episode 112
噂と真実

「この瓶と水の量が合わないんだけど!?」

 多数の瓶に溜まっていた水を地下へ流し込むと、そこはあっと言う間に水で満たされた。どう言った仕組みになっているかは分からないが、何かしらの力が加えられている事には間違いない。空になった瓶を覗き込んでも先程と変わりは無い。過ぎた事は仕方ないが、良く分からない現状に僅かな恐怖を感じた。


『水場、いっぱいになったよ』
『この水は、ある意味綺麗じゃない。消毒されないままの自然の力がまだ残っている水よ。とても強いわ』

 だからと言って、また汚染させてしまえば同じ事である。それは、この世界が過去にやってしまった事だと侑子は言う。そうならない為にはこの水がなくなる前に、この世界の仕組み自体を正さなければいけないのだ。しかし、そこまで手を加えてしまえば意味がない。後は、この世界の人間達が考えて、行動するしかないのである。


「しかし、一体どんな構造になってんのや」
「そっちこそ、その羽根とやらが入ってる入れ物はどうなってるんだ?」
「この国に魔法や魔力はない。それを防ぐ機械なんて、作る必要もないし作れる筈もない」
「これはこの国のものじゃないよ。四年前、俺が他の次元から持って来たものだから」

 地下に響く二つの声に、神威は淡々と言葉を紡ぐ。それは数年間この国に留まって分かった事である。その言葉を聞いた封真は腕に抱えられた容器を僅かに持ち上げ、再び貼り付けた様な笑みを浮かべたのだ。そんな封真の言葉を聞いて目を見張った黒鋼と『小狼』とは裏腹に、レイノはその薄っぺらい笑みに不快感を抱いている様だ。


「こんにちは、侑子さん。そっちの時間は?」
『もうそろそろ夜よ』
「じゃあこんばんはかな。この世界に入ってから通信手段がなくてご無沙汰してしまいましたね」
「こいつも知り合いかよ」
「侑子さんの店の客の中では俺は新参者ですよ」

 眉を顰めるレイノに気付きながらも、封真はモニターに映る侑子を見上げた。その様子を見つめる神威の視線は厳しく、鋭い。そんな様子に思わず苦笑を溢してしまうが、おそらく自分も他人の事は言えないのだろう。割り込む様に響いた黒鋼の言葉に対して、封真は腰に手を当てながら答えた。


『その入れ物も貴方が探し出した物ね』
「ええ。それが仕事ですから」

 一瞬垣間見えた封真の無表情に、レイノは胸のとっかえが取れた気がした。まだまだ人間臭さは持っているんじゃないか。星史郎よりかはマシだ。そんな判断を知らず知らずの内に下されていた封真の正体は狩人である。仕事内容は各世界の貴重な物を探す事だ。それは依頼だったり自分が欲しくて探す物もあったり、過程は色々だが。今回は前者だろうか。


「初めまして、貴方が昴流さんですね」

 その後に続いた「兄がお世話になりました」と言う言葉が紡がれた瞬間、瞳孔を開かせた神威の一閃により、封真の頬には痛々しい傷が出来上がっていた。そこから流れる血の量は多く、その傷は見た目よりも深いらしい。掛けていたサングラスは片方のレンズが割れてしまい、もう使う事は出来ないだろう。


「おまえ、あの狩人の弟だったのか」
「世界を渡っている時に同じ次元に着いて、その時、聞いたよ。吸血鬼の双子の事。いつも一緒の筈なのに一人しかいなくて、どうしたのかと思ってたんだけど、無事、合流出来たのかな?」

 一閃を浴びせただけでは警戒心を解かない神威は瞳孔を開かせたまま、地面を抉る様に伸びた爪を這わせた。それによって、封真は斬撃や瓦礫に襲われる事となる。しかし袖から出したワイヤーにより、神威は身動きの取れない身体となってしまったのだ。僅かに鼓膜を震わせる昴流の声には気付いているが、思ったよりも締め付けるワイヤーから抜け出す術を、今の神威は持ち合わせてはいないのだ。そんな状態にさせておきながら「強い」と褒める封真はやはり喰えない男である。


「でも、怒らせると昴流さんも怖いって教えてくれたけど」
「神威を放して下さい」
「勿論」

 まるで世間話をするかの様に言葉を紡ぐ封真とは正反対に、昴流はパキパキ、と音を響かせながら爪を伸ばし、神威と同じ様に瞳孔を開かせた。興奮している証拠だ。その様子を見た封真は満足気に笑んでは神威を手放し、視線をレイノに向けた。その瞬間に肩が強張った彼女に気付いた者は居るのだろうか。


「久し振りだね、レイノちゃん」
「……そう、ですね」
「何で敬語?つれないなあ」
「元々です」
「…知り合いなのか」
「……星史郎さん、の、弟」
「『星史郎さん』って…」
「…まだ、言ってないんだね」
「何の話ですか」
「君の力」

 顔と顔の距離を近付ける封真の顔には相も変わらず笑みが貼り付けられており、それがレイノは薄気味悪くて仕方がなかった。そのお陰か、彼女の眉間にはしっかりと皺が刻まれている。目の前のこの男はそうなる事を分かってやってるのだろう。本当に良い性格をしている。そう心の中で舌打ちをした彼女の言葉を聞いて、『小狼』は僅かに目を見開かせて封真を見やった。視線を受ける当の本人はそんな事さえ露知らず、意味深な言葉を残して彼女に手を伸ばす。


