episode 113
変化と不変
「渡したコンパスで目的地までの方向は確定出来る筈だ」
「あれも、貴方が他の世界で探してきたものですか」
「ええ。依頼されたものだけど、使っても問題ないでしょう。きっとバレないから」
封真から支給されたモーターバイクに跨ったサクラは、彼から支給された特殊なコンパスを使って対価を取りに行く。元々はレイノか黒鋼に行かせようと思っていた事だ。危険じゃない訳がない。しかし、それさえもサクラは覚悟の上なのだろう。それが分かっているのかいないのか、封真は何時もの朗らかな笑みを浮かべていた。その表情に思案する様な顔をする昴流は、星史郎の事が気になるらしい。隣に居る神威は顔を歪めているが。封真曰く、歳をとるのが少し遅くなったみたいだったが、それ以外は元気、らしい。そして、昴流に会いたいと、そう言っていた様だ。
「会えるまで探し続けると」
「追いつかせたりしない」
「どうかな。あの兄さんだから」
封真のその言葉に突っ掛かったのは、昴流ではなく神威だった。只の予想だが、昴流は自分から突っ掛かる様な事はしないのだろう。神威の否定の言葉に再び言葉を返す封真は、この緊迫した状況を楽しんでいる様に見えた。気のせいだったら良いのだが、恐らくその予想は当たっているのだろう。そんな封真に対して、神威は鋭い眼光を向けたのだ。
「おっと、ここで騒ぎはやめよう。待ってる人達がいるから」
しかし、神威の殺気を止めたのも封真だった。封真の視線の先には一行の姿がある。『小狼』とモコナはサクラが消えた方向をじっと見つめている。黒鋼は未だに意識が戻らないファイの横に立っている。そんなファイの長めの金髪を軽く流しては、レイノはその場から立ち上がった。バラバラに見えるそんな一行の姿だが、「サクラを待っている」と言う点では共通している、のだと思う。
「さて、俺達は今後のルールについて話し合おうか」
「俺は関係…」
「ないんだけど、でも、神威が来ないとタワーに有利になるけど、良いかな?」
再び封真の声で話が再開され、神威は呆れた様にそちらを見やる。おそらくこの一件が終われば姿を消すであろう神威にはこの話は関係ない様に見えた。しかし、数年間だけと言えど同僚となった人達には僅かな仲間意識が芽生えていたらしい。その事を分かって敢えて問い掛ける封真はやはり善い性格をしていると思う。
話は変わって今は居ないサクラの事となる。なるべく無事を願う封真だが、それを一蹴する神威はかなり現実主義者である。それとは一方で、昴流は『小狼』を盗み見て、「この事だったのか」と一人ごちた。
「貴方が次元を渡る術をくれた時に言っていた「起こる事」は」
夜の東京、雨はまだ降らない。降れば困るのはサクラなのは分かっているのだが。綺麗に星が輝いているのが唯一の救いだろうか。そんな中、僅かに震えている声を出すのはモコナである。それに乗せられた言葉は、彼女の身を案じていた。ここで言っても仕方がないのだが、今まで彼女を一人にした事がなかった為、心配するのは当たり前である。
『名前も同じ小狼なんだね』
「ああ」
『…ずっと一人で閉じ込められてて、寂しかったよね』
「いや、ずっと見ていたから。もう一人のおれを通して、みんなの旅を」
『だったら余計寂しいよ』
「だって!」と話を区切ったモコナは楽しそうな旅をしていただろうと、そう『小狼』に声を掛ける。思わず涙を溢すモコナに、彼は思わず頭を撫でた。レイノとファイ、モコナによる黒鋼のからかい、サクラと小狼、レイノとファイの恵まれた笑顔、黒鋼と小狼による戦闘談義、戦いばかりだったけれど確かに楽しかった思い出は山ほどあるのだ。それを一緒に感じれなかったのは、やはり寂しいと、モコナは言うのだ。
『きっと一緒に旅したかったよね。サクラと黒鋼とレイノとファイとモコナと、――小狼と』
モコナの最後の言葉に、『小狼』は琥珀の瞳を大きく見開いた。嗚呼、この子はなんて優しい子なんだろう。どうしてそんな考えが出来るのか分からなくて、けれど、あの次元の魔女が作ったと、改めて納得できた気がする。嗚呼、嗚呼、泣きそうだ。なあ小狼、お前、こんなに愛されてたんだな。顔を歪めた今のおれは酷く情けなくて、ただ「そうだな」と答える事しか出来なかった。
