episode 129
うそさえも愛しぬいて
「オレが、元いた世界、セレス国にサクラちゃんの羽根があるのを知っていた事を」
『え!?』
ギシ、とスプリング音を響かせながら上体を起こし、ファイは虚ろな蒼の瞳にレイノらを映す。そして、自身が今まで隠していた事を話し出す。その内容に目を見開いたのは黒鋼とモコナのみで、彼女と『小狼』は静かに、そして悲しげに目を伏せた。おそらく「知っている」と言う事実も知られているのだろうが。
『サクラ姫が知ったのは、夢で先を視る力が戻ってからよ。東京で羽根が戻った時』
「あの姫も夢見か」
「昔、セレスに落ちてきた羽根で、オレはチィを創った。貴方の所で小狼君達に会って、彼らがそれを探していたのを知っていたのに、オレは教えなかった」
ベッドの脇に腰掛けるファイを見届けて、侑子はそっと口を開いた。その脳裏には常に目元を赤くしていた「東京」でのサクラが浮かんでいる。本能のみとなってしまった小狼を見る事は叶わなかったが、レイノらの記憶に刻まれているその光景こそ、現状の原因である事はうそではないのだろう。
「魔力がある君ならもうひとつ知ってるよね」
「…もう一人のおれを通じて視た。玖楼国の遺跡で姫の記憶の羽根が飛び散った時、神官が言っていた。「散った記憶は既にこの世界にはない」と」
まるで世間話をするかの様に声を掛けて来たファイに対して、『小狼』は脳みその隅に追いやっていた記憶を呼び起こした。雪兎が言ったであろう言葉にうそ偽りは無い筈だ。しかし、阪神共和国に移動した時、ファイは「小狼にひっかかっていた」と、そう言った。もしそうなら、雪兎が分からない筈がないのである。そんな『小狼』の言葉に暫く黙った後(のち)、ファイは再び口を開いた。
「そう、オレは最初から羽根を持っていた」
『モコナ…侑子の店で目が覚めてからずっと羽根の波動感じてたけど、でも…』
「誰が持ってたかは分からなかったよね。だから君はオレと距離をとっていた」
気付かれていたファイへの気の遣い様に、『小狼』はモコナを抱えながら僅かに目を見開いた。こう言う所がこの人の怖い所だ。気付かれない様に距離を縮めて、心の内に割り込んで、けれどこちらに割り込めせてはくれないのだ。レイノが思わず苦笑を漏らせば、ファイの視線を受けた気がする。
けれどそれはすぐに消え失せ、それを注いだのであろうファイは再びモニターに映る侑子と向かい合い、口を開いた。それは彼が初めて彼女の店に現れた時の事である。そして、雨が降っていた筈なのに濡れる事がなかった彼女を、自身に掛かっていた呪いの存在を知っていた彼女を指摘した。それを聞いた黒鋼は目を見開いて視線をファイの方に向けるが、それに気付く程の余裕は、今のファイは持ち合わせていない。
「知っていたのに、何故、オレを一緒に行かせたんですか?」
『それが貴方の願いだからよ』
「それが仕組まれていた事でも?」
『そうだとしても、出逢って、一緒にいて、想いを抱いて、そしてどうするか、選ぶのは貴方自身よ』
項垂れるファイの姿を悲しげな瞳に映す『小狼』は、きゅ、とモコナを抱き締める手に力を入れた。何も言えなかった事を、何も出来なかった事を悔やんでいるのだろうか。それを思っても仕方がないし、それはレイノや黒鋼にも言える事だ。だから悔やまなくても良い、と思う。しかし、そう思う事で少しでも前に進めるならばそれで良いと、そう思うのだ。
「…姫は何の為にその中に行きやがった」
『サクラ姫の羽根があるの、夢の中に。夢もまた、ひとつの世界だから』
『それもサクラが夢で?』
『ええ。それを得る為にもう一人の小狼が夢の中に来ると』
『サクラ一人で小狼と会うなんて無茶だよ!』
「…会ったらぶん殴ってやる」
「え!?」
「賛成。わたしもやっちゃおうかな」
「レイノまで!」
『駄目だよ!レイノと黒鋼が殴ったりしたらサクラ、大怪我しちゃうよ!!』
『…そうしなさい』
『侑子!!』
侑子から知らされた危機にモコナは思わず声を荒げるが、その横では黒鋼の提案に笑顔で乗ってみせるレイノの姿があった。相変わらずこの二人がタッグを組むと恐ろしい事になると言うものだ。何時もならこれを止める侑子も優しい笑みを浮かべて彼のその提案を促した。垣間見える「東京」以前の光景に嬉しくなるのも無理は無い。
「体と魂、か」
「やっぱり体の方を急いだ方が良いよね」
『でもでも!追いかけるにしてもモコナ、次に行く世界は選べないよ!』
少しこの部屋の空気が軽くなった所で、黒鋼の硬い声色がこの空間に響き渡る。この場に居る者の脳裏には、『小狼』の剣に貫かれたサクラの血に塗(まみ)れた身体が浮かんでいた。セレス国と言う未知の領域に居る以上、早めに解決しなければ問題がそれなのだ。そこで話が纏まった瞬間、今までベッドの脇に座っていたファイがゆっくりと腰を上げる。そして、「願いがある」と言葉を紡ぐ。
「オレが今、使える魔力では、足りないだろうから」
『対価がいるわ』
「オレの右目を」
たった一言、断言したファイの言葉に、レイノらは驚愕や絶望が混じり合った表情を瞬時に浮かべたのだ。うそだろうと、何を言っているんだこいつは、と、そう思ってしまうのは仕方がなかった様に思う。それ程までにファイのそれは突拍子もなく、そして、酷く自虐的なのだ。これを真剣に言っているものだから余計に質が悪い。
『ファイ!』
「本当は眼球ごと抉って渡せればいいんですが、これはオレの魔力そのものだから、両目共に無くせばさすがに死ぬでしょう。でもまた今は死ねない。この目に見える、全てを対価に」
『右目の視力を渡すと?』
「はい」
『その対価で何を望むの?』
モコナの声はもちろん聞こえてた。「黒鋼」の鋭い視線も、彼の驚く様な視線も、レイノちゃんの縋り付く様な視線にも気づいてた。けど、オレは話す事を止める事は出来なかった。魔術具はもう無い。魔力も半分は小狼君に奪われてしまった。こうなれば魔力を渡す訳にはいかない。もう残った右目を差し出すしかなかった。あの子の笑顔とか泣き顔を見れなくなってしまうのは少し寂しいけど、そうは言ってられなかった。何か思う事があるんだろう次元の魔女の質問に、思わずごくり、と喉仏を下に動かした。そして、今まで言う事も思う事もなかった言葉を口にしたんだ。
「セレス国へ、戻ります」
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