episode 132
極寒の国
『着いた?』
「ここが…」
「セレス…」
自身らを包んでいた歪んだ空間から解き放たれ、目の前に広がっていたのは耳が痛くなる程の冷風で乱れる大粒の雪だった。足元から響くサク、と言った音は雪のせいらしく、思ったよりも深く積もっているらしい。そして、そんな場所に大きくそびえ立つ城がある。浮かんでいる様に見えるのはやはり魔術が関係しているのだろうか。色々な場所から連なっている階段の頂点にそれがあり、それを包み込む様に氷の装飾品が矛先を向けていた。
「あの城は…」
「オレがいたルヴァル城」
『駄目!サクラの場所がどこにあるか分からない!』
「わたしも…やっぱり魂がないからかな」
「だろうな」
「サクラちゃんはあそこにいる」
そう言ってスッと「ルヴァル城」と呼ばれた目の前の城を指差したファイは何とも言えない、複雑な顔付きをしていた。肌に当たる冷たい風がピリピリ、と痛い。そんな寒さの中、レイノは残った魔力を一手に集中させようと眉間に力を入れるが、どう頑張ってもサクラの羽根の気配を感じ取る事は出来なかった。少しずつ変わって来る身体を持ってしても分からないのだから、仕方ない事なのかもしれない。
「何故分かる」
「魂と体が分かれても、サクラちゃんはまだ生きている。そして、生きているものの気配はあの城からしかない」
『この国の他の人達は?』
何気ない、本当に何気ない問い掛けだったと思う。それに対して何を答える訳でもなく、ただただ黙りこくったファイの表情を見る事は叶わなかった。けれど、聞いてはいけないのだと言う事はすぐに分かった。そして、この国の違和感もそこで判明したのだ。あまりに静かすぎるこの国は、酷く居心地が悪いのだ。ただ冷たいだけで、何の温かさもないこの国はとても、寂しかった。
『どうやってお城まで行けばいいのかな。あの階段登るの?』
「あれは本当にあるわけじゃないんだ」
「幻か」
しかし、その沈黙を破ったのもモコナだった。この底抜けの明るさにどれだけ助けられて来ただろうか、とも思うが今はそんな気遣いが出来る程の余裕はファイには備わっていなかった。そんな彼からそっと目を逸らした瞬間、レイノは顔を歪めてしまう程の頭痛に見舞われた。こめかみを押さえると、ドクン、と言った心臓が波打つ様な音が指先を通って身体に広がって行く。――何なんだこれは。
「…レイノ?」
「っ……なあに?」
「気分、悪いか?」
「…んーん、平気。大丈夫だよ」
「けど、顔色が…」
「寒いから、かな。ほんと、大丈夫だから」
「……分かった。何かあったら言ってくれ」
僅かに変化したレイノの様子に、一番最初に気付いたのは『小狼』だった。予想通りと言うか何と言うか、相変わらず少しの変化に聡い男である。未だに収まる気配は無い頭痛に堪えながら、彼女は何とか笑みを浮かべている。その額は、この極寒の中では有り得ない程の汗で濡れていた。それを寒さのせいにしてしまった彼女には、何時もの冷静さは無い。彼の最後の言葉に肯定も否定もしなかった彼女は、何があってもきっと言ってはくれないのだろう。それでも、少しでも側にいて守れるなら安いものだ。
それにしてもあの一瞬、おれの視界の端に映ったのは何だったのだろう。普通なら見えるはずのないその色は、おれの中で不安とか、疑惑とか、そう言う気持ちをどんどん増やして言った。確かに、レイノの姿にそれを見たんだ。
茶髪であるはずのレイノの髪が、金髪になるその瞬間を。
『小狼』の風の魔法を使って城門の前までやって来たレイノらは、そこに広がる凄惨な光景に思わず目を見開いた。眉を顰める者も居るだろう。そこに雑に転がっている大量の死体は内側から抉られた様に引き裂かれていた。大量の血を垂れ流しながら折れてしまった柱に身体をぶら下げる姿も見受けられる。
