、見ていてとても微笑ましい。ゆるり、と笑みを浮かべた時だったと思う。ドクン、と胸打ったその音とモコナの目が大きく見開かれたのは同時だった。そして、苦しげなレイノと驚いた様に短く声をあげた霞月に気付いた小狼もハッと目を見開いている。
「小狼君!」
『羽根!今、感じた!!この地下!!』
苦しげに胸を抑えるレイノをそっと支えたファイは、自身の肩で目を見開いたまま声を張り上げるモコナに視線をやった。そして次に、モコナの言う「地下」に目を向けたのである。彼女の方に目をやっても不思議な顔はしていなかった為、どうやら彼女も同じ考えの様だ。
「地下に降りるにはどうすればいいんですか!?」
「駄目よ。地下には許可された者しか行けない」
「探してるものがそこにあるんです」
「地下にあるのは水だけよ」
『あるよ!この下!』
「お願いします!教えて下さい!!」
すぐ近くにある。そんな希望を抱いた小狼は思わず声を張り上げたが、それは厳しく鋭い、嫌悪感を露わにした瞳を持つ颯姫によって一刀両断される事となる。けれど、ここまで来ればもう後には引けないのだ。どんどん強くなる胸の痛みは抑える事が出来なくて、これは多分サクラの羽根の気配だけではなく、何か、嫌な未来を予測している様にも感じる。けれどレイノに夢見の力は無いから、それが何かは分からない。ねえ、サクラ。貴女、あの時、夢で何を視たの。
地下の水の中にある球体から漏れ出す光は収まる事は知らず、それはサクラと神威の顔を照らし出していた。そして眩い光に包まれるサクラの羽根は、ゆっくりと、時間を掛けて彼女の体内に吸い込まれて行く。そうして消えて行った光の原因は彼女に何かを訴えている様に見えた。
サクラの羽根が彼女の体内に吸い込まれた瞬間、牙暁は都庁に起きた異変にいち早く勘付いている。眉を顰める、と言った表情を浮かべている辺り、良い事ではないと言う事は言葉を発さなくても分かるだろう。変わり始めた現状と言い様のない不安は、留まる事を知らないのである。
「なんだ」
「都庁を守っていた『結界』が…消えた」
僅かに強張った牙暁の身体に気付いた黒鋼はサクラを抱き締めたまま、少しの警戒心を持って短く言葉を投げ掛けた。それに対してぼそり、と呟かれた言葉は彼にとっては理解に苦しむもので、けれど、どうやら未来は悪い方面に進んでいるらしい。今まで一度も傷を受けた事がなかった都庁は、今、静かにその身に痛みを受けていた。
都庁集団が付いて来る、と言う条件付きで地下に入る許しを貰ったレイノらはそこの水に潜って行った小狼を待っていた。数分経った頃だろうか。ぞくり、と変な感覚が背中を走る。悪寒、と言うやつだろうか。その瞬間、集団の顔付きが変わる。それらの視線に倣って水面に目を向けると、そこには気泡の中に混じる赤い液体が浮かび上がっていた。
「血だ!」
『小狼、大丈夫かな!?』
ユラ、と揺れる水面をどんどん支配して行くその「赤」の存在は、水の中に居る誰かが負傷している、と言う事実を突き出していた。しかし、怪我をしている小狼が機敏に動けるとは到底思えない。しかもその傷は神威が生み出したものだ。そこまで考えて、レイノは深く、眉を顰めた。大丈夫だと言いたいけれど、この状況では何も言えない。傷の付いたマントに軽く力を入れれば、またドクン、と嫌な音が鳴った気がした。
「だめだ、小狼君!」
唐突に聞こえたファイのその一言は、もう引き返せない事を意味していた。この旅が始まる前に飛王に聞いた話で、こうなるだろう事は分かっていた。けれど、旅を続ければ続ける程、その時が来なければ良いと、そう無意識に願っていたのだ。もっとあの二人の笑顔を見ていたかった。間に合うかどうか分からない。けどこの一瞬に賭けてみたい、そう思ったわたしは目の前のファイさんの腕を掴んだ。
「っえ…」
「駄目ですよ」
「けど…」
「ここにいろと、そう言うんでしょう」
「分かってるなら…」
「嫌です……わたしも、一緒ですから」
何の前触れもなく握られたその腕はレイノちゃんと繋がっていて、その事にオレは自分でも笑っちゃうくらい驚いていた。どうしてこの子には全部分かっちゃうんだろう。オレってそんなに分かりやすいのかな。モコナは分かっていないみたいだから、そんな事は無いのだろうけど。どうやら全てお見通しらしい目の前の彼女は何もかもを悟ったような、そんな笑顔を浮かべて優しく呟いた。
「失いたくないと思ってるのは、貴方だけじゃない」
その一言に泣きそうになったのは、オレだけだろうか。すごく迷った、この子をあの場に連れて行って良いのか。元々は「こちら側」だったとは言え、今は心を入れ替えて前へ進もうとしているはずだ。それなのに、また見せても良いのだろうか。けれど、前しか見ていないレイノちゃんの姿を見れば、オレはもう、何も言えなかった。一瞬だけ漏れた笑みはきっとバレているんだろうな。
「……分かった」
「ファイさん…」
「オレの傍から、離れないでね」
「…はい」
オレの言葉にぱちくり、と瞬きを繰り返すレイノちゃんは、どうやらオレから許可を貰えるとは思っていなかったらしい。本当、無謀な賭けばかりをする子だね。後先考えないそんな君だから、守りたいと、それくらい好きだと、そう思えるんだろうけど。一瞬だけ掴んだレイノちゃんの肩は柔く細くて、少しも揺らがなかった、と言えば嘘になる。けど、守ると決めたから。少しだけ触れた温かなレイノちゃんの手に安心したから、オレは笑みを浮かべてはレイノちゃんと一緒に地下の水に潜り込んだ。
水の中は予想通り暗くて、目を凝らしても視界が晴れず、ただただ息苦しい。そんな中を進んで行くと、僅かな光が見えた。その前に見えるのは予想していなかった光景だ。レイノとファイが顔を見合わせてはゆっくりと近付いて行くと、その光景はより鮮明なものとなる。そこには、神威の左腕をもいだ、冷たい瞳をこちらに向ける小狼が佇んでいたのだ。
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