「『小狼』」
「…レイノ」
「久し振り。変わりないようで」
「レイノもな」
「…黒鋼とファイの様子見て来るね!」
ふと声を掛けられた方を見ると、そこには苦笑を浮かべたレイノが居た。髪が伸びた事以外は余り変化が見られない、と思われる。けれど何故だろう、表情が何処か大人っぽくなっている気がした。しかし、変わりない笑顔に、少し安心する。知り合いの様な二人の物言いに何かを察したのか、モコナは『小狼』の肩から降りて室内へと入って行ったのだ。
「…気遣わせちゃったかな」
「モコナはすごいな。思わず泣きそうになった」
「えっ、何言われたの?」
「…まだ言っていないのか、彼らに」
「……何でもお見通しなんだね」
「幼馴染みだろう」
「へへ、――言え、なくて」
「らしくないな」
「小狼君が消えて、多分侑子も飛王の事を言うでしょう。その上、わたしの事なんか話したら…」
向こうの方でぴょんぴょんと跳ねているモコナに苦笑するレイノを見て、『小狼』は何時振りかも分からない笑みを浮かべた。しかし次の瞬間には再び真顔に戻っている彼を見て、彼女は思わず眉を下げたのである。そんな彼女は色々と問題を抱えているらしい。そして、その事を知っているのは一行の中では『小狼』のみなのだ。目を瞑れば蘇る凄惨な記憶に思わず眉を顰める。あれだけ傷付けて、まだ傷付けようとするわたしはとんだ悪魔だ。
「…正直、怖いのかもしれない」
「なぜ?」
「今までやって来た事を考えると、軽蔑するでしょう。それに…」
「それに、何だ」
「…それに、そろそろ黒鋼に殺されそうだなあ、って」
笑って誤魔化そうとしたけれど、『小狼』を前にするとどうにも避ける事は出来ないのだ。昔からそうだった。わたしが悩んでる時とか落ち込んでる時に限って隣にいて、只じっとわたしから話すのを待ってるんだ。その真っ直ぐな視線が苦手な事を知ってて。思わず溜め息を吐いて星空を仰ぐ。こんなに綺麗なのに、どうしてこんなにも切ないのだろう。
「…もう一人のおれを通じて見ていたけれど、レイノが今までやって来た事を聞いて今更裏切る人は、あの中にはいないと思う。まあ怒るとは思うけど」
「…そう?」
「ああ」
目を瞑っていると、『小狼』がふと口を開いた。その言葉は彼らしく、真っ直ぐで素直なものだった。思わず目を見開いたがそれは一瞬の事で、レイノは自然と笑みを溢す事が出来ていた。それは目の前にいる彼も同じで。嗚呼、愛されてるなあ、なんて、今だけは自惚れても良いかな。
「……そうだね」
長く、夢を見ていた気がする。幸せだった、平和だった、無条件に側に居れた日々がページを捲る様に次々に過ぎ去って行く。余りの痛みに意識を失う直前に見たあの子の顔が泣き顔だった事が悔しいけれど、それをさせてしまったのは自分だと思い出した。ずっとずっとここにいたい。目を開ければ、もう戻れない事も知っている。けれど、そろそろ動かなければ。自分の瞳はもう、空の様に蒼く広がっている訳ではないのだから。
ユラ、とどこかに手を伸ばしながらオレは上体を起こした。そうなる前に決めていた事がある。目の前の紅い瞳の忍者さんに、好きで守りたくて側にいたいあの子に壁を作る、と。だからオレは、とある一言を言い放つ。
「…おはよう、「黒鋼」」
オレは上手く笑えてたんだろうか。紅い瞳が大きく見開かれているし、多分大丈夫だったんだろう。黒様がどう出て来るかは分からなかったけれど、目を逸らして来たからもう呆れてしまったかな。「何のつもりだ」みたいな事を言われるのは覚悟してたんだけど。オレは笑みを絶やさないままにボロボロのベッドから足を投げ出し、ベッドの縁に力を入れた。
「動くな」
「逃げないよ」
ギシ、とスプリング音が響いた瞬間、黒鋼の低い声色が空気を震わせた。その言葉に笑顔で答えると、ファイの視界はくすんだベージュで占められる。嗚呼、この国のコートか。黒鋼がずっと持っていたのか、微かな温もりを感じた。もしかして、ずっといたのだろうか。ああ本当、不器用な人だなあ。
「まだ動くな」