『ファイの着ている服と…似てる』
「この城の奴らか」
「そうだよ」
そんな死体達に目もくれず、ファイは石段に足を上げて行く。夥しい程の血液が一面に広がっているが、生臭さが鼻に来ない所を見ると数ヶ月は経っているのだろうか。そんな事を考えながら、レイノはやっと収まって来た頭痛にほっと安堵の息を吐いた。少し力の抜けた身体を城内にするり、と入れて行く。その視界の端で、後ろに居た『小狼』の身体が少しだけ揺れた気がした。
「どうした」
『頭、痛いの?』
「…いや」
「大丈夫?」
「…ああ、大丈夫だ。進もう」
そんな『小狼』の僅かな変化に一番最初に気付いた黒鋼は神妙な顔付きはそのままで、声を掛けた。その後に続いたモコナの問い掛けに、『小狼』は頭に手を翳しながら肯定か否定か良く分からない言葉を紡ぐ。レイノが顔を覗き込むと、先程よりも少しだけ顔色が悪い様に見えた。けれど「進もう」と、そう言われたら「うん」としか言えないのだ。
驚くほど響く靴音が鼓膜を震わせる中、彼女は『小狼』の身体を労わる様にゆっくりと進んで行く。その道中でも垣間見る血に塗(まみ)れた死体達はモコナの恐怖心をじんわり、と煽っていた。その様子に気付いた彼女がそっとモコナを撫でると、モコナはその手に擦り寄って来てくれる。大丈夫だよ、根拠も何もないその言葉が救いになっていれば良いのだけれど。
「城のどこに姫の体があるか分かってるのか」
「……ああ」
反響する四つの靴音を聞きながら、黒鋼はファイとの距離を縮めて問い掛けた。それに眉を顰めたファイは、答える事を躊躇っている様に見えたのだ。言いたくない、けれど言わなければ進まない。そんな葛藤の末に絞り出す様に出た言葉は肯定を示す、酷くシンプルなものだった。
暫く進むと、城の入り口と同じくらいの扉がそびえ立っている。それに大きく描かれている紋章は、何かを守る様に十字架を背負っている。ファイはそれに手を伸ばすが、力を加える事は無く、その扉はひとりでにレイノらを迎え入れてくれた。そこに在るのは人影が一つだけ、しかしそれを見た瞬間、『小狼』の頭痛は酷くなった気がしたのである。
「お帰り、ファイ」
「……出来れば帰らずにいられればと、思っていました。アシュラ王」
その名にピク、と眉を動かしたのは黒鋼だ。何時かの国、紗羅ノ国だっただろうか。神が祀られていたその国で、彼はファイの内側を垣間見た。しかしその神とは違い、目の前に居る「アシュラ王」と呼ばれたその男は柔和な笑みを浮かべている。それが優しさと言うのか、残酷だと言うのかは良く分からない。けれどこの男が「ファイがこの国に帰りたがらない理由」なのだと言う事はすぐに分かった。
「約束したのに、わたしの願いを叶えてくれると。待っていたよ、君を」
改めて耳にしたその声は柔らかく、全てを包み込む様な、そんな声色だった。けれど何かを押し付ける様な、そんな感覚を覚えたのも嘘ではない。そこの矛盾に、レイノは思わず冷や汗を垂らした。「怖い」と、そう思ったのだ。その後に続いた「この子も待っていた」と言う言葉にファイは目を見開く。そこに映るのは、有り得ないものだ。ずっと望んで、ずっと手にしたくて、けれど出来なくて。そんな存在が、何かを訴えかける様にじっとこちらを見つめている。それに怯えて、それが怖くて仕方がなかった。
「君をずっと」
「お前のせいだ」と、そう言われてるみたいで死にたくなったんだ。
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