「触るな」

 しかしそれは蒼氷を突き立てた黒鋼のその行動と一喝によって遮られる事となった。レイノの前では『小狼』が身体を張っており、それを抜けてまで彼女に触れようとは思わない。それにしても、あの彼女の瞳に光が宿っている。さっきの図星を突かれた顔には快感さえ感じたけれど、今の彼女の所謂「人間らしい」顔は好きではない。こんな事を言ったら兄さんに変な顔をされそうだけど。


「黒鋼、『小狼』…」
「随分と変わったね」
「え?」
「役割、と言えば良いのかな。君を守るのは、そこで眠っている金髪の彼だと思っていたから」

 ドクン、と心臓が大きく波打った気がした。図星を、罪悪感を言い当てられた気がして封真さんの顔を見る事が出来なかった。そしてきっと、ファイさんの顔を、ファイさんがいる方向を向く事さえ、今のわたしには出来ない。それに、ファイさんもこれからはわたしを守ってはくれないと思う。それでも生きて欲しいと願ったのは他でもないわたしなんだけど、やっぱり少し寂しい。


『貴方達、兄弟は昔から問題ばかり起こすわね』
「それは兄さんでしょう」
『貴方もよ』
「星史郎兄さんはまだ、この世界にはたどり着かない。だから、先にこの『東京』での用を済ませよう」

 一連の騒ぎをただただ眺めていた侑子は、ひと段落付いたのを見兼ねて呆れた様に言葉を紡いだ。それに対して返事をする封真は、この場に居る一部の人間から敵意を向けられている様子には見えない。そう言えば昔から封真さんと星史郎さんは色んな人から恨みを買っていた様に思う。それが無自覚によるものだから余計にタチが悪い。


『さて、水の対価ね。レイノ、黒鋼』
「おう」
「分かってます」
『やって欲しい事があるの』
「それはおれが…」
「わたしがやります」

 話を切り替える様に言葉を放った侑子に、レイノと黒鋼は言葉を返す。それは既に覚悟を決めている事を意味していた。その後に『小狼』の声も聞こえたが、それさえも遮る声がこの場には響き渡った。それはサクラの声である。その瞳(め)はこれまでにはない「意思」と言うものが籠っている様な気がして、本当に変わってしまうのだと、心の中でそう思った。

 ぐちゃぐちゃになって行く中、光がなくなって行く気がした。




 ピチョン、と水滴が垂れ、地面にある水溜まりはどんどん体積を増して行く。そんな中にやって来たサクラはこの国の衣装に着替えており、黒を基調にしたそれらは彼女の顔立ちをより凛々しいものにさせていた。そんな彼女を見て少しだけ寂しく、心配したのは秘密である。


「乗り方の説明はこれで大丈夫かな?」
「はい。ありがとうございます」
『本当に一人で行くの?』
「ええ」
『侑子!この国の雨、痛いの!大きな生き物もいるし、一人じゃすごく危ないよ!』
『…だからこそ、一人で教えた所にあるものを取って来る。それが、対価になる』

 外では封真が待機しており、どうやらスクーターを貸してくれるらしい。空は真っ暗で、今までの平和な国の様に灯りも何もない。頼れるのはスクーターの前方に付いているライトのみだ。こんな状況でなければ、小狼が居れば、小狼が「心」を持ち続けていれば未来は変わったのだろうか。そんなありもしない「たられば」を考えてしまう。そんな思考の横では、『小狼』が拳を握り締めながら心配げにサクラを見つめていた。


「ごめんなさい」
「え?」
「わたしが「やめて」って言わなかったら、怪我してなかったでしょう。だから、休んでて下さい」

 サクラの視線は『小狼』の表情ではなく、彼の右足に注がれている。そこは彼女の制止の声でも攻撃を止めなかった小狼によって出来てしまった刺し傷だ。ただ止血をして包帯を巻いただけのそこには僅かながら赤い染みが出来ている。しかし、そんな痛さなど気にならない程、彼女の態度を疑問に思う『小狼』がそこには居た。そんな考えさえ知らないのか、彼女はモコナを撫で優しく言葉を掛けた。その顔に笑みは無い。


「レイノちゃんも黒鋼さんも治療して下さい…ファイさんを、お願いします」
「…言い出したらやっぱり聞かねぇんだな。行って来い。俺達はここにいる、おまえが帰って来るまでな」
「…怪我しないでとか、無理しないでとかは言わない。多分無茶しなきゃ駄目だしね。すっごく心配だけど、待ってるからね。行っておいで」

 黒鋼の言葉に続いた様に紡いだレイノのそれはらしいと言えばらしかったが、何処か違和感を覚えたのはやはり何時もよりも早口だったからだろうか。何時も通りの笑みを浮かべている。包帯やガーゼで覆われているのは仕方ないだろう。しかしやはり、こいつは嘘が下手だ。その言葉は本心なのだろうが今、それを思っているかは分からない。サクラの頭を優しく撫でたレイノは笑みを浮かべて、軽くサクラの背を叩いてみせる。そう、こっちは見なくて良い。これで終わりだから。貴女が帰って来たら、もう終わり。


「…うん」

 「友達ごっこ」はこれで、終わり。

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