こんな人をオレは、裏切らなきゃいけないのか。迷っちゃ駄目なのに、どこか虚しさでいっぱいになった。いつかはきっと、あの子も殺さなきゃいけない。本当に、どうして好きになっちゃったんだろうか。その答えを持っている人はいないんだろうけど。壁を作ると、そう決めた瞬間にオレの脳内を占めるのはやはりあの子の事で、オレの決心なんて所詮その程度なのだと気付いた。そんな時、オレの視界の端には「白」が見えたのだ。
『…ファイ』
「心配かけてごめんねー、モコナ」
その正体はモコナだったらしく、モコナの表情は何処か寂しげだ。ファイの笑顔が戻ってしまった事を案じているのだろうか。そんなモコナの額の石が淡く輝く。その前に現れたモニターには、着物姿の侑子が映っていた。彼女がモコナに「眠って欲しい」と頼むと、モコナはあっと言う間に眠りに付いてしまったのだ。
「吸血鬼から戻れる方法を残すなんて、やっぱり貴方は小狼君達に甘いですね」
『…左目が戻ったら吸血鬼じゃなくなるってことは、もう二度と元には戻れない事より、残酷かもしれない。貴方次第ではね』
侑子との会話はファイから始まる事となった。先程から笑みを絶やさず眠っているモコナを撫でる彼は、彼女の前でも気を抜く事はしなかった。そんな彼と視線を合わせる事をしない彼女は淡々と言葉を紡いで行く。それは限りない真実で、今の彼のままではその「残酷」な事になるのだろうと分かっていた。
『黒鋼とは…』
「話しましたよ、「おはよう『黒鋼』」って」
『…それが貴方の答えなの』
最初は他の仲間の様にきちんと名前で呼ぼうとは思っていた。けれど、色々と呼ぶ度に怒る姿が凄く面白くなってた。今まで、渾名で誰かを呼ぶなんてした事なくて、楽しくて、自分で引いた線を通り越しているのに気付かなかった。だからもう、全てをなしにした。それだけだから、ねえ、そんな顔しないで下さいよ。
『…レイノの事はどうするの』
「……離れますよ。もう一緒には、いれない」
『なぜ?』
「どうやったってオレは、あの子を泣かせる事しか出来ないみたいですから」
どう見ても気持ちが通い合っているのに、互いを支えれるのは両者でしか有り得ないのに、どうして離れようとするのかしらね。苦しくても、辛くても、泣いたとしても、レイノは一緒にいたいと思うんだけど。自分の事でいっぱいいっぱいの今の彼には、その事には気付かないみたいね。それに、貴方から離れたら今のレイノは受け入れてしまうと思うから。
「…だからオレは、オレを生かす事を選んだ彼を、彼らを、許しちゃだめなんですよ。許せば…また、近づく事になる」
『今回の事は貴方が一緒にいたからではないわ』
「それでも、オレはこれ以上誰も不幸にしたくない。昔、アシュラ王が連れ出してくれた時の言葉が嘘になってしまわないように」
『ファイ、これだけは覚えておいて。あの子達は貴方にとってもう、ただ通り過ぎていくだけの存在ではないでしょう。そして、あの子達にとっても貴方は大切な存在。貴方の痛みはあの子達の痛みでもあるのよ。レイノの事だってそう。あの子を守るか守らないかは貴方の自由だけれど、そんな中途半端な事して黒鋼に奪られても知らないわよ』
突き放す様な侑子の言葉に思わず反応してしまった自分を殴りたい。黒様があの子の事を好いてる事には薄々感付いていた。だって距離近いし、あの子に向けてる視線がオレと同じだし。奪られるなんて嫌だけど、それであの子が笑えれるならそれで良いなんて、そんな事、思ってもないクセに。早く自分のものにしたいくせに、嫌なのに、何も言えない自分が大嫌いで、憎くて、誰か早く殺してくれないかなあ、なんて馬鹿みたいな事を考えた。
「サクラちゃんはまだ上で眠ってるんですか?」
『いいえ、外よ』
先程の侑子の言葉を誤魔化す様に、ファイは天井を仰いだ。彼の言葉には「二階にいて欲しい」と言う望みも含まれていた様に思う。しかし、そう言う時に限って現実は上手く行かないのだ。彼女の言葉は無情にも彼に突き刺さり、彼に驚愕の感情を感じさせたのである